18話 「飛翔する渡り鳥」
「わ、我輩を殺す気であるか……サレ」
「胆が冷えたぞ、サレ」
「……なんかごめん」
サレが祖型・切り裂く者を振り回してから数十秒後、天から竜体に化身したギリウスがあらわれた。
いっそう強面になったギリウス。
しかしその顔にはやはり表情というものがあって、ギリウスをギリウスたらしめている『竜面のわりに表情豊か』な像が見え隠れしたこともあり、サレはあまり驚かなかった。
それはトウカも同じであったようで、似たような反応を示している。
「我輩、それなりに覚悟して、こうして化身までして来たのであるが、飛んでる最中に黒い術式剣に切り裂かれそうになったのである……さすがの我輩も対城兵装レベルの術式剣をまともに受ければ相当ヤバくなるのであるがな……」
「そ、そんな遠まわしに言わなくていいよ……」
――立派な図体のわりにやり口が意外と陰湿だ。
横目で意味ありげにいってくるギリウスを見て、サレは胸中で嘆息した。
「――とりあえず、勝ったのかな」
嘆息もほどほどに、気を取り直して周りの状況を確認する。
「……」
――いや、勝ったさ。言わなくたってわかる。
俺がアテムの兵士のほぼすべてを薙ぎ払ったのだから。
サレは自虐するように再び胸中で思いをこぼす。
両手を開き、手のひらを見つめた。
――紛うことなく、俺はこの手で多数の純人族の命を奪った。
「――サレ、後悔しておるか?」
そんなサレの胸中を読むように、トウカが優しげな微笑と声色で問いかけていた。
その問いにサレは首を左右に振って応える。
「いずれ通った道だよ。アテム王国に抗うと決めた時に、通らなければならないと確信した道でもある。――殺したことを忘れはしないけど、後悔はしないよ。すべて覚悟の上だ」
「……そうか。そうじゃな。――しかし、忘れるな。わらわたちも共犯者じゃ。つらくなったら、そのときに臆せず言うがよかろ。何度も言うが、忘れるなよ、サレ。わらわたちは共犯者じゃ」
トウカは言い、最後に拳を作ってサレの胸に当て、
「だから、一人で抱え込むなよ」
言っていた。
「トウカの言うとおりである」
「――ああ」
サレはトウカとギリウスの心遣いを素直にありがたく思った。
◆◆◆
「ところで、少し気になっておったのじゃが、さっきの術式兵装は最初の術式剣の改良型かなにかかの?」
「いや、逆だよ。黒い方が『祖型』なんだ。つまり〈改型・切り裂く者〉の原型さ。俺が扱う術式剣の初期段階にして、最大威力。で、青白い方はそこから洗練していった汎用型」
サレはトウカの問いに答え、おもむろに皇剣の刀身をもたげて、その刀身に術式を装填させた。
青白い粒子が舞い散り、戦闘時とくらべて少し控え目になった青い炎のような刀身があらわれる。
「こっちは範囲と威力は劣るけど、燃費がよくて術式剣の形態維持もしやすい。術式を付与される剣本体にも優しいしね。黒い方――〈祖形・切り裂く者〉はただひたすらに術式構成を破壊力に傾ける術式で、燃費も最悪だし、剣状態の維持もしづらい」
サレは青い術式を解いて、しかし今度は実演することなく説明する。
「気を抜くとすぐに術式が緩むから、動きながら振りまわすのにも向かない。かなり丈夫な剣を媒体としないと剣本体も壊れる。――でも数秒の間維持して振りまわすことができれば、範囲と威力は保障されるよ。――その結果がこれだ」
サレは目の前の更地を指差した。
ほんの少し前まで森だった場所は禿げあがり、砂色の地面がむき出しになっている。
「――なるほど」
「媒体を使用するのも剣という形態を意識して維持する必要があるから。このイルドゥーエ皇剣のような、丈夫な素体を持つ以上はそれを媒体とした方が効率的なんだよ」
「ふむ、さすがは魔人族といったところかの。魔術の分野にはくわしいな」
「あんまり学術系は得意じゃないんだけどね。その日の飯の有る無しに関わっていたからある程度は、ってくらいさ……」
自分が扱う魔術に関しては最低限の知識を持たねばならない。
学術的体系を最低限理解しない限りは術式は組めないし、編めない。
そう頭では理解しつつも、当時のサレは追いつめられなければそれらを覚えることができなかったため、リリアンたち魔人族の女性陣によって過酷な断食レースをしかれ、ようやく覚えることができた。
――数えきれない後天的臨死体験のうちの一つです。
追い込まれて眠れる才気を渙発させる。
――といえば聞こえはいいが、悪くいえば自分の才気には瞬発力がないのだ。
――いや、そもそもあれは才気とかじゃなくて生物的な生存本能に懸けた博打だろ……
魔人族の女性陣たちにしかれた断食体制を思い出すに、そう思えなくもない節がある。
――はたして彼女たちは俺にその危機的状況を脱するだけの力が備わっていなかったらどうするつもりだったのだろうか。
いかん、思い出すのはよそう。
きっと彼女たちにはなにかこう、確信のようなものがあったに違いない。――むしろそうであれ。
「サレ? 身震いしているようだがどこか怪我でもしたか?」
トウカが心配そうな顔でサレに言う。
「だ、大丈夫大丈夫。思い出したいようで思い出したくないことを考えていただけだよ……」
「なにを言っているかよくわからんぞ、ぬし」
トウカが苦笑した。
その後、身辺の確認もほどほどにして、三人は避難組と合流すべく移動を開始する。
「さて、そろそろ我輩たちも戻るとしよう。アリスたちを拾って避難組に合流せねばなるまい」
ギリウスが巨大な黒い翼を大きくはためかせ、サレとトウカに言った。
ギリウスはその巨体を低くかがませ、四本足の動物のように伏せの体勢をとった。
「乗るがよい。慣れぬうちはバランスを取りづらいであろうから、十分気を付けるのであるぞ」
「竜族の背に乗れるとは感激の至りじゃな」
「まったくだね」
ギリウスに促されるままに、サレとトウカは黒鱗の竜の背中に跳び乗った。
二人がしっかりと背に乗ったことを確認すると、
「では、行くのである」
竜は身体以上に大きな二枚の大翼を広げ――天高くに飛翔した。
◆◆◆
「プルミエールさん、身体の方は大丈夫ですか?」
「フフッ、大したことないわよ、この程度。高貴な私はこの程度じゃ倒れないわ?」
「さっきは倒れましたけどね」
「――くっ!! この娘無表情でこちらの身体を労わったと思ったら即座に同じ顔で痛いところを突いてきたわ!! なんてたくましい娘! 愚民の癖にっ!!」
「申し訳ありません。――つい」
数人の異族に守られるように囲まれながら、アリスとプルミエールは走っていた。
血を多く失ったプルミエールの走る速さに合わせての行軍だったが、
「サレさんやトウカさん、それにギリウスさんのおかげで追っ手の気配はありませんね」
アリスの感覚器は敵の気配を察知してはいなかった。
おそらく最後尾でしんがりを務めたサレたちのおかげなのだろうと信じてはいたが、いまだに不気味さは払拭できない。
逃走戦というのは精神的につらいものだ、などと考えていたが、ちょうどその頃になってようやく――アリスの耳はある音を捉えた。
それは大気を打つ音であった。
次いで聞こえたのは声。
聞き覚えのある声だった。
「皆の衆、無事であったか」
――野太い声はギリウスのものだ。
「今戻ったぞ」
――凛々しい声音はトウカのもので。
「ただいま」
――澄んだ声はサレのものだった。
「皆さん、ご無事ですか」
とっさに、アリスはそんな言葉を口にしていた。
かえってくる答えはやや不明瞭であったが、
「うむ、一歩間違えば我輩はサレに真っ二つにされていたのであるがな」
「ギリウス、それ引きずりすぎじゃない?」
「クハハ、事実であるからな」
二人のやり取りには険悪さはなく、むしろ楽しげな色さえ見て取れるような、そんな印象をアリスは得た。
とりあえず無事らしい。
そう思って安心を胸にし、そして、
――戦を経たことが要因でしょうか。どことなく、親しげな感じが。
そんな分析の言葉を次に胸に抱いていた。
アリスはそれを素直にうれしく思った。
動機が戦という不純なものであっても、結果は結果だ。
絆が生まれたのなら、それは微笑ましいことなのだろう――と。
新しく輪に入ってきたサレだけでなく、初期から共にいた者たちでさえ、己の立ち位置に迷っているという節は感じ取れていた。
そんな中で急速にそれぞれの立ち位置が定まりつつあるのは、やはり戦という異端な状況のおかげだろう。
そうアリスは一人ごちて考えていた。
「ご無事なようですね」
「アリスたちもね」
「プルミエールは?」
サレが天使族の名を呼ぶと、
「私ならこのとおり、変わらず天を突くほどの高貴さを保っているわよ。――どう? 美しい? ねえ、私の走り様、美しい!?」
両手を広げながら跳ねるように走りまわるプルミエールを見て、サレは額をおさえながら天を仰いで、
「そうか、ならお前はそのまま天を突きぬけて彼方へ飛んで行け。――ていうか翼があるんだから走らないで飛べよ……」
「飛ぶのって疲れるのよ!! 有翼種族だからって軽く空飛べると思ってるのっ!? 飛べるわよ!? 飛べるけどね!? すっごく疲れるのよ!! すっごくエネルギーを消費するのよ!! そこの羽ついたトカゲならわかるかもしれないけどね!? ――わかるわよね!?」
「わ、我輩であるかっ!? い、いや……う、うむ、そうであるな……うむ……」
「なにこの爬虫類、なんで『うむうむ』言ってるの!? ――なにか生むの!? 口からゲロっちゃう感じ!? 卵? ――卵ね!!」
「プ、プルミが急に我輩に話を振るからであろうが!」
おもわぬ角度から話を振られたギリウスは、巨体をたじたじとさせながら成り行きでそう答えた。
「サレさん、ギリウスさん、奇人に対しては極力リアクションを起こさないのが吉です。放っておけば少しは大人しくなるので」
「アリスも相変わらずの毒舌ぶりだね……」
「これでも抑えている方です」
「えぇ……マジでかぁ……」
「マジです」
いくばくかの間、無事に合流できた異族たちはそれぞれで言葉を交わした。
お互いの存在をより近くに感じるようになったのは、戦という橋を共に渡ったからだろう。
そう皆が胸に秘めつつ。
「――では、少しの休息も取れましたし、そろそろ行きましょう。避難組の皆さんに追いつかなければ」
アリスがそう皆に促した。
「ならば、再び我輩が飛ぼう」
ギリウスが竜体のままそう言った。
「あまりの強面っぷりで皆さんにビビられなければいいのですが……」
「本当に手厳しいであるな……アリスよ…………我輩の打たれ強さにも限界というものが……」
黒鱗の竜は今にも泣きそうな震え声でそうつぶやいた。
◆◆◆
ギリウスの背に乗り、空の散歩を満喫していた最中、サレの隣で必死に黒鱗をつかんでいたアリスが、サレに訊ねていた。
「〈血の涙〉の方は大丈夫ですか? 〈殲す眼〉をお使いになったのでしょう?」
「うん。しばらくは〈殲す眼〉は使えないけど、血の涙の方は大丈夫だよ。一歩手前で踏みとどまったから」
「――そうですか。私もこの眼を使用することの危険性については認知しているつもりですので、なにかあればおっしゃってください」
「――ありがとう」
サレは笑みで答えたあと、
「……ところで、手を貸そうか?」
必死にギリウスの首元の鱗につかまっているアリスを見かねて、とっさにそう言っていた。
「大丈夫です。これから何度もギリウスさんの背を借りることがあると思います。今のうちに慣れておかなければ。毎度皆さんの手をわずらわせるわけにはまいりませんので」
――いえ、こっちもヒヤヒヤしっぱなしなので、そろそろ誰かの手を取っていただけるとすごく助かります。
ただでさえ初の空中散歩だ。
目の見えぬアリスにとってはなおさら緊張する状況だろう。
実際、彼女はほんの少し左右に振られるだけでフラフラと力なく揺れ、ともすればそのまま振り落とされて飛んでいってしまいそうな状態だった。
当のギリウスもそれを察してか、丁寧に飛ぼうとしている節は見える。しかし竜族の身体は静かに飛ぶことには適していないようで、どうにも状況は好転しなかった。
そんな中で、
「いいのよ、アリス? ――高貴な私が支えてあげるわっ!!」
ギリウスの尾の方に捕まってハイテンションで空中遊泳を楽しんでいたプルミエールが、アリスのそばまで器用に登ってきて、そう叫んだ。
叫ぶと同時、両手で彼女の細い腰をがっちりとホールドすると――そのまま思いっきり上に持ちあげた。
「お、おい馬鹿っ――」
――それは支えるどころか状況を悪化させてるから!!
サレが内心で焦りに焦る中、つかんでいた黒鱗から突然引きはがされたアリスは、心底迷惑そうなジト目と、きゅっと山なりに閉められた口で如実に不機嫌を表し、
「……なんと申しましょうか」
「何!? 言ってみなさい!? 高貴に美しく答えてあげる!!」
「……かなり面倒なので今すぐもとの場所に戻してください」
「却下よ!! それじゃ私が楽しくないもの!!」
天使が楽しそうに笑った。
「――この方はもはや言語内で表せる言葉がないほどに奇人ですね」
アリスは空中で風に打たれながら、しみじみと言った。
下ではちらちらとギリウスが首を捻らせてアリスの状況を注視し、かたわらではサレがはらはらとした顔色でなにかあればすぐ動けるようにと気を揉んでいたが、
「あっ」
突如としてことは起こった。
アリスを両手で空中に持ちあげてはしゃいでいたプルミエールが、短い声を上げた。
次の瞬間、両手をアリスを持ちあげることに使い、まったく自分自身を支えていなかったプルミエールの身体が風に叩かれてふっと浮き、浮いたかと思えばアリスもろとも空中に放り出されていた。
「『あっ』じゃないからああああああああああ!!」
傍らでその様子を鮮明に捉えていたサレが絶叫染みた声をあげた。
ほかの異族たちもそれぞれに身振り手振りで絶望を表現しつつ、とっさにギリウスの背から首だけを伸ばして地上に目を向ける。
「えっ!! ――なんであるか!? なにが起こったであるか!?」
当のギリウスは決定的瞬間を見逃し、おろおろと動揺しながらひとり言葉を紡いでいた。
「なんというかな……ギリウス。俺たちはちゃんとお前の無実を主張してやるからな……運転者の過失が原因だという判決がおりても、俺たちを恨むなよ……」
「なんだか不吉な言い回しであるな!?」
皆がうんうんとうなずきを返していると、
「勝手に殺さないでください」
「そうよ!! 私が死ぬくらいなら世界が滅びた方が建設的だわ!!」
不意に、吹き飛ばされたと思っていた二人の声が響いた。
皆が声の方を振り向けば、そこにはアリスを抱きかかえながら白い翼を羽ばたかせているプルミエールの姿があって。
「もうなに言ってるかわからないわ、この人」
「愚民のくせに生意気よ、サレ・サンクトゥス・サターナ」
白い六枚の翼がサレの視界を覆った。
天使の翼だ。
プルミエールはギリウスと同じ速度で飛翔しながら、しかしギリウスとは違って大きな音も立てず――彼女いわく優雅に――空を飛翔していた。
その姿は確かに天使に例えることができるほどに、美しい姿だった。
天使族という名の由来がどこからきているかは定かではない。
しかし、少なくともその場にいた者たちは、その地上にあるとは思えぬまでの美しさこそが名の由来なのだろうと、そう思った。
同時に、皆がそれぞれ自分たちが違う種族であることを再確認した瞬間でもあった。
翼を持たぬ者はその姿に憧れを抱き、翼を持つ者も自分とは違う飛翔姿に憧憬を抱く。
「ちょっと気を抜いたわ。でも大丈夫、私は高貴だから常になんとかなるわ。高貴ゆえに無敵とはこのことね!!」
「いいから私をもとの位置に戻していただけますか」
「――そこまで言うなら仕方ないわね」
「仕方ないのはどちらですか」
プルミエールが心底残念そうな顔をして、腕に抱きこんでいたアリスを再びギリウスの背へおろし、自分もその隣に着地した。
ギリウスとプルミエール。お互いに飛翔しながらの行動だったが、二人は軽くそれをこなしてみせた。
互いに飛翔する速度や高度を調整していたようにも見える。
――こういうところを見ると、実はものすごい協調性持ってるんじゃないかと錯覚しそうになるな……
他人に合わせる力量がなければできない連動だったろう。
ギリウスはともかく、プルミエールもそれをこなしたところを見ると、それとなく認識をあらためたくなる気持ちもわいてくるが、
――いやぁ……でもやっぱ気のせいだな。
サレは首を振ってその気持ちを振り払った。
その後、些細ないざこざを上空でおこないながらも、いくらかの時間をかけて――ついに避難組との合流をはたした。