198話 「広間:あの遭遇戦の続きを」【前編】
「たぶんコーデリアの暗躍はあそこから始まった。ガイナスを尋問したところ、コーデリアが姿を現すようになったのはあのあたりだということが分かったんだ」
「キアル王子もテミスとの契約はしていたよな?」
「当然、している。だからガイナスを籠絡し、公爵位を得て、そしてキアル兄さんを害した。恐ろしい手腕だよ。コーデリアがそれらを神の力を借りずに完遂していたとしたら、悪辣的手腕の天才だと言える」
ジュリアスが続ける。
「ただ昨日今日で確証はまだ得られていないから、これ以上を話すのはもう少し過去を追ってからだろう」
「――そうか」
ジュリアスに答えるのはサレだ。
すると、ジュリアスがようやっと気を抜いたように息を吐いた。
「ふう。ひとまず彼女の言葉を信じるなら、あと一週間で何かが起こる。僕の予想では全面攻勢とか、そういうものじゃないかと勘繰っているのだけれど。僕はこれから少し身動きが取れなくなるから、少し困るね」
「どういうことだ?」
「ディオーネの神格術式を使った対価さ。まだ払っていないんだ。ちょっとだけ融通して待ってもらってる。あと一週間というのを信じるとして、すでにこちらからできることも色々考えてあるのだけれど、それを実行に移すのは僕が対価から戻ってきたあとだろう」
「それで間に合うのか?」
サレが首を傾げ、黒尾をゆらりと舞わせた。
「そのための準備は兄さんや姉さんたちにも手伝ってもらうから。それに、兄さん姉さんたちもすでに動いているからね。後手に回っている現状で、その戦略的劣勢を完全に覆すことはできないだろう。でも、追いつくことはできる」
ジュリアスは確信的な物言いをする。
「僕は僕で、かなり悪辣的なことをするけど――」
「お前がテフラを守るためにそうするべきだと思うのなら、そのまま突っ切れ」
「そういってくれると、少しも気が楽だね」
ハハ、とジュリアスは笑って、視線をニーナとレヴィに向ける。
「姉さん、兄さん、そろそろアリエルに帰りましょう。やってもらわねばならないことがありますから」
「あたし怪我明けなんだけどぉ?」
「大丈夫ですよ。倒れたらまたシルヴィアに助けてもらうことにしますから」
「なんかジュリアスの笑みが怖いんだけど……!」
「人を使うことに慣れて来ましてね! ほら! 行きますよ!」
そういってジュリアスは高らかに宣言しつつ、ニーナの手を取って爛漫亭から出ていった。
どたばたとして去っていったジュリアスだが、爛漫亭の大広間に面した窓から顔をひょっこり現して、〈凱旋する愚者〉のギルド員たちに笑みで手を振る。
最後にその場に残ったレヴィが立ちあがり、顔にふと嬉しそうな笑みを浮かべて言った。
「聞いたかい、サレ」
問いかけの相手はサレだった。
レヴィは本当に嬉しそうな笑みで、少し潤んだ瞳をサレに向ける。
「ジュリアスがさっき、『帰る』って言ったんだ。アリエルに帰るって。なんだか当たり前のことだけど、かつて出ていってしまったジュリアスの背を思い出すと、少し泣けてくるね」
「相変わらず涙もろいやつだな、レヴィ」
「ハハ、最近はそうでもないけど、前までは皆滅多に泣かなかったからね。誰かの代わりに泣くのが僕の役目だったのさ」
大げさな動きで肩をすくめながら、レヴィは言った。
「ジュリアスが自由に行動できるようになったら、すぐに知らせるよ。そしたらすぐに対策会議だ。それまではゆっくり身体を休めてくれ。僕も少し――疲れた。かわい子ちゃんたちと少しだけ家で休むことにするよ」
そう言ってレヴィは広間を後にする。
レヴィが爛漫亭を出ていった直後、外から一人のメイドが代わりに広間にやってきた。
〈傍に仕える者〉のギルド長、〈ティーナ・エウゼン〉、その人だ。
「お世話になりました、このご恩は必ずお返し致します」
「なにに対する恩だか分からないけど――」
「もろもろ、でございます。我らが主たるレヴィ様があんな風に笑えるのも、きっとあなた方の協力があってのことでしょう」
「俺たちは俺たちのためにやってるだけさ。俺たちなんかより、そちらさんの――メイドたちの力が大きいんじゃないかと、俺は思うよ」
サレが言うと、広間にいたギルド員たちが一斉に頷いた。
「闘争が終わったというのに近くで世話をしてくれる者がいるなんて、レヴィは幸せ者だな」
「まったくだな」「俺もメイドに世話されてー」「このギルドにメイドになれる器のやつは……」「かろうじてマリア」などと、サレの演技ぶった台詞のあとにギルド員たちが口々に雑談を始める。
「イリアは?」「それなんか犯罪チックじゃね?」「幼女メイドか……」「鈍器! 鈍器持ってきて! 今ときめいたやつ順番に殴っていくから」最後に女性陣の中から声があがり、またギャアギャアと爛漫亭が騒がしくなった。
ティーナはその様子に目をぱちくりさせ、前かがみに頭を下げた状態で硬直している。
そんなティーナに、騒ぎ始めたギルド員の輪に入ろうとしていたサレが、
『また何かあったら頼むよ』
そんな言葉を口の動きで表していた。
ティーナは持ち前の多才さでサレの口の動きを読唇し、サレに頷きを返す。
最後にサレがへたくそなウィンクを飛ばして、
『あ、ウインクって難しいな……』
そんな最後のつぶやきまでもをティーナが読唇し、小さな笑いをその場に残して爛漫亭を去っていった。
◆◆◆
騒がしさを取り戻した〈凱旋する愚者〉たちのもとへ、新たな来訪者が訪れたのはそのすぐあとだった。
サレはその唐突な来訪に納得を得ていたが、一方で他のギルド員にとっては驚きを与えるに十分な来訪でもあった。
爛漫亭の玄関口が開く音がする。
犬顔亭主が「いらっしゃいませ。ご用件はなんでしょうか」と答える声が続いて、
『少し、所用でな。〈凱旋する愚者〉の拠点ってのはここであってるか?』
そんな言葉がかすかに向こう側から響いてくる。
廊下の奥からの言葉に、耳の良い者は「どこかで――」と首を傾げ、それに気づかなかった者たちはまだギャアギャアと騒いでいた。
しかし、
「ここか。――って、ずいぶん騒がしいな」
その声の主が広間に姿を現した瞬間――
騒ぎが止まった。
「え?」
広間に姿を現したのは、かつて敵対したアテム王国上位軍隊〈王剣〉の剣将――〈エッケハルト〉だった。
◆◆◆
誰よりも先に呆けた声をあげたのはマコトだった。
マコトが呆けた声をあげた理由は、エッケハルトに見覚えがあったからではない。
周りの、特に前線組として戦闘班に所属している仲間たちの動きが、驚くほどピタリと止んだのが原因だった。
普段ならありえない。
ちょっとやそっとの出来事では止まらない彼ら。いっそ戦闘中でさえもこういう雰囲気を醸す馬鹿どもにあって、この時はやたらに従順に騒ぎをやめていた。
それが信じられなくて、マコトは呆けた声をあげたのだ。
「――天変地異?」
マコトは脳裏に過った不穏を言葉にする。
思考の飛躍が自分の言語に見られることを認識しつつも、驚きのあまり明日世界が終わるのではないだろうかと予想を得てしまった。
マコトは当時、王剣との遭遇戦では前線に出ていない。
シオニーに先導されて避難した。
のちに王剣と戦った子細は聞いているが、百聞は一見にしかず。
今この場に姿を現した赤髪の男が、あの〈エッケハルト〉であることを認識できなかった。
しかし、
「なんでお前がここにいるんだよ……!」
クシナ。
もともと気性の荒い方の彼女が、この時ばかりは一段と怒りを露わにして、その白髪を猫の体毛の如くふわりと逆立てながら、赤髪の男に近づいて行った。
それを見て、ようやくマコトはこの状況が尋常でないことを確信する。冗談抜きの確信。
クシナが白い着物の裾を翻しながら、ずかずかと男に歩んで行くのを呆然と見ていた。
細く、華奢な体躯で、しかしピンと張った背筋を崩さずに、鍛え上げられた肉体を持つ男に向かっていく。
しかし、そんなクシナを止める存在があった。
――サレだ。
クシナと男の間に身体を挟んで、「おい、どけ、サターナ」というクシナの言葉を受け流す。そのままサレは片手でクシナの猫耳をわざとらしく数度撫で、「落ち着こうねぇ」とクシナに声を掛けていた。
サレの横腹にクシナのフックが綺麗にぶち込まれ、サレがやや悶絶したのち、クシナは毒気を抜かれたように踵を返す。
サレは「ゲロる」と三回早口で繰り返したのち、やっと襟を正して赤髪の男と相対した。
「結局そっちから来たのか」
先ほどのクシナとのやりとりで容易に察せられたことだが、サレには余裕があるように見えた。
他のギルド員たちが驚愕や悄然とした表情を浮かべる中、サレだけは自然体であった。
「こっち、今まで取り込んでてな。まだお前のことを伝えていないんだ」
「んだよ。じゃあ、間が悪かったってことか。こねえ方がよかったかよ?」
「俺たちに有益な何かをくれるというのなら、追い返さずにおこうと思うよ」
「はあ……。――分かった、分かったよ。情報の値段を割り引いといてやる。だから、今にも俺のこと殺そうとしてるあの猫の嬢ちゃんやら鬼の女やらをなんとかしてくれ。今の俺はよええんだ。お前らと比べたら、びっくりするくらいよええんだからよ」
「殴られでもしたら死んじまうよ」赤髪の男はやれやれという体でサレに言った。
そうしてさらに、赤髪の男の後ろから大人の色気を放つ美女が現れたのもマコトは発見する。
――なにがなんだか分からない。
マコトは一人、首を傾げてその様子を観察していた。