196話 「露店通り:黒竜の追憶」【復路】
「我輩はメイトやサレたちと比べると、いささかあっけないとも思える悲劇を――胸に抱いているのである」
「あっけない?」
「うむ」
爛漫亭への帰り道。
歩いてきた露店通りの復路を、ギリウスとメイトがまた歩いていた。
ギリウスは通りすがる旅人や商人たちの邪魔にならないように背の大翼を畳んで、視線を少し上に、遠くに脳裏の映像を映すかのようにして、ゆったりと歩いている。
「我輩は悲劇の幕開けにも幕引きにも、立ち会えなかったのである」
「……というと?」
「気付いた時にはすべてが終わっていたのであるよ」
メイトが首を傾げているのを見て、ギリウスは笑った。
「メイトたちには分からないかもしれないのであるが、我輩たち竜族には――誤解ないよう我輩たちの部族と言っておこう――ちょっとした儀式があってな」
「儀式?」
「そう、一人前の竜になるための儀式である」
「どんな儀式なの?」
メイトはさらに首を深く傾げて訊ねる。
「世界を一周するのである」
「えっ?」
メイトの首が一気に逆側に振られ、同時に驚愕の表情が浮かんだ。
「我輩の時は一年ほどであったろうか。地図もなく行くもので、大体の方角は生態機能で分かるのであるが、やはり迷ったりなんだり。そんな綺麗なものじゃないのであるよ。世界を見聞するとか、そういう趣もまったくないではないが、基本的にまず一周である」
「それを『ちょっとした』って言っちゃうあたり、ギリウスも竜族だねえ」
メイトが大げさに肩を竦めて笑って見せた。
「うむ。サレあたりなら分かるであろうか。長命種にとっての一年は、平均寿命種に比べると短いものであるからな」
「でもサレは僕たちと同じくらいの年齢だから、まだ長命種って実感ないんじゃない?」
「そうであるな。我輩も現界を中心に生活するようになってからは結構若いのであるが、空でぼうっと過ごしていた時期もいれると、さすがに皆よりは年上であるからな」
「へー。まあ、ギリウスってどっちに言われても納得できるけどね。実際若くても、実は年食ってても、どっちでも納得できそう」
「そういってもらえるとなんだか嬉しいのである」
「――で、その儀式がギリウスの悲劇に関係してるの?」
「うむ。――分かるであろう?」
ギリウスがメイトにそう言うと、メイトは思案気な表情をわずかばかり浮かべたあと、ハっとしたように目を見開いた。
「それで部族から離れている間に事が起こったってこと?」
「そういうわけである」
ギリウスが竜顔で頷いた。
「ようやっと帰ってきたと思ったら、我輩たちが塒にしていた谷が腐乱臭に満たされておってな。気付いた時には谷が竜の死骸で埋め尽くされていたのである」
「……」
「ちょっとグロテスクな感じであるな。もうちょっと表現を緩めれば良かったか」
「いや、大丈夫だよ。僕が衝撃を受けたのはそこじゃなくて、気付いたらすべてが終わってたっていう、そっちの方」
「――うむ」
ギリウスの顔は微笑だった。
しかしその笑みは空虚でもあった。何に対して微笑みかけているのかが分からない。
「どうであったか。我輩はあれを見た時に最初に何を想ったか、あまりうまく思い出せないのである。ただ、怒りを得る前に、虚しさを得てしまっていたような気がするのである。受け止めがたい事実が連続して襲ってきたので、どう対処していいか分からず、いっそすべてを投げ出そうと、そんな考えさえ持っていたような――」
「あえて言うけど、気持ちは分かるよ」
「ハハ、そうであるな。メイトたちのその言葉は、重いのである」
同じくらいの悲劇に見舞われた者同士。共感の言葉は厚い。
決して薄い言葉にならないことが、かえってそれぞれの悲しみを強く刺激する。
「だからたぶん、一番悲劇を思い出して役に立たないのは我輩であるな。手がかりがない。いつ仲間たちが死んだのかさえ、分からぬのだ」
ギリウスは竜顔を俯けて、歩きながら地面を見つめた。
「とはいえ、こういうものなんであるが、我輩たちを滅ぼせるというのはよほどの力の持ち主であろう。神族か、もしかしたら最高神その者か。絶対無敵の神格を持ち出されたら、さすがに我輩の父たちでもキツかったのであろうか」
超えられなければアレは無敵に近い。触れることすらままならぬ、神の威光。否、『神族』の威光。あれは決して全能の神ではない。それはテフラでの今までの生活で知った。
「――ギリウス、僕結構キツいこというけど、許してね」
「ぬ?」
するとメイトが、ふとギリウスにそんな前置きを報せた。
そして続けて紡ぐ。
「まだその谷には、家族の――その……死骸があるの?」
「どうであろうか。我輩は光景に耐えきれずにあそこから逃げてしまったから、あのあとのことはよく知らぬのである。ただ、竜の死骸は腐りづらいというし、まだ残っているかもしれぬのであるな。深い谷であるが、腐乱の瘴気と臭気が立ちあがっているので、それにつられてやってきた数少ない者たちに〈竜腐の谷〉と名付けられたところまでは――風の噂で」
「噂、か」
「テフラにはいろいろおるであるからな。神族とか、そういう常軌を逸した上次元の情報でなければ、情報には事欠かぬようである」
メイトはギリウスの言葉に軽い頷きを返した。
「――じゃあ、さ」
言う。
「ギリウス自身がもし手がかりが欲しいと思うなら――もう一回行ってみれば? その、〈竜腐の谷〉に」
メイトの顔には『意を決して言った』という色がこれでもかと表れていた。おそらく相当の覚悟を持ってその言葉を紡いだのだろうと、容易に感じさせる顔。
ギリウスはメイトの言葉を聞いて、
「――」
一瞬表情が凍った。
緊張。
そして――
「そう――であるな」
その顔の緊張が解けた。表れたのは前向きな表情。何かをしようと決心した者の表情だった。
「ギリウス……?」
「うむ、それも悪くないかもしれぬのである。恐ろしいが、しかし前ほどの恐ろしさは――感じないのである。いざ言われてみないと気付けないものであるな」
「怒ってない……?」
「怒ってないであるよ。よく言ってくれた、メイト」
ギリウスも、メイトがどれだけ勇気を振り絞って今の言葉を紡いだか、そのことに思いが至っていた。
――恐ろしかったろうに。
怒るかもしれないという予想を胸に抱きながら、それでもあえて言葉を放つのは、きっと恐ろしいことだ。
友だからこそ、恐ろしいのだ。その絆が壊れる可能性を予測するから――怖い。
しかしそれでもなお、メイトは言った。
そうするのが友のためになると信じたからこそ、提案したのだろう。
本当に友のためになるから。――なんとも耳当たりの良い言葉だ。しかしそれを実際に言うためには、相応の覚悟がいる。あれは綺麗な言葉だが、その実『恐ろしく発言者に厳しい言葉』だ。
だから、
――その勇気に敬意を表そう。
この三眼を持つ少年は基本的にビビりだが、それでいていざという時はしっかりと前への一歩を踏める男だ。〈戦景旅団〉との闘争の時も前に踏む込む姿を見ていたから、分かってはいた。しかし今回のやり取りでさらに強く確信する。
「よかったー。僕ギリウスに怒られたらデコピンで瀕死だしさー。絶対首の骨クキャアってなるもん。デコピンって実際人の急所たる頭にやるから、やる人によっちゃ殺人術だよね」
「そうであるな。そうなると、我輩のデコピンに耐えるのは誰であろうか」
「サレは耐えるんじゃない? 馬鹿みたいな耐久力してるから。実際馬鹿だし。――それは関係ないか。――あと完全獣化したシオニーとか? 獣人だし、完全獣化だと結構大きいし」
「ふむ、そのあたりであろうか」
「防御ありならクシナとかも耐えそう。防御なしだとクシナの首ほっそいし――たぶんクキャア」
「なんかその擬音恐ろしげであるな……」
「ボキャア、とか濁音入ってるよりはよくない? ボギャア、とかだと音的に痛さがヤバいんだけど」
「クキャアもかなりのもんであるよ。『嗚呼、きっちり折れたのであるなぁ……』なんてしみじみ思えてくるのである」
暗い話題がそうしているうちに擬音の話にまで変容し、爛漫亭の前にたどり着くころには『いったい誰がデコピン創始者なのか』という話題にまで流れていた。
◆◆◆
そうして二人はいつも通りに下らない話題に議論を重ねながら、爛漫亭の玄関口をくぐる。
すると、
「遅かったわね、愚眼鏡、愚竜」
そんな二人を大広間で待っていたのは、両足を組んでソファーに寝転がるプルミエールと、
「さっきなんかすげえ興味深い議論してたな。デコピン創始者について、とか。――俺も混ぜて!」
そのプルミエールの後ろに立ち、黒尾をぶんぶんと左右に振りながら目を輝かせているサレと、
「お二人は帰ってくるのがビリだったので、明日から三食乾パン水なしの刑に処します」
プルミエールの対面のソファに座ってジト目を浮かべているアリスだった。
その他いつものように思い思いの姿勢で休息しているギルド員たちの姿も周りに見える。
「その刑重すぎない? 執行猶予とかない? ちょっとヤバすぎるから法神に法の正当性を判断してもらおうよ。きっとそれがいいよ。ほら、せっかくテミスの契約者がいっぱいいるしさ?」
「わ、わわわ我輩もそれがいいと思うのである。そういうわけでジュリアスたちが戻って来るまでは保留ということで……」
「〈凱旋する愚者〉の特別法は在留地の憲法その他一般法に影響されません。あとその時の気分によっていろいろ変わるので、判例による控訴も認められません。――今決めました」
「今最後にボソってなんか言った!! なんか言った!! どうあがいても僕たちに絶望しかもたらさないつもりだな!? い、異議!! 異議あり!! 不服申し立てを――」
「棄却されました」
「ひどい独裁だ……!!」
メイトの健闘虚しく、二人の刑は執行され、手始めに他のギルド員たちに取り押さえられて口に乾パンを詰め込まれた。
「あ、やっぱりギリウスさんの口にはいっぱい入りますね。――ええ、ええ、いけるとこまでいっちゃいましょう」アリスのどことなく弾んだ声が響き、
「ホントにお前らちゃんと悲劇思い出してきたのかよ……元気すぎだろ……」
肩を竦めたマコトのため息がいつもどおりに大広間に放たれた。