199話 「広間:あの遭遇戦の続きを」【後編】
サレはエッケハルトの姿を見て、意外なほど冷静でいられる自分を客観視していた。
――〈コーデリア〉のせいだな。
この男より、もっと自分にとって衝撃的で、それでいて明確な『敵』を、先日見たばかりだ。
あれと対比するとエッケハルトに関しては大した問題でないように思える。
事実、エッケハルトは物理的に自分たちと敵対するつもりがない。
この男は自分の目の前で剣を捨てて見せた。あろうことか、未来の剣を持つ腕までもを『くれてやる』と言ってのけた。
そういうもろもろを含めて考えると、コーデリアよりはずっとマシだ。
だからたぶん、自分は冷静でいられる。
でも、
「まだ皆が納得するには、少し時間がいるかな」
自分だってすぐには認められなかった。問答があって、そのあとで一旦腑に落とした。だから、仲間たちがすぐにはエッケハルトの来訪を認められないのも、しっかりと認識できる。
サレは仲間たちの様子を観察した。
ぐるりと首を回し、視線を順に向けていく。
クシナはすでにアクションを起こしたので言わずもがなだが、その他にも、特に王剣遭遇戦で前線に残った者たちが、少し険しい表情だ。
一方で、ギリウスのようにこの瞬間に余裕の表情を浮かべている者もいる。
――ギリウスは強いからね。
意識はしていないだろうが、ギリウスは上方からエッケハルトたちを見下ろせる。
力量的に、間違いなくギリウスのが上だ。
意識しなくとも、そこに強気が顕れる。
自分もそうだ。
「少し待て。まだ整理がつかないやつが多いから」
サレはエッケハルトに言った。
対するエッケハルトは、
「ああー……そうだな。まあ、それが普通の反応だよな。――いいぜ、何も殺し合いしに来たわけじゃねえんだ。大人しく待ってるさ」
「殊勝なことだ。外で待っててくれ」
「へいへい」
サレが促すと、エッケハルトはシェイナを連れて爛漫亭の外に出ていく。
サレは二人が出て行ったあとに、ふと思い出して犬顔亭主に「茶でも出してあげてくれ。代金はこっちで持つから」と言って、また広間に戻った。
――取引だからな。あえて相手に皮肉る隙を与えるのもなんだ。
たいした配慮ではないが、何もないよりはいいだろう。
サレは広間に戻り、また仲間たちに視線を向けた。
それぞれが内心で心情の整理をしているようだった。
サレは彼らに向けて、湖都ナイアス西門でエッケハルトたちと出会った当時のことを話していった。
◆◆◆
「そんなすぐに、何かが変わるものなのか」
サレの説明に対し、声をあげたのはシオニーだった。
シオニーは今日もパンツスタイルの軽装をしていて、へそのあたりを露出させながら、冷たい美貌と称するに足るクールな外見を空間に閃かせている。
そんなシオニーが、その外見どおりの鋭い冷気のような雰囲気を醸しながら、サレに問いかけていた。
切れ長の目がサレの瞳を穿つ。
「どうだろうね」
「私はあの時実際に彼らとは相対していない。避難組の誘導に回っていたからな。でも、その後に皆から聞いた話から判断しても、彼らがアテムに対して厚く忠義を立てていたこと分かる。あの遭遇戦で彼らは確かに『軍人』だった。いっそ軍隊組織人の見本にするべきだと思うほどの軍人だ」
「そう――かもしれない」
サレはシオニーの冷静な分析に頷きを返す。
「それがたった一度の敗戦で、アテムに対する忠義が薄れるのか。むしろ、名誉を挽回しようと一層忠義厚く国に仕えようとするのではないか?」
「否定はしないよ。俺にどうこう言われても、俺は判断できないんだけど」
「いや、悪い、サレ。分かってはいるんだ。ただちょっと、話だけだと信じられなくてな」
シオニーは銀尾を三度左右に振って、また一人考え込むように腕を組んだ。
「サレ、ぬしは何をもってやつらを判断したのじゃ?」
次にサレに問いかけたのはトウカだ。
壁に背を預け、刀鞘を片手に携えたまま、サレに訊ねるトウカ。刀鞘を手から離さないことが、エッケハルトたちに対する警戒の表れでもあった。
「言葉と――」
サレはあの時のことを思い出し、付け加える。
「――目だな」
曖昧だろう。それはサレとて自覚していた。
しかし、目の奥に物言わぬ『何か』が宿ることを、サレはこれまでの経験で知っている。
事実、あの時のエッケハルトの目に、かつての自分たちと似たものを見た。
断崖に立っている者の目。
刹那的な輝きを放つ目。
「目……か。分からんでもないが、それはわらわたち個別で判断すべきものじゃな」
「そうだね」
エッケハルトたちの目から何をくみ取るかは、恐らく個人で違うだろう。
ただ、それで意見の対立が起こるのは避けたい。
彼らは情報を持っている。
間違いなく自分たちに必要な情報を、持っているはずなのだ。
だからサレは言葉を重ねた。
「単純に。単純な話。俺たちはいつでも二人を――殺せる」
下手にぼかすと回りくどくなる。この際そう言ってしまった方が分かりやすい。
サレは己が判断で直接的な物言いを使用した。
「あの時はやつらに力があった。部下もいた。数も多かった。だが今は逆だ。すべてが逆だ。もしここでやつらが反旗を翻そうとしても、俺たちはどうとでも処理できる」
警戒を解くつもりはない。そこまで馬鹿ではない。そんなに慈愛的ではない。
だから、もしやつらが牙を向くのなら、即時で剣を振るうだろう。
「――それもそうじゃな」
トウカはそれで納得した風だった。
さばさばとしたトウカらしい回答だ。
「トウカは脳筋ですからね」
「そういうマリアはどうなのじゃ?」
そんなトウカを横から評したのは完璧な微笑を浮かべたマリアだ。
マリアは「そうねぇ」とまったりした相槌を打って、それから言葉を返した。
「私も副長の言葉に頷くわ。――いつでもヤれるもの」
「なんかマリアが微笑と共に言うとものすげえ怖いな……」
「あらあら、副長もヤられてみます?」
「な、なにをだ……っ!!」
サレは謎の返しに戦慄し、とっさにマリアから視線を逸らした。
「大丈夫であるよ。ヤバそうなら我輩がパーンってするのである」
さらに横からギリウスが口を挟む。
そんなギリウスの言葉を小首を傾げて復唱したのは、いつの間にか子供用のメイド服なんていう一部の趣向者に対する凶器を着こなしていた少女、イリアだった。
「パーン?」
「うむ、パーン! ――である」
◆◆◆
「うおっ、なんか今寒気がした……」
「は? 全然寒くないけど。この街すごく過ごしやすい気候じゃない。湖綺麗だし」
「いや、気温的なのじゃなくて、なんかこう、どこかで呪いでも掛けられたみたいな……」
「ちょっと、エッケハルト、あんたそういう自分に都合が悪いものにはとことん勘が鈍いはずなのに」
「わかんねえ。もしかして結構近いのかもしれねえな」
「物騒ね、この街」
「ああ、まったくだ」
◆◆◆
「よし、じゃあヤバくなったらギリウスがパーン! ――ってルートで行こう。完璧だな」
「どこが!? ねえどこが!? 完璧の『か』の字すら書き切れてない最高にずさんな作戦だけど!?」
「うるせえ眼鏡、先に眼鏡パリーンするぞ」
「へへっ! やってみなよサレ! 今日はそんなこともあろうかとポケットに三つのスペアを――あああっ!! なんで先にスペアから握り潰すのさ! ポケットの中がっ! 大惨事に!!」
「よーし、馬鹿は放っておいて決まったみたいだから呼んでくるぞー」
サレとメイトを差し置いて、マコトが一人爛漫亭の玄関へ向かって行った。