146話 「新世界現刻:世界の仕組みが変わった日」(後)
ユウエルが強声を放ったあと、さらに言葉を紡ぐ者がいた。
〈戦神アテナ〉だ。
戦系主神である彼女ですら身体は動揺に震えているようだったが、一方でその声には怒気染みた強い力も込められていた。
「――なんなのよ。なんだっていうのよ」
アテナもまだ状況を正確には把握しきれていない。
ユウエルほど神族そのものの事情に詳しくも無ければ、そもそもが神族同士の繋がりが薄く、種族としての全体像をすら知らなかった。
種族。
――そうだ。
「待って。神格が切れたら、あたしたちはどうなるの……?」
神格が切れればそれはもはや神ではなく、一個の種族にまで存在の格が下がるのではないか。
アテナには懸念があった。
「案ずるな、アテナ。神格はまだある。お前たちには神格者からの『信仰』がある。それが神族の格になりうるのだ」
「ですが、陛下」
「ああ、今までと比べると当然格は落ちるがな。それと、もう一つ」
「まだ何かが?」
「戦系神族は特にその『弊害』を受けるだろう」
ユウエルの言葉にビクリとアテナの身体が跳ねた。
「神族が神族たる『集約の機能』が、マキシアが最高神格を切り離したことによって無効化された」
「それは……?」
ユウエルの硬い語では即座に把握できない。
しかし、なんともなくアテナには嫌な予感があった。
いつか、あの魔人との戦闘時、その魔人に言われた言葉を思い出す。
◆◆◆
『逆だろ。これじゃあ神族の助力によって現界の種族が緩やかに発展するんじゃなくて、現界の種族によって神族が成長しているみたいじゃないか』(※83話)
◆◆◆
その言葉を聞いた後にひやりと背中を冷たいものが駆けていったのを思い出した。
――まさか。
アテナはユウエルの『集約の機能』という言葉に、魔人の言葉の意味を重ね合わせる。
「神族は大なり小なり、現界の民によって成長している節があった。神格者からの経験の逆流や、対価の収集、そういうものによって神はその分野の限界点に君臨することができた」
ユウエルはアテナの目を見ていった。
「お前なら分かるだろう、アテナ。戦神の性質を、主神であるお前はよく知っているはずだ」
戦神は――経験したことのない攻撃に対処できなかった。
魔人との戦闘時。意図せぬ奇襲の連続で、反応が鈍って行った。
まるで意味のない仕草に騙され、魔人と竜の連携という今まで見たこともなかった戦法に、即座に反応できなかった。
戦神の戦闘予知が通用しなかったことがある。
アルテミスも見たことがないものについては予知の加護をうまく稼働させられなかった。
「いいか、アテナ。神格というのはそもそも、初期に余たちが『創った』システムなのだ。もともと一種族としての神族には、そういう概念の吸収性や集約性という性質が少しばかり備わっていた。ゆえに余たちはそれを補強するように、包括的な意味での『神格』というシステムを創った。余と最高神マキシアと創造神カムシーンに権力を分散し、世界の調停者足らんとして神族の性質に順応する『神格』というシステムを創ったのだ。お前たちが生まれるずっと前の話だ」
調停者は統括する。
世界のすべてを統括する。
「最高神マキシアは、行き過ぎた者が『世界を壊さぬように』抑制者として最も高き神に君臨した神族であった。王神たる余は『世界を引き上げる』ために現界の民を導く君臨者であった。創造神カムシーンは自然や摂理を根源としつつ、『世界という土台の調整』を担う君臨者であった」
ユウエルはロキの横に立って、その場の神族のすべての視線を集めた。
「力を集約し、臨界点に君臨することで調停者足らんとしたのがマキシアである」
神格というシステムにおいて、【集約】を司ったのが最高神マキシア。
「集約した力を分配し、平等的な世界の発展を促すための調停者足らんとしたのが余、ユウエルである」
神格というシステムにおいて、【分配】を司ったのが王神ユウエル。
「世界の土台を調整し、最高神と王神の間を中立し、最も広い意味において調停者足らんとしたのがカムシーンである」
神格というシステムにおいて、【調整】を司ったのが創造神カムシーン。
「だが、こうして数百年続いた調停の歴史は、近頃では霞が掛かっていた」
「それはどうしてだい?」
そう訊ねたのはジュリアスだった。
ジュリアスは神族の調停者的側面が瓦解しかけていることを気に掛けていた一人である。
「なによりも神族の数が増えすぎた。概念の分化が進み、主神による意図的な分化すら見て取れた。主神を見ればわかるであろうが、基本的に初期の神族は包括的概念を担っていた。戦神しかり、天空神しかり。しかし今ではそこから分化が進み、極めて局所的な概念を有する神もいる」
「そうだね。確かに神族の数は多いかもしれない」
「それが調停の均質性や平等性を損なった。簡単に言えば処理が追い付かなくなったのだ」
ユウエルは苦々しげな顔で続ける。
「そしてまた、俗な語で言えば神族にも派閥があった。たとえば法神テミスは今でも調停者としての自負を抱く神族だ。ディオーネやアテナもまあ、どちらかといえば古い神族の掟を念頭にはおいているタイプだろう。やや自由に寄っているきらいもあるにはあるが」
ユウエルは近場にいたディオーネの頭を撫でた。
「んうっ」とびっくりしたようなディオーネの声があがる。
「それはこの者たちが余の管轄下にいようとしたからだ。【分配】を司る余の管轄下にいる限り、好き放題をすれば余に怒られると知っているゆえ、ある程度調停者としては機能しようとする。だから、こうしてここに集まった余の管轄下に間接的にも身をおいている神族は、基本的には調停者であるだろう。加えて、創造神カムシーンのところの自然系神族」
ユウエルはレヴィの身の回りに展開されている術式陣を指差した。
顔は出していないが、術式陣の中からは神の息吹ともいうべき不思議な色味の風が溢れてきている。
「カムシーンの管轄下の自然系神族は、おそらくもっとも色濃く調停者的側面を持つ者たちであろう。〈レヴィ・シストア・テフラ〉という『特異点的存在』がいなければ、もっと平等に見えたであろうが」
「ということは、自然系神族もある程度は自由を利かせているということ?」
「だろうな。絶対に自由を利かせてはならない〈命神〉と〈死神〉を除けば、まあ、近頃では天秤を傾けさせているほうだろう」
結局、
「神族は神族で、その矜持と当初の目的は摩耗し劣化したということだ。だがそれでも、余という『最後の一線』はあった。やりすぎれば余の目が光るからな」
「そういえばディオーネも現界する時や力を使う時は他の神族のことを気に掛けていたね」
「出すぎれば他の神の目につくと知っていたからな。私は処女アテナと違ってその辺を――」
「は? あんたはただユウエル様のお叱りをビビってただけじゃないロリ神。断崖絶壁万年幼児体型」
「あ? 必死で着飾ってるわりにまるでモテない野蛮無様な戦神が私を愚弄するか――」
「今はやめよ、娘たちよ」
「……」
ユウエルの制止でひとまず場が収まる。
「話を戻すぞ。――そういうわけで、余の管轄下にいたか、もしくは余の理念に寄っていた神族は一応まだ調停者として存在しようとしていた。しかし、【集約】を司る最高神マキシアの管轄下にいた神族は別だ。マキシアがそもそも【集約】による最高点に存在しようとする性質を持つため、奪うことによって調整を果たそうとしていた」
それは排他的な調整方法。
「その管轄下にいた神族は神格者を増やし、もしくは質を高め、その力の逆流を得ることに注力しはじめた。余はそれを一度マキシアに指摘したことがある。『やめさせよ』と。そもそも【分配】は余の管轄だ。好き放題に神格者を創られては敵わん。その時マキシアは『わかった』といった。実際に好き勝手な分配はなりを潜めた」
だが、
「今わかったぞ、ジュリアス。あのマキシアの言葉は嘘だ。実際に減ったと思われた勝手な分配も、それを含めて余の目を欺くための演技だったのだ。現にこうして――マキシアは自分の管轄以外の神族の神格を切った。【集約】のシステムを使えなくするために。ここからは予想だが、マキシアは【集約】を独占するつもりだろう」
「向こうにはどれくらいの神族がいるのかな」
「詳しくは探らねばわからんが――――ディオーネ、ガイアはどうした。〈大地神ガイア〉だ」
「知らん。あいつとはこの頃会っていないからな」
「天空神がいて大地神がいないとなると、ともすればガイアは向こう側か」
ごくり、と息を飲む音が周りから鳴った。
「ジュリアス、しばし時間をもらおう。余は中立者たる創造神カムシーンと対話をする必要がある。加えて余の息子娘たちに神族界の状態を探らせる。可能な限り早く戻ってくるゆえ、お前も気を抜くなよ。マキシアが大きな動きに出たということは、現界の方でも何かをしてくる可能性がある」
「わかった。神界門は僕の傍にあけておくから、何かわかったら来てくれ」
「ああ、そうしよう」
すると、ユウエルはその場にいた神たちに向けて水平に腕を振り抜いた。
「聞いたな、お前たち。――ならば行け、王神の名によって命ずる。――世界を見定めよ」
瞬間。
その場にいた神族たちが続々と神界術式陣の中へと戻って行った。
そうして、
「ではな、ジュリアス」
ユウエルは最後にジュリアスに一瞥をくれ、そのあと思い出したかのようにサレを見た。
「〈魔人〉よ、貴様の存在は今世界において重要な鍵だ。いいか――死ぬなよ」
唐突に言われたサレはとっさに反応できなかったが、
「〈テオドール〉の血を引く者ならば、世界にすら抗って見せよ」
その名と言葉を聞いて、
「言われなくても。俺はアテムにも最高神にも殺されるつもりはないよ」
強い意志を秘めた視線を返した。
「そうだ、それでいい。魔人はそうでなくてはな」
ユウエルはそういって、彼自身も神界術式陣の中へと戻って行った。
あとには呆然とする異族と純人たちが残った。