189話 「新たな幕開けへ」
「――!」
「――レ!」
「――ターナ!」
おぼろげな言葉が耳を穿つ。
心地よい声がいくつも脳裏に響いて、
「サレ!!」
すべての声が重なった時、サレの意識は覚醒した。
「――ああ」
――背中が温かい。
目蓋を開いて広がった視界には、少し橙色に染まった空が見えていた。
雲の端が橙色に輝いていて、その輪郭を際立たせる。
自分がギリウスの手の上であおむけに寝ていることに気付いたのは、そんな景色が映ったからだった。
次いで、サレは自分の頭が少し高い位置にあることに気付く。
こんな場所に都合よく枕なんてものがあるはずもない。
となると、
――誰の膝かなぁ。
もう一度目を瞑って、後頭部の温もりを確かめた。
いつもなら驚いて跳びあがりそうなところだが、現状の身体の疲労を考えると、やはりそんな気力も湧いてこない。
今回は役得だ。
そういうことにしておこう。
「大丈夫か!? どこも痛くないか!?」
自分の頭の上、すぐ近くから響いてきた声は――シオニーの声だった。
――やっぱりシオニーか。
心地良い柔らかさが後頭部に伝わる。
次いで、自分の右手が誰かに握られていることに気付いた。
小さな手。
細く、少し冷たい手だ。
しかし、その手に込められた力は強い。
サレは疲労を感じながらもまた少しだけ目蓋を開いて、右手の方にちらりと視線を向けた。
「……」
そこにいたのはクシナだった。
彼女は口を噤んで、何も言わずに手を握っていた。
――珍しいね、クシナがそんな顔してるなんて。
彼女の心配そうな表情を見て、サレはそんな言葉を心に浮かべる。
――はは、俺が倒れてるせいか。
まったく、近頃また心配を掛けることが多くなった。
なんだかそのことがおかしく思えて、顔が勝手に綻んだ。
「なに笑ってんだよ――この……馬鹿」
ふとクシナの声が響いて、自分の右手を掴む彼女の手に力が入った。
――大丈夫、大丈夫。俺はまだ笑っていられる。だから――大丈夫。
そうだ。
どんな状況にいたって、自分たちは笑うことを忘れてはならない。
傍から見たら「なんでそんな状況で笑うんだ」と怒られるかもしれない。
「どうかしている」と揶揄されるかもしれない。
――そうだよ。俺たちはどうかしてるんだ。
愚か者の名を、いつだって掲げて見せよう。
「――大丈夫だよ。ちょっと眠いだけさ」
サレは目蓋を閉じたまま、軽い微笑を浮かべて見せて、空いている左手を天に掲げた。
自分は「なんともない」とその場にいる仲間たちに知らせて、
――なんだか最近、俺は気を失ってばかりだな。
少し自分に対する皮肉を浮かべてから、サレは意識を手放した。
◆◆◆
ナイアスの中央湖に纏まっていたテフラ勢力だが、アリエルの震動も止み、そこから大きな事件もなかったため、現状で統合できる情報を話し合ったあと、一旦二手に分かれてそれぞれの拠点へと戻った。
〈凱旋する愚者〉とレヴィ、そしてその連帯ギルドである〈傍に仕える者〉のメイドたちは『爛漫亭』へ向かう。
その他の面々は連帯ギルドを伴ってアリエルへと再び昇り、『王城』へと向かった。
レヴィが爛漫亭に向かったのは、いまだ爛漫亭に〈第四王女ニーナ〉が寝ているからだ。
当初ジュリアスが率先してニーナの看病に当たろうとしたが、ジュリアスは今や王族勢力の長である。〈銀旗の騎士団〉の件も含め、ジュリアスは早急に王城へ戻って指示を出す必要があった。
◆◆◆
爛漫亭へ向かう最中の愚者たちは、いつもより少し静かな雰囲気を漂わせていた。
そうして爛漫亭に帰り着くと、消耗したサレは男性ギルド員に背負われて自室へと運び込まれる。
レヴィは二階の一室に寝かされていたニーナのもとへ行き、〈傍に仕える者〉のギルド員たちは警護と称して爛漫亭の外で待機していた。
そんな中、〈凱旋する愚者〉のギルド員は自然と大広間に集まって行く。
誰に言われるでもなく、自然とそうなった。
◆◆◆
見慣れた光景がそこにはあった。
爛漫亭の犬顔亭主がなにも言わずに紅茶を入れて、大広間の机に置いていく。
ギルド員たちは天井を見上げたり、床に視線を落としたり、やや落ち着かない様子だった。
そんな中、プルミエールはいつも通りの調子で、鼻歌を歌いながら犬顔亭主が置いていった紅茶を手に取っている。
「なに? 超暗いんだけど。――あ、なんだか最近イリアの口癖使うことが多いわね、私」寝転がりながら器用に紅茶の入ったカップを傾けつつ、プルミエールが愚痴っていた。
全体の雰囲気にまるで影響されないプルミエールは、やはりいつもどおりであった。
「ねえ、確かに最後の『アレ』は不穏だったけど、結果的に愚王女は正気に戻ったし、反省もしたみたいだし、愚従者の願いも叶ったし、私たちも皆生きてる。最後のアレのせいでぐちぐち悩みたくなるのも分かるけど、たぶんこれ、結構うまくいってる方よ。いつの間にあんたたちは高望みできる立場になったの? 愚民の分際でっ! ――私は高貴だから高望みもオッケーだけどね! だから誰かケーキ買ってきて! 今無性に甘いものが食べたくなったの!」
「なんで途中で喋るのをやめなかったんだ……! お前は途中まででやめておけば結構良いこと言ってる場合が多いのにっ!」
プルミエールの言葉にツッコみを入れるのはマコトだった。
狐耳をピクつかせながら、我慢できないと言わんばかりにプルミエールを指差して、がやがやと言葉を並べ立てている。
「うるさいわね、愚まな板。そのまな板の上で野菜切るわよ」
プルミエールがいつもの調子で言うと、マコトが一瞬固まったが、次の瞬間になぜか勝ち誇ったような笑い声をあげていた。
「――ハハ! やった! ついに動じなくなったぞ! わたしまな板って言われても動じなくなった!」
「それ悪化してねえ?」ギルド員が口を揃えていうが、高笑いをしているマコトにはまるで聞こえていないようだった。
そんなやりとりがあって、徐々に場の空気が火照っていく。
実際、プルミエールの言った言葉は正しい。例によって彼女の言う『事実』は的確だ。
「これで王権闘争も終わるのね……」
ぽつりとそんな言葉を漏らしたのはマリアだった。
プルミエールが寝転がっている専用ソファに手をついて、上腕で自分の胸を挟み込みながら、「ふう」と息を吐いている。疲労した身体を腕で支えるような体勢だ。
その仕草に男性ギルド員の視線が釘付けになるが、そのすぐ下でプルミエールが不機嫌そうな視線を男性陣に突き刺していたため、結果的に視線は分散した。
「嫌な横やりがありましたが、結果的には勝ったと言えるでしょう」
アリスがマリアの言葉にうなずきを返した。
アリスは黒い髪を揺らし、次いでまた言葉を紡ぐ。
「でもなぜでしょう。――やっぱりなんだか、釈然としませんね」
盲目の視線は斜め下に落ち、少しいじけているような、不機嫌そうな、そんな印象を見る者に抱かせた。
「――そうね」
「言っても仕方のないことなのでしょうけど」
アリスが視線を真っ直ぐに戻し、そのまま続ける。
「でもこれでテフラ王国内のいざこざは収束するかもしれませんね。やっと、本当の意味で外に目を向けることができるようになるのかもしれません」
「外に目を向けることでもっと大きな試練が見えてしまうかもしれないけれど」
「目を逸らし続けるよりは、ずっといいでしょう」
ギルド員たちのうなずきと納得の声が大広間に響いた。
「目を逸らしてきたモノに、改めて意識的に目を向ける必要があるのかもしれませんね」
アリスは思った。
自分たちには嫌な記憶を掘り起こす義務がある。そこにアテムに対抗するヒントが存在する可能性があるからだ。
だから、テフラ王国での生を得るためにあえて目を逸らしてきたモノに、また目を向ける必要がある。
テフラ王国での生活はついに安定した。――内部的にはだが。
だから、今度こそ外に目を向けるためには、まず自分たちの中の記憶を整理する必要がある。
アテム王国に立ち向かうにあたって、ほんのわずかの小休止を得た今こそが、その時間なのかもしれない。
――このまま無知の納得を胸に、突き進んでもいいのでしょうか。
『コーデリア』。
知らない名前がアリスの胸の中を巡った。
そういうものを含めて、もっと知らなければならない。
突き進んで後悔はしないと決めた。
しかし、後悔しないために考えることを放棄したわけではない。
「なので、そろそろ私たちも悲劇を見直す必要があるのかもしれませんね」
アリスの言葉はどこか抽象的だったが、その意味は〈凱旋する愚者〉の面々にはしっかりと伝わっていた。
それぞれが視線を宙に漂わせ、その身の内に眠る『記憶』に、思索の糸を伸ばしているようにも見えた。
―――
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第十一幕終。




