16話 「暴虐の魔人」【中編】
皇剣を媒体とした術式兵装〈改型・切り裂く者〉を片手に、サレは特攻した。
個人の持つ戦力とは思えぬほどの超越的な攻撃力で、精鋭と名高いアテム王国の軍隊〈王剣〉を斬り散らしていく。
人としての標準種族である純人族と比べれば、言葉どおり、まさしくそれは超越的な人――〈魔人〉であった。
青白い魔力燐光を迸らせる巨大な剣を振り回し、敵陣に猛然と突撃していく魔人。
その姿はまるで巨大な青白い矢だ。
黒の髪を揺らし、赤の瞳を閃かせ、青の燐光を放って飛翔していく一本の矢。
◆◆◆
――抜ける。
サレは王剣の複横陣を二枚食いちぎって抜けたあとで、胸中に言葉を浮かべた。
この突撃陣形を抜け、王剣の将である二人を目視し、害意を放てばこの戦に『勝利』できる。
だから、ここを抜けきれば勝てる。
厄介な匂いがするのは神格者であるあの二人だ。
二人を崩してしまえばあとは押しきれる。
現に、〈改型・切り裂く者〉に反応できた者はほとんどいない。
サレとしては必ずしも勝つ必要を感じてはいなかったが、可能ならばここでアテム王国側に痛手を与えておきたかった。
もしここで勝利を掲げられれば、この異族集団にひとまずの希望を持たせることもできる。
――だから、逃すな。
思考が脳裏を駆け巡り、衝動が身体をつき動かす。
周囲の樹木ごとアテム兵士を斬り裂き、地形ごと抉り、生き血を飛び散らせながら、サレは駆けた。
そう多い数ではない。
もうすぐ。
もうすぐだ――
「出過ぎじゃぞっ、サレ!」
不意にサレの耳を声が貫いた。
凛とした女の声だ。
「――トウカ」
声の鳴る方へ首をもたげ、サレが視線を移すと、そこには返り血で着物をいっそう赤く染めあげた鬼の麗人がいた。
周りのアテム兵士に刀を振るいながら、トウカはサレに身を寄せてきている。
その姿には一見して明らかな変化が見て取れた。
角だ。
角が淡く光っている。
よく見ると光る一本角の周囲で青い雷光が閃いていて、バチリと雷音を迸らせていた。
敵陣の中、丁寧に観察している余裕はなかったが、サレはその変化だけはしっかりと目に捉えていた。
「ぬしには気負い癖があるようじゃなっ」
トウカがやや離れた位置から声をあげた。一人、二人と切り裂き、さらにサレに近づいて行く。
サレの方は「いきなり何を」と内心に浮かべながら、周囲のアテム兵士に剣の一閃で牽制を送る。
サレとトウカはそれぞれにアテム兵士の攻撃をいなしながらも、そのわずかの攻撃の間に言葉を紡いでいた。
「自分の言葉に責任を持つのは悪いことではないがのっ。――うぉっと――しかしな、ぬしは生き急ぎすぎじゃっ!」
言葉の途中でアテム兵士の剣閃を流麗な体捌きで躱し、返しの刀を一閃して、さらに紡ぐ。
「――もうよい、アリスとプルミは無事じゃ。これ以上無理をする必要はないぞ!」
「まだいける」
サレの言葉に、トウカは間髪入れずに答えた。
「ぬしはなっ! ぬしは――いけるかもしれぬ。だが、他の者にはまだ無理じゃ」
その言葉のあとに、ついにトウカはサレに近接して、その隣に並走した。
サレの速度に負けず劣らずの身体速力。
そうして並走しながら、トウカは近場にアテム兵士が来ていないことを確認して――サレの腕を掴んだ。
サレの疾走を止めさせる。
そのまま腕を胸元に抱き寄せ、身体を密着させて、離れられないようにしてからサレの顔に自分の顔を近づけた。
「『戻れ』、サレ。ぬしが猪突すればするほど――『猪突できるほどの力』を見せつけるほど、後々ぬしに頼ろうとする心の隙が、ほかの者に生まれるやもしれぬ」
「それは……」
一理は、あるかもしれない。
サレは答えの前に逡巡した。
しかしそれでも、そのリスク以上に、ここでアテムの王剣軍隊を壊滅させる方が大きな有利に働くのではないか。
結局理性の答えはそちらに振れる。
「聞け。――わらわたちが死なずにここまで来れたのは、好戦派と非戦派のバランスが取れていたからじゃ。意図せずして迎撃と逃亡のバランスが取れていたから、出過ぎもしなければ逃げる背中に隙を見せることもなかった」
トウカはぐるりと周りを見渡し、アテム兵士が来ていないかを逐一確認しながら、さらに続けた。
「――その均衡を、ぬしが今たった一人で破壊しようとしておる。ぬしの力は非戦派の者にも『もしかしたら』という幻想を抱かせるほど大きく、そして派手じゃ」
「誘惑的なその光で眩んでしまうほどに、煌びやかなのじゃ」彼女は続けた。
「まだ、早いのではないかの。わらわたちが『飛ぶ』のは」
次に、トウカが指を立ててサレの後方を差した。
「後ろを見ろ」という指図だ。
サレは身のまわりに脅威がないことを確認し、トウカの促しに応じて後方にほんの少しだけ視線を向けた。
サレの視線の先に映ったのは、アリスとプルミエールが目を開き、何人かの異族に支えられながら徐々に森の方へ後退していく姿だった。
少しずつ、前線に張り出していた者たちも後ろのアリスたちにつられて、戦線から後退していく。
ゆっくりとだが撤退姿勢が整いつつあった。
サレの超人的な突撃が、他の異族たちに撤退姿勢を整える猶予を与えた。
しかし一方で、すでに撤退への流れが出来ている中では、これ以上の突撃は孤立に繋がる。
他の者たちもサレを孤立させないために前に出すぎてしまうかもしれない。
そこには流れができていた。
撤退への流れだ。
「もう十分じゃ。わらわたちの元首とも言えるアリスがあの状態では、皆も撤退したくなる。プルミも手傷を負った。――他の者には、この事実が重いのじゃ」
トウカは苦しそうな顔で続けた。
「『恐れ』じゃ。思い出せ、サレ。わらわたちの大半は、『繋がりの消失』を異常に恐れておるのだ」
――それは俺とて同じだ。
言いそうになったが、サレはそれを内心に制した。
――いや、誰もが同じじゃない。
人の内心を測るに、己の尺度はあまりに無意味だ。
「アリスが倒れず、プルミが傷を得なければ、あるいは越えられたやもしれぬ。だが傷を負ってしまった。この事実が今皆の内心に恐怖を生もうとしている」
忘れるな。
「わらわたちはまだ『集団』なのじゃ。『一団』ではない」
集団を支える根幹が、まだ定かではない。
すぐにでも空中分解してしまいそうな集団。
何かのきっかけで、きっとそれはたやすく霧散する。
――俺が今、そのきっかけになりつつある。
その集団の一角を、猪突によって引きちぎろうとしている。
サレは気付いた。
「……そうだ。――それはダメだ」
サレは我に返ったように言葉を口にした。
ちょうどその頃、ようやくアテム兵士たちがサレによってズタズタに引き裂かれた隊列を組み直し、反転突撃に来ていた。
一部は森へ撤退していくアリスたちを追い、一部は反転して自陣に斬り入ったサレとトウカに向かっていく。
それに際して、サレの異様な圧力に気圧されて攻勢に踏み切れていなかった最終層の横陣が動きはじめ、二人を挟み打つような進路をとっていた。
「どうじゃ。分かったか?」
「うん。――分かった。あと、助かったよ」
自分が孤立すれば、さすがに傷を負ったかもしれない。
真っ直ぐに突き抜けるのとはわけが違って、包囲されれば対処に骨を折ったかもしれない。
「よろしい。理解がよいから、特別に今回はわらわの乳に触れたことを許してやろう」
言われて、サレは自分の腕がトウカに抱き寄せられていることに気付いた。
手は触れていないが、上腕のあたりになにやら柔らかい感触がある。押し込めばほんの少しの反発が返ってきて、その柔らかさを如実に表した。
「勝手に抱いたのはトウカだろう?」
「今押し込んだのはぬしじゃがな?」
「じゃあ、お互い様で」
「うむ。そういうことにしておこう」
トウカがサレの腕を解放し、即座に刀を構え直した。
サレも腕を解放され、両手で術式剣を構え直す。
前後、二三十メートルの辺りにアテム兵士たちが迫ってきていた。
「決めたなら、戻るためにもう一度斬り抜けて見せよ、魔人よ! 鬼も手伝ってやる!」
「喜ばしい増援だな!」
言い合い、魔人と鬼の身体が弾かれた。
方向は後方。
仲間たちが撤退している方角だ。
サレが斬り伏せた第一第二横陣の生き残りが、隊列を再編して突っ込んできている。
青白い揺らめきを纏ったサレの皇剣が、再び激しく燃え盛った。
青の一閃がアテム兵士たちに放たれ、さらに一瞬のうちに数度の切り返しがあり、加えて二つの剣閃が飛んだ。
サレの〈改型・切り裂く者〉による剣撃をなんとかという体で避けた何名かのアテム兵士の懐に、今度は赤い着物の鬼が滑り込む。
一瞬。
アテム兵士たちの鎧の隙間を銀色の光が通った。
刀の閃きだ。
赤の鬼は止まらない。
斬り伏せ、身を弾き、懐に潜り込んで、淡々と喰らっていく。
青の薙ぎ払いと、赤の閃撃。
そうして――
サレとトウカは再びアテム兵士の横陣を突き抜けた。
そのまま二人は、一歩、二歩と、跳躍するかのような大きな歩幅で激戦部から離れていく。
ギリウスほか、ぎりぎりのところで戦線に残っていた十人ほどの異族も、サレとトウカが後退してくるのを視認したのち、素早く踵を返した。
アリスとプルミエールを保護する異族たちを、さらに守るように位置を取りながら後退していく。
アテム兵士たちの方も、半分以上が戦闘不能に陥りながら、それでもなお人数で勝っていることもあり、後退する異族たちを楽に逃がすわけにはいかなかった。
即座の追走戦に移る。
真っ先に標的となるのは撤退の後尾を務めるサレとトウカだ。
即座の追走戦への移行で隊列が乱れるが、彼らは速度を重視した。
逃がしてなるものか、と。
それが――魔人にとっての『餌』になるとも知らずに。
「――【弾けろ】」
悪魔の言霊が場を貫いた。
追撃を仕掛けるべく誰よりも先に一歩前へ進みいでた一人のアテム兵士の身が、不意に――
――『弾け散った』。
追走戦への移行に際して崩れた隊列の乱れを、サレは見逃さなかった。
層を作って殲す眼に対応していた突撃体勢は見る影もなく、逃がすまいと急いで追おうとしてもせいぜいが三、四人の小さな集団。
それが順に前に出てくる。
だから、順に潰せばいい。
一斉に横に広がって突撃してくるからこそ、〈殲す眼〉に対する防御になった。
一部を殲しても突撃は止まらないからだ。
数が多いからこその防御。
それがあえて数の利を捨てて、ぽつりぽつりと順番に向かってくるのなら、その順番に殲してしまえばいい。
魔人の赤い眼が、時折アテム兵士たちの方を振り向いては――彼らを射貫いていた。
◆◆◆
真っ先に追走を仕掛けようとしたアテム兵士の身体が、内部から弾けるように散ったのを見て、ほかのアテム兵士たちは理解した。
理解させられてしまった。
――中途半端な突出は、即時の死に直結する。
アテム兵士とていまさら戦死に強い恐怖は抱かなかったが、『無駄死に』は別だった。
使用回数の底さえ見えない魔人の〈殲す眼〉。
自分たちの死が魔人の〈殲す眼〉を浪費させるという点で、エッケハルトやシェイナの役に立つのならまだしも、完全な無駄になる可能性すらある。
それほどに、底が見えていない。
大半の者が戦死にではなく、『無駄死に』という可能性に恐怖を抱いた。
◆◆◆
「第二王剣の追撃の足が緩んだようじゃな」
「誰だって無駄死にはしたくないだろうさ。正直、こっちとしては助かる。ハッタリ利かせて連発したけど、さすがに一日で〈殲す眼〉を使い過ぎた……」
王剣の足が緩んだところで、トウカとサレが一気に後退の足を速めた。
それを機に大きく引き離される両軍。
サレたちから第二王剣の兵士たちがほぼ見えなくなったというところで、サレはいったん後方を見るのを完全にやめ、親指と人差し指で目元を押さえた。
「〈血の涙〉――じゃったか?」
「そう。目元がピリピリするから、たぶんそろそろ――」
◆◆◆
『打ち止めか?』
◆◆◆
「――ッ!」
サレは己の耳元に響いた低い声を聞き、瞬時に我に返った。
トウカのものではない。
男の声だった。
目元を覆っていた手をとっさに振り払い、左右に首を回す。
その姿はすぐに視界に映った。
走っている自分の真横にエッケハルトがいた。
相も変わらぬ嗜虐的な笑みを浮かべながら、隣を並走する男。
――いつの間に追いつかれた。
サレの胸中にえもいわれぬ不安感が蔓延った。
確かにあのアテム兵士の隊列の中に、エッケハルトの姿は見なかった。
突撃陣形を囮に大きくまわり込んだという説も考えられるが――
「サレッ!」
――そうだ、もはや過程に意味はない。
結果として、こいつは俺に追いついた。
トウカの声でふと我に返ったサレは思考を振り払い、それと同時に魔術式を再装填する。
「薙ぎ払え!! 改型・切り裂く者!!」
再び青白い炎のような魔力が皇剣からあふれ出て、刀身を肥大させた。
サレは長大な術式剣をエッケハルトの胴部めがけて振るう。
だが、
「外した――」
サレの手に手応えはなかった。
目の前にいたエッケハルトが一瞬のうちに消えたのだ。
――速いな。
相当な速度だ。
脳裏で反芻させる。
サレの眼でも捉えきれない水準の速度。
素の人族が出すには、いささか疑問を呈するレベルの速力だ。
――術式か。
サレは内心に言葉を浮かべ、次に口に別の言葉を乗せた。
「トウカッ! 先に行け!」
サレは自分の攻撃術式の性質上、近くに仲間がいることを忌避した。
〈改型・切り裂く者〉はもともと個人で戦うために編み出した魔術式で、それゆえに、一対多を想定した広範囲魔術でもある。
その刀身を振り回せば近くにいる者は敵味方関係なく切り裂いてしまう。
だから、サレはトウカに「先に行け」と告げた。
「――そうもいかぬようじゃ」
だが、トウカはサレと同じように足を完全に止め、手に持っていた刀の柄を両手に握り直し、正眼に構えていた。
「トウカ――」
その様子に気づいたサレが再び言葉を告げようとするが、
「――ふっ!!」
次の瞬間、トウカの頭部めがけて数本の矢が飛翔してきていた。
トウカは身体に力を込めるように強く息を吐くと、神速にて銀線を複数舞わせ、矢をすべて叩き落とす。
そのあとで、苦笑を浮かべて言っていた。
「どうやら、わらわのことも逃がしてはくれないらしいぞ?」
「――弓を使う方も追いついてきてるのか」
「らしいの。それも、おそらく神格術式を起動させておる。わらわの行動がこれでもかと読まれておるのじゃ。動くに動けん。厄介な術式を使うものじゃなぁ」
「読まれてる?」
サレがトウカの言葉を反芻し、注意深く彼女の動作を観察すると、次の動きで彼女の言葉に得心することができた。
トウカが足に力を入れ、いまに前に飛び出そうとすると――
再び矢が飛んできた。
それも、彼女がそのまま前方に踏み出せば通るであろう軌道線上に、寸分違わず。
トウカは踏み出しに無理やり急制動を掛け、なんとか一歩を踏みとどまって矢を避けきっている。
「どんなにフェイクを混ぜても必ずわらわの歩む先に矢が飛んでくる。まるで未来を見通す眼でも持っておるかのようじゃ。正直、矢をぎりぎりで避けるので精一杯なのじゃが……どうしたもんかのう」
「そのうえ、さっきからあの男の姿も見えない、か」
一方的な防戦に追い込まれつつあることを二人は認識していたが、その後手後手な状況を覆す方法もとっさには見つからず、背中合わせに武器を構えて敵の次の行動に備えた。
サレは〈殲す眼〉の術式を再び眼に宿らせ、見開き、敵の一挙手一投足はもとより、ほんの些細な視界の動きも見逃すまいと気を張る。
そして――
「来た――」
風がないのにもかかわらず、草木の葉が大きく揺れた。
すると、サレの視界の先、ずっと奥の方から、エッケハルトが姿を現し――左右に奇妙なリズムのステップを取りながら近づいてきた。
――見えてしまえばこちらのものだ。
両眼の奥の方にピリピリとした弱い痛みを感じながらも、サレは迷うことなくエッケハルトを直視し、害意の言葉を紡いだ。
「――【壊れろ】」
だが、
「甘ぇな。甘ぇよ。――魔人族」
言葉を紡ぎ終え、確かな害意を放ったと確信したその一瞬の間に――サレの視界からエッケハルトが消えた。
消えたと同時に、自分の足元に映る大きな影。
サレはとっさに空を見上げた。
エッケハルトが今にも大剣を振り下ろさんと、自分の真上を跳躍していた。