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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第十一幕 【愛憎:私たちの世界は狂っていた】
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175話 「末弟の苦悩」

 涙。


 透明の雫が、とめどなくジュリアスの目からあふれ出ていた。

 頬を伝って落ちる雫が、アリエルの白い石床に当たって弾ける。

 ジュリアスはわずかに空を仰ぎ見たあと、視線をサフィリスに向けていた。

 涙を流しながらの視線を、サフィリスは受け止めて――困惑する。

 

 ジュリアスがこうして人目をはばからずに泣くのを、サフィリスは初めて見た。


 ジュリアスはこんな風には泣かなかった。

 幼少の頃でさえも、堪えるように泣くのだ。

 わんわんと声をあげて泣くことなど、決してなかった。

 ジュリアスの我慢強さだとか、強靭な精神力だとかは、幼少時からその片鱗を見せていた。

 あるいは、幼いころから自分の立場を知って、もしかしたら『居づらさ』を感じていたのかもしれない。

 ともかく、ジュリアスはこうして泣くことがなかった。


 それが今、こんなに年を取ってから泣いている。


 その姿を見て、サフィリスは困惑した。


 どうしていいか、分からなくなった。


 享楽も狂気も、一瞬だけ、引っ込んでしまった。


「――――」


 それほどにジュリアスの感情を爆発させた悲涙は、異様な衝撃を内包していたのだ。


「ジュ、ジュリア――」


 なんとかという体で、サフィリスが名を紡ごうとする。

 ようやく動き出した頭と口で、名を紡ぎかけた。

 しかし、


「姉さんは――姉さんはずるいんだ……!」


 唐突なジュリアスの声に、サフィリスの声はかき消された。

 ジュリアスは腕を水平に振り払って、涙を流しながら紡ぐ。

 まさしくそれは叫びであった。


「姉さんはそうやって、感情を露わにできるから! それが許される王女であったから! 『ずるい』んだよッ!!」


 ジュリアスの叫びは、サフィリスに対する非難から始まった。


「――あなたは感情を発露させるのがうまい。欲望を表現するのがうまい。そうして飄々と〈狂姫〉を演じてきた。一線を越えず、誰かに心配されたら少し欲望の発露を抑えて見せて、そしてまた火が収まったころに騒ぎ出す。あなたはそういう王女であることを、演じてきた」

「なにを――」

「それを僕は羨ましいと思った。それが許される立場にいることを、何度か妬んだこともある」


 サフィリスは、自分がまさかジュリアスの嫉妬の種になっているだろうとは思っていなかった。

 会話こそすれど、そこには一線があったように思えた。

 他人とは言わない。言わないが、他の兄弟よりは遠い。


 否。


 サフィリスはそう思っていても、どうやらジュリアスの方はそうではなかったらしい。


「あなたばっかりそうやって欲望を発露する……! 僕はそれが『できなかった』! 分かりますか姉さん! 僕が抱いていた葛藤が、あなたに分かりますかッ!!」


 サフィリスは微動だにできない。

 ジュリアスがこの件に関して抱いていた葛藤など、そもそも存在すら知らないのだ。

 分かるわけがない。


 そんなサフィリスの内心を見越したように、ジュリアスが続けた。


「僕だって――僕が生まれたせいで『陛下』が他の王族を見なくなったことに……気付いていましたよ……!」


 ジュリアスの絞り出すような声が生まれた。

 まだ涙は流れている。


「僕が何をしたのかは知らない……僕の物心がついてすぐの話だ。何が原因であったかなんて陛下は言わない。ただ、乳母や侍女の間では噂が流れるし、そういうものによって、僕の存在が王族の中の関係性を変容させたという事実については――気付いていましたよ……」

「――」

「だから、僕は極力――『親族』への感情を抑えて生きてきた」


 ジュリアスは両腕をだらりとさげて、力強い視線だけをサフィリスに向けていた。


「僕が壊してしまったのだから、きっと、僕は『それ』を求めるべきではない。求めてはならない。小さい頃は、それでも少し、キアル兄さんやカイム兄さんや、レヴィ兄さんに頼ることがありました。年の近いエスター兄さんにも、アラン兄さんや、トマス兄さんにも、頼ったことはあります。――でも、それでも、僕はできる限りのことを一人で解決しようと、親族への想いを抑えて生きてきました」


 震える吐息がジュリアスの口から漏れた。


「年を重ねてからは、頼ることも少なくなった。そうしてその後、僕はナイアスに下りました。『親族の場所』にいるのが耐えられなかった。王城は僕に苦悩ばかりを思い起こさせる。きっとそこにいたら、幼少時から持ち越してきた想いを吐き出してしまいたくなる」


 「だから僕は、あの場を去った」そう付け加える。 

 ジュリアスはついに、その目から涙を止めて、再びサフィリスに神水を纏った手を伸ばして向けた。


◆◆◆



「――僕だって、『父』が欲しかった」



◆◆◆


「僕だって――父も、母も、欲しかった。兄にもっと頼りたかったし、姉にも甘えたかった。――僕には全部、『求められなかった』」


 ジュリアスが自嘲するような笑みを浮かべる。

 涙にぬれた顔で、彼は笑った。

 サフィリスは微動だにせずジュリアスを見ていたが、その顔はまだ困惑を表したままだった。


「神族が友になってくれた。僕は彼らを同じ階層の存在として見ていた。彼らは彼らで、それが嬉しかったという。だから、少しも僕の想いは紛れた。でも、それでも、神族は父にも母にもなれない。兄にも、姉にも、なれない。最愛の友にはなれても――」


 ジュリアスの言葉は最後まで紡がれなかった。


「ジュリアス――お前は――」


 そこでようやくサフィリスの声があがる。

 しかしサフィリスも多くを語れない。

 すると、ジュリアスがまた自嘲気味の笑みを浮かべ直し、視線をサフィリスのさらに奥へと向けた。

 その視線は、銀騎士たちと戦っているサレに向けられていた。


「――僕は、サレに謝らなければならない」


 ふとジュリアスの口からその名が紡がれた。


「アリスたちにも、謝らなきゃならない」


 ジュリアスは目元を袖で拭って、次に柔和な笑みを浮かべた。

 サフィリスに向ける、慈愛の表情だ。

 そしてジュリアスは言った。

 最初に叫びをあげた理由。

 なぜ悔しげに声をあげたのか。


◆◆◆



「僕はやっぱり――あなたを殺せない」



◆◆◆


 ジュリアスがあげた悔しげな声は、自分に向けられたものだった。


 ジュリアスは限りなく徹底者であった。

 おそらく〈凱旋する愚者〉の者たちを含めても、ジュリアスの精神が最も徹底者という名に相応しかった。


 しかし、ジュリアスはただ一点において、最後には『徹底者』になれなかった。


 口では言った。

 〈凱旋する愚者(イデア・ロード)〉の皆に、『必要とあらば殺してみせよう』と言った。

 しかし、さきほどの命がけのぶつかり合いを経て、ジュリアスは自分のそれに気づいてしまった。


 ――僕は、兄姉(きょうだい)を殺せない。


 もしかしたら、闘争の初期であれば、本当に殺せてしまったかもしれない。

 しかし、闘争を経ていくうちに、兄姉たちと再び言葉を交わすようになって、そして少しずつ甘えられるようになって、気付いた時には――


 ――僕は……


 そうなってしまっていた。


 兄姉への想いが、徹底者への道を閉ざしてしまった。


 父と母を求められなかった分の想いが、兄と姉へ向いてしまった。


 もう戻れない。


 たぶん、もう――


「僕はあなたに勝てないんだ――サフィリス姉さん」


 ジュリアスが浮かべた笑みは、サフィリスが人生の中で見てきた表情の中で――最も切ない色を湛えていた。

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『やあ、葵です』
(個人ブログ)
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