1話 「魔人が生まれた日」
突然だけど、死亡フラグってあるだろ?
代表的なものを挙げると、「ここは俺に任せて先に行け!」とか、「俺、この戦争が終わったら結婚するんだ……」とかのことだよ。
ほかにもいろいろあるだろうけど、どれも結局は、発言者の死で締めくくられるよね。
でもさ、俺、思うんだ。
一番悲惨なのって――
死亡フラグすら立てられないまま突如として死ぬやつだよな。
◆◆◆
いつものようにベッドに潜り込んで、「明日も楽しい日になるといいなぁ」なんて、楽観的な思いを抱きながら目を閉じたところまではなんとなく覚えていたんだ。
◆◆◆
目が覚めたら、鬼のような形相の男に斬りかかられてました。
「この世から消えてなくなれ!! バケモノめッ!!」
耳を劈くような絶叫と、すさまじいまでの気迫。
不思議なことに、あまり恐怖はない。
事態が飲み込めないせいでしょう。
今、勢いよく振り下ろされてきた剣が、肩口にめり込みました。
「ああ、こいつ、ここで死ぬんだなぁ……」と、他人事な思いが浮かんできて、
「ぬ――」
とりあえず、叫ぶことにしました。
「ぬああああああああああああああああああん!!」
錯乱していたにしてもひどい叫びだと、我ながら失望を禁じえません。
◆◆◆
次に目が覚めたときには、なにやら目の前に青白い光線が迫っていました。
えっ、光線……?
「お前さえいなければ……!! 消えてなくなれっ!! 化物っ!!」
ちょっと遠くに息も絶え絶えに叫ぶ軽装の男が見えました。
あっ、ちょっと、光線が邪魔です。
ともあれ、「ああ、こいつ、ここで死ぬんだなぁ……」と他人事のような思いが脳裏に浮かんできて――
「お、おい!! ちょっ、待ってええええええええええ!!」
なんとか叫べました。
◆◆◆
お次に目が覚めたときには、なにやら目の前にゴツゴツとした拳が迫っていました。
「お前は私が倒すッ!! 塵となれっ!! バケモ――」
「ふっざけんなああああああ!! オッフ!! ゴフッ! ゴフゥ!!」
相手のセリフを遮ってみましたが、ダメでした。
拳が腹を貫通したようです。
そりゃあゴフゴフ咳き込みたくもなります。
三度目にして、ようやく事態が掴めてきました。
そろそろ正気に戻ろうと思います。
◆◆◆
――まだ、前の二つはマシだった。
一度目は心臓両断で即死。
二度目は光に覆われて「ジュッ」という小気味良い音とともに即死。
でも、この三度目はじんわりと後ろから死が迫ってくる感覚がある。
ぶわりと冷や汗が滲んで、全身の毛が総毛立った。
感じたこともない熱さが腹部に広がって、その中心にある異物感が気持ち悪い。
――なぜ、俺は死にかけているのだろうか。
なぜ俺は、二度も死んで、また死にそうになっているのだろうか。
――ああ、目蓋が重い。
次に目覚めたときには、また死の手前に晒されているのだろうか。
◆◆◆
目が覚めた。
正直何度目かもわからない。
いちいち死ぬ様子を説明するのも面倒だ。
「い、嫌だあああああああああ――!!」
とりあえず叫ぶ。
もう半ばヤケクソだ。
これまでに何回死んだと思ってる。
「■■■!」
しかし、どうにも今回は様子が違った。
数秒待っても死が訪れない。
――えっ? もう死ななくてもいいの?
ひとえにそのことが嬉しくて、現状をなにも理解出来ないまま、溢れでる感動に身を任せた。
「うっ……うぐっ……うえっ……」
我ながら、無様な泣き顔を浮かべていることだろう。
きっと顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃで、見るにも耐えない状態になっているはずだ。
ひとしきり泣いたあと、自分がおかれている状況を確認しようと首をもたげた。
そうして周りに視線をめぐらせると――
ふいに人の顔が映った。
「■■■、■■……」
人。
人だ。
俺に攻撃をしてこない、人だ。
「■■……」
不気味な赤の瞳が、こちらを射抜いている。
その人は口を開いて、なにやら言葉を発していた。
しかし俺は、その言葉の意味を理解することができない。
「■■■?」
その人は、とても美しい顔をしていた。
これほどの美貌を、果たして見たことがあっただろうか。
白磁陶器のように真っ白な肌と、真っ黒で艶やかな髪。
はっきりとした色味の差が、やたらに強いコントラストを発していて、印象的だ。
ひととおり観察して、俺はその人を『彼女』と代名することにした。
言葉の意味は依然として理解できないが、とりあえずこちらからもアクションを起こしてみよう。
言葉には言葉だ。
美人の前ということもあるし、出来るかぎり魅力的な声で。
鼻から息を吸って、腹に力を込めて、
「フフファッ!」
違う。なんか違う。
やたらに気合の入った声が漏れた。
「今晩は月が綺麗ですね」とさわやかに言ったつもりが、そもそも言葉にもなっていない。
気を取り直して、もう一度いこう。
「フファッ! ――フフッ!」
なに笑ってんだコイツ。気味が悪いな。
……。
なんということだ。
俺は言葉を話せないらしい。
それから自分のおかれた状況を察するまで、五秒と掛からなかった。
なんとなく嫌な予感がして、とっさに顔の前に手を掲げる。
そして、理解してしまった。
その手は『赤子』のように小さく、弱弱しかった。
薄弱な、握れば潰れてしまいそうな小さな手。
なんだ、これは。
本当に、俺の手か。
「■■■■?」
内なる声とは裏腹に、理性が状況を知らせていく。
傍らでこちらを見ていた彼女が、心配そうな顔でまたなにかを言った。
なんとか返事をしたいところだが、
「――フファッ!!」
そろそろ心が折れる。
「――フアン!!」
誰だ、そいつは。
……そろそろ限界だ。
最初の叫びは一度きりの奇跡だったらしい。
今まで心の中で必死に明るく声を奮わせてきたが、しばらくしてなんとも言えない虚無感に襲われた。
『赤子』。
そう、俺の躯は赤子そのものだった。
――なにが、どうなってる。
虚無を全身に感じながらそんなことを考えていると、ふいに身体が浮いた。
さっきまで傍らでこちらを見ていた『彼女』が、俺を抱きあげていた。
どこかに連れて行かれるのだろうか。
――死ななくていいなら、もうなんでもいいや。
少し不安になったが、一周して楽観的になる。
このときばかりは自分の精神力を讃えてやりたくなった。
◆◆◆
時が経つごとに、理性は落ち着きを取り戻していく。
考える、思考する、そういう能力が低下していない。
赤子の身体と、成長した精神の差異に戸惑うが、かくあるものなのだからとやかく言ってもしかたあるまい。
彼女の腕に揺られて数十分。
目に入る景色は鬱蒼とした森ばかり。
蒼い、暗い、じめじめしている。
それからさらに十数分経って、ようやく視界に真新しい景色が映った。
『城』である。
それも、かなり荘厳な。
白地の壁は少し汚れていて、古風な印象を受ける。
一方で壁にはめ込まれた光沢のある鉱石が、陽光を反射して澄んだ輝きを見せている。とても綺麗だ。
――針の城。
いくつかある塔の先端がひどく尖っていたから、そんな形容を思いついた。
「■■■」
彼女が声をあげる。なにを言っているのかはわからない。
でも、その優しげな声色だけでも、ありがたかった。
これまではただ罵倒されて殺され、悪意をぶつけられて殺され。
そんな輪廻を巡ってきたから、彼女の心配そうな表情だけでも満腹だった。
そんなことを考えていると、今度は強烈な眠気に襲われる。
意志とは関係なく、目蓋がゆっくりと落ちてきた。
正直なところ、睡眠というものが恐ろしかった。
また次目覚めたときには、理不尽な死に直面しているのではないか。
――ああ、でも無理、これには逆らえないよ。
睡魔は百戦錬磨だ。
赤子の力では勝てそうにない。
生理現象万歳。
最後の足掻きと腹をくくって、意識が途切れる間際に心の中でつぶやいた。
――もうどうにでもなれ。
◆◆◆
次に目が覚めたとき、真っ先に周囲を確認した。もう死にたくない。
結論から言えば、俺は死ななかった。
分相応にもほどがある巨大なベッドに寝かされている。
すると視界の端から「ぬっ」という感じに『彼女』が現れた。
片手には分厚い本。
彼女は俺が起きたことを確認すると、ぱらぱらとその本をめくりはじめた。
「あ……なた……は、だれ……です……か?」
なんと。
……なんと!
――なんとおおお!!
俺の知ってる言葉だ!
あの分厚い本は翻訳書かなにかだろうか。
言葉が理解できるというのは非常に大きい。
「…………」
――でもね、それを訊ねたところで俺に言葉を返す能力がないんだよ……!!
どうしようかと悩んでいると、再び彼女が言った。
「……ごめ……んなさ……い。すこし……で……ことば……わかる……くる」
眉間にシワを寄せながら、必死に手元の本に目を走らせている。
彼女のカタコトから察するに、もっとうまく言葉を使える誰かが来てくれる、ということだろうか。
――まだ、俺の運は尽きていない。
一方通行ではあるが、情報は得られる。
なんだか嬉しくなって、身体に力をみなぎらせてベッドの上を転げまわってみせた。
彼女は俺がベッドの上を高速で転げまわるさまを見て、嬉しそうに微笑んだ。
すべてを包み込まれるような、魔性の微笑み。
とにかく、彼女の言う人物を待つことにしよう。
それまでにある程度身体を制御できるように努めて、言葉ではなく動きで反応を示せるように練習しよう。
ああ、きっとそれがいい。
◆◆◆
彼女の言う人物は、ほどなくして現れた。
彼女と同じような、異様に真っ白な肌と、真っ黒な髪と、真っ赤な瞳。
その人物は一見して男だとわかった。
力強く隆起する均整のとれた筋肉群が、ことさらに男であることを主張してくる。
「はじめまして。気分はどうだい?」
記念すべき第一声。
言葉遣いは丁寧だった。
俺はその短い言葉を受けて、ベッドの上で右に身体を一回転させてみせる。
――フフ、これがこの短時間で俺が得た能力の一つ。
右に一回転で肯定!
左に一回転で否定!
完璧だっ!!
……そんなわけない。
これくらいしか思いつかなかったんだ。
頼む、なんとかこっちの意志をくみ取ってくれ、利発そうなお兄さん!
「うん? ――ああ、君は言葉を話せないのか」
さらに右に一回転。
「あ、右に回転すると肯定……かな?」
――マジパネェ。
このお兄さんマジパネェ。
天才と称してもいい。
察しが良いとかそういう次元を軽く二秒で超えていった。
ここで右にもう一回転すれば、完璧だ。
「はは、やっぱりそうか。うん、わかったよ。――それにしても、意志は明確なのに言葉を話せないっていうのはもどかしそうだね。赤子ってみんなそうだったっけ。もうずいぶんと赤子に接してないから忘れてしまったよ」
お兄さんは笑いながら言った。
「まあいっか。まずは自己紹介から。僕の名前はアルフレッド。〈アルフレッド・サターナ〉。そして君を拾ってきた彼女は、〈リリアン・サターナ〉。僕の妹だ。彼女の話だと、君は僕たちが住んでいるこの城の近くに落ちていたらしい。――■■■、■■」
「■■、■■■■」
そう告げて、アルフレッドは別の言語で『彼女』――〈リリアン〉と話しはじめた。
それにしても、落ちていたとはどういう了見なのか。
……。
あともう一つ、名前という単語でいまさら気づいた。
俺は俺の名前がわからない。
あったような気もする。
何度も何度も殺される過程で、記憶が壊れてしまったのだろうか。
思い出そうとすればするほど、記憶の空白は明確になっていった。
確かに前は、ここではないどこかで暮らしていたはずなのに。
そんな気が、するのに。
――それすらも思い出せない。
取るに足らない情報と、何度も死んだときの状況だけがかすかに脳裏に残っていて。
「それで、ほうっておくのも忍びないから、リリアンが連れて来たらしい」
名前、なんだっけなぁ……。
「つらそうだけど大丈夫?」
心配そうなアルフレッドの声でハッと我に返る。
「安心して、僕たちは君を捨てたりしないから。連れて来たからには、君が成長するのを助けよう」
……ありがたい。
人の良心というものに久々に触れた気がする。
「さしあたって、君が僕たちと十分に話せるよう、僕が言葉を教えよう。無論、食べ物も与える」
本当に――ありがたい。
「さあ、まだ疲れているだろう、君はとても眠そうだ。今は安心して、安らかに眠るといい」
アルフレッドが柔和な笑みを見せた。
俺はその笑みにつられるように、一度だけ顔をしわくちゃにして笑った。
そして、
――明日は、楽しい日になるといいなぁ。
いつかのベッドの中でつぶやいたように、それでも今度ばかりは心から願いながら――俺はゆっくりと目蓋を閉じた。