159話 「動転劇の幕開けは悲鳴で」【前編】
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事件まであと一日。
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その日、サレは日課の組手と身体のメンテナンスのあと、また黒炎との対話に戻った。
昼。
ナイアスの街に出て気分転換に食事でもと思ったが、あえて今の時期に爛漫亭を出るのも少し不安だ。
そう思って結局食堂で適当に飯を済ませ、部屋に戻る。
すると、三階への階段を昇っている途中――
「サレ、サレー、ちょっと相談があるんだけど」
サレの背中に声を掛ける者が一人。
眼鏡だ。
「なんだ眼鏡。どうした今日は体調が悪いのか。眼鏡が曇ってるぞ」
「だから僕の本体をナチュラルに眼鏡にするのやめない? ――やめない?」
「やめない」
「断言をありがとう。最高に気分が振りきれたよ。主に悲哀の方に」
「いいから本題を言え、メイト」
話の脱線を修正しつつ、サレはメイトに訊ねた。
メイトの方は「やれやれ、せっかちだね、もう少しくだらない言い合いをしようよ」と言いながらも、話を持ちかけたのが自分であることに思いを至らせたようで、すぐに前言を撤回した。
少し巻き毛掛かった髪の毛先を指先で弄りながら、サレに言葉を返す。本題についてだ。
「ちょっと術式のことで相談があってね」
「ん?」
珍しい。
サレは素直に胸中に浮かべた。
メイトは基本的には非戦派だ。
アテナ戦の時には人数が足りないからと前に出たが、まだ本音の方は非戦に傾いているだろう。
サレもそれでいいと思っていたし、それを責める者はこのギルドにはいないはずであった。
「メイト、べつに無理して前に出なくてもいいんだからな」
「うん、大丈夫だよ。心配無用さ」
眼鏡をあげて笑うメイトに、「そうか」とサレは微笑を返した。
――本人が言うのなら、それでいいのだろう。
それはそれで、尊重すべき本人の選択だ。
「で? 術式で相談って?」
「ちょっと新しい術式考えたんだけど、もしかしたらサレにも活用できるかもしれないから、その相談にね」
「へえ?」
サレはメイトがその魔眼術式〈読み解く眼〉の影響もあって、術式関係に詳しいことはなんとなく知っていた。
術式を読み解く眼。
術式で編まれた事象を見ただけで、その構成術式を見ることができる。
基本的に術式の描写は発動時の一瞬で終わることがほとんどだが、そのあとでも構成が見れるとなると便利そうではある。
「ジュリアスにアリエルへの転移術式を見せてもらってね。そこからいろいろ試行錯誤したんだ」
「あれを読み解いたのか?」
「僕は頭がいいからね。――でも、一部だよ。主要なところだけ見て、頭の中に入れてきた」
「俺はアレを見て術式をパクる気にはならなかったなぁ」
「ハハ、気持ちはわかるよ」
もしかしたらメイトの優れているところは三眼族の〈読み解く眼〉ではなくて、メイト自身の術式理解力にあるのかもしれない。
「――分かった。じゃあ部屋の中で話そうか」
「うん」
そうしてサレはメイトと一緒に自室へ入って行った。
◆◆◆
その日もそれぞれがやや訓練に偏った生活を終え、いつものように就寝する。
ギルドの喧騒はほどほどだ。
まだジュリアスたち王族からの特段の話はなかった。
サフィリス第二王女は。
ニーナ第四王女は。
アテム王国は。
平静な時間が逆に不安を煽る。
そうして次の日の朝。
事件が起こるその日が訪れた。
◆◆◆
昼。
さすがにそろそろジュリアスの反応が欲しいと思い、アリスやサレが爛漫亭でアリエルに出向くかを相談していた。
すると、
「やあ、遅れてごめんね」
〈神域の王子〉が爛漫亭の大広間に姿を現していた。
豪奢な身なりで、王族らしい出で立ち。
近頃では王子という役柄も似合ってきているが、その顔に浮かべるどことなく悪戯気な顔にはやはりジュリアスらしさがあった。
「遅いですよ、ジュリアスさん」
アリスがやや非難を含めた声を飛ばす。
それに対してジュリアスは苦笑を浮かべ、「ホントにごめんってば」と平伏気味だ。
「それで? 何か動きはありましたか?」
皮肉もほどほどに、アリスが本題を促す。
ジュリアスは周りのギルド員に促されて、アリスの対面のソファに座り、すぐに続きを紡いだ。
「――ない。逆に怖いね。もしかしたらすでに手を打たれているのかもしれない。そんな気がしてならないよ」
「あなたの勘もなかなか当たりやすいので、そう口にされると不安になりますね」
「悪いね。――ひとまずナイアスの国門の管理は強くした。基本的に従来通りではあるけど、監視の目は入ってる。エルサ姉さんのところの黄金樹林も『ああ、そういうのは得意ですので』って快く協力を承諾してくれてね。もちろん対価は払ってるけど」
「そうですか。ではまだ外部から新たにくるものに対してはマシと」
「そう、マシだ」
所詮はその程度だ。
自由都市という気風は損なえない。
たぶん、損なえばナイアスはだめになる。
ジュリアスにはそんな予感があった。
中途半端に統制を強めれば、おそらくナイアスゆえに拠点を置いている者たちは、また別の自由都市を探しに行くだろう。
この気風だからこそ、ナイアスは大都市として存在できている。
危うい天秤。
砂の一粒で傾く天秤。
だから、
「ナイアスはこのままでいい。王国的統制はアリエルに敷こうと思う。まあ、アリエルは現状で堅いから、少しナイアスの気風を取り入れたりはするけど。あとは相互間の行き来の制限を緩くする」
「それでは結局ナイアスと同化してしまうのでは?」
「だから転移陣を解放する代わりに、そこに王国の統制の手を入れるんだ。国門や関所的な役割を転移陣という結節点に作る。まあ、詳しいことはまだまだあとのことさ」
「そうですね」
最高神マキシアとアテム王国の見えない圧力がある以上、そうして悠長に国の未来に思いを馳せているわけにもいかない。
「それで、そろそろこちらからサフィリス姉さんとニーナ姉さんに接触を試みようと思う。サフィリス姉さんの連帯ギルドは明らかだからね」
「〈銀旗の騎士団〉でしたっけ」
「そう。まあ、傭兵兼、自警団兼、騎士志向の同志が集まってるって感じのギルドで、何をもってあんな享楽主義なサフィリス姉さんと連帯しているか分からないけど、ともあれ彼らの位置はある程度割れてる」
「そうですか。また厄介そうな気がしますが、そうもいってられませんね」
「できればサフィリス姉さんの力も借りたいからね。――アテム王国に対抗する時は」
ジュリアスは本心からそう思う。
加えて、サフィリスが〈法神テミス〉に好かれているのを踏まえ、のちのちのアリエル・ナイアス統括のためにも引き入れておきたかった。
今は以前にもまして神族と神格者間の関係があやふやだが、少なくともサフィリスとテミス間の関係はユウエルのいう『調停』に近しいものだ。
サフィリスに束縛や秩序が足りないゆえに、テミスが寄ってきた。
均衡を図るための神格契約であれば、ユウエルの【分配】概念にも反しない。
力は使いやすいはずだ。
王国法やらなにやら、そのへんの改正をする際に、そうしてテミスの力を借り入れやすいサフィリスには隣にいてほしかった。
「それに、アルミラージの話もあるからね」
「そうですね。そういえば最近はアルミラージさんの姿も見ませんね。またシルヴィアさんのところに行っているのでしょうか」
アルミラージはアルミラージで、死族転生からそう多く時間を過ごしていないらしく、そうして新しい身体になった自分を知るためにときたまあの自称錬金術師〈シルヴィア〉のところに通っているらしい。
「ま、そのうち戻って来るでしょう」
アリスはアルミラージに対する思考を切って、話を戻した。
「ではギルドの皆さんにそろそろ動くということを伝えておきます。今は出払っている方もいて伝えきれないので、動くのは明日でよろしいでしょうか」
「うん、僕もそのつもりで来た。心配しないでいいよ。じゃ、まだやることがあるからまたアリエルに戻るね」
「最近王族らしいですね、ジュリアスさん」
「まったくそう思うよ。これはこれで結構楽しいけど、タダ飯喰らいだった時のことを思い出して時々ノスタルジックな気分になるね」
微笑を浮かべ、ジュリアスは手を振りながら爛漫亭から出ていった。
◆◆◆
ジュリアスが出ていってわずか数分。
サレがメイトを連れたってアリスのもとを訪れていた。
「アリス、ちょっと〈シルヴィア〉のところに行きたいんだけど、少しここを空けていい?」
「珍しいですね。何か買い物ですか?」
「いや、シルヴィアに用があって。なんだか術式に詳しそうだったし。――あとついでに話せそうなら『例の話』もしておく。もしかしたら情報収集くらいなら手伝ってくれるかもしれないしね」
「そうですね。――わかりました。今夜にギルドで集会を開くので、あまり遅くならないようにだけしてくだされば」
「分かった、覚えておくよ」
アリスの許可をもらい、サレとメイトは笑みで拳を突き合わせ、爛漫亭の外へ出ていった。
◆◆◆
爛漫亭から一歩外へ。
ナイアスの人の波に一瞬で晒される。
今日も今日とて人が多い。熱気もあれば活気は煩わしいほどだ。
前にマリアたちと行った〈錬金術師の家〉の位置を思い出しながら、サレはメイトを横に引き連れてさらに足を前に出した。
ナイアスにおいて明確に異変と呼べるほどの異変が起こったのは、その後だった。
「シルヴィアって何考えてるか分からないけど、逆にそのせいでなんだかすごいやつに見えるよな」
「そうだね。こう、分からないからこそのロマンがあるよね」
「便利だよな、ロマンって言葉。なんかニュアンス伝わるし――」
こともなげに適当な話をしながら歩いていた時、
サレとメイトの耳がある音を感知した。
それは――
「――」
声だった。
同時、サレとメイトが真顔で見合って、うなずきを一つ。
「――『悲鳴』だ」
「間違いないね、僕も聞いた」
直後。
「おい! 誰か向こうで倒れてるぞ!」
「医術師呼んでやれよ!」
「結構重傷だぞ!」
そんな声が人の波を伝ってサレとメイトの意識を攫っていく。
ナイアスでそういういざこざが多いのは確かだが、日中、その昼間に、これだけの焦燥を抱かせる事件が起こることはあまりない。
「――様子、見に行く?」
メイトが表情を崩さずに、冷静にサレに訊ねた。
「もちろん。爛漫亭も近いからな。様子は見ておくべきだろう」
サレはメイトの問いにうなずきを返し、そして人の波を手で掻きわけながら、騒動の中心へと向かっていった。




