177話 「黒白が踊る」【中編】
その女は神族特有の白い身体をしていながら、それでいておそろしげな瞳のない真っ黒な眼をしていた。
まるで奈落。
吸い込まれそうになるほど真っ黒で、深遠な眼。
ずっと見ていたらその眼に吸い込まれてしまうのではないかと思うほどに、その『黒』は蠱惑的だった。
「誰だ、お前」
神族だ。
それは分かる。間違いない。
数々の神族と渡り合ってきたサレの直感が知らせてくる。
『知りたいの?』
「言いたくなきゃ言わなくてもいいよ――」
サレは軽く言ってのけた。
しかし、次の言葉を紡いだ時には――その赤い瞳に殺意が載っていた。
「だからそのまま――【死ね】」
あれは敵である。
サレの本能が、そう告げていた。
◆◆◆
破壊の力が突き進む。
〈神を殲す眼〉の金の術式紋様が輝き、力を発した。
そして――
『――――』
当たる。
サレが直視した白い女の頭が、霧散するように消え去った。
血は出なかった。
肉片も飛びはしなかった。
ただ白い光が消えるようにして、スウっと薄れたのだ。
だが、
『アハ、アハハ、分かった――あなたが〈魔人〉ね?』
女の頭が、二秒ほどして再生した。
元に戻ったのだ。
〈神を殲す眼〉が、効かない。
「――お前、事情に詳しいらしいな」
さっきからやたらと確信的な物言いをしてくる。
そこまで考えて、サレは気付いた。
こうまで事情に詳しくて、それでいて敵対する者。
敵対する『神族』。
「――〈マキシア〉側の神族か」
『そういうこと』
――絶対にぶっ殺さないといけない理由ができた。
そうしてサレが背に黒翼を展開させたところで、横から声が飛んできた。
〈ユウエル〉の声だ。
場を貫くようにして飛んできた声が、目の前の白い女の正体を報せていた。
「――〈ネメシス〉!! 貴様サフィリスの身体を無理やり使っているな! それは神族が一番やってはならないことだぞ!!」
『ああ、ユウエル陛下、お久しぶりです。――でも陛下のお言葉でもダァメ、この子はとても使いやすい駒なの』
「人から生み出された〈復讐神〉が、人を操るのか!」
『そうよ? だって、脆いんだもの。人なんて皆、脆いのよ。神族より下位の存在なの。だから、好きに使ってもいいのよ。アッハハ』
ジュリアスの顔横に広がった神界術式陣から、白光を纏ったユウエルが出てきて、そんな叫びをあげていた。
サレはそちらを見たあと、すぐに目の前の白い女に視線を戻す。
――ネメシス。
復讐の女神。
女――ネメシスは、高い笑い声をあげたあと、さらに続けた。
『いいわよ、この子。とーっても甘えん坊で、でも意地っ張り。それでいて欲望に忠実であろうとするから、狂気に流されやすい。たった一つの欲望を追い求め、他のすべてに盲目的になる『狂気』というものに』
「まさか貴様――」
ユウエルの息が引っ込んで、そのネメシスの言葉がさらなるユウエルの怒りを呼び込んだことをサレも察した。
『そうよ、陛下。〈アーテー〉がいるの』
「〈狂神〉まで使ってその身体を乗っ取ったのか!! サフィリスの精神を壊すつもりかッ!!」
『アハハ、そうよ。陛下は昔、人のためになってこその神族って言ってたけど、べつにいいんじゃない? だって、人は愚かだもの。どんなに丁寧に育てたって、だめなやつはだめだわ?』
肌に絡みついてくるかのような甘い声で、ネメシスは言った。
ひとまずネメシスの気をユウエルが引いてくれている。
その隙に、サレはサフィリスの顔に視線を向け直した。
――危ういな。
目が虚ろだ。
〈狂神〉という単語を聞いて少し勘付くことがあった。
狂気を司る神族だろう。
今のサフィリスの状態は、ただ狂うこと以上に、何か恣意的なものを感じさせる。
欲望の増幅。そのあたりか。
たった一つの欲望以外に関して盲目的にさせる――狂気。
――現界の民を道具にするか。
これは間違いなく一線を越えている。
立場的にも、神族的にも、こいつは間違いなく行き過ぎた奴だ。
――待て。
自分でさえ今のサフィリスの状態を見て、ネメシスに憤りを感じ始めているのなら――
――ジュリアスは?
ジュリアスは一体どれほどの憤りを感じているのだろうか。
サレは嫌な予感がして、とっさに一瞬の視線をジュリアスに入れた。
光景がパっと移り変わって、視覚に淡い像を残していく。
ジュリアスの姿。
それを認識した時、即座に、サレの中に言葉が生まれた。
――止めろ。
「ジュリアスを止めろ!! レヴィ!!」
サレの視覚に残ったジュリアスの顔は、見たこともないような怒気に彩られていた。
『冷えた表情』だ。
しかし、あれは怒気が一周して現れた、冷たい怒りの表情だ。
ジュリアスは基本的に冷静だが、殊、兄弟に関する出来事では激情に駆られやすいきらいがある。
テフラ王族に多い激情家の気質。
ジュリアスの場合、理性の力がとても強いから、その激情を自らで押さえられているのだろう。
しかし、今回はだめだ。
冷静さなんて言葉の欠片すら、今のジュリアスには相応しくない。
誰かが止めてやらねば、何か取り返しのつかないことをしでかしてしまうかもしれない。
「ユウエルの力を使わせるなよ!!」
「分かってる!」
レヴィが答える声が耳を穿つ。
――レヴィひとりではきついか。セシリアがいれば。
肉体的に優れているセシリアならば、ジュリアスの制止にも役立ってくれるだろう。
『あらあら、怖い怖い。綺麗な顔してるのに、とっても怖い顔するのね、陛下のお友達は』
またネメシスの声がやってきて、サレは意識を戻す。
こちらにも意識を向けねば。
セシリアならあとからアテナと共に騒動を聞きつけてやってくるだろう。
まずは、
――あいつを。
皇剣を鞘に一旦しまい、サレは両手を合わせた。
合掌。
直後、その合わせた掌の間から術式陣が展開される。
――神族を――ぶっ殺す。
サレの赤い瞳に、再び〈神を殲す眼〉の紋様が宿った。
◆◆◆
「【弾けて散れ】」
目視、邪視。
サフィリスの頭の上に漂っている白体黒眼の女に、破壊を叩きつける。
しかし、行く末は同じだ。
弾けるが、元に戻る。
「ネメシスはマキシアに最高神格を供給されているのだ! 気をつけろ!」
ユウエルの声が飛んできた。
ジュリアスの対価がなければ力は使えないが、助言の一つや二つはしてくれるらしい。
それにしても、最高神格か。
――相打ちと、そういうわけだろうか。
弾けているということは、負けてはいないのだろう。
ただ、神族の身体を根本から破壊するほどの効力は与えられていない。
ディオーネに使った時と似たようなものか。
初めて〈神を殲す眼〉を使った時、ディオーネは『どうせすぐに再生する』といっていた。
つまりは、存在の根本からは破壊できていないということだろう。
加えて、神族の再生速度が優れているだとか、そんなところだと考えられる。
――分析しろ。
自分まで激情に駆られれば、それは劣勢への要因になってしまう。
戦いは非情だ。――思い出せ。
相手は神族だ。――間違いなく、強者であるのだ。
だから――
「術式展開――喰らい尽くせ、〈黒蟲〉」
一気に行く。