197話 「暗雲の中の真相」
爛漫亭の二階でレヴィに看病されていた〈ニーナ第四王女〉が目覚めたのは、〈凱旋する愚者〉のギルド員たちが戻ってきてからわずか数分後のことだった。
創造系神族に好かれ、巷で〈閃姫〉とも呼ばれるニーナは、レヴィに背負われて爛漫亭一階の大広間に現れた。
「うわ、異族がいっぱい」
ニーナは子供のような華奢な身体をソファに横たえて、周りをぐるりと見渡した。
そうして目に映る有尾の人型や、有翼の人型にいまさらながら驚きを見せる。
「こんにちは、ニーナ王女殿下。私は〈凱旋する愚者〉のギルド長で――」
「あっ! ジュリアスのところの怪力ギルド長!」
アリスの自己紹介半ばで、ニーナがぎょっとして目を丸めて言った。
その言葉にアリスは即座の動きでサレの方に視線を向ける。見えていなくともサレの気配の感知は完璧だった。
「あ、あのっ、あの時のはアリスじゃなくて俺で――」
「素手で王城の壁壊すってどうかしてるよ! あたしと同じくらい華奢なのに!」
「ええ、ええ。面倒ですのでそういうことにしておきましょう。サレさんはあとでギリウスさんとメイトさんと同じ刑です」
「結局俺もかよ!!」
サレは涙を流して広間の片隅に駆けていった。
アリスは遠くなるサレの声を聞きつつ、再びニーナの方に向き直る。
「まだ寝ていても大丈夫ですが、まあ、下りてきてしまったのならあえて突き返すのも変ですね。――お体の方は大丈夫ですか?」
「あー、うん。ちょっとくらくらするけど、すぐに話しておきたいことがあって」
「というと?」
ニーナは小さな身振りを加えつつ、続きを紡いだ。
「あたしを襲ったやつについて。一応、報せておいた方がいいかなって」
「――ふむ」
アリスは口元に指をおいて、大きく鼻で息を吐いた。
「そういえば、犯人がまだ確定していませんでしたね」
「ちょっと曖昧だけど、でもしっかり覚えていることがあるの」
「それは?」
「赤い瞳。それと、六芒星の術式陣。――〈殲す眼〉ってやつ」
ニーナが言った直後、部屋の片隅で尻尾を悲しげに揺らめかせていたサレが立ちあがり、駆け戻ってくる。
「あ、そういえば魔人がいるんだよねぇ。ちょっとだけあたしのトコのギルド員に偵察させて、そんな話を聞いたよ。――君?」
「そうだ」
「でも、君じゃないね。あたしがやられたのは女だった」
「――まさか」
『あのとき魔人っていったのは――』とサレがニーナを救助した時の一場面を思い出す。起きているか寝ているか分からない状態で、ニーナがうわごとのようの『まじん』と言ったこと。あれは自分のことではなく――
サレがそんな予想を得ていた時には、誰もが一瞬にしてとある像を脳裏に浮かべていた。
「――コーデリア」
アリスがぼそりと言った言葉に、ギルド員は頷いた。
「若い女の子だったよ」
たぶん確定だろう。誰もが思い、同時に一つの疑問を抱く。
「テミスの神格防護は? 〈殲す眼〉はテミスの防護陣を破れないはずだ」
サレは初めてサフィリスとやり合った時のことを思い出す。
あの時のサレの魔眼は〈神を殲す眼〉ではなく、〈殲す眼〉だった。
そして〈殲す眼〉の破壊術式がテミスの神格防護を超えないことも、サレは覚えている。
「もちろん、テフラ王族としてテミスとの契約はしているけど、あの時はなぜか発動しなかった」
ニーナが端的に答えた。
「なんで――」
一瞬、サレの脳裏にテミスがマキシア側に回ったのではないかという嫌な懸念が浮かぶが、しかしその可能は薄いだろうと、すぐに否定する。
確かに法神テミスは先日もあの時点でテフラの反乱勢力であったサフィリスに力を貸し与えたりしていたが、あれは勢力云々ではなく、神族単体の矜持として貸したのだろうと予想がつく。テミスはテミスで、マキシア側にもユウエル側にも踏み込まずに、バランスを取ろうとしているようだった。
実際、本当にマキシア側に回ったならば、あの時もっと力を使ったはずだ。限定的にディオーネの力を封ずるうえに、何かをしたはずだ。
しかしテミスはあの場で力を貸すことを打ちきった。それは調停者としての側面の顕れだ。
サレが内心で逡巡していると、また爛漫亭に変化があった。
外からの変化だ。
『その理由は僕が答えよう』
〈神域の王子〉、ジュリアス・ジャスティア・テフラが、広間の入口に立っていた。
◆◆◆
「ジュリアス――」
「おつかれ、サレ。今回も助かったよ。もう何度目かも分からないけど」
ジュリアスはほんの少し微笑を浮かべ、サレに片手で挨拶をした。しかし、いつものジュリアスとは打って変わってその表情は堅かった。
ジュリアスはニーナが座っているソファに近づき、レヴィの肩を軽く叩いたあと、ニーナと同じ目線になるように身体を沈める。片膝を折る態勢だ。
「無事で良かった。姉さん」
「心配してくれたの? ジュリアス」
「そりゃあ、もう」
「ジュリアス、泣きそうになってたからね」
最後の言葉はレヴィの口から放たれた。
その言葉を聞いてニーナは驚いたように目を丸め、しかしすぐに微笑を浮かべ直す。
そうして小さな手を伸ばし、ジュリアスの金糸の髪を撫でた。
「図体は大きくなったのにねぇ」
「ニーナ姉さんは一向に大きくなりませんけどね」
「ホント、この生意気な皮肉がなければもっとマシなのにぃ」
「冗談ですよ」
ジュリアスがまた軽く笑う。
そうして立ち上がり、今度はアリスたちの方を向いて口を開いた。
「テミスはマキシア側についたわけじゃないよ。むしろ、神族の調停を乱しているマキシアを打倒するために、ユウエル側に寄っていると言える」
「ならどうしてニーナが〈殲す眼〉を撃たれた時に防護陣が発動しなかった?」
「単純なことさ」
ジュリアスが大きく腕を開いて皆の視線を集めた。
「忘れたかい? テミスがどういう法をもって、僕たちを守っていたか。テフラ王国の王国法を思い出してみなよ」
視線がぐるりとギルド員たちに向けられていく。
そんな中、まっさきに声をあげたのはサレだった。
「確か――テフラ王族は三階級以下の身分の者に害されてはならない、だっけか」
サレはサフィリスに言われた言葉を思い出す。よく覚えているフレーズだった。なんといっても自分が実際に苦しめられたフレーズだからだ。
「そう、それさ。じゃあ、王族に近い身分の者だったら?」
「――そういうことか」
サレは答えを知る。しかし、まだ納得しがたい点もあった。
「あの〈コーデリア〉は確かにアテム王女かもしれない。だが、それはテフラ王国では関係ないものだろう」
「そうだね。そのとおり。でも、彼女はそれでも身分的には王族に匹敵する。テフラ王国でも」
「回りくどいぞ、ジュリアス」
サレに言われ、ジュリアスは苦笑して肩をすくめた。
「テフラ王国の身分制度も、例によって解釈による抜け穴がありそうだけど、まあ今回は関係ない。テフラ王国の貴族制度は、頂点を直系王族として除きつつ、以下に爵位制度で並んでいる。第一位に公爵位、第二位に侯爵位、三位辺境伯、伯爵――と並んでいくのだけれど、今回問題になるのは公爵と侯爵位だ。そのうちの公爵位だね」
「ふむ」
「サフィリス姉さんの連帯ギルド、〈銀旗の騎士団〉のギルド長は、〈ガイナス公爵〉という」
サレは気絶していてその名を聞きのがしたが、その他のギルド員はジュリアスが闘争終戦直後に、一人の銀鎧の男をその名で呼んだことを覚えていた。
「例の少女、〈コーデリア・シード・アテム〉が潜伏していたのは〈銀旗の騎士団〉だ」
「……」
サレが渋い顔をした。どうやら答えが分かったようだった。
「ガイナスは清廉な人柄で、ゆえに人望熱く、数々彼に助けられたものたちが集って、〈銀旗の騎士団〉というギルドを形成していた。アリエルにおける自警その他も請け負っていたと、少し口の端に乗せただろう? ――ところが、だ」
ジュリアスは息を継いでから続けた。
「彼にも隠し事があった。まあ、なんていうかな。肉欲関連のことだから公に言うのはあれなんだけど、つまり――そういうことさ」
「コーデリアに良いようにオとされたわけか」
「誰が気付けようか。傍から見たら公明正大。優秀であったし、王族に次ぐ公爵殿下。アリエルは貴族制度が民の間にまだまだ根強い地域だから、公爵の威光もあって人々の目は逸らされる」
「そういえばコーデリアが妙な台詞を口走ってたな。身体にメロメロになるとかなんとか。――それ、銀旗の騎士団の部下たちは気付かなかったのか?」
「コーデリアが公爵のもとにたびたび現れるようになってから、違和感は感じていたらしい。しかし、彼ら銀旗の騎士団のギルド員は皆ガイナス公爵に大きな恩があった。そこへ追撃とばかりに、『この子は私の親戚の子だ』なんて言われたら、もう彼らには口の出しようがない。それでも、あのアリエルでの騒動の時には、さすがにおかしいと思って、一部は手を抜いていたという」
「ある意味助かったのか」
「たとえ本気で当たっても〈傍に仕える者〉と〈烈光石〉が協力した状態で、かつサレとギリウスが来ていたから、結果は変わらなかったろう。ただ、おかげで被害は小さくなった」
ジュリアスの言葉にギルド員たちが頷いた。
「端からコーデリアはサフィリス姉さんの狂気を刺激するつもりだったから、容姿を隠してサフィリス姉さんに近づいて、ネメシスとアーテーとの契約をさせた。その点はサフィリス姉さんにも非がある。彼女の意志が強ければ、そこで止まれたはずだからね。でも、一旦アーテーに狂気を突かれてしまったら、もう戻れない。そこからはコーデリアのシナリオどおりかな。――もしくは、マキシアの」
「……なるほど。――で、そのガイナス公爵が、コーデリアに爵位譲渡でもしたか?」
「そのとおり。おかげでコーデリアはテフラ王国で公爵位を手に入れた。つまり――」
王国法を糧にするテミスの神格防護に引っかからない。
「だから、反応しなかった。コーデリアは公爵位を得て、ニーナ姉さんに危害を加えた。だからニーナ姉さんの神格防護は発動しなかったし、それになにより――たぶん、〈キアル〉兄さんもそれでやられた」
ふと、ジュリアスの話題はあのすべての事件の元になった男の話へと、転換していった。