152話 「咲き誇る百花」【前編】
〈狂姫〉サフィリス第二王女と、〈閃姫〉ニーナ第四王女を除き、テフラ王国の勢力がようやくまとまり始める。
しかし。
その前進への一歩の煌びやかさに浸っている時間は彼らにはなかった。
うまくいき始めた。
でも、まだ始まったばかりだ。
すでにアテム王国は動いてる。
とっくの前から、アテム王国は動いていた。
〈異族討伐計画〉がいい例だ。
結局、アテムが動きを見せてから、対抗する国家群が動き出した。
『国家』としてのテフラ王国が、アテム王国の後塵を拝していることに誰もが心の隅で自覚的であった。
テフラ王国は団結するまでに時間が掛かり過ぎていた。
加えて言えば、テフラ王国はアテム王国に対して盲目的だった。
内情の処理に追われ、またその内情のみで完結する特殊な国であるテフラ王国は、基本的に他国との政治的距離が遠い。
端的に言えば、対外政治に疎い。
当然、アテム王国に対してもそうである。
ジュリアスの機転によってロキたち神族の調査の目が入りはしたが――
すでに遅かった。
テフラ王国内でとある事件が起こるまで、数日に迫っていた。
◆◆◆
『爛漫亭』三階。サレの自室。
ナイアスに来てからの生活で、その部屋には生活調度品が増えていった。
加えて増えていったのは趣味の品だ。
サレの部屋は後者の品が特に多く置いてあった。
見た目が格好よくて使いもしないのに買った装飾華美な剣。
青透明にきらきら光る刀身を持ったナイフ。
ほんの少しでも動きが鈍るのが嫌だからと、そういって嫌っているはずの鎧まで壁に立てかけてある。表面は金でコーティングされていて、まず隠密が着てはいけない代物だ。
「あ、あれっ、サレの部屋ってこんなにごちゃごちゃしてたっけ……?」
そのサレの部屋を、シオニーが訪れていた。
扉を開けて開口一番にその言葉。
シオニーは目をぱちくりさせて、銀の犬尾をゆったり左右に振っていた。
対して部屋の中のサレは頭を抱えている。
「買ってしまうんだ……格好良いから……買っちゃうんだ……またお小遣いがなくなった……! ナイアスの鍛冶師は天才ばっかりだ! 実用性の高そうな装備から『こんなん誰が買うんだよ』みたいな隙間的な装備までなんでもそろってやがる! くそぅ! 特に後者が俺にとっては眩しすぎる……!」
「なるほど、ただの馬鹿なんだな」
「シオニーだってやたらめったら肉買ってるじゃん! あの肉はどこに入ってどこから出ていくんだよ!」
「どこから出ていくってそりゃ――おい、今私に何を言わせようとした」
「えっ? 何も?」
黒尾を振りながらへたくそな口笛を吹くサレ。
「はあ……」
シオニーはそんなサレを見て、銀の髪を掻き上げたあとにため息をつく。
そのままずかずかと部屋の中に歩み入ると、ベッドの隣の机に尻を軽く乗せ、寄り掛かった。
「サレ、これからどうするんだ?」
シオニーの質問は漠然としていた。
「どうする、ねぇ――」
サレはシオニーから視線を外し、今度は窓の外に向ける。
外からの日輪の光を肌に受けながら、穏やかな表情をしていた。
「とにかく『準備』かな。アテム王国とぶつかる時のための、準備」
具体的には、
「――もっと強く」
窓の外に向ける赤の瞳が閃く。
「どうやって?」
シオニーは首を傾げて訊ねた。
サレは簡単に『もっと強く』というが、人はそんなにすぐに強くはなれない。
さらに言うと、すでにこのギルドの中で『臨界点』に存在するサレに、もっと強くなる余地などないように思えた。
シオニーには想像がつかなかった。それ以上に強くなるサレの姿に。
サレがこれ以上強くなったら、一体何になってしまうのだろうか。
銀の前髪の先端を指で捩じりながら、シオニーはサレの答えを待った。
「術式の強化かなぁ。シオニーの言うとおり、身体が突然強靭になったり、ふと目が覚めたらすごい技術が身についていたりなんてありえないからね。それに、そういう方面は今までだって欠かさずこなしてきた。自分にできる限りは、常にやってきたつもりだ」
ナイアスに来てからは実戦も積んだ。
なんだかんだと戦いは経てきている。
「そうだな」
シオニーがうなずいた。
「だから、術式さ」
「術式だって、一朝一夕で能力があがるものじゃないだろ? 私は術式燃料のない獣人種だからよくわからないけど――」
「そうだよ。普通はね。新しい術式を作るったって、戦いに重用できそうなものは作るのにもそれなりに時間が掛かるし、なによりも『慣らす』のに時間が掛かる。戦闘中に術式をちゃんと処理するって意外と苦労する操作だからね」
「ふーん」
「あっ、訊いといて興味なくなったな?」
「んっ……だ、だって分からないんだもん」
「そんなあからさまにもじもじしたって許しませんからね!!」
サレが抗議するようにバンバンと窓辺を叩くと、それに合わせていつの間にか頭からひょっこり出ていたシオニーの獣耳がぴくぴくと動いた。
「でも、俺には『すでに完成している術式』をこの場で教わる方法があるんだよ。それでも時間は掛かるだろうけど、今しか纏まった時間は取れそうにない。いつジュリアスや神族たちから話が来るかわからないからね」
「なんかすごそうだな」
「おうとも、かなりすごいよ」
「俺じゃなくて、その仕組みを作った初代様がね」サレは小さく付け加えた。
「そういうわけで、少し一人で部屋にこもろうかなぁ」
「……なら……邪魔、しないほうがいいよな」
サレの決心を聞くと、途端にシオニーは俯き気味になった。
俯きながらも、自分の言葉にサレがどんな反応を示すのかが気になるようで、ちらちらと窺うような視線の動きが見て取れる。
まるで意中の相手に告白をする間際の少女のようだ。
「昼と深夜は、ちょっと忙しいかもしれないね。進度によるけど。でも俺だって集中力がずっと続くわけじゃないから、ちゃんと途中で休憩取ったりはするよ? ぶっ通しはかえって効率悪くなるし」
「そっ、そうか……! そ、そうだよな! 休まないとだめだよな!」
シオニーがなぜか嬉しそうに顔をパァっと輝かせた。
「う、うん?」
「じゃ、じゃあ、その……なんだ、ご飯は皆と一緒に食べるよな……?」
「当然! 皆で飯食ってる時が一番楽しいからな!」
サレが笑みで答えると、シオニーが「よ、よし」と一人でガッツポーズを取った。
その様子をサレは首を傾げて見ていた。
「で、そ、そのあと風呂も入るよな……?」
「入るよ? あれも楽しみの一つだからな。身体の疲れを取ることもできるし。爛漫亭の大浴場風呂は湯加減が最高だ。ナイアスでも結構有名な大浴場らしいじゃん。せっかくそれを好きに利用できるんだから、使わない手はない」
「ギリウスと一緒だとあの広さでも少し小さく感じるけど」サレは付け加えた。
「んっ、よ、よしよし……」
「さっきからなんでこっそりガッツポーズしてんの?」
「えっ!? い、いやっ、ななななんでもない!!」
その驚きようでなんでもないわけがない。
サレは内心にそう思ったが、シオニーが必死で両手を前に振って否定するのを見て、あえて追求するのも悪いだろうかと考え直した。
気になるが、今はひとまずおいておこう。
追求する楽しみはあとにとっておくのもまた一興だ。
「――ち、ちなみに、いつも何時ぐらいに風呂に入ってるんだ……?」
すると、シオニーが視線を横に逸らしながら、顔を真っ赤にして訊ねていた。
視線の泳ぎ方が尋常ではない。
「日によってまちまちだけど……」
「定時に入れ! 定時にっ! できれば時間遅めで!!」
「うおっ!」
「い、いきなりなんだよ」とサレが驚きで後ろに身体を引きながら言う。
窓辺で身体を後ろに引いたせいで、そのままサレは後頭部を窓の上縁にぶつけていた。
ゴン、と重低音が鳴り、サレが頭を抱える。
痛みに悶える体勢だ。
「うおお……! いってえ……!」
「わかったな! 定時だからな! 十一時とかにしろ! 十一時だからな! わかったなっ!!」
「わ、わかった、わかったから……頭が割れるぅ……!」
「よし、それだけだ! じゃあ訓練頑張れよ! 私もちゃんと頑張るから!」
「う、うん……なんかよくわからないけど頑張れ……」
呻くサレをおいて、シオニーはそそくさと部屋の外へ歩んで行った。
すると、入れ違いにサレの部屋に入ってくる者がいて、
「ぬ、なんじゃシオニー、その今にも幸せで昇天しそうな顔は。なんか良いことでもあったのか?」
「な、なにもないよ!」
「ふーん?」
トウカとすれ違ったシオニーは、結局サレの方を振り返らずに部屋を出ていった。