170話 「来たれ、愚者よ」【前編】
「死にたいのですか、カイム様。金づるなので勝手に死なれると困るのですが」
白の剣が下からカイムの顎もとに迫り、その顔を下から突き刺そうとした瞬間、ぎりぎりのところでカイムの身体が後ろに引かれていた。
後ろから服の襟元を引っ張られ、そのせいで首元を締められながら、しかしカイムの身体は即死を回避する。
何事かとカイムが振り向いた先。
「〈ミーナ〉――」
カイムの連帯ギルド〈烈光石〉の長である〈ミーナ・ルーナ〉がいた。
派手な七色のローブに身を包み、ムスっとした表情を浮かべている少女。
小さい身体を背伸びさせて、腕を上に伸ばし、なんとかといった体でカイムの襟元を掴んでいた。
「せっかくこっちはこっちで攻撃の隙を窺っていたのに、殿下が猪突するので台無しですよ。ああ、でもあの戦闘メイドたちに先んじられたことは私の不覚ですが」
ぶつぶつとミーナは言いながら、そのままカイムの襟を引っ張って街路から離れていく。
サフィリスに視線で牽制を入れつつ、カイムを逃がす。
サフィリスはそれ以上の追撃をしてこなかった。
「戦闘メイドたちがジュリアス殿下に事の次第を先に伝えていたようです。私は遅れてたどり着いたので、サフィリス殿下を効果的に止めるべく様子を窺っていました。ついでにギルド員を呼びつけたりで」
ふとカイムが街路の奥に視線を向けると、その方角に色彩豊かなローブに身を包んだ集団があった。
派手な集団だ。
身体の大きさは様々で、性別も男女が入り混じっている。
ただその派手な色彩のローブを着ていること以外に共通点はありそうになかった。
だが、
「ここであの物騒なメイドたちに手柄を持っていかれるのもなんですので、お小遣いのために今こそ〈結晶人〉の力をお見せしましょう。だから殿下はそこで座って見ていてください。邪魔ですからね」
直後、ミーナがローブの袖をまくり、その細い女の腕を露わにした。
「行きますよ。お小遣いをためて母国に送るのが、私たちの使命です」
言葉のあとに、彼女の腕に異変が起こる。
パキパキと硬質な音を立てて、その腕が――『結晶化』しはじめていた。
腕が、生身であった腕が、まるで宝石のような美しい輝きの結晶に変質したのだ。
それは七色の輝きを放つオパールのような結晶だった。
まるで宝石の腕。
「至高の宝石を身に宿す〈永晶族〉として、うまいことやってみせましょう」
どことなく軽い雰囲気を漂わせる言葉を最後に吐いて、ミーナはサレの皇剣と同じ色味を湛える腕を掲げ駆けだした。
そしてまた、通りの奥にいた派手なローブ姿の者たちも、袖をまくって腕を結晶化させながら駆けだしていた。
鉄。銅。銀。
赤の輝石。青の輝石。緑の輝石。
不思議な色味の結晶化された腕を掲げて、彼らは駆けだしていた。
生まれついて鉱石と同化している〈結晶人〉。
異族の括りで〈晶人族〉と呼ばれることもある人族。
〈烈光石〉は、北大陸に多い晶人族が集まったギルドであった。
◆◆◆
アリエルで交戦がはじまろうとした頃、ナイアスの方ではサレたちが〈傍に仕える者〉のメイドたちにちょうど報告を受けていた。
アリエルでサフィリスが動き出したという報告だ。
サレはエッケハルトたちとの邂逅のあと、急ぎ足で爛漫亭に戻ってきていて、そのことをギルドの皆に伝えているところだった。
そこへ〈傍に仕える者〉のメイド二人がやってきて、息を切らしながらもなんとかいう体で報告をする。
皆の意識が一気にそちらの話に向いた。
エッケハルトたちの話も放っておくことはできないが、向こうは向こうで「手は出さない」と口で確約している。
そんなことよりも、もっと差し迫った状況が別個で存在しているようだった。
「――ジュリアスは!」
メイドたちの報告の直後、サレの鋭い声が爛漫亭に響き渡った。
「先に足止めをと……『あとから来てくれ』と仰っておりました」
「まったくあいつは間が良いのか悪いのか……!」
ジュリアスが一人でサフィリスと対峙するのはあまりいい状況ではない。
ジュリアスがそう簡単に負けることはないようにも思えるが、サフィリスはサフィリスで底が知れない。
仮に死ななくとも、ジュリアスが『命』を使わせられる状況にまで追い込まれる可能性はある。
万が一は許されない。
「サフィリス様……!」
サレが動こうとした瞬間、それよりも早く動き出していた存在が一つ。
同じく爛漫亭に戻ってきていた〈アルミラージ〉だ。
シルヴィアがニーナ第四王女の看病をしているために、そのシルヴィアに連れ添う形でアルミラージも戻ってきていた。
そんなアルミラージが、誰よりも先に動き出す。
顔には焦燥が。そして迫真が。
「アルミラージ!」
サレは大広間から出ていくアルミラージを諌めようと声を荒げた。
アルミラージはこの状況で冷静ではいられない。それはサレとて分かっている。
分かっているからこそ、一人で行かせるのは余計に悪い。
だがアルミラージは止まらなかった。
がたん、と強い衝撃音が鳴って、アルミラージが爛漫亭の玄関を勢いよく潜っていったことを報せる。
「――行っちまったな」
クシナの冷静な声が空気を突いていた。
大広間にはサレ以外にも〈凱旋する愚者〉の面々がほとんど戻ってきていて、大方の戦闘員は動ける状態だった。
中心にはソファに座るアリスがいて、そのアリスがクシナの声のあとに口を開いた。
顰めるというほどではないが、少し困惑が映った表情だ。
「――何人かアルミラージさんを追ってください。たぶん転移陣を使って空都に向かうつもりでしょう。――サフィリス王女を止めるにはあの方の力が必要なんですよね」
アリスは誰にでもなく言うが、それに対してサレが反応を返した。
「そうだ。ジュリアスと俺でそういう方策を考えた。それが使える状況になるかはまた別の問題だが――たぶんそうなるだろう」
「ではアルミラージさんに猪突で死んでもらっては困りますね。死族でも、死ぬ時は死ぬのでしょう?」
『そうだね。死ぬというより――消えるって感じだけど』
そこへもう一つの声が介入してきた。
廊下の方から近づいてくる声だ。
「シルヴィアさん。もうニーナ王女の方は大丈夫なのですか?」
「うん、じきに目を覚ますと思うよ」
シルヴィアだった。
ニーナの看病を終えて、大広間の方に降りてきたらしい。
シルヴィアはいつもの黒い魔女帽子を目深にかぶりながらも、顎をあげて視線をアリスに向けていた。
「僕の一号は結構優秀だから簡単には死なないと思うけど、相手が神族だと場合によっては消えるかもね。術式系が魂の格納部分に突き刺されば、一号は死ぬよ。――霧散する」
シルヴィアが言う。
「そうですか……」
やはり、アルミラージを猪突させるわけにはいかない。
アリスの胸に確信が生まれて、
「トウカさん、陸戦班を連れてアルミラージさんを追ってください。そして、そのまま転移陣へ。アリエルにあがったらジュリアスさんの援護を」
「分かった。向こう側で転移陣の門を壊されると面倒じゃし、急ぐとしよう」
トウカがうなずき、周囲の陸戦班員たちに号令をかけた。
そのあとで、さらにアリスが続ける。
「サレさん、ギリウスさん」
呼ばれた名をもつ者が、アリスの前に躍り出た。
黒竜と魔人だ。
「――行けますか?」
アリスの含んだ言葉の意味を、二人は即時で理解していた。
「行けるとも」
「当然である」
〈凱旋する愚者〉の双角たる二人には、転移陣を使わずにアリエルへ向かう方法があった。
転移陣まで駆けていかなくとも、『まっすぐ』に空の都に向かう術。
王族会合の時にもやったシルフィードの突っ切りだ。
竜神形態たるギリウスはあの乱風域を単独で越えられる。
そして、その飛翔圧力に耐えられるのが、唯一サレであった。
〈凱旋する愚者〉の中でも『最強』と目される二人にしか行えないやり方。
「他の者だと力んだ時にプチっとしてしまいそうであるしな」
もちろんギリウスの言葉は冗談であったが、一方でそれくらい気を張らねば通れないということを意味してもいた。
「前は本当に潰れそうだったからな。今回はもっとうまくやれよ。あっ、あと投げるのもやめてね……」
サレがギリウスの肩を叩きながら言う。
「では、お二人は『最速で』ジュリアスさんの援護に。――お願いしてもよろしいでしょうか」
「喜んで、長」
サレが軽く演技ぶった一礼をして見せる。
「私もこの場合ですと一緒に空へ向かった方がかえって安全かもしれませんから、戦力を合算するためにもあとからアリエルへ向かいます」
「そうだね。分散するよりは、一緒に上に行った方がいいかもしれない」
戦闘員の一部がアリエルに向かったのを見計らって、『何者か』が魔の手を差し伸べてくる可能性もまったくないでもなかった。
特に、サレには気になるところがあって。
「――なら、残る空戦班員と海戦班員はアリスの護衛を。〈アテム王国〉の影が少しチラついてきている気がするから、気を付けてね」
サレが残るギルド員たちに言う。
副長の言葉に、ギルド員たちは真面目な顔でうなずきを返した。
「よし、なら先に行く。――ギリウス」
「うむ」
サレがギリウスの名を呼び、そして二人は爛漫亭の外へと駆けていった。
直後、大広間の窓から光が差しこんできて、その窓の端に巨大な黒竜の尾が映り込む。
外に出て即座に、ギリウスが『竜神形態』に化身したのだ。
そして、
「行くのである!」
黒竜の威を顕す声が、響いてきた。




