150話 「魂的クオリア」
カイムの悲痛な叫びが響いた。
そのあとに蔓延したのは静寂だ。
そしてその静寂を、第三王子レヴィが切り裂いた。
「カイム兄さん、まだジュリアスが命を使わなければならないと決まったわけじゃないですよ」
「レヴィ……」
レヴィを見るカイムの表情は憔悴しきっている。
たった数十秒の間にこんなにも生気が薄れてしまうのかと思うほどに、カイムの表情は痛々しかった。
「マキシアが恐れた存在が、まだテフラにいます」
〈凱旋する愚者〉。
「彼らがマキシアの心臓に剣を突き立てられれば、ジュリアスが命を使わずに済む。――ジュリアス、今僕はかなり酷いことを言っているね――」
しかし、レヴィは言いながらも決意を鈍らせない。
「こうなった以上、僕はジュリアスの兄としてその方針を忌避するわけにはいかない」
レヴィは言った。
その姿はこの会議の間において、誰よりも高潔で偉大に見えた。
「僕はサレたちにマキシアを討ってもらおうと思う」
だからといって、レヴィはサレたちにそれを任せきる気は毛頭ない。
当然、
「道は僕たちがつける。僕たちがアテム王の心臓にまで、道を作る」
そう、それは――
「『凱旋への道筋』だ」
愚者が通る、凱旋への道筋。
愚者が駆けるための、凱旋への道筋。
レヴィたちにはそれしかなかった。
「僕たちが神格へ対抗する力を持っていれば、喜んで身を投じよう。でも――僕たちには力がない。神格へ対抗する力が、ない」
ユウエル側についた神族は力を貸してくれるだろう。
しかし、その神格は最高神には届かない。
すでに彼らには最高神による神格の供給がないから。
そこに外部から立ち入り、剣を突き刺せるのは――
「魔神だ。〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉に手を貸してもらうしかない」
彼らは、自分たちの願いを聞いてくれるだろうか。
―――
――
―
◆◆◆
〈凱旋する愚者〉のギルド員は『爛漫亭』に全員戻っていた。
集まるのは一階のいつもの大広間。
皆が神族の話を反芻しながら、思案気に唸ったり相談をしたりしている。
「――話がでけえ。――いや、ホントに」
サレは大広間のソファに座りながら、そう声を放っていた。
黒の尻尾を身体の横でゆらゆらと揺らし、ソファの背もたれに肘をかけて頭を支えている。気だるげな体勢だ。
「うーむ、我輩も混乱気味である」
その隣にはギリウスが座っていた。
「〈異族討伐計画〉に神族が関わってるなんてなぁ……」
サレがまた言葉を紡いだ。
「私も知りませんでした。何も――」
対面のソファに座っていたアリスが、いまだ茫然とした様子で言葉を紡いでいる。
「何も、知らされていませんでした」
アリスはさらに内心で続けた。
――自分は、ただの道具であった。
〈魔人計画〉のための礎。
ただ、昔からの慣習に従って、魔人計画のために育てられたアテム王国の道具。武器。
アテム王国の中でなんとか当代の魔人皇帝に対抗するために造られた存在。
それだけ。
だから、
――父は、何も教えてくれなかった。
その役目が終わったら、自分は教えられたのだろうか。
神族をすら巻き込んで行われている、その計画の全容を。
それとも、
――捨てられたでしょうか。
その時は逸してしまった。
自らでアテム王国との縁を切った。
ゆえに、そのまま自分がアテムの王女として進んでいたらどうなったかは、もうわからない。
――私は、どうすればいいのでしょう。
おそらく、今この時が長として最大の決断を下す時だ。
本能的にも理性的にもそれを察知した。
――規模が……大きすぎます。
誰かが作った壮大な物語の中に放り込まれたかのような印象を得る。
世界が広すぎて、何をしたらいいのか分からない。
――考えなさい、アリス・アート。
それでも考えろと、自分を叱咤する。
きっと周りの仲間たちも同じ状態だ。
だったら、自分が彼らにとっての救いにならなければならない。
――だから、考えなさい。
最高神マキシア。それがアテム王国の裏にいる。
その目的は、神格に近接する者たちの排除。
つまり、ここにいる仲間たちの排除。
筆頭は――
――サレさん。ギリウスさん。トウカさん。プルミエールさん。
このあたりだろう。
最高神マキシアは彼らを狩るべく追ってくる。
逃げるか。
――逃げて、次にどこへ。
きっと、どこまでも追いかけてくる。
同じ神族を敵にまわすほどの覚悟と行動力が、最高神マキシアにはある。
逃げても、きっとまたどこかで立ち会わねばならなくなる。
ならば――
◆◆◆
今、このテフラ王国にて立ち向かうことが、最善でしょうか。
◆◆◆
〈ジュリアス・ジャスティア・テフラ〉。
神に愛されし男。〈神域の王子〉。
最高神マキシアに唯一対抗できる王神ユウエルと契約する神格者。
そして、テフラ王国。
混成種族国家の最高峰。
ここを逃してしまえば、これ以上の要塞は見つからないだろう。
まるで、運命にでも導かれているかのようだ。
実に不愉快な運命だ。
運命が戦いの方向から手招きをしている。
――くそ喰らえです。
その運命に唾を吐きかけたい。
きっとそっちの道は正しい。
でも、
――また皆さんが、死に近づいてしまう。
死に近づけさせてしまう。
その道は正しいけれど、それ以上に危険な道なのだ。
行かせたくない。
――行かせたくないです。
だめだ。
ああ、だめだ。
言ってしまいそうだ。
「ここから逃げましょう」と、言ってしまいそうだ。
――嗚呼。
◆◆◆
「――よし。しょうがないな。――戦るか」
◆◆◆
アリスの口が半分開きかけたところで、声が空間を切り裂いた。
強く、澄んだ声。
〈凱旋する愚者〉副長、〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉の声だった。
サレの顔には笑みがあった。
なぜ笑っていられるのだ。
なぜ――
「あなたが、一番つらい思いをするかもしれないのに――」
アリスはもう言葉を止められなかった。
サレはアリスの声に気付いて、視線を向ける。
「でも、たぶん『ここ』が最初で最後だ。テフラ王国を逃すと、一生逃げ続けなければならなくなる。この国は条件が良い。ジュリアスもいるし、国そのものもでかい。ナイアスにはギルドがあって、その中には傭兵的な組織もある。そしてそのギルドは王族と連帯している。だから――」
――ここしかない。
サレが言った。
「逃げるのもまあ有りだろう。それも否定はしない。だけど、もし抗おうとするのなら、それは『ここ』でやるのが一番だ」
一方で――サレは言わなかった。
もう一つの可能性を、言わなかった。
◆◆◆
もしここで自分たちが逃げの一手を選択すると、テフラ王国が亡びるかもしれない。
その可能性を、サレは口にしなかった。
果たしてその思いは自惚れか。
自分たちの力を過大評価しているのか。
否。
王権闘争において知った。
神格の貴さを。
その強大さを。
自分たちはおそらく、珍しい集団だ。
希少な集団だ。
神格に対抗しうる、異族集団。
そして自分が、その中の一人なのだ。
――お前はどうしたい、サレ・サンクトゥス・サターナ。
お前は『あの日』、抗うことを決めた。
アテム王の腕をぶった切ってでも、その手のひらの上から逃げようとした。
抵抗。
――もう一度聞く。お前はどうしたい、最後の魔人皇よ。
俺は――
◆◆◆
戦うよ。
◆◆◆
かつて死んだ。
何度も死んだ。
歴代の魔人皇の魂に触れた。
きっと、
どこからか呼ばれた命。
どこからか呼ばれた精神。
どこからか呼ばれた――魂。
どこからか来た、あの時の『俺』。
違う世界から来たのだろうか。
違う時間から来たのだろうか。
それともこの世界のどこかから来たのだろうか。
お前は今の存在だったのか。
それとも過去の存在だったのか。
未来の存在だったのか。
今となっては分からない。
だけど。
その輪廻を越え、ここに生まれたのはやはり――『俺』だ。
『俺』という存在は、あの時から今まで唯一無二だった。
死んでも死んでも、『俺』という存在は変わらない。
こうして考えている『俺』だけは、絶対的なものだ。
世界を渡っていたとしても、輪廻転生をしていたとしても、
◆◆◆
『俺』は『俺』だ。
◆◆◆
ならば、そのお前は今何を考える。
唯一絶対のお前自身は、何を考えるのだ。
言え、〈サレ・サンクトゥス・サターナ〉。
お前は――
俺は――
◆◆◆
「生きる」
◆◆◆
抗って――
生き抜いて見せよう。
今、この時を。