194話 「露店通り:三眼の後悔」【往路】
「たとえば。たとえばだよ? もし自分が良かれと思ってやったことが、悪い方向に出てしまった時、人はどんな感情を得るのかな。――ああ、もちろん悲しむだろう。気付ければね。自分のやっていることが実は悪いことに繋がっているのだと、『気付ければ』。気付けなければ、彼はどうなるだろうか」
「そのまま良かれと思ってことを進めるであろうな」
「そう。そりゃあ当然だ。悪いからやめろなんて、そんなの『知ってるから』言えるんだ。知ってたら行き過ぎた馬鹿でもない限りやめるさ。注意するやつはいつもそうだ。自分が知ってるから、相手も知っているものと確信してる。そこに絶対的な価値観の溝があることを考えもしない」
「少し機嫌わるいであるな? メイトよ」
「悪かったよギリウス。僕もたまには愚痴りたくなるんだ」
メイトとギリウスは肩を並べてナイアスの露店通りを歩いていた。
特に何かを買うためでもなく、ぶらぶらと気分転換に歩くような様相を呈する二人は、つらつらと言葉を並べてはすれ違う商人たちを避け、ぐるぐるとそのあたりを歩き続ける。
「まあ、そういう感じ。僕の場合は。その良かれと思ってた彼が僕なんだ」
「結構端折ったであるなっ!」
「え? だって恥ずかしいじゃないか。自分の失敗を事細かに話したがるマゾじゃないよ? 僕は。必要なら話すけど、僕の場合はちょっと――たぶんサレとかとは趣が違うから。その分僕の悲劇の方がタチ悪いけどね」
「ふむ」
ギリウスはどう反応しようかと迷っている風だ。
メイトはその様子を見て眼鏡の位置を指で直しながら、また言葉を並べる。
「僕の悲劇は僕の失敗にとても強く影響を受けてるんだ。――回りくどいね。――なんていうの? ……僕のせいってやつ」
「皆自分のことをそう思って責めているのである。その点は同じであるよ」
「そう……かもね。でも僕のは君たちのそれよりも、特に僕のせいなんだ。――ああ、さすがにキツイな。……よし、頑張る。頑張って言葉にするよ。ちゃんとした言葉に」
メイトとギリウスの声は露天商たちの客引きの声や、値段交渉をする旅人、行商たちの声に紛れ、掻き消されていく。メイトとギリウスの間にだけしっかりと響く言葉。ある意味都合の良い、言葉の隠れ家。
「僕、術式系が得意って、ギリウスも知ってるよね」
「うむ。サレがよく褒めていたから知っているのであるよ」
「へえ、それは初耳だ。何度か『すげえな!』とかは言われたけど、褒めるっていうと直に聞いたことないや」
「サレは結構人のことを褒めるであるよ。本人がいないところで。自分にはできないことが多いから、と」
「あれで? 勘弁してよ、あれ以上何かできるようになっちゃうとギルド内の権力関係変わっちゃうじゃん。サレはあれで使い走りされやすいのがいいんだよ。サレとギリウスは僕たちの壁になるべきだ」
「お、横暴である……!」
「君たち丈夫なんだからさ! マリアとかと買い物いったら他の男性陣死んじゃうから! ――君たちが率先して死にに――間違えた、請け負いに行くべきなのさ」
「今死にに行くって言いかけた……我輩聞いたである……」
「女性陣のわざとらしい言い間違えよりはマシだろう? まだ本当っぽいし」
「う、うむ、嫌な納得のさせ方であるな」
メイトはけらけらと笑いながら、「ちょっと話がズレちゃった。いつものことだけど」と加え、また話の元に戻した。
「――で、術式系が得意な僕だけれど、僕が僕自身に術式に対するちょっと才能があることを自覚した時、それでいてまだ純真無垢だったころ、僕は僕のせいで仲間たちを失ったことがある」
「――ふむ」
ギリウスはメイトの声に動じなかった。自分もそうであったし、〈凱旋する愚者〉のギルド員は往々にしてそうであるだろうとの予想があったからだ。
「三眼族が種族というより『部族的』であることは前にちょろっと話したよね」
「で、あるな」
「だから僕の街――いや村って言った方がいいか――にはいろんな種族がいた。ただ、皆『三眼』を持っていた。さすがに竜族とか魔人族はいなかったけど、獣人系は結構いたかな。母数が多いこともあって。ちなみに僕は結構純人の血が濃い」
「見た目に大きな特徴がないであるからな。だが、魔力燃料を持っているであろう? ハーフであるか?」
「もうちょっと薄いね。まあ、詳しいことは僕自身分からないんだけど。僕捨て子だから」
「……」
「別に暗くならなくていいよ。捨て子なんていくらでもいるさ。特に――三眼族はね。三眼は忌避されることが多いから。場所によるんだろうけど、僕が住んでいたところだと『三眼は災厄をもたらす』だとか、もう二番煎じだか三番煎じだか、とかく使い古された笑えるフレーズがあって、おかげで僕はポイっとね」
「三眼族はそういう者が多いのであるか?」
「そうだね。僕の村はそういう者たちが多かったかな」
「三眼は突然変異系であるとは聞いていたが、実際にそうであるのか」
「うん」
メイトが眼鏡をとって、服の袖で埃を拭きはじめる。
「その辺のしがらみは蛇足だからいっか。――でまあ、僕はちんけな魔力燃料を持ちつつも、術式理解度という点では結構優秀だった。だから、純人と異族という括り以外でも迫害されることが多かった仲間たちに、よく重宝された。僕が術式を作ったり、提供したりして、他の仲間たちが使う。それでみんなを助ける。そういう流れがあった」
「役割分担と、そういうわけであるな」
「――うん。でもね、その役割分担は結果的に悪い方向に進んだ。その役割分担は、僕の思考を麻痺させたんだ。術式を提供することが僕の存在意義であったし、それに自信も持っていた。だから、誰かに術式を教えることに、僕は迷いを抱かなかった。僕の場合は、迷いを抱かなかったからこそ悲劇が起こった」
メイトはレンズを拭いた眼鏡を再び顔に掛ける。
「迷ったからこそ助けられなかった、みたいな人もきっと僕たちのギルドにはいるだろうね」
メイトのその言葉は特定の誰かを示したわけではなかったが、奇遇にも、同時間に別の場所で悲劇の記憶を掘り起こしていたプルミエールを、知らず知らずのうちに指し示していた。
「でも僕の場合は迷うべきだった。迷って、ちゃんと考えるべきだった。いつの間にか術式を提供することを当たり前に思っていた僕は、絶対に術式を与えちゃいけない者たちに術式を与えちゃったんだ」
メイトの声が沈んだのを、ギリウスは感じ取った。
「三眼族は『同種族』にすら迫害されることがある。だから、三眼族はそういう視線に敏感だし、苦手だ。あれは慣れるようなものじゃないからね。どんどん深みにはまっていくタイプの悪夢だ。だから、僕たちは迫害を恐れるあまり、『甘い匂い』に釣られることも多い。そして僕の村にも、その甘い匂いに釣られた者たちがいた」
「――まさか」
ギリウスはそこまで聞いて気付いた。メイトの脳裏に刻まれている悲劇の一端を予測し、そこから全体像を見てしまう。
「そう。僕らの部族に裏切り者が出た。そして僕は、彼らを裏切り者だと知らずに、術式を提供し続けた。それで――皆弾けてしまったわけさ」
力ない笑み。自嘲だ。
自らをあざける笑み。
「しかし知らなかったのでは――」
「知らなかったじゃ済まない事もある。重い過失は、言い訳にならない。僕は疑うべきだった。まったく疑う要素がなかったわけじゃなかった。でも僕は思考を麻痺させていたから、だから気付かなかった」
「……」
「ちなみに裏切った者たちも弾けたよ。全部裏で糸を引いていた奴らの思いのままさ。手を煩わせずに、味方同士で殺し合わせた後、残った愚者をちょっと殺せばいいだけ。手間が省けて万々歳」
メイトは肩を竦めて見せる。
「僕にとって唯一幸運だったのは、彼らが殺されたのが僕を殺す前だったことさ。僕は情けないことに隠れていたのだけれど、そんな僕を見つけて殺す前に、裏切った者たちが殺された。おかげで僕の存在はうやむやになった。裏切った者たちと黒幕の間にもっとまともな繋がりがあればバレてたかもしれないけど、端から黒幕は裏切った者達を殺すつもりだったから、適当にあしらっていたのだろう。それが唯一の幸運。僕はこうして生き残ってる」
「ふう、疲れた」メイトは笑みを浮かべたまま言った。
「言えた言えた。まあ、ギリウスにとっては聞いていて楽しい話題じゃなかっただろうけど」
「だが、聞かなければよかったとも思わないのである。否、聞いておいてよかった」
「はは、ギリウスは本当に優しいね。礼を言うのは僕の方なのに。相手がいない状態でこんな話をするなんて、さすがにキツすぎるからね。悪夢と悲劇に押し潰されてしまいそうになる。聞いてくれる相手が多いのもそれはそれでちょっとあれだけど、相手がいないのと情けない自分を真っ直ぐに提示されてしまうから」
そういうメイトの肩を、ギリウスは片手で軽く叩いた。
「大丈夫。僕は大丈夫さ。皆辛いのは同じだからね」
メイトはまた笑った。
そうしているうちに二人は露店通りの端っこまで来ていて、目の前に中央広場が映る。
「さて、じゃあここからまた爛漫亭へ戻ろうか? うまいこと僕の話で往路を消費したから、復路ではギリウスの話を聞こうか。――相手が僕でよければ、だけど」
「そうであるな。では、帰り道は我輩のうまくもない話ということで」
「おいしい話はなかなかおっこちてないからねぇ」
「まったくであるな」
そういって二人は踵を返し、今度は来た道を戻り始めた。