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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第一幕 【愚者:理想門への凱旋を】
20/218

19話 「独善と理想を」

 避難組を率いていた〈シオニー・シムンシアル〉をいの一番に発見したのはサレだった。

 ギリウスの背に乗って上体を乗り出しながら、その精度の高い眼で下界を探っていた。

 しばらくして、サレは森の隙間を縫うように走る『銀色の光』を見つけた。


「――ギリウス、見つけた。高度をおとして」

「わかったのである。また少し揺れるのであるよ」


 サレの言葉に従い、ギリウスは飛翔速度に制動を掛け、徐々に高度をおとしていった。


◆◆◆


「――匂いがいっぱいだ」


 シオニーは避難組の面々を安全と思われる場所へと安置し、自分は先行して周辺区域の索敵に出ていた。

 異族の中でも特に優れた嗅覚のおかげで、先行索敵は順調に進んでいた。

 しかし、ここにきて不意にその鼻が異変を察知する。


 ―――いきなり匂った。


 自分の鼻がこんなに近づかれるまで反応できなかったのは、この匂いの主が自分の嗅覚の警戒網を予想だにしない速度で突き破ってきたからだ。

 気付いたらすでに嗅覚網に侵入されていた。


 ――移動術式?


 あるいは、空を高速で飛べる存在か。


 ――みんなのところへ戻った方がいいかな。


 シオニーは判断し、その場で踵を返した。

 避難組の面々の匂いを嗅ぎ分け、位置を確認する。


 ――よし。


 内心に確信を得て、シオニーは疾走への助走を踏む。

 そして、今まさに二歩目の加速を得ようとしたところで――

 シオニーは先ほど感じた異変の正体に気付いた。

 気付かされた。


 まず最初に声が()ってきた。


「シオニー!」


 ふと名を呼ばれて首をもたげる。

 同時に、鼻をついていた匂いの群が上空から降り注いできていることに気付いた。


「みんな……?」


 彼女の視界に映ったのは、巨大な翼で大気を打ちつけながらこちらへ下降してくる真っ黒な鱗の〈竜族(ドラグナル)〉だった。

 次いで、その背から顔を出す魔人族(イーノ・エイラ)の青年と、竜族の周囲を舞うように飛翔する白翼の天使族(レグナード)が映る。

 そこまで目視してシオニーは理解した。


 皆を助けるために前線に残った仲間たちが、ようやく追い付いてきたのだと。


◆◆◆


「喜んでいるのが一発でわかるわね、あの愚犬」

「また尻尾でも振っているのでしょうか」

「そのとおりよ。節操なく左右に振られているわ。――見えないのによくわかったわね、アリス」

「大方予想はつきます。それに、見えなくても布の擦れる音は聞こえますし、音の大小や方向、音の種類や反響などで――なんとなく把握できますから」

「意外と目が見えなくてもなんとかなるものね」

「慣れるまで苦労はしましたけどね」


 プルミエールが微笑を浮かべながらアリスと話をしていると、ふと彼女はあることに気付いて、地上から手を振るシオニーから視線をズラした。

 視線の移した先はサレだ。

 精確にはサレの尻尾である。


「――こっちもね。尻尾のある種族って大体こうなのかしら」


 そこにはシオニーに負けず劣らずの落ち着きのなさで左右に振られているサレの黒尾があった。

 右に、左に、柔らかい動きで振れる尻尾。

 ずっとそれを見ていると、つい掴まえたくなるような衝動に駆られる。

 プルミエールは自分の衝動に忠実に、その黒い尾を掴まえに掛かった。

 動きはまるで猫のようだ。


「――えい」

「ふおあっ!」


 掴まえた瞬間、逃がさぬように握りこむ。

 サレの悲鳴があがった。


「あ、意外と手触りいいのね。……なんか生意気だわ」

「いきなり握るなよ! 結構びっくりするんだぞっ!」

「あら、そうなの? ――でもいいじゃない、私に気に入られるなんて誇るべきことなんだから! この毛並みだけは誇るべきよ! ――毛並みだけはっ!!」

「…………あぁ……一番気に入られちゃいけないやつに目をつけられたかもしれない」


 サレの顔はみるみるうちに青ざめていった。


「茶番はそのくらいにしておいてください。――さて、避難組の皆さんのもとへ向かうにあたってはギリウスさんの姿は刺激が強いと思うので、警戒させないようにここからは徒歩で向かいましょう。びっくりして腰を抜かされても気の毒ですし」


 アリスが無表情で言う。


「アリスの言葉を全面的に肯定できてしまう自分が悔しいのである……」


 ギリウスが竜顔を悲しみの色でいっぱいにさせて答えた。


「でもそれで一番気の毒なのってギリウスだよな……」

「おお……サレは我輩の味方を――」

「ま、いっか。事実だから仕方ないよな」

「…………」


 ギリウスの顔は悲哀に満ちたままだった。


◆◆◆


「みんな、無事か?」

「ええ、いろいろありましたが、ほぼ無事です。プルミエールさんが怪我を負いましたがすでに治りかけているようで。――心配して損しました」

「そ、損……? そ、そうか」

「そちらはどうですか?」

「こっちもみんな無事だよ。今はここからちょっと離れた場所で待機してもらってる。私が周辺の索敵に出ていたところなんだ」


 シオニーが銀髪と銀尾を揺らして答えた。

 相変わらず立ち姿は凛々しい。

 ピシリと伸びた背筋。女らしい線の細さを映しながらも、その姿勢の維持に均整の取れた筋肉群が働いていることを窺わせる。

 首を振る度に長い銀髪が揺れ、顔に少し掛かった。

 その長髪を手ですくって耳にかける仕草が、またやたらに艶やかで、その場にいた男性異族たちの視線を釘付けにした。

 

 アリスとシオニーが会話をしている中、サレは尻尾をプルミエールに狙われながらも、シオニーに視線を向けていてあることに気付いた。


「……ん? ――獣耳?」


 サレが見ていたのはシオニーの頭についている二つの突起だった。

 まるで犬の耳のような、少し尖った三角の耳がひょこりとシオニーの頭に現れていた。


「――ん、ああ、これか」


 シオニーが自嘲するような笑みを浮かべながら、自分の頭部から生えた二つの犬耳に触れて答えた。


「さっき少し獣化したから、その名残だ。時間が経てば元に戻るよ」

「へー。獣人系種族って獣化やら化身やらカッコイイけど、いちいち姿が変わるのは大変そうでもあるなぁ」

「はは、基本状態が変わることがない魔人族からすればそう映るかもね」

「でも、かわいいね、その耳」

「……っ!」


 サレの不意の一言に、びくりとシオニーの身が跳ねた。

 跳ねたかと思えば数秒もしないうちに頬が紅潮してきて、ついに耳まで真っ赤になる。

 さらに両手の指を合わせてもじもじし始めたかと思うと、


「かっ、かわいいっ……だなんてっ……!」


 ちらちらとサレの顔を見上げながら、照れ始めた。


 ――やっぱり照れるんだ。なにこれ、おもしろい。


 凛とした冷たい美貌を醸していた銀の麗人が、一瞬のうちに内気な少女のように照れ始めたのを見てサレは思った。

 その様子を傍観していた周りの面々も、サレの内心と同じくそれぞれにおもしろさを感じていたようで、


 ――シオニーさんの弱点は褒められること、と。

 ――私もあとでやってみようかしら。

 ――完全に楽しんでおるな、サレ。

 ――我輩も一度は言われてみたいセリフである。


 それぞれが胸中でうなずいていた。


「では、案内をお願いいたします、シオニーさん」

「あっ、うん、わかった」


 頬を赤らめながらもシオニーはアリスの促しに応えて踵を返した。

 それに続くようにして、シオニーの背を皆が追っていく。

 竜体に化身していたギリウスは突然淡い光に包まれたかと思うと、その場で見慣れた準人型の姿に戻っていた。


「ギリウス、それってすぐ戻れるものなの?」

「うむ。最近はずっと人型に化身していたゆえ、人型に戻る方が楽に感じるのである。その逆も然りであって、近頃は竜型に化身していなかったゆえ、さきほど竜型に化身するのには結構な時間が掛かってしまったのであるよ」

「へえ。なんか、あらためて俺たちがそれぞれ違う種族なんだなって再確認させられるな。そういう話を聞いてみると」

「それはお互い様であるよ。我輩とて、〈殲す眼(グラム・イストーラ)〉という固有術式と強力な魔術を扱うサレを見ていて、そう思ったのである。持っているものはそれぞれ違うのだな――と」

「その差異が俺たちにどんな影響をもたらすんだろうねぇ」

「いずれわかるであろう。我輩たちが避けては通れぬ道であるからな。――それに、アリスの話もある。その辺も少しずつ話し合わねばならないかもしれないのであるな……」

「――そうだね」


 サレとギリウスはそんな会話をこなしながら、最後尾を走っていった。


◆◆◆


「みんなー、前線組と合流できたぞー」

「ホント!? みんな帰ってきたの!?」


 シオニーに連れられて向かったのは森の中の小さな窪地だった。

 イルドゥーエ領内の森をくまなく散策した経験のあるサレにとっては、見覚えのある場所だった。

 その窪地に姿勢を低くして集まっていた避難組の異族たちが、シオニーの言葉に反応して身を起こし始める。

 真っ先にシオニーの言葉に反応し、窪地から身軽に一歩抜け出てきたのは小柄な一人の少女だった。


「みんな、超無事だった?」

「ええ、超無事ですよ、〈イリア〉さん」

「――アリス!!」


 〈イリア〉と呼ばれた少女は窪地から抜け出ると、帰還した前線組の先頭に立っていたアリスのもとへと駆け寄り、その勢いのまま彼女に飛びついた。

 アリスの首元につかまったまま、彼女を支点としてぐるぐると振りまわされるイリアを見たサレは、ふと彼女の『特異性』に気付いた。


 ――あの子、右腕が半透明だ。


 アリスの首をつかまえているイリアの両腕のうちの一本――その右腕が透けていた。

 言葉どおり、背景が微かに透過していたのだ。

 アリスに触れられているということは、実体は一応あるのだろうと推測するが、


「気になるか? サレ」


 トウカがサレの内心を察するように声をかけてきていた。


「――うん。気にならないと言えば嘘になる。でも、無理には聞かないよ。そういう暗黙の了解だろう?」

「そうじゃな。だがイリアは別段、自分の正体を隠そうとはしておらぬから、機会があれば本人に聞いてみればよいと思うぞ」

「そっか。なら今度聞いてみようかな」


 サレは柔らかな笑みで答え、次にイリアに抱きつかれているアリスに視線を運ぶ。


「それにしても、アリスは誰にでも敬称をつけるんだねぇ」


 アリスはおそらく、この異族集団の中では若年の部類だろう。

 しかし、イリアという少女はそのアリスよりももっと年下に見えた。


「そうじゃなぁ――たぶん、距離をはかりかねておったんじゃろ。ある程度太い関係ができた今でも、以前からの接し方が癖になっておるのではないかの? ――ま、同じ『さん』でも含まれている意味はだいぶ変わってきていると、わらわは勝手に思っておるがな」


 「カカッ」と短い笑いを加えて、トウカは言った。

 すると、そのトウカのもとにさきほどの少女――イリアがいつの間にか飛び込んできていて、


「トウカもおかえり!」

「――ぬ?」


 見た目の歳相応の快活な笑みと、無邪気な愛らしい仕草でトウカの足に抱きついていた。

 トウカは一瞬面食らったようだったが、すぐにその美貌にやわらかな微笑を浮かべ、


「――ああ、ただいま、イリア」


 そう答えた。

 直後、トウカは微笑を恥ずかしげに歪め、照れるように頭を掻きながら隣のサレに言う。

 もう片方の手ではイリアの頭を撫でていた。


「いやはや、そう多くを話したことはないんじゃが……しかし幼子というのはこちらの意図というか、遠慮というか、そういったものを良い意味でぶち壊してくるものじゃな。気を使おうとしていたわらわが馬鹿みたいじゃ」


 嬉しそうに言うトウカを見て、サレも微笑をこぼした。


「サレも超おかえり!」

「――ん? うん、超ただいま!」


 トウカの足元に抱きつきながら、イリアが緑色を帯びた銀髪を揺らし、その翠玉の瞳をサレに向けてそう言っていた。

 まだ面と向かって話したことがなかった自分にも声を掛けてくれたイリアに対して、サレは笑顔で答えながら、内心で彼女に親愛の念を抱く。

 種族差を超えて保護欲を駆り立てるほどに、彼女の愛くるしさは強烈だった。


 ――彼女の無邪気さは種族同士の潤滑油にもなるかもしれないな。


 打算的な考えがサレの脳裏を過ったが、サレはすぐさまそれを思考の端に押しやって、イリアの頭を撫でた。


 ――かわいらしい無邪気な笑顔。それだけでいいじゃないか。


 サレは思い直す。

 サレは自分より年下の存在に出会ったことがなかった。

 今まで暮らしていたイルドゥーエには、自分よりずっと先を生きていた魔人族の家族たちだけだった。

 だから、初めて接する明確な年下の少女はかわいらしい以上にサレの胸中に思いを抱かせた。


 ――守ってやりたい、笑顔だ。


「そんな風にも笑えるのだな、ぬしは」


 ふと、トウカがサレの笑顔を見て言った。


「なにいってんだよ――俺は本来笑顔のハジける男だよ?」

「カカッ、よく言うものじゃな」


 サレのわざとらしい返しにトウカがしてやられたという風に笑って、その肩を叩いていた。


◆◆◆


 少しはみんなの抱えた悲しみも薄れたのだろうか。

 きっと誰もが忘れはしないだろう。

 しかし、いつまでも囚われているわけにはいかない。

 前を向かねばならない理由がここ新しく生まれたのだから。


 ――。


◆◆◆


 その後、前線組の異族たちはそれぞれ避難組の異族たちとの再会を祝いつつ、その身の休息に時間をあてた。

 また、休息を享受しながら、それぞれがこの仲間たちとの関係性に強かれ弱かれ思いをはせていた。


◆◆◆


 アテム王国の軍隊〈第二王剣〉との戦の前後では、異族同士の接し方も変わっていた。

 共通の、明確な敵の存在を認知したことで、団結力が深まったのだ。

 好戦派、非戦派、それぞれの立ち位置が明確になったこともある。

 また、アリスを守るという建前をどう表現するか、どう心に銘じておくか、その作法に関しても方向性は打ち出された気がしていた。

 自分たちの立ち位置を知って、ようやく周りに気を割く余裕ができたのだ。


 プルミエールの迷いなき行動が、その点においては強い影響を及ぼしたのだろう。

 天使の矜持が、異族たちを集団から一団へと駆り立てた。

 そうして別種の存在を正面から知覚した時、あらためてそれぞれの持つ種族の特性に思いが至る。

 魔人の強靭さ。

 竜族の威風。

 鬼人の苛烈さ。

 天使の高潔さ。


 違う種族。

 異族。


 でも――


 ――同じ志を持とうとしている仲間。


 仲間になろうとしている今。


 きっと誰もが考えていた。


 自分はこれからどうすればいいのだろうか。


 ――どういう意気を胸に秘めて立ちあがればいいのだろうか、と。

 

◆◆◆


 そうしてまたひとり、自分の立ち位置をまわりの皆に知らしめようととしている小さな存在がそこにはいた。


 元アテム王族の少女――〈アリス・アート〉だ。


◆◆◆


 アリスは皆と同じように地面にすわりこみながら、ある決心をかためていた。


 ――言うなら、今でしょうね。


 口に載せようとしていた話題。

 それは、


 ――私が、アテム王家の純人であったということを。


 前線組がさきほど知った『事実』についてだった。

 前線に残っていた好戦派の者はすでに知っているが、事実が明らかになる以前に遠方に避難していた非戦派のものたちはその事実を知らない。

 だから、それを説明する必要がある。


 ――……。

 

 そうして、アリスは内心でいくらかの逡巡を経たあと、


「――少し、話を聞いていただけますか、皆さん」


 口に言葉を載せはじめていた。


◆◆◆


 当初、サレやトウカ、ギリウス、プルミエールといった最初の『容認者』たちは、彼女の話がすんなりと皆に受け入れられるとは思っていなかった。

 そう単純な話でもないのだ。


 アリスが純人族であるということも、よりによって〈アテム王国の王族〉であったということも。


 ゆえに、容認者である彼らは、場合に応じてアリスに助け船を出すつもりだった。

 別段打ち合わせをしたわけでもなく。

 やり方も違ったが目的は同じだった。

 それは彼女がどんな言葉で、どのような方向性を事実に付加させようとするか、なんとなく予想していたからだった。


 しかし、アリスは自分の生い立ちについて話している最中(さなか)、そのすべての助け舟を自らで制していた。

 「いらない」そう明確に意志として示していた。


 それぞれの表情は見えていないはずなのに、それぞれが横から発言しようとしたところで彼女の虚ろな視線が彼らを射抜いた。

 まるで黙っていろと言わんばかりの牽制だった。

 場の空気や些細な衣擦れの音、咳き込むタイミングなどでサレたちの発言意志を察知し、そして絶妙な牽制を入れた。

 結局アリスの視線に制されて、サレたちは何も言うことができなかった。


◆◆◆


「――と、いうわけです、皆さん」

『……』


 肌を撫でる沈黙はどこかピリピリとしていた。差すような緊迫感がそこにはあった。

 顔をあげている者は少なく、皆が皆地面と顔を見合わせ、各々に思索にふけっている。


「――いきなり判断を仰ぐのも性急だと思いますので、少々時間を取りましょう。――私を敵とするもよし。なにもせず私のもとを離れるもよし。今までどおりついてきてくださっても構いません。いずれにせよ、私の身体は一つですので、いざという場合には奪い合いにならぬよう祈っております。――それと」


 続けてアリスは紡いだ。


「これでアテム王国とは表面上も完全に『敵対』したといってよいでしょう。今私のもとを離れれば、彼らは私に注視するあまり、離脱した異族を見過ごすかもしれません。もちろん可能性としてではありますが。ともあれ、離れるならば今が『絶好の機会』です。――よくお考えを」


 そういってアリスは踵を返し、皆が集まっている窪地から離れていった。

 自分がいては相談もできないだろうとの配慮が彼女の背からは見え隠れしていた。

 そしてまた、足早に場を去るその背中を追う影が――四つあった。


◆◆◆


 皆から数十メートル離れたあたりで、一人木陰に腰をおろしていたアリスがふと声をあげた。


「――サレさんですか?」

「おっ、よくわかったね」


 アリスが背をあずけている大木の反対側に――サレが立っていた。

 尻尾をゆったりと揺らし、リラックスしている様子だ。

 顔には少々の笑みが映っている。


「サレさんは非臨戦態勢時でも足音がかすかにしかしないので、逆に判別しやすいのですよ。こういうなんでもない時くらいは気を抜いてもいいのでは、と心の隅で思っていました」

「あれっ、足音完璧に消せてると思ったんだけど――アリスにはバレるか。いやぁ、昔からこういうよくわかんない技術をニヤニヤしながら体得させようとしてくる家族がいてさぁ。またそれがスパルタで、結局こうして身体に染みちゃってるんだよね……うわぁ、思い出したくないわぁ……」

「心中をお察ししておきます」


 アリスはサレがガクガクと震えはじめたのを衣擦れの音で気付いて、ひとまず察しておいた。


「――まあ、そんなのはどうでもいいんだ」


 すると、サレは震えを止めたあとに大木からまわりこんで、ついにアリスの隣にまで歩み寄ってきた。


「――どうして彼らを煽りたてるような言葉を?」


 サレはそう訊ねながら、アリスから半歩ほどの距離を隔てて同じように腰を下ろし、大木に背を預けた。

 腰を下ろすと同時にアリスから返事が返ってくる。


「煽りたててはいません。あるがままに申しあげただけです」

「それは嘘だよね。事実を端的に説明するにしては、アリスの説明はある方向に傾いていた」


 サレは続ける。


「みんなが自分のもとを離れるように、説明に意図して方向性を持たせただろう」

「そんなつもりはありませんでしたが」


 アリスは揺るがない。

 対するサレは頭を片手で掻いて、また言葉を続けた。


「自分の存在を煽り文句に、彼らが自分のもとから離れるように後押ししたんだ。彼らがアリスをスケープゴートにして、『安全に逃げられるように』――」


 ――後押ししたんだろう。

 サレはアリスの目を覗き込んで言った。

 彼女からはこちらの姿は見えていないだろうが、もしかしたらほかの感覚器でおおよその行動意味を察知しているかもしれない。


「――深読みのしすぎでは?」


 やはりアリスはサレの言葉を認めない。うなずかない。決して。


「……まあ、ここでハイとうなずくくらいなら、もともとそんなことしなかったろうね」


 だから、アリスはこれからもうなずかないだろう。

 ゆえに、サレはすこし強引だと内心に思いながらも、そういう前提であえて話を進めることにした。


「きっと、最初にアリスの話を聞いて、それでもなおアリスを守ろうと決めたあの場の者からすれば――アリスのおこなった後押しは逆に意気を折られたような気分になったかもしれないよ」


 なぜなら、


「女々しくも、俺たちはアリスを守ることを生きる糧にしようと決めたから」


 そう理由を紡いだ。

 そうしてまた、サレは胸中で言葉を浮かべる。


 ――俺たちはアリスに寄り掛かっている。


 それがサレの認識だった。

 アリスを守るために立ちあがる。

 また立ちあがって、生へ執着する。

 思い込みで塗り固められた建前を信じ切って、前へ進もうとする。

 結局これは、自分たちがアリスという存在に一方的な救いを求めているのだ。


 だから、アリスのほうから『離れて』といってしまえばその気概の地盤が緩む。


 寄り掛かった者からの拒絶をはねのけられるほど、その気概はまだ盤石ではない。


 ――まったく、俺たちの勝手な話だ。


 そうサレが思っていると、


「――仮に。そう仮に――」


 アリスがサレの言葉に「仮に」と入念に前置きしてから答えた。


「サレさんがおっしゃるとおりであったとするなら――そうかもしれませんね。ですが、それはそれとして」


 アリスは続ける。


「この離脱するに最適な機会を、彼らから奪いあげることはできません。――逃げられるならば、逃げたいと少しでも思っているのならば、逃げるべきなのです。私から――『離れるべきなのです』」


 ゆるぎのない声だった。


「アテム王国の〈異族討伐計画〉の食指から、こうして一時的に逃れることができました。この時間的猶予がこれから先も訪れてくれるとはかぎりません。だから『今』を彼らからとりあげるわけにはいかないのです」

「アリスの(げん)もわからないでもない。でも――」


 しかし、サレも退かなかった。


「『今』を知ってどうするかの判断をくだすのは彼ら自身だ。だから、本当に彼らに『己の意志のもとでの判断』を下して欲しいなら、外部から圧力を加えちゃだめだ」


 アリスのおこなった後押しは、『アリスが元アテム王族でも関係なく守る』と決めていたものからすれば、いっそ善意の押し付けとも捉えられるものだ。


 ――極端な見方をすれば。


「だから――」


 サレが言おうとして、しかしその言葉を珍しくアリスがさえぎった。

 彼女は顔を俯けて、小さな声で言っていた。


「――私の説明は……『独善的』でしたか」

「誰だって常に公平ではいられないよ」


 良かれと思った善意が先行することは、誰にだってある。

 ただ、


「そういう見方もあるって、知っておいて欲しかっただけなんだ」


 ――我ながら、偉そうにいうものだ。


 サレは内心で自分を叱った。

 彼女を諭す資格は自分にはない。

 そうも思う。

 何も知らない自分には、偉そうに彼女に説教を垂れる資格はないのだ。

 でも、だからといって、


 ――資格がないからと自分の意志を飲み込み続けるのは、俺にはできない。


 言えないままで後悔するよりは、言って後悔しろと、そう思う。

 独善的であるのは何もアリスだけではないのだ。

 むしろ、自分の方が独善的である。

 そう生きようと、あの日に決めた。

 

 サレが内心で逡巡していると、ついにアリスから言葉が返ってくる。


「……そうですね。その点は覚えておきます」

「うん。――ただ、これは俺個人の考えなんだけど」

「……なんでしょう?」


 アリスはまた何かを言われるのだろうかと内心に思いながら、サレの次の言葉を待っていた。

 そのアリスにたいして、サレは今度は少し明るい声で言った。


「――アリスは独善的でいいと思うよ」


 サレは続ける。


「むしろそこが変わったところだよ。アリスが――」


 自分の意志を明確に言葉に込めたんだから。


「当初みんなに求められた『平等な判断を下すためだけの集団の長』という役割はもう必要ないだろう」


 ――なら、少しも独善的になったっていいじゃないか。


「どうせこれだけの人数がいるんだ。誰かから見ればどんな発言だってその人の独善と捉えられるかもしれない。で、今回はアリスの独善性と俺の独善性がぶつかって、そしてアリスが折れた。それだけだよ」


 アリスはたぶん皆を逃げる方へ傾けさせたかった。

 しかし、サレはそれを良くないと思った。

 だからぶつかって、今摺り合わされている。

 どっちも退かなければその話題において亀裂が生まれるが、


 ――それも仕方のないことだ。


 サレは思う。

 人が人と意見を言い合う。

 人を見るからこそ、そして人が少ないからこそ、きっとこうして真っ向から言葉を交わせる。

 対立する人の数が多ければ、それだけ摺り合わせには膨大な労力が必要になる。途方もない労力が。

 だから純人と異族の間に溝が生まれた。アテム王国と魔人族の間に溝が生まれた。

 そしてまだそれは埋まっていない。


 でも、この集団は小さな集団だ。


 いろんな種族がいるが、小さな集団だ。

 だから、種族を無視して摺り合わせようとした。

 最悪の場合の最終決定権をアリスに任せきり、その上でお互いに意見を摺り合わせ、前を見ようとした。


 理想論だ。

 綺麗事だ。


 ――でも、目指すに足る理想だ。


 目指すべき場所を、サレは再認識した。


 すると、逡巡するサレの耳に新たな声が入り込んできた。

 三つの声だ。


◆◆◆


「いやはや、独善を気取ろうとするわりには――ずいぶんとおせっかいな魔人がおったものじゃな?」

「うむ、我輩もそう思うのであるよ。独善というわりには自分の身を盾にしてアリスとプルミを守っておったような? ――クハハ」

「フフフッ!! 所詮(しょせん)は愚民ね!!」


◆◆◆


「聞かれてたのかよぉ……うわ、なんか恥ずかしくなってきた……!」


 そういって頭を抱えるサレをよそに、大木の裏からトウカとギリウスとプルミエールがそろって姿を現していた。

 三人に対して、恥ずかしさに頬を上気させたサレが再び言葉を紡ぐ。


「――い、いいんだよ、あれは俺が勝手にやってることだから……」

「勝手に突っ込んで勝手に腕斬り飛ばされて、勝手に死にかけるあたり――あっ! さてはあんたマゾなのね!? そうね!? マゾね!?」

「面倒な墓穴を掘ったな、サレよ」

「なんだか近ごろ風当たりが激しい気がします……」


 サレは三角座りをして顔を膝もとにうずめ、両手で耳を塞いだ。

 プルミエールからの精神口撃に耐える姿勢だ。

 完全に殻にこもる姿勢をとったサレのかわりに、トウカがアリスに言う。


「まあ、つまりじゃ。――あのようにまわりくどい言い方をせずともよいのではないかの?」


 トウカが笑みを浮かべ、続けた。


「一団の(あるじ)はアリスじゃ。気を使う心持ちもわからないでもないが、そんなのは皆それぞれに任せておけばよい。なにか問題が起きても、いざとなったらぬしが出て、一言二言の言葉をかけてそれで『解決』じゃ。そういう発言力をこれからのぬしは持ってよいのじゃ」


 いや、


「――持つべきなのじゃ」


 トウカが恥ずかしそうに後頭部をかいて、再び言う。


「勝手にぬしを祀り上げたわらわたちが偉そうにいうのもなんじゃがな。――しかし、いちいち異族全員の内心に配慮しておっては身動きもとれんじゃろうて」


 トウカの言葉に、今度はギリウスが続く。


「もっと独善的になってもよいのである。むしろこれからはそういったアリス自身の意見が一団の指標となるのであるよ。ある意味、上に立つものの宿命であるな」


 さらに、三角座りのサレの横っ腹を人差し指でつんつんと突き刺していたプルミエールが振り返り、


「そうよ!! 私のように高貴な女になりなさい、アリス!! 高貴かつ美麗かつ天使に!! そうすればすべてうまくいくわ!? 間違いないわね!! ――フフッ、なにこの魔人、殻にこもって恥ずかしさに耐えてるの? ――無様っ!! 無様ねっ!!」

「プルミよ、ぬしが最後にしゃしゃり出るときれいにまとまらんな……」

「なによ、端的で簡潔じゃない。私みたいになればいいの。――ほら、すごくきれいだわ?」

「いや……うむ……そうなのだが……なぜか納得できぬのであるなあ……」


 そうして、ぬるりとした空気が間に入り込んできたあたりで、アリスからついに声があがった。


「――いろいろ……考えてくださっているのですね、皆さん」


 アリスが一度大きく天を仰ぎみる仕草をみせて、そういいながら立ちあがった。


「なに、勝手にやっとるだけじゃ」

「うむ、別段気にすることではないのである」

「あっ、尻尾が出てるじゃない。これ握れば起きるかしら」

「ふおあっ!!」

「――締まらんな……」


 逃げまわるサレとそのサレの尻尾を追いかけるプルミエールを見てトウカが嘆いた。


「――では、お言葉に甘えて、これからそう努めようと思います。なにかとご迷惑をおかけすると思いますが――」


 アリスは一息ついて、そしてはっきりと言った。


◆◆◆


「――ついてきてくださると助かります」


◆◆◆


 まっすぐにアリスはトウカとギリウスを見据えた。

 無表情でうつろな目であることに変わりはないが、その目には仄かな光が漂っているようにも見えた。


「うむ、案ずるな。わらわたちはぬしについていく」

「最初からそう言えばいいのよ、アリス。――あっ、待ちなさい愚民、その尻尾をおいていきなさい!」

「尻尾をおくってどういうことだよ!」

「で、では、皆の答えを聞きに戻るのであるよ」

「そうですね」


 逃げまどうサレと、追いかけまわすプルミエールをほうっておいて――三人は踵を返した。



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