174話 「悲劇で終わらせないために」【後編】
「もっとだ、もっと『派手』にやろう、ジュリアス。これでは父上の部屋まで光が届かないかもしれない」
サフィリスが笑みで言った。
ジュリアスはそれに対し、言葉を返さない。
ジュリアスの脳裏は、サフィリスに対する観察の思考でいっぱいになっていた。
次に何をしてくるか。戦闘状況に対する考察も進めながら、それでいて、サフィリスの顔や言葉をよく観察していた。
理由はサフィリスの言葉や雰囲気に、異常な『二面性』が見られた気がしたからだった。
出会ってからいくつも言葉を交わした。
攻撃すらを交わした。
そしてそこに、二面性を見た気がした。
――なんだ、この違和感は。
ジュリアスは思う。
槍神ソルの槍を構えて、じりじりとサフィリスとの間を詰めながら、わざとらしく牽制の視線を入れる。
その間に頭を働かせた。
――考えろ。
違和感がある。
サフィリスは、基本的に二つのことに夢中にはなれない。
何かに夢中になれば、もう一つはおろそかになる。
人はえてしてそんなものだが、サフィリスは特のその性質が顕著だ。
そんな中で、現状、サフィリスには二つの欲望の発露が見られている。
『享楽』と、『父性の渇望』。
さっきから『楽しむ』『面白い』といったサフィリスがよく口にする内心の言葉と、『父上』という言葉がごちゃごちゃになって紡がれている。
それは両立しえない。
父性の渇望が行動原因ならば、楽しいなどといまさらサフィリスは言わないはずだ。
『楽しい』というのがごまかしであることには、父性を渇望せざるをえない悲劇的な状況を考えればすぐに思い至る。
照れ隠し、ごまかしであったにしろ、すでに自分たちに『父上』という単語を聞かせてしまっている。
そうなればかえっておおっぴらにしてしまうのがサフィリスの性格だ。
――なのに、なんで姉さんは……
『楽しい』という。
まだ、言うのだ。
なにか、おかしい。
ジュリアスはそこまで思って、しかし、眼前でサフィリスが動きを開始したのを見て、一旦思考を中断した。
「お前との戦いのためならば、これくらいはしてみせよう! ――〈アグニ〉! その神の炎を私に貸せ!!」
それは自然系神族の名であった。
数いる炎神、火神の中でも、その名が高位に属することを知っていたジュリアスは、思わず身構える。
迎撃すべきか。
ジュリアスは左手に持った槍の柄を強く握り、どうすべきかを逡巡した。
その間にも、サフィリスは動きを表していく。
右手で術式の描写をしていた。
どうやら、さすがに向こうから勝手に出てくるほど、自然系神族の矜持も落ちぶれてはいないらしい。
そのことに一抹の安堵を得ながらも、ジュリアスはソルの槍をサフィリス目がけて投擲していた。
「芸に幅がないな、ジュリアス。さすがの私も『あの時』悠長に術式を描写して痛い目にあったからな。人一倍妨害には気を配っているさ」
槍を悠々とした動きで避けるサフィリスが、ジュリアスに笑みで言った。
しかし、ジュリアスはジュリアスで、すでに次の動きを開始していた。
神界術式の描写。
異様な速度だ。
宙を走る指の速度はサフィリスのそれよりもはるかに速い。
先に描写を開始していたサフィリスと、後から描写を開始したジュリアスが術式を描き終えたのは『同時』だった。
先に声をあげたのはサフィリスだ。
「――来い、〈アグニ〉」
つぶやくような声があがった瞬間、
『対価をよこせ。さすれば力を与えてやろう』
描写した術式陣の中から、『白く燃える炎』を纏った腕が飛び出してきていた。
同時。術式陣の奥から声が響いてくる。
その声に、サフィリスは即座に返した。
「くれてやる」
『ならば貴様の身体の一部をよこせ。それを燃料に、神の炎を貸してやる』
「いいだろう」
そう言うと、サフィリスは腰に差していた短剣を抜いて、その長く美しい『髪』を、肩口でバッサリと斬り落とした。
すると、宙を舞ったサフィリスの金糸の髪が急に白い炎に覆われて、瞬く間に燃え散った。
『たしかに。燃料はもらった。その分を使うがいい』
「ああ」
神界術式陣から出ていた白い炎の腕が引っ込み、直後、今度はサフィリスの右腕に、同じような『白炎』が宿った。
美しい、白の炎。
その腕を前に掲げたサフィリスは、
「――美しいな」
そういって、その手の向こうにジュリアスの姿を見る。
ジュリアスはその右手に――白い光を内包した『輝く水』を宿していた。
そしてその左手からは、赤い『血』が滴っていた。
◆◆◆
「――〈ヴァルナ〉」
ジュリアスは、サフィリスが声をあげたのと同時にその名を呼んだ。
〈水神ヴァルナ〉。
レヴィのよく使う〈水神セストス〉と同系の神族だが、水神の序列はヴァルナの方が高い。
加えて、ヴァルナの水はセストスのそれと比べて攻撃的だった。
ジュリアスの描いた術式陣から、『光を内包したように輝く水』が飛び出してきて、その水がまるで人の腕のように変形していく。
すると、さらに音がやってきた。
『対価を』
短い言葉だった。
「――渡そう」
ジュリアスが即座にうなずきを返す。
すると、音が再び術式陣の中からやってきた。
『あなたにしか生み出せぬ水を』
言われ、ジュリアスはまたうなずいた。
儀礼用とばかりに差していた左腰の剣を抜き、その刀身を自分の左手で握り込む。
次いで、その手を『滑らせた』。刃を生身で握って、滑らせたのだ。
自傷。
刀身を握った左手から、おびただしい量の血が流れ出す。
ジュリアスは血が噴き出るその左手を、今度は術式陣から出てきている『水の手』に差し出した。
「これでいいかい。この血は、僕にしか生み出せない赤い水だ」
『十分です。受け取りました』
水の手はジュリアスの左手に触れると、その内部にジュリアスの血液を含ませていく。
そうして水の手そのものが真っ赤になると、そのまま術式陣の中に戻っていった。
途端、ジュリアスの右手に宿るものがあった。
さきほどの水の手のような、白い輝きを内包する水だ。
『神水』。
ジュリアスはそれを見て、
「――綺麗だね」
短くそんな言葉を告げた。
まるで、それで触れた者を浄化するかのごとき輝きを放っている。
――これで彼女を突けば、彼女は正気に戻るだろうか。
そうして視線を前に戻し、サフィリスを見る。
白炎を右手に宿した、サフィリスを。
そして――
◆◆◆
「――姉さんッ!!」
「――ジュリアスッ!!」
◆◆◆
ジュリアスが走り、サフィリスが走り出した。
疾駆。
お互いにその足で前への一歩を踏んでいた。
それは子供の喧嘩のように、一直線な感情の顕れのようでもあった。
お互いにもっとやりようはあっただろう。
しかし、二人ともが右手に炎と水を纏わせ、目があった時、それらの理性的な戦いへの道は閉ざされた。
テフラ王族の身に宿る激情の血。
徹底者であるジュリアスと、ある意味で無秩序の徹底者であるサフィリスをして、そんな感情の発露があった。
きっかけがなんであったかは二人にも分からなかった。
二人の間の距離が縮まっていく。
ジュリアスは右手の神水の手を拳の形に握る。
サフィリスも右手の神炎の手を拳の形に握った。
接敵。
同時に拳が飛ぶ。
お互いの顔面に拳が飛び、同時に顔をそむけて、頬の傍を走って行くそれを避けた。
「まだッ!」
「そうだ、もっとだ!」
二人は右の拳を引きながら、何も纏っていない左手で再度の打撃を繰り出す。
ジュリアスの拳はサフィリスの腹部横にめり込み、そしてサフィリスの拳はジュリアスの右頬を襲っていた。
「ぐっ!」
「――ハッ、ハハハ! 効いたぞ! ジュリアス!!」
サフィリスの細い体が横にくの字に曲がり、ジュリアスの身体も打撃の勢いを受けて横に流れる。
しかし、すぐさまお互いは態勢を立て直し、両手で打撃を連打した。
それは稚児の殴り合いに見えて、しかし――
死と隣り合わせの殴り合いでもあった。
神水と、神炎。
その右手が当たれば、致命傷になる。
テミスの神格防護は王族間には当然働かない。
直撃。
直撃すれば神水は切れ味凄まじい刀剣のごとく、サフィリスの肉を削いでいくだろう。
神炎はすべてを砕く劫火の槌のごとく、ジュリアスの肉を潰していくだろう。
「――!」
「――っ!!」
二人はその右手を何度も振るった。
しかし、当たらない。
警戒しているから、という理由もある。
だがそれ以上に――理由があった。
――ジュリアスの方に。
「く――」
それはジュリアスの口から漏れた、『叫び』の前兆だった。
「――くそおおおおおおおおおッ!!」
叫びがあがると同時、ジュリアスが左手でサフィリスの身体を押し出した。
『寄るな』と言外に表した行動だ。
サフィリスの身体は押し出され、二人の間に距離が空く。
サフィリスは「なぜだ」と疑問の表情を浮かべながら、ジュリアスの顔を見た。
こんなにも感情昂ぶる戦いを、なぜ拒否するのだと、そんな思いを抱いて。
しかし、サフィリスがジュリアスの顔を見た時、その思いは消える。
目の前の光景を理解できずに、サフィリスの思考が停止した。
ジュリアスが、涙を流していた。




