14話 「王剣遭遇戦」
いかに回復力に優れた魔人族の身体といえど、首を割断されれば即死する。
サレは死の気配が己の上方から迫ってきたのを感じながらも、その極小の時間の中で、いまだに対抗策を導き出そうとしていた。
飛びこんだときに〈殲す眼〉を待機状態で発動させていた。
その瞳には六芒星の術式陣が浮かびあがっている。あとは焦点を合わせて害意を込めれば、この眼の破壊術式の起動が叶うが、
――無理だ。振り下ろされている剣の速度が速すぎる。
ぶれて、確かな実体として認識できない。
ならば、より動きの少ない支点を。
剣を握る、その手を。
高速で目まぐるしく展開される頭の中の戦闘予想図を信じ、サレは意志を閃かせた。
「――【潰れろ】!!」
同時。
剣を握るエッケハルトの手を瞬き一つせず凝視しつつ、サレは己の左腕を剣撃の軌道線上に滑り込ませた。
たとえ手を潰しても、慣性によって剣は振りおろされる。
そんな予想があった。
それが、現実となる。
生々しく心地の悪い、なにかが潰れる音がサレの眼前で鳴り――瞬間、己の左腕に冷たい刃が食い込んだ。
そして――その腕を半ばほどで両断したのを確信した。
自分の左腕が宙を舞う。
そんな奇妙な光景が、薄い現実感をたたえてその瞳に映った。
「クソがっ、やっぱその眼は厄介だなッ!!」
「だが、痛み分けだぜ」とエッケハルトが続けた。
「――」
サレは唇を噛んでほんの少し呻いていた。
――首は無事だ。繋がってる。
左腕に阻まれたことで推進力を失ったエッケハルトの大剣は自分の首に触れて、しかし両断することなく、地面に落ちた。
エッケハルトの右手は形容しがたい形に潰れており、〈殲す眼〉の力が確かに発せられたことを知る。
人に使ったのは初めてだが、今はそれどころではない。
「サレッ!!」
ギリウスとトウカが悲鳴染みた声で叫んでいた。
――腕が飛びもすれば、悲鳴くらい出すよな。
初めて、彼らの焦燥を含んだ声を聞いた。
サレは半ばで斬り落とされた自分の左腕を見て、
「痛いなぁ…………ちくしょうめ」
そう呟いた。
しかし、最大限の悪態を込めた言葉を放ちはすれど、サレ自身は悲鳴を上げなかった。
それがなによりも不気味で、エッケハルトはとっさに数歩を跳ぶようにして退き、距離をとる。
そうしているうちに後続の王剣兵士たちが駆け付け、エッケハルトを追い越し、サレたちに向かって走って行った。
王剣の兵士たちが駆けてきたのを見て、サレが声を上げた。
「ギリウス、『それ』、取ってくれない?」
残った右手の人差し指を立て、地面に音を立てて落ちた自分の左手を指差していた。
サレの額には大玉の汗が浮かび上がっているが、なぜかその顔に絶望や諦観はなく、ただ痛みに耐えるように歯を食いしばるだけで。
ギリウスは低空を飛翔しながら、サレの言葉に従い、地面に落ちたサレの左手を拾いあげた。
そのまま丁寧に抱いて、手をサレに届けようとするが、
「ああ、投げていいよ。時間、ないでしょ」
「しかし――」
サレが「投げろ」と言った。
ギリウスは即座にうなずけない。仲間の手を無造作に投げることなど、ギリウスにはできなかった。
「いいから。さすがに俺もあの数に襲いかかられちゃたまらない。『それ』投げていいから、そのかわり、ちょっとあいつら食い止めて」
今度は、走り来るアテム兵士たちに向かって右手の人差し指を向けた。
サレからの嘆願を受けて、ギリウスは胸中で彼の言葉の正しさを確認する。
確かに、そうしなければサレも危うい。
ならば、
「――すまぬ」
「あやまらなくていいよ。ギリウスは義理堅いね」
ギリウスが大事そうに抱きかかえていたサレの左手を、サレに向かって投げた。
その光景自体が現実離れしていて、出来の悪い悪夢の中の一出来事のようにも思えたが、きっと、この非日常性こそが戦の狂気の姿なのだろうと、誰もがそう思っていた。
「――ああ、くそう、こんな痛みは久々だ」
――それこそ、死んだとき以来だ。
サレはさも当たり前のように宙を舞って自分のもとへ落ちてきた『左手』を右手でつかみ――
「化物なめるなよ。――お前らがそう言ったんだからな」
怒りのこもった声色で言いながら、左下腕部の切断面に、受け取った左手を合わせるようにして押し付けていた。
まるで、そうすれば元通りになるとわかっているような、確信染みた動きだ。
その間にギリウスが真っ先にサレの前に躍り出て、
「ガ――――!!」
空気を震わせるほどの、濁音からはじまる咆哮を放っていた。
その声には不思議な力が宿っていた。
本能を揺さぶる力を内包した声だ。
犬に吠えられるのとはわけが違った。
その声は万人の生存本能に直接響くほどの力強さを持っていて、そして――聴いた者に恐怖を抱かせた。
自分が『捕食される側』におかれたという諦観が、身体の底から這い上がってくる。
まさしく捕食者の威圧。竜の大咆哮。
「〈竜圧〉かよ! ――ってか〈竜族〉かよ!?」
潰れた手を守るように覆っていたエッケハルトが顔に驚愕を浮かべ、さらに一歩を退いていた。
盛大に冷や汗を額に浮かばせてはいるが、彼の顔はどことなく笑っていて、
――我輩の圧にも笑みで答えるか。厄介であるな。
エッケハルトの笑みを見たギリウスが内心で悪態をついた。
異族の中でも上位種に区分される竜族は、その咆哮のみで敵対者を委縮させる力を持つ。
現に、エッケハルトとシェイナをのぞく兵士たちは突撃姿勢を急遽のけ反らせ、その歩を止めた。
だが、あの二人は一歩退きはしたが、すぐにギリウスの隙を窺おうと虎視を閃かせている。
――ともあれ、今の内にこちらが戦線を前に上げることができれば……
ひとまず二人の王剣の将はおいて、自分の第一目的は完遂できたと、ギリウスは内心に浮かべた。
これで他の仲間が戦線を前に押し上げてくれれば、アリスとプルミエールを確保できる。さらにいえば、サレもだ。
だが、いまだに脅威自体が去ったわけではない。次にどのような手を打ってくるかは、考えておかねばなるまい。
そんなことを考えていると、ギリウスの背後から不意に言葉が流れて来た。
「よし、くっついた」
――そんな言葉が。
◆◆◆
「――は?」
真っ先に愕然とした声をあげたのはエッケハルトだった。その隣のシェイナも、弓を構えながら目を丸めている。
最前線に立つギリウスでさえ、つい後方を振りかえってしまった。
そこには、元通りに接合された左手で拳を作るサレの姿があった。
◆◆◆
――いける。
サレには確信があった。
一度だけ、斬り飛ばされた腕をその場でくっつけた男を見たことがあったからだった。
真剣勝負をしたときのアルフレッドだ。
サレは、アルフレッドが真剣勝負中に綺麗に斬り飛ばされた腕を自分でくっつけた時のことを覚えていた。
「あれもなかなか恐ろしい光景だった」そう内心に思ったが、それ以上の回顧はやめておこうと、サレは自らを制する。
かわりに、アルフレッドの別の言葉を思い出した。
その言葉は、必要な回顧の言葉。
今の自分に、言い聞かせなければならない、アルフレッドの言葉。
『サレ、君はこれから先、たぶんその生命を狙われることがあるだろう。隣にアテム王国がある以上、そして君の出生がアテム王国と関わりのある以上、彼らとはなんらかの形で相対することがあるはずだ。だから、君には身を守る術を覚えてもらう。僕たちは君が殺されるのをよしとしない』
――ああ、俺も死にたくはない。切実な思いだ。
『そして、君は自分の命を守るに際して、おそらく敵を殺さなければならなくなる。わかるかい。君はそのうち、『相手の命を奪う覚悟』を状況に迫られるだろう。逃げることができるときはそれでもいい。でも、逃げることができないとき、君は自分の命を守るため、相対者を害さなければならない」
――今がそうだ。
『だから、君は持たねばらならない。自らの死に対する覚悟と、誰かを害する覚悟を。まったく害されず、まったく誰かを害さない生き方も普通ならありえたかもしれない。でも君は普通にはなれない。残念だけど、そういう生まれ方を――君はした』
――分かってる。
いや、今、確かに分かった。
『だから、覚悟しなさい。そして必要とあらば、甘さを捨てる覚悟を決めなさい。最初は苦悩するだろう。そしてまた、その苦悩を決して忘れてはならない。僕たちは君を想うがゆえに、君に人を害する術を与える。使い方は君次第だ。偉そうに言うけど――いいかい、君は生きるんだ。そのために障害となるものがあるならば――』
――――相応の対処をしなさい。
「分かってるよ、アルフレッド」
サレが紡ぎ、その眼に六芒星の術式陣を宿した。
赤い瞳で見つめるのは、ただひたすらに『前』だ。
◆◆◆
「マジで化物かよ…………これが魔人族ってやつか……」
エッケハルトがヒクついた笑みで言う。
そんなエッケハルトにサレが顔を向けて、訊ねた。
「一つ聞く。――お前は俺を殺そうとしたな?」
「――あ? んなの当たり前だろうが。俺は王剣だ。王に命令された事柄を、確実に遂行するのが俺の役目だ。つまり――異族は全部斬首なんだよ、斬首」
「そこに覚悟はあるのか?」
「同じく当たり前だ。――殺してるんだ、殺されもする。むしろ戦場で相手に手ぇ抜かれると、こう、馬鹿にされてる気がするんだよな、俺」
「――そうだな。そうかもしれない。そういう考えもあると、肝に銘じておこう」
「ならば、敬意を示そう」サレは言った。
「あるいは、覚悟が足りなかったのは俺の方なのかもしれない」
だから――
「今からお前たちを害するよ――本気で」
◆◆◆
サレの言葉が戦場に響いた。
「おい、その盾貸せ」
まっさきに行動を示したのはエッケハルトだった。
彼は近場の兵士から奪うようにして大盾を受け取り、身体の前に構えようとした。
「――【死ね】」
瞬間、サレの言霊が飛んだ。
サレが〈殲す眼〉を見開き、エッケハルトに向けて害意を放ったのだ。
それと同時、エッケハルトは兵士から受け取った大盾を最速にて正眼に構え、身体全体を盾で覆い隠した。
お互いの行動の結果はすぐに明らかになる。
まず、エッケハルトが構えた大盾が見えない力によって中心から破裂した。
内部から暴発したかのような、奇妙な破裂だ。
破片が飛び散り、その向こう側から大玉の汗を浮かべたエッケハルトの顔があらわれる。
「おいおい、そう何度も使えるものかよ? ――ハハッ、楽しくなってきた! それでこそ魔人族だよなあ!! ――お前ら! その分厚い鎧かためて円形防陣つくれ!」
エッケハルトはすぐさま別の兵士の裏に隠れるように移動する。
同時に、エッケハルトの命令によって兵士たちが隊列運動を起こし、脅威的な速度で円形の防護陣をつくりはじめた。
サレの〈殲す眼〉に対し、分厚い皮を作ったのだ。
おそらくエッケハルトはその中心にでも下がったのだろう。隣にいたシェイナも同様の動きを見せていた。
その対応の速さは驚嘆に値するものだった。
〈殲す眼〉にさらされるとわかっていながら、上役の命令を躊躇なく聞き入れ、即座に行動に移すことができる兵士たちも間違いなく優秀だ。
サレは内心でそう思った。
――これがアテム王国か。
厚みを感じた。
そうしているうちに円形陣が完成して、今度はサレたちを圧迫するようにじりじりと移動してくる。
動きこそ遅いが、重厚堅牢な防護陣だ。その圧迫感も強い。
その防護陣の動きを見て、サレはまず、後方を振り返って言葉を紡いだ。
「アリスとプルミエールは!?」
その声に、
「大丈夫じゃ! プルミは血を失って気絶してはおるが、アリスもプルミもまだ生きておるぞ! 治療を施しているが、今しばらく時間が欲しい!」
トウカの返答が返ってくる。
「――なら、それまで時間を稼ごう」
「そうであるな」
ギリウスが同意を言葉で示し、サレの隣に並んだ。
他数人がギリウスと同様の動きでサレの横に並び立つ。
その他の者はトウカと共にアリスとプルミエールの救護にあたっていた。
「ギリウス、あいつら神格者なんだよね」
「おそらくそうであろう。あの戦闘中毒者の男と、弓を撃った女は、その振る舞いを見るに第二王剣の将である可能性が高い。――となれば、神格者であろうな。今もあの防護陣の中にこもって神格術式を施しているのかもしれないのである」
「――術式か」
そのための時間は与えたくない。
しかし、あの強固な防護陣に猪突した挙句、大した傷も負わせられずに物量で反撃されるのは避けたいところだ。
どちらを選択するべきか。
――否。
「こんなことを考えている時点で、後手に回っているってことだ」
だから、
「――行こう」
前へ。
先手を取らねば、せめて主導権を握らねば、ただでさえ数で負けているこちらはジリ貧だ。
「――皆、死ぬなよ」
そうサレは告げた。
ギリウスを含む周りの面々はサレの言葉に強いうなずきを返し――
サレが前方へ疾走したのに合わせ、同じように地を蹴った。