186話 「崩落の舞曲」【後編】
〈黒砲〉を撃ち切ったあと、サレの魔力はほとんどからっぽになった。
体内系の術式燃料である魔力は使い切れば精神が倒れる。
微弱には残っているが、黒炎術式に使われる歴代魔人族の封入燃料と、自分の魔力燃料が癒着している現状、これ以上の黒炎術式の使用はすなわち完全な燃料枯渇を意味した。
――まだ気を失うわけにはいかない。
サレは意識を保つためにぎりぎりのところで踏みとどまる。
しかし、術式燃料のなくなったサレには方策がほとんどない。
それまでの〈祖型・切り裂く者〉の連撃と、そして最後の黒砲の掃射によって、大半の崩落地盤は消えていたが、まだ残っている地盤はあった。
サレは周りになんとか観察の視線を巡らせながら、身体を開いて落下方向に背中を向けながら落ちていた。
そんなサレの背中を、風がまるで「まだがんばれ」とでもいうかのように背中を叩いていく。
――〈シルフィード〉に突っ込んだのかな。
背中を叩いて行く風の力は、以前に感じたシルフィードの勢いからはかけ離れて弱かった。
――ギリウスが「シルフィードが薄くなった」って言ってたけど、本当みたいだな。
ナイアスからアリエルへ向かう時にギリウスに乗って行ったが、その時にシルフィードを突っ切りながらギリウスが言っていた。
背中を叩く風は、押されているという感触を得る程度には力があるが、しかし人を弾き飛ばすほどではない。
本当に、自分を応援するかのように、優しく押しているようなのだ。
そしてサレはサレで、それに答えるかのように、残る『方策』を使う意志を固めた。
――目は痛いけど……
まだ『撃てる』。
固有燃料に左右される『固有術式』――〈神を殲す眼〉はまだ撃てる。
――あと残ってるのは……
視界が霞む。
仰向けに落ちることで風がもろに目に叩き付けられることはないが、それでも横から滑ってくる風が瞳を叩いていく。魔力の枯渇による疲労がどっと襲ってきて、余計に視界を霞ませた。
――あれか。
残る崩落地盤は二つ。
サレは迷うことなく言葉を紡いだ。
「【弾けろ】、【散れ】」
二度その赤い瞳が輝きを放って、そして崩落地盤は内部から弾けるようにして散った。
直後、サレは目尻から〈血の涙〉が溢れ出たことを知る。
――もう限界。やれるだけはやったぞ。
やれること以上にも、やれたかもしれない。
こんな状況でそう自賛したくなってしまうくらいにはやった。
だからあとは、
――頼んだ、皆。
サレは背中を打つ風を感じながら、ゆっくりと目を閉じた。
◆◆◆
サレがナイアスへ落下しながら崩落地盤を除去していた頃、アリエルに残っていた〈凱旋する愚者〉のギルド員たちは各々に動いていた。
大半は崩落に巻き込まれないようにジュリアスたちを避難させ、また一部はサレとギリウスを追って行き、そして『二人』は地盤の崩落で形状が緩くなっているアリエルの中央通りを飛んでいた。
「早く見つけなさい」
「分かってる」
プルミエールと、彼女に抱えられたメイトだった。
地が抜けてそこからナイアスの街並みが見えてしまっているアリエルの中央通りを、プルミエールがメイトを腕に抱えながら飛んでいた。
「――見つけた。あそこが術式の鍵だ」
すると、メイトが何かを見つけて指を差した。
その先に特段に変なものは見当たらない。
プルミエールも少し首を傾げるが、
「見えるのね、あんたには」
「当然。見えることよりも解読をすることの方が難しいんだよ」
メイトの額には三つ目の眼――〈読み解く眼〉が開いていた。
三眼族の特徴でもある三つ目の眼をぎょろつかせながら、メイトはまだあたりを探っていた。
その間にプルミエールはメイトが指差した場所を目指して飛翔を開始する。
「でもかなり『薄く』描かれてるね。これじゃあ僕とて意識しないと見えないわけだ。周到というか、なんというか。日に日にアテムの方の厄介度があがってきている気がするよ」
「そうね。私たちが手合わせた王剣だって、今と比べたらずいぶん違うものになってるかもしれないわね。後ろにわざとらしく神族がついてるこの状況じゃ、つく予測もつかなくなるわよ」
「僕、混沌としているのは結構好きだけど、殊にそれが戦争に関してとなるとそうも言ってられないや。どうせ戦争するならササっとやってササっと終わった方がいい。泥沼化して不必要な犠牲を生むよりは」
「理想ね。戦争は力量が拮抗してればしてるほど、ドロドロになっていくものよ。キレイに終わる戦争なんて、きっとどちらかが一方的に強くないと起こり得ないんだわ」
「そうかもしれないね」
話しながらも、プルミエールは最速でメイトが指差した場所へ飛翔した。
そうしてその場所にたどり着くと、周りの地盤が緩んでいないことを確認してメイトを降ろす。
メイトは三眼を露出させたままその場に座り込んで、白い石床をまじまじと見つめた。
まるでそこに見えないものを見ているかのような仕草だ。
「――これか。この回路を切れば術式は動かなくなる。――やるよ」
「いいわよ」
プルミエールはメイトの言葉に素っ気ない返事を返した。
「うまくやれ」とプレッシャーをかけるでもなく、「失敗してもいい」と慈悲をかけるでもなく。
淡々とうなずきを返すだけだった。
メイトはメイトでプルミエールの反応に納得したようなうなずきを見せて、
「――切る」
青白い術式燐光が迸る右手人差し指を、石床に走らせた。
途端、
「――止まったわね」
アリエルの地盤を襲っていた持続的な揺れが、そのメイトの行為のあとにピタリと止んだ。
「ふぃー。怖かったぁ……」
メイトが額を袖で拭いながら、尻もちをついて息を吐いていた。
張りつめていた緊張の糸が一気に緩んで、そのせいで足まで緩くなったかのように、立つことすらままならない様子でメイトはプルミエールを見上げた。
「最近なんだか冷や汗ばっかりかいてる気がするよ」
「失敗したらアリエルがドーンってなって人がいっぱい死ぬものね。ドーン、キャー、プチィッ!! ――って感じね」
「最後だけやたらに迫真な感じで」
「一番大事なところだからよ。プチィッ!! ってなる瞬間が一番見どころ」
「君はちょっとその趣向を矯正した方がいい」
「冗談よ。ともかく、術式構成を外部から切断して術式そのものの活動を止めるなんて、私でもちょっと躊躇うわ? あんた結構度胸あるわね?」
「ねえねえ、いまさら思うんだけどさ、ホント実行する前に君にそれ言われなくて良かったよ。実行前に言われたら手がプルプルしてミスっちゃったかもしれない……」
「フフッ……! 次からはちゃんとプレッシャーかけるわね? だからちゃんと鍛えておきなさい! メンタルをっ! 超メンタルにしておきなさい!」
「最近イリアの言葉癖の猛追を感じるよ。流行かな。僕もあとで使ってみよう」
そんなことを言っていると、プルミエールがメイトに片手を差しだしていた。
メイトはそれを見て少し驚いたように目を丸めたが、すぐに微笑を浮かべてその手を取った。
「なによ、楽しそうな顔して」
「いや、なんでもないさ。――なんでそういう素直な感じをサレの前だと出せないかなぁって」
「――はっ!?」
「はは、だってプルミ、サレの前だとわざとらしく傲慢になるか、それか気取ったようにお高く留まるばっかりで、こう、今みたいなさりげない優しさとかあんまり見せないじゃない?」
「ちょっ! あんた何いってんのよ……!」
「なぁに、独り言さ。――僕は天才だから何でも分かるのさぁ! ははっ!」
「今のムカついたからあとで尻にネギ突っ込むわね」
「それはやめてっ!」
メイトが自分の尻を両手で覆い隠しながら一歩下がった。
「まあいいわ。それはあとで。今はアリスたちのところに戻らないと。……愚魔人と愚竜はちゃんとやったかしら」
「大丈夫だよ。あの二人のぶっ飛び具合は僕らが一番良く知ってる。だからこそ、彼らに頼ってしまうんだけど――」
プルミエールは再び軽い動きでメイトを抱えあげ、再び空に飛翔した。
登りきった日輪が、今度は西側へ落ちていこうとしていた。
◆◆◆
サレの側にあった崩落地盤はサレがすべて消し去った。驚異的な威力の薙ぎ払いによって。
そしてまた、サレの反対側にあった崩落地盤は、ギリウスが竜の拳と竜焔砲を盛大に連射することで消し去った。同じく異常な破壊力だ。
一番最初の最も大きな崩落で落ちていった地盤は二人がすべて消し去ったのだ。
しかし、サレとギリウスが身を投げ出したあとに続いて崩落した地盤は、二人の手に掛からなかった。
サレはすでに力尽きていて、ギリウスの双腕からも深紅の粒子が切れ掛けていた。
その最後の崩落地盤を止めたのは、
「――神空砲」
少女だった。
天空神の称号を持つ、美しい少女だ。
真っ白な燐光を放つ幻想的な少女が、どこからかその場に飛んで現れて、天に向かって手を開いていた。
そこから放たれたのは透明な空気の波動。
天を衝く強烈な威力を纏った空気の波が、落ちてくる土塊と正面から衝突して、そして土塊を木端微塵にした。
そこへ、やや遅れてグリフォンに乗って現れる男がいた。
ジュリアスだ。
「ディオーネ!」
「間に合った。――テミスめ、面倒な手間をかけさせてくれる」
ディオーネは身体をくるりと回して、面積の少ないたった一枚の布をふわりと浮かせた。
まるで少女がドレスを着て喜ぶかのような仕草だが、むっつりとした顔でそれをやるとどうにも絵にならない。ディオーネ自体は美貌の少女であったが、やはり雰囲気はどこか暗かった。
「ディオーネ……」
「言うな、分かってる。お前の言いたいことはよく分かるし、テミスの心中もまったく分からんでもない。ただ、実際に面倒だったのは確かだ」
「――そうだね」
「まあ、最後の最後でテミスがこの崩落術式の貸出人に気付かなければ、こうして私が力を行使することもできなかったろうが」
「――〈ガイア〉か」
「ああ。アイツが動く場合は双極する存在である私の行動制限も緩くなるからな。この点の解釈はユウエルとカムシーンが関わっているから、まあ少しくらい我が儘を言っても咎められはしないだろう」
「ならテミスに関しても帳消しってところかな」
「なんか納得いかんが――今はそれでいいとしよう。……はあ、私も好きなように力を使えれば――」
ディオーネはまた小さな身体で悪態をついた。
「それはだめだよ、ディオーネ。今までだって十分君は対価を恣意的に少なくしてきた。ここでマキシア側の神族と明確に敵対姿勢を取るのなら、かつての神族の矜持を、決してないがしろにしてはならない」
「分かってる。神族としては――分かっているのだ。ただな、私だって半分は人だ。『神族』であろうとする反面、やはり人でもありたいのだ。そして人として考えた時――私はお前には甘えさせてやりたいと思ってしまうんだよ」
ディオーネが苦笑して言う。
それにジュリアスも苦笑して答えた。
二人に間に見えない信頼があったが、かえってそれがお互いの葛藤の素にもなっているようだった。
「なら、あとでお前の『空』をもらおう。これも対価だ。対価の開始時間は少しだけ憂慮してやる。これくらいの情状酌量の余地はあるだろう」
「そうだね」
「空の消失が起こったら、絶対に外には出るなよ。お前に空がなくなれば、同時に地もなくなる。上と下の概念がなくなるから、お前は上に落ちるかもしれないし、下に昇るかもしれない。どこまでもだ。上に落ちた日にはお前は死ぬ」
「分かってる」
「あと目も瞑っていろ。空のない景色は、きっとお前の精神に良くない影響をもたらす。私が良いというまで絶対に目を開けるな」
「うん、分かった」
「それとな――」
「ディオーネ」
「ぬう……」
ディオーネはそのままいくらでもジュリアスに注意を喚起しそうだった。
それをジュリアスも知っていたから、苦笑でディオーネの言葉を遮る。
「大丈夫だよ、ディオーネ。僕は大丈夫だから」
「――分かったよ。じゃあ、早くあの魔人を拾って、届けてやるとしよう。今回もお前を救ってくれた、あの愚か者たちのところへ」
「――うん」
そしてジュリアスはグリフォンを駆り、ディオーネのふわりとした飛翔を追って、落下しているサレに近づいて行った。
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