147話 「神的ノスタルジア」
「ろき、かみさまいっぱいいたね」
「ええ、ひとところに神があんなに集まったのはずいぶん久しぶりな気がします」
「ろき、なんかうれしそうだね」
「そうですか?」
戯神ロキと、盗神ヘルメスの生まれ変わりであるメルエラは、ナイアス中心区域に立っている時計台の天辺に座っていた。
近場の建物の中でも群を抜いて高いその時計台の天辺には、風域シルフィードからのはぐれ風がたまに吹き寄せてきて、柔らかく背を撫でていっていた。
ロキは巨大な円形時計部分に手をかけながら立っていて、対するメルエラは時計台の端に腰をおろし、足をぶらぶらと投げ出していた。
「ないあす、おおきいね」
「そうですねぇ。ヘルメスが結構この街が好きで、よく連れ立ってこの時計台に遊びに来てたのですが、その時からこの景色は変わりませんね。この、街並みは気取ってるくせして雑多な感じとか」
「へるめすとなかよかったの?」
「まあ、悪友というやつでしょうか。喧嘩も結構しましたけど、神族の中ではきっと一番長い間一緒にいたでしょうね」
「わたしはへるめすのこども?」
「んー、なんとも表現しがたいですが――」
ロキはメルエラの疑問に言いよどんだ。
「ええ、だいたいそんなところです」
結局肯定する。
「ふーん。かみさまたち、みんなどっかいったけど、わたしはどうすればいいの?」
「あなたは生きてればいいんです」
「……?」
メルエラが疑問符を浮かべながら首を傾げた。
対してロキは、それには即座に断言を放つ。
「あなたは神族らしいことはしなくていいんですよ。たぶん、あなたにはそんなことをしている余裕もないでしょう。ヘルメスの神格を有するとはいえ、あなたはまだ子供だ。神々の戦――いえ、世界そのものを巻き込み始めたこの戦に関われば、あなたは死ぬでしょう」
「しんじゃうの?」
「下手をすれば死にますね。最高神マキシアはあなたの神格が誰のものであるかを知れば、まだ恨みがましくあなたを狙うかもしれない」
「まきしあって、こわいね」
「最初はそうでもなかったんですけどね。ずーっと、ずーっと昔に、主神がぽつぽつ生まれはじめた時にあの方が『魔人』を見つけなければ、きっと穏やかなままだったんじゃないでしょうか」
「まじん?」
「ええ、魔人です。世界中のあらゆる種族の中で、おそらく一番最初に神格に届く可能性があった種族。マキシアがあの種族を見つけた時の顔を、私は忘れません」
「ろきってそのころからいたの?」
「いましたよ。ディオーネやガイア、アテナなどの主神と比べると生まれたのは遅いですが、神族全体で見れば早い方でしょう。『娯楽』は現界の民にとって古代から存在した概念だということです。『戦い』が生まれてからややあってワタシが生まれたと、ユウエル陛下は言っていました。アテナは『は? あんたが生まれた時はもうあたしとか超大人の女性って感じであんたとあたしの間には絶対的な壁が――』なんて喚いてましたけど」
「あてな、おとなのおんな?」
「そこはあなたの感性に委ねましょう」
ロキは笑った。
けらけらという笑いではなく、いたって普通の笑いだ。
「ろきはなにをしたかったの?」
「唐突ですね、メル。何をしたかったなどと、やたらに漠然とした話題を」
「んう」
メルエラは自分の中に浮かんだ疑問を、うまく言葉にできなかった。
ロキが先ほどの広場で大きな何かをしたのは間違いなく理解できる。
それくらい周囲のどよめきは大きかったし、雰囲気の異常さにも気づいた。
非日常があそこにはあった。
「なんで、まきしあにさからうの?」
間が飛んでいると自分でも分かっているが、きっと自分が訊きたいのはそういう根本的なロキの意志にある。たぶん。
メルエラはこんがらがる頭をなんとか落ち着かせながら、それを訊いた。
「ワタシを突き動かした衝動が知りたいのですか?」
「それっ、そんなかんじ!」
「ワタシの察しの良さに自身でも畏怖を禁じ得ませんね……」
メルエラがビッと勢いよく人差し指を向けてくるのを見ながら、ロキは苦笑で額を押さえた。
「あなたに言っても理解できるかわかりませんけど」
「わかる、ぜったいわかる」
「調子いいですねあなた。ヘルメスに似てきましたよ。――まあいいでしょう。大体でいいなら、今のうちにあなたに伝えておいてもいいでしょうかね。ワタシもこうなったらいつ死ぬかわかりませんし」
メルエラはロキの最後の言葉に「おまえはころされてもしなないきがする」と反論をしたかったが、あえて口を閉じた。
ここで話を途切れさせるとせっかくロキが話す気になっているのに、その意気をすら折ってしまいそうな気がした。
「ワタシらしくもなくすこしセンチになって言えば、ヘルメスの死が関係しています。あれはワタシとヘルメスの悪行が招いた最高神の怒りでしたが、しかしヘルメスの命までを奪ったことにワタシは憤りを感じる。だからその意趣返しという意味もあります」
「へえ、いがい」
「いいますねあなた」
「ごめんごめん、つづけて?」
「はあ……あとはそうですね、ワタシがマキシアの存在理由にそもそも反対する存在であることにも、多少は意味があるのでしょう」
「なにそれ」
「ワタシは戯れの神ですから、基本的に統制を嫌います。特に押さえつけられる統制を。ユウエル陛下の【分配】も統制の一部ではあるでしょうけど、あれは押さえつけるというよりも与える側での統制ですから」
「んう……むずかしい」
「ハハ。簡単に言えば、ワタシは親や上の者にああしなさいこうしなさいと言われるのが極端に嫌いなんですよ。いや、正確に言えば『あれはするな、これはするな』と言われるのが、でしょうね。つまり禁止が嫌いなのです。あなただって、金の箱を目の前に置かれて『開けるな』と言われたら開けたくなるでしょう?」
「んー……」
メルエラは考える素振りを見せたあと、首を縦に振って答えた。
「あけるかも……」
「それでこそ盗神の生まれ変わりです」
「なんかしゃくぜんとしない。――じゃあ、じゅりあすにしたがったのは?」
「あれは大きな目的のための些細な矜持の犠牲ですよ。それにジュリアスの命令は『やるな』ではなくて『やってくれ』ですからね。ジュリアスはワタシの性格と本質を昔の付き合いで知っていますから、決してワタシに禁止の命令は行わないでしょう。ジュリアスはたとえ従えといっても、そのあとで禁止の命令は下さない」
「ふーん」
「ジュリアスが神族に好かれる理由はそういう性格に一端があるのでしょうね。なんだかんだといって、現界の民は神族を神として見ますから。その間柄には壁がある。もちろん神族も神族でそういう付き合い方に慣れてしまっている。それが当たり前だと思っている神族は大勢います」
しかし、
「ジュリアスは少し違う。ジュリアスの神族に対する付き合い方や考え方は、同じ純人や異族の友人と関わるかのような感じで、悪く言えば現界の民のくせに馴れ馴れしく分不相応です。しかし良く言えば――」
「よくいえば?」
「あれは『救い』なんですよ。自らを神と自負する神族からは嫌われるかもしれません。ですが、心の底に『自分は同じ世界の民である』という思いを持っている神族からすれば、ジュリアスのあの付き合い方は救いなんです」
「じゃあ、ろきはそうおもってるの?」
「秘密です」
「えー」
ロキは口の前に人差し指を立てて笑って見せた。
「ただ、世界の基準に照らして客観的に述べればジュリアスは壊れていますよ。普通はできないんです。まともな現界の民は神族の力を恐れますから。恐れて当然なんです。生物として当たり前の、優秀な察知能力。圧倒的な上位者には逆らうべきではない。しかし、その最後の抑制の機能がジュリアスにはない。もともとなかったか、あるいは途中で捨てたか」
ロキは繰り返した。
「だから、ジュリアスは壊れているんです。壊れていて、かつ先天的な神族親和の才能に恵まれた。いわばあれは何百年かに一人の特異存在なんですよ」
「へー」
「まあ、ジュリアスの話はこのくらいにして、ワタシが最高神に逆らった他の理由に戻りましょうか」
「うん、はやくはやく」
メルエラはどんどんと話に分け入っていっていく。
分からないことがあれば素直に訊き、またロキはそれになんだかんだと言いながら答えていった。
「神族が世界を統制するという摂理を、そもそもワタシは好いていません。ワタシ自身神族でありながら。――不思議なものです」
「えらいかみさま、きらいなの?」
「カムシーン様にはべつに何も。創造神は神族の中でも特に『神らしい』ですからね。いわば、触らないし、触れない神という感じで。放っておいても世界を統制しようとはしないでしょう。――調整はするでしょうけどね」
メルエラには統制と調整の厳密な違いは分からなかったが、ひとまずロキがそういうのだから違いがあるのだろうと、無理やり納得させることにした。
「ゆうえるさまは?」
「陛下は――陛下は『王』ですから。あの方は神族の王として、神族が進む道を『開いていく』のが本懐の方です。いわば、現界の純人や異族の国家の王となんら変わりがない」
「でも、だめなことしたら『めっ』っておこるよね?」
「そうですね。あなた意外に痛いところつきますね」
「えへへ」
メルエラが自分で自分の頭を撫でた。頬が上気している。
「結局、程度の問題なんですよ。統制をしなければ世界は無法になる。それは衰退だ。この世界に住まう『一人』として、その道は選び難い。だから、ぎりぎりでの統制はやはり必要なのでしょう」
最後の一線。
ユウエルが言っていた言葉の中にもそれはあった。
本来なら、それは最高神マキシアが引いたであろう一線。
「しかし、マキシアはその一線を徐々に自分の都合の良いように改変した。そもそも、そもそもの話――」
ロキは力を込めて言う。
「その一線を引くのが神族でなければならないなどという決まりはない。神族や異族や純人族が世界に出そろった時点で、たまたま神族が一番統制に適していただけなんです。だから世界のために統制の役割を請け負った」
しかし、
「いつからかマキシアはそれを神族のために――『神格』のために歪めようとした。世界のための統制が、神族のための統制に変わったのです。これは甚だおかしい。これこそ神族のエゴだ」
神族のエゴ。
神族の傲慢。
ロキはそこで声を強めた。
「べつにいいじゃないですか。あの時魔人が神族を超える存在であったならば、大人しくワタシたちは神族の傲慢などを捨てて、彼らと共生でもなんでもすればよかった。……まあ、ワタシもそう言いつつ今までこうやってマキシアの神格の摂理に甘んじてきたので強くは言えないんですけど」
「ちがうよろき。さっきいったじゃん。おおきなもくてきのための――」
小さな矜持の犠牲。
メルエラはまだ知識に乏しかったが、その理性の力には目を見張るものがあった。
ロキの話を聞いたあとで、彼女はロキを慰めた。
理解と共感。
それが確かにあっての、慰め。
「ろきはいままでがまんしてきたんでしょ?」
我慢。
きっといつだって、逆らおうと思えば逆らえた。
だがそれは『無謀』であった。
潰されて終わる。
目的とは、完遂してこそ意味がある。
過程が輝くのも、結局は完遂してからだ。
結果がなければ、因果は生まれない。因で終わってしまう。
だからきっと、ロキは時を待った。
細部の矜持を捨てて、最も優先すべき目的のために、時を待った。
「格好よく言えばそんな感じかもしれませんが、そんなたいそうなモノではありませんよ? ――まあ、その辺をどう感じるかは人によるでしょう。ワタシはなんといわれたって、自分の考えと進んできた道を後悔はしませんけど」
「ごうじょうなやつめ」
「ちょくちょくあなた気取った台詞使いますけど、それどこで覚えてきてるんですか? ワタシ保護者として少し心配になってきましたよ……」
「ひみつ」
メルエラは無垢に笑って答えた。
ロキはたぶん、このまま進み続けるだろう。混迷し始めた世界を。
なら――
『ついていってやるか、ロキ』
自分はこの馬鹿な神族についていってやろう。
なぜかそんな言葉が心のうちに勝手に浮かんできて、メルエラは口に出した。
すると、ロキがその言葉を聞いて勢いよく振り返ってきて、心底から仰天したような顔で――
「ヘルメス――」
その名を呼んでいた。
さらに、そのあとに何かを言おうとして――しかしロキは結局口を噤んだ。
ほんの少しの間があって、やっと口を開けたロキが紡いだ言葉は、
「――いいえ、あなたは『メル』でしたね」
そんな言葉だった。
「そうだぞ。わたしはメルエラだ」
メルエラは笑って、そう返した。