141話 「新世界前刻:因子集結」(後)
ナイアス中心区域の広場にロキといつかの白い髪の少女が現れたのは、ジュリアスたちが戻ってきてから十分ほどあとのことだった。
その頃にはジュリアスとエルサの対話も大体終わっていて、場の雰囲気もやや軽いものに変容していた。
和解という形で徐々にギルド員間の会話も増えていって、まったくのなれ合いというわけではないにしろ、それとなく話が進むくらいの進展はあったといえよう。
ある意味彼らは意識の切り替えがハッキリしていた。
いわば『それはそれ、これはこれ』という区切りのつけ方がハッキリしていたのだ。
感情の引きずりを意識的に減らしていたように思える。必要だから、そうしたのだろう。
闘争が終わってしまえば、ギルド間の立ち位置は表象的でないにしろ決着する。
勝った方が上。負けた方が下。
それがすべてだ。
ゆえに『闘争』であった。
その後にあるのは、『同じテフラ王国のギルド』という枠組みである。
近頃アテム王国という国外勢力の暗躍を耳にしていた彼らは、そのことによって内部指向的に結束への道を辿り始めていた。
サレはサレでいつかの尋問に失敗した黄金樹林の女密偵を見つけて、その女に冗談を言うくらいのことはしているようで――
「今日こそ身体に訊いてやるぜ……あの時の雪辱を……!」
「変態間抜け」
「間抜けと変態が合体しやがった……!」
そんなやりとりをしつつ、些細な情報交換も兼ねて話を続けていた。
〈獅子の威風〉の面々も遅れてその場所に集まってくる。
ウルズ王国の〈獅子王レオーネ〉との再会もあり、その獅子王の配下たるギルド員も加わって、どんどんとナイアス・アレトゥーサの中心に人が集まってきた。
そんな場所に相変わらずのけばけばしい身なりをしたロキが、その男ながらの美貌を笑みに彩りつつ、隣を歩く少女と手を繋ぎながら歩いて来る。
隣の少女は〈メル〉という名前だったろうか。
ジュリアスの話では神族と死族の中間的存在らしいが。
サレは内心でその光景を分析していた。
「みなさーん、お久しぶりです。みなさんの愛するロキです!」
「おい誰かアイツなんとかしろよ。アイツ俺らとちょっと違うノリだから合わせにくいんだよ」
「ひどくないですか! ちょっと!」
「あ? 神族だからって調子に乗るなよ、おめえ。――こ、ここここっちには神族ぶっ殺すヤバイ奴いるんだぞ……!」
「ビビりながら俺の後ろに隠れるなよ……あとヤバイ奴って表現はやめろ。頭がおかしい奴みたいじゃねえか……!」
サレが自分の後ろに隠れたギルド員たちに嘆息を送りつつ、ロキを見据えた。
「魔人ですかぁ。いやぁ、昔を思い出しますねえ。――あなたのご先祖様は実に恐ろしい方でしたよ。神族と魔人の戦争時にワタシもそこにいたんですが、ワタシもまだ若くて、ただただビビるばかりでしてね」
「というと、初代様かな?」
神族と戦争したというキーワードから、おそらく初代魔人皇テオドールの時代であろうと推測する。
「そうです。〈テオドール帝〉の時ですね。あなたは何代目なんですか?」
「十代目だよ」
「ははあ、魔人は本当に長生きですね。あれが千年前だというのに、まだ十代目と。――ですが、もうあなただけでしょう?」
「知ってるんだ」
「そりゃあ、ワタシはワタシで情報には聡い方ですから。〈異族討伐計画〉のことも知っていますし、イルドゥーエ皇国の方面にその魔の手が入ったことも知っています。その他にもあなたが知らないことをいろいろと知っていますよ」
ロキはついにサレたちの目の前にまで歩いてきて、妖しい笑みを浮かべて言った。
次いで、
「はい、じゃあワタシがいろいろとすっごいお話するので、みなさん集まって下さーい」
「ノリ軽いな!」辺りから散々言葉があがるが、しかし神族の話が気になるのもそのとおりで、結局徐々に集まって行く。
〈凱旋する愚者〉のギルド員が集まり、〈黄金樹林〉のギルド員が集まり、〈獅子の威風〉のギルド員が集まり。
ジュリアスとエルサが会話をしながら足を進めていって、アリスとマーキスも何やら会話をしながらそれに続いた。
アレトゥーサ湖の外縁に大勢の異族と純人族、そしてテフラ王族が集まって、ロキを先頭に適当に座り込む。
まるで紙芝居を見に来た子供たちのように、ロキの顔に注目して事の次第を眺めようとしていた。
対するロキはジュリアスに目配せをして、
「多方を探っていろいろ判明したことがあるので、あなたの懸念と絡めてすべて話してしまってもいいですよね?」
「いいよ。もともと知らせるつもりだったからね。エルサ姉さんとも手を取り合えたことだし、そろそろ『頃合い』だろう」
「合点です。ついでに神族の方たちにも来てほしいのですが――ああ、しまった、セシリアを呼んでくるのを忘れてしまいましたね」
『私ならここにいるぞ、ロキ』
直後、鋭い声が飛んできた。
ロキの「やってしまった」という言葉のあとにその場に突き抜けてきたのは凛々しい声だ。
サレたちには聞き覚えがあった。
兵の士気を一声であげてしまう〈戦姫〉の声。
戦乙女の声。
〈セシリア第一王女〉の声だ。
皆が視線を向けた先、そこにはナイアスの街路から数人の供を連れて歩いてくるセシリア王女の姿があった。
赤銅の輝きを放つ長い髪に、一寸のブレすらない堂々たる歩き姿。
強者の威風を女だてらに漂わせる王女。
〈戦姫セシリア〉。
〈戦系主神アテナ〉にすら見こまれた闘争主義の女が、その場に姿を現した。
「私を除け者に『すっごい話』など許さないぞ、ロキ」
「いやはや、申し訳ありませんね。ワタシだって時々忘れ物くらいしますよ」
「はあ……嘘かと勘繰りたくもなるが、一方でお前は素でもやりかねんからな」
セシリアはその凛々しい美貌に嘆かわしげな表情を浮かべ、集団の前の方へと歩いてきた。
他の面々は王女の威風に気圧されながら、続々と道を開けていく。
すると、前の方にまで歩んでいったセシリアがジュリアスを姿を見つけて、足早に近寄っていった。
「エルサにも勝ったようだな。やるじゃないか、ジュリアス」
「いえいえ。僕じゃなくてサレたちが――」
「そうか。お前のところのギルドは本当に優秀だな。つまりお前の目が正しかったということだ」
言って、セシリアがジュリアスの頭を撫でていた。
「あれ、なんか無理やり褒められてる気がするけど――ま、まあいいか……」
凛々しい表情から一転して柔和な顔でジュリアスの頭を撫で始めたセシリアは、まさしく優しげな姉の顔をしていた。
すると、
「ほら、エルサもこっちへ来い」
セシリアがエルサの方を振り向いて、彼女に手招きをした。
「えっ、あ、あの――」
エルサはセシリアの手招きに戸惑った。
昔はそうでもなかったが、最近では姉妹同士の会話があまりなくて、どういう風に付き合っていたかをとっさに思い出せなかったからだった。
特に闘争が始まってからは下手をすれば敵のような間柄で。
対するセシリアは柔和な笑みを浮かべ、優しくエルサに言った。
「私では物足りないかもしれないが――でも、できればお前の頭を撫でさせてくれると姉としては嬉しいよ」
「は、はい……」
エルサは一歩を踏む。
そしてセシリアに近づいて――
「悪かったな、エルサ」
セシリアがエルサのか細い身体を抱き寄せた。
「セシィ姉さん……?」
「長女たる私がお前たち妹に剣を向けたのは間違っていた。私は過去の私も尊重するゆえ、歩んできた道のりを後悔はしないが、でも『今の私』は過去の私を間違っていたと断定する。だから、悪かったよ、エルサ」
「……」
エルサは抱き寄せられるままにセシリアの胸に顔をうずめ、声を押し殺していた。
セシリアはそのままエルサの黒髪を撫で続けた。
「あの、ここでワタシが出しゃばったらさすがに怒られますかね……?」
ロキが後ろの方で集団に向かってこそこそと言葉を紡ぐが、
「絶対にやめとけよ……」
一斉に集団からうなずきが返ってきて、ロキは大人しく時を待つことにした。
◆◆◆
しばらくして。
「悪かったなロキ。話を止めてしまって」
「いえいえ、美女二人が抱き合っている姿はなかなかに目の保養な感じで。神族ながら良いものを見たと思いますよ。ええ、まあ、周囲の女性陣がやや『キャーキャー』うるさかったですけど。なんで女同士の抱き合いでさらに女性が喜ぶのでしょうかね……?」
「セシィ姉さんが女だてらに凛々しいからでしょう」
「エルサ、さりげなくセシリアの尻を撫でながら言わないでください。あなた本当に女ですか」
「女だからできるんです」
「サフィリス一筋では……」
「私は姉様のどちらも好きです」
「……」
ロキはそれ以上追及するのをやめた。
気を取り直して襟を正し、集団の方を振り向く。
「さてさて……あ、ジュリアス、ディオーネを呼べますか?」
忘れていたようにジュリアスに言うと、
「どうだろう。平伏して三十回くらい謝れば来てくれるかもしれない。あれからまだ怒っているからね。僕がユウエルの力を使ったことに対して」
「ほーんとあのちっちゃい姉上は子供みたいですねえ。あれで本当に私より長く生きてるんですかね? アテナといい、ディオーネといい、外見が若々しい上に中身まで子供っぽくて、いろいろ疑いたくなります」
『あんたぶっ殺すわよ。串刺しにするわよ。ディオーネはいいけどあたしまでけなすと顔面が蜂の巣になるわよ』
言った瞬間、セシリアの横の空間に勝手に神界術式が展開されて、それを割るようにして中から〈戦神アテナ〉が姿を現した。
布一枚を身体にまきつけて、大人になりかけの少女という様相を存分に晒しつつ現れる。
美少女だ。
美女でありながらも美少女でもある。
身体から白い発光があって、辺りからは「うおっ、まぶしっ」「白光もあれだけどその美しさと年齢がまぶしい!」などと声があがっている。
布を一枚しか身体にかぶせていないというのが、また刺激的なのだろう。
男たちの声がさらに続々とあがるが、最終的には近場の女性に殴られて大半が卒倒しかけていた。
「お、アテナは出てきてくれましたね」
「そりゃ出てくるわよ。すっごい話なんでしょ? あんた基本的に胡散臭いけど、意外と話は核心つくもの。――むかつくけど」
アテナはどこからか巨大な剣を一本取り出して、それを縦に地面に突き刺す。
さらにそれを両手で支えにしてセシリアの横に威風を纏いながら仁王立ちした。
「気に喰わなかったら斬るわね。これで」
「〈戦神の剣〉はやめてください。それで斬られるとさすがのワタシも結構深手追うので……」
ふふん、と得意げに鼻を鳴らすアテナを横目に、ロキはまた気を取り直した。
「あとはディオーネですが……」
「なによ、あのロリ神こないの? 今日こそ完膚なきまでに平らな胸をけなしてやろうと思ったのに」
「あなたがその胸で言いますか……」
瞬間、ズシン、と凄まじい重音を放ちながらナイアスの白石床にアテナの剣が突き刺さったのを見て、ロキは最速で黙った。
「な、なにあれ……なんで石床に剣が突き刺さるんだ……こええ……」辺りから恐怖に身を縮める者たちの言葉が流れてくる。
アテナは〈戦神の剣〉の柄頭に両手を置きながら、にこにこと笑みを浮かべているが、同時にこめかみのあたりには血管が浮き出ていた。
ロキはこれ以上この空気を続けさせては己の身が危ないと思い、話題を転換すべく再び口を開いた。
「ジュ、ジュリアスが命を削ったことが不満だったらしいですよ」
「は? そんなのジュリアスの勝手じゃない。あのロリが気に病むのは間違ってない?」
アテナが強気に言う。
するとジュリアスが苦笑して、
「はは、そうだね。でも――ディオーネは優しいから」
「ジュリアスも相変わらずディオーネに甘いわねえ。あんたなら無理やりディオーネ呼べるでしょ? 神界に手でもつっこんで呼べばいいじゃない」
アテナの言葉にジュリアスは苦笑するばかりだった。
「まあいいわ。興味があったらそのうち出てくるでしょ。ほら、早くしゃべりなさいよ、馬鹿ロキ」
「脳筋に馬鹿と形容されるとは……」
ぶつぶつ言いながらも、やっとロキは話を始めた。
その話は、特にサレたちにとって、これからの方針を決定づけるほどに――
衝撃的な話だった。