155話 「黒炎との対話」
事件が起こるまであと二日。
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その日の夜、爛漫亭でもとある事件が起こっていた。
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夕刻。夜刻前。
少し遅めの夕餉を取って、サレは食堂を出た。
まだ数人のギルド員たちが食堂で談笑している。
彼らは彼らで日中に身体を酷使したらしく、ようやくの一息ということだった。
対するサレはここのところは基本的に頭脳労働である。
朝にクシナとの組み手に付き合ったりはしたが、そのあとは部屋にこもって黒炎との対話だ。
歴代魔人皇の黒炎術式について、黒炎に刻まれている分を引き出し、学んでいた。
「どうかしてるわ、ご先祖様」
〈黒翼〉に関してはもうだいぶ慣れた感覚はある。
もともと空を飛んでみたいなどと子供ながらに思って、子供の頃の魔術教練中に術式を考えていたことがあった。
正直なところ、自分には他の魔人族と比べると術式の構成力とか、発想力とか、そういうものの才能はあまりなかったように思う。
だけど、それでいて空を飛んでみようという思いは克明で、だから本気で頭を捻ったものだ。
魔人族の女性陣たちは「いや、もし相手が空飛びそうになったら飛ぶ前に殺ればいいのよ」と極めて真顔で言っていて、あまり乗り気ではなかった。
ついでにいえば「空飛んでたら引きずり下ろして殺ればいいのよ」とも言っていた。
まったく、彼女たちの思考回路はどうかしている。
対してアルフレッドたち男性陣は「なんだいそれ、おもしろそうだね」と目を輝かせて近づいてきていた。
加えて、事象式についてアドバイスをくれたり、同じように術式を組んでサンクトゥス城から飛ぼうとして落ちたり。
結局その時点で成功はしなかったが、今になってその経験が生きた。
黒炎術式の中でも〈黒翼〉が最初に発動したのは黒炎の意志の関係もあるだろうし、この躯の影響もあるだろう。
黒翼を使っていたのは初代魔人皇テオドールらしい。
ともあれ、一旦それが発動してしまえば、あとはあの遊びのような術式構成の経験がうまく補助してくれた。
「というより、黒翼が正解を提示してくれたからかなぁ」
三階への階段を昇りながらサレはなんともなくつぶやいた。
「いや、まあ、飛べないんだけど」
黒翼では飛べない。
性能的には飛べるだけのものがあるのかもしれないが、思った以上に空を飛ぶというのは難しいものだった。
ギリウスやプルミエールや他の鳥人系のような、生まれた時から空を飛ぶことに慣れ親しんできた者たちと違って、自分は陸上の生き物だ。
空中での制御に難がある。
とはいえ、黒翼は爆発的な推進力をもたらしてくれるから、飛べはしないが長距離を『跳べ』たりはするし、普通の翼と違ってそれ自体が攻撃力を持つ。
十分に脅威だ。
「だから〈黒翼〉はいいんだけど……」
考えながら三階の廊下を歩き、途中をすれ違ったギルド員に手をあげて軽く挨拶をする。
そうして思考をすぐに戻し、自分の部屋の前にたどり着いて息を吐いた。
「他の術式がひでえもんだわ……」
扉を開け、中に入る。
正面の窓からナイアスの色とりどりな夜光が入ってきていた。
今日の隣家の夜灯は緑らしい。
近頃魔力光のような、夜灯にするにはいささかゲテモノ臭がする色味も加わってきた。
日々ナイアスの街は進化する。
迷走しているといってもいいかもしれないが、変化できること自体は素晴らしいことだろう。
サレは椅子にどっと腰をおろし、また言葉を浮かべた。
「〈黒剣〉もまだマシな方か。なんとなくわかるだけ、マシだな」
剣は自分も使う術式形態だ。
剣という事象を構成する式は、それとなく馴染みがある。
それを同時に八本も召喚して、かつ自在に振り回すとなるとまた話は別なのだが、まだなんとか対応できる感じはある。
〈剣帝〉と呼ばれた〈二代目魔人皇イゾルデ〉の剣舞には程遠いだろうが、そこは精進精進ということにしておこう。
そうしてこの辺りでようやく、一番最初の『どうかしてるわ』に移っていく。
三代目術式〈黒砲〉。
アテナ戦と、先日のプルミエールを助けた時。二度ほど使ったが、あれの原理がいまだによく分からない。
三代目の記憶曰く、『ガーっとやってドーン!』らしいが、プルミエールの説明ばりにわけが分からない。
ちゃんと単語を使え、単語を。
〈黒砲〉に関しては黒炎意志の補助が無ければやや不安が残るところだ。
――できなくはない。できなくはないんだけど……
黒炎の意志と記憶を利用するには黒炎術式自体の『神格化』を最大まであげなければならない。
それがネックなのだ。
神格の鍵を三段階まで回すと、
「俺の魔力もろとも吸われるからなぁ……」
引っ張られるのだ。
アテナと剣を交えた時に、はじめて三段階目までを回して気付いた燃費の悪さ。
あの時よりはマシなのは確かだ。
その辺は自分の感覚的な技量に直接繋がっているので、目に見えないから鍛えづらい。
前よりは持つようになったが、まだ継戦能力には不安が残る。
結局、黒炎術式はまだ歴代魔人皇の記憶の補助なしでは扱いづらいのだ。
「あと、〈黒雷〉と――」
確か五代目の黒炎術式。
あれもどうかしている。
なぜ。
なぜ黒炎という初期状態を維持している術式を、そこからさらに雷に変化させたのだ。
間違いない、奴は馬鹿だ。
ああ、だめだめ、ご先祖様を馬鹿とか、だめだめ。
「何をもって五代目は天候に優雅さを見出したのか……!」
炎でいいじゃん。
なんでわざわざ雷にしたの? ねえ、なんで雷にしちゃったんですか?
本人も「初代様の形態に泣く泣く手を入れて――!」と泣いていたが、じゃあやらないでください。
結局そういいつつも自分の作りたいものを作ってしまうあたり、魔人皇の自由奔放さというか、頑固さというか、そういうものが現れている気がする。
「炎雷っていうの?」
微妙なところだ。
雷の鋭さと、炎の苛烈さをどっちも含んでいるように思える。
黒雷の攻撃速度は恐るべきものだ。
降り注げば地面に穴を開けるし、降り注ぐ速度は閃光の如きだ。
ただ、あれを完全に掌握するのに、別の術式能力も必要になるらしい。
アテナ戦の時も言っていたが、黒雷を誘導する必要があるのだ。
そのために独自の術式雷が必要だと。
「そんな器用じゃないんですけど……?」
ふと右手に黒炎を宿らせて、それに言った。
黒炎は喜ばしげに身を揺らしているだけだ。
「これも要練習だな……」
ちなみに、アテナ戦の時にちらりと聞いた話だが、どうやら三代目と五代目の間、〈四代目魔人皇〉は黒砲を使いこなしたらしい。
今では懐かしい思い出だが、あのサフィリスとの初戦。
ふと最後の魔人皇たちとの『邂逅』で出会った四代目は、優しげな男だった。
声音から優男である様相がひしひしと伝わってきた。
なぜこんなにも突き抜けている魔人皇が多い中で、あんな四代目のような皇が生まれたのだろうか。
――助けて、四代目様。
他の魔人皇がどうかしていて術式解析が進みません。
さて、昨日で六代目以降の術式に少し触れた。
今回は飛ばしていた四代目の術式の記憶をのぞいてみよう。
サレはそう思って、黒炎の神格化の鍵を回した。
流動性の事象式を回し、格を昇華させる。
「きっと四代目様はさぞ分かりやすく優等生な感じの術式をだな――」
サレは内心に確信を抱いて、神格に至った黒炎に術式の描写を願った。
四代目が使っていた黒炎術式の事象式を、また部屋に映すだす魂胆だ。
頭の中だけでやるのとは違って、実際に術式が目に見えると解析も捗る。
「おっ」
ずるり、と。
黒炎をかざした手を机に掲げると、その木製の机に術式が浮かんできた。
術式はそのまま這う虫のようにややおぞましい気配を漂わせつつ、部屋中に広がっていく。
広がって、広がって、留まる事を知らず――
「あ、あれ? もしかして四代目が一番ヤバかったりする……? あれっ!?」
サレは失念していた。
アルフレッドたちとの訓練の時に、自分で確信したはずのことをここにきて失念していた。
あの時の魔人族男性陣は、大まかに、豪気なタイプと優男タイプのどっちかに分けられた。
そして――優男の方が訓練がきつかったのだ。
笑いながらビシバシするタイプである。
サレはまさか、と内心に浮かべた。
「あの傾向は四代目様の時代から一般的だったの……? う、うっそだぁ……」
――騙されたっ!
勝手に騙されておいてなんだが、思わずそう胸中で紡ぐ。
「ふふふ、ふふ――はぁ」
一人で笑みを浮かべる狂人を演技して見せたあと、サレはうなだれた。
瞬間、
【はい、ボクとお勉強しようねぇ。フフッ、楽しみだねぇ。ボクは先代様みたいに適当じゃないからね?】
頭の中に〈四代目魔人皇〉をロールした黒炎の声が響いた。
【理詰めだよぉ、一から全部、理解しないと使えないからねぇ。ボク術式開発好きだったから、結構マニアックな事象式も使ってるからねぇ。変数式もいっぱいだよぉ?】
サレは今すぐ四代目の記憶をぶん投げたい気分になった。