185話 「崩落の舞曲」【前編】
サレはアリエルの崩落した地盤を追いかけるように、ぽっかりと空いた空中地盤の穴へとその身を投げ出していた。
地盤の深度に関して詳しいことは分からないが、これだけの地盤がこの高さから落ちれば、階下の湖都もタダではすまないだろう。
それくらいは容易に察せられた。
なにをどうやったらこんなに巨大な『地盤』が崩落するのか。
あの一瞬で、これほどまでに強力な術式を発動させることが、普通の人族に可能なのか。
そもそもあの少女は、異族ですらないように見えた。
――あらかじめ巨大な術式を刻んでおいたか、あるいは強力な力を持つ神族の仕業か。
サレは自分の身体が風に打たれるのを感じながら、二つの可能性を頭に浮かべていた。
そして、
――……どっちもか。
予想をつける。
たぶん、そのどちらもであると。
天空神ディオーネをして、空を落とすだとか、どでかい空気の波動を飛ばすだとか、そういう並外れた力を使いはするが、それでもここまで凄まじいものではない。
即時の術式展開でこんな異常な術式を発動できる者なんていないと――信じたい。
だから、おそらくあらかじめ術式をアリエルの広い部分に刻んでおいて、一気に発動させたのだろうと仮の答えをおいておく。
周到な用意。
きっと、ずっと前からこの手段を温存していた。
――アテム……!
とことん抜かりのない一手。
まるで遊戯をするかのように軽く手を出してくるが、その一つ一つが軽い手出しに見合わぬ威力を内包している。
するりするりと容易くこちらの予想の隙間を縫って、一撃を放り込んでくる。
飄々とした手練れの印象すら受けた。
――今は忘れろ……!
思考がどうしてもアテムのことについて巡ってしまうが、今はそれ以上に差し迫った状況が眼前にある。
この崩落地盤をどうにかしなければ。
これが落ちればナイアスは多大なダメージを負う。
それはテフラ王国の弱体化にも繋がるだろう。
特に国外への戦争戦力をギルド勢力に任せようとしている今、そのギルド勢力を直接『削り』に来られると非常に困る。
そのうえ、このナイアスの地理的災害によって、あとからナイアスに入ってくる『未来のギルド勢力』の足をもテフラから遠ざけさせてしまうのはもっとまずい。
数という最も端的な戦力で、おそらくアテム王国に負けているだろうとの予想がある今、これ以上その点での不利を呈してしまうわけにはいかない。
――落ちる前に――消し飛ばす。
この崩落にすでに気付いてしまっている者もいるだろう。それは仕方ない。しかし、ここで崩落を防げば、逆にほんの少しもテフラの印象値の回復が狙えるかもしれない。
『あんな災害が起こっても、その危難から住人を救うだけの力がテフラ王国にはある』。
それが『及第点』。
その風評によって、印象値は少し回復する。
運がよければ大きなプラスに掛かることもあるかもしれない。
――やってやる。
サレは身体を落下方向と水平に傾け、空気抵抗を減らし、落下への加速を得ていく。
同じ速度で落ちていたのでは崩落地盤に追いつけない。
そしてそのまま――サレは落ちながら、目視可能な地盤を〈神を殲す眼〉で破壊していった。
〈血の涙〉という使用制限がある中、こうしてバラバラに落ちていく無機物に対してそれを使うのも少しもったいないような気がしたが、
――出し惜しみするな。
サレはその思いを捨てる。
一つでも取りこぼせば大惨事になる。
「――【散れ】!」
大きな地盤にはあえて使わない。
全体像に焦点を結べなければ逆効果だ。一点が崩壊してしまうことで余計に分散する。
だからギリギリ自分の認識できる大きさの崩落地盤を見極めて、迷いなく破壊を顕現させた。
サレの判断は的確だった。
失敗が許されない緊張の中で、ただ淡々を赤い瞳を輝かせていく。
大きな崩落地盤に追いついたところで、サレは黒翼を展開させた。
その翼で風を掴み、身体の姿勢を整えながら、今度は皇剣の柄を両手で握る。
――なにも考えずに、ただ目の前のすべてを薙ぎ払うなら、
「――暴虐を尽くせ、〈祖型・切り裂く者〉!!」
サレは眼前の全てを薙ぎ払う巨大な剣を持っていた。
〈黒砲〉よりも連射が利き、取り回しやすく、そして射程内においては遜色ない破壊力を持つ術式剣。
そのあまりの無差別性に、市街地戦や敵味方乱れる集団戦では使いづらかった〈祖型・切り裂く者〉だが、この時ばかりはその術式剣が大きく役に立った。
「吹き飛べええええええ!!」
空を墜ちながら、同じく空を墜ちていく巨大な崩落地盤を目がけ、サレはそれを真横に振り抜いた。
臨界までつぎ込まれたサレの魔力が、青白い炎のようになって〈祖型・切り裂く者〉から噴射され、軌道戦上に煌めく青色の線を残していく。
美しい。――美しい青色の煌めきだった。
しかし、その刀身は美しいだけではない。
触れたものをすべて燃やし尽くしていった。
黒くなるだとか、灰になるだとか、そういうレベルではない。
触れた瞬間に『消して』いくのだ。
サレは〈祖型・切り裂く者〉を横に振って目の前の巨大な崩落地盤を真っ二つに割断したあと、すぐさま刀身を切り返した。
そこから、今度は斜め上への斬り上げ。
割断された崩落地盤の上部が、青い刀身に喰われて消える。
まだサレの薙ぎ払いは終わらない。
「まだ――っ!!」
慣性で流れた身体を強靭な膂力で逆へ引っ張り、今度は袈裟掛けに振り下ろす。
まるで青い剣が舞っているようだった。
凄まじい速度で地盤をすら飲み込む青い線が、何度も何度も空間を舞っていく。
「――っ!」
サレは歯を食いしばって剣を最速で振り続けた。
◆◆◆
その日、ふと空を見上げたナイアスの住人たちは、空で綺麗な青色の光が飛び散っているのを見た。
右に薙ぎ払われ、青色の煌めきを残し、左に薙ぎ払われ、青色の煌めきを重ねていく。
巨大な流れ星の霞む尾ひれのように、それは淡く美しい輝きを宿していた。
青い炎のようなそれが、何度も空を舞っている。
その奥の方に何か巨大なものが見えた気がしたが、青色の光に覆われてそれを下から見ることは敵わなかった。
そしてまた、その場にやってきた『新しい色の光』が、その巨大なものを覆い隠した。
『深紅の光』だ。
◆◆◆
「ぬうんっ!」
風を切る音ばかりがぼうぼうと鳴っていたところへ、ふと聞き覚えのある声が差しこまれてきた。
野太い声。
ギリウスの声だった。
サレは〈祖型・切り裂く者〉を振るう手を止めず、ちらりと視線だけを斜め上に逸らした。
するとそこに――
「木端微塵であるッ!!」
深紅の炎を双腕に宿した黒竜がいた。
洗練された竜神形態から、目にも留まらぬ拳の連打を崩落地盤の一つに向かって撃っている黒竜だ。
その拳に打たれた崩落地盤は一瞬にして砕け、そして細かい粒子に分解されていく。
ギリウスの拳が再びそれらを打つと、小さくなった崩落地盤は今度はジュっという音を立てて完全に消滅した。
また一つ、ナイアスに落ちていく地盤が少なくなった。
これなら――
「ギリウスッ! そっちは任せたぞ!」
その様子を見ていたサレが大声を飛ばす。その間に順を追ったやり取りがあってしかるべきだったが、現状、そんなことをしている余裕はなかった。
だから、サレはギリウスの返答をすら聞かずに、自分より左側にあった崩落地盤を完全にギリウスに任せきった。
「承知である!」
かくいうギリウスもサレの言葉を聞いて即座に頷きを作る。
二人の間ではもはや言葉を交わさずとも会話が成立していた。
互いが互いの力量を信じているがゆえに、言外に『絶対にしくじるなよ』という信頼ゆえのプレッシャーを込めながら、二人は己にできる限りを敢行する。
殊、今に限ってだけは失敗が許されない。
そんなこと、誰にだって分かる。
「――っ!」
サレは皇剣を持つ手から汗が噴き出るのを感じた。
身体が総毛立っているし、首の裏がぞわぞわする。
緊張しているのだ。
「そりゃあそうだろ……!」
当たり前だ。
自分は超人じゃない。こんな状況、緊張くらいするさ。
でも、
「それでも……!」
サレは再び皇剣を握る手に力を込め、眼前の光景に意識を集中させる。
まだ崩落地盤はある。
ずいぶん落下してきて、ナイアスに近づいてきた。
半分。
あと半分がリミットだ。
――壊しきる。
サレは〈祖型・切り裂く者〉を左手に持ち替え、残る右手を空に掲げた。
手を開き、手のひらを空に見せて、
「術式展開、撃ち貫け――〈黒砲〉!」
その手のひらに一瞬にして術式陣が展開され、さらにそこから黒い光線が発射された。




