140話 「新世界前刻:因子集結」(前)
ロキの唯一の連れ添い人、半神〈メル〉こと〈メルエラ・スティーラ〉は、湖都ナイアスの中心区域付近で背の高い商家の屋根に上り、辺りを見回していた。
階下にはたくさんの人影が移る。
いろんな姿かたちをした人影だ。
さらに近くに視線を落とすと、自分が足場にしている屋根の建物に続々と人が入っていっていた。
その商家はガラス細工の工房らしく、きらきらと光る綺麗な色のガラス細工が所狭しに棚に並べられている。
どうやら大勢の人々はそれを求めて買い物に来ているらしかった。
「……わたしもほしい」
しかし、金がない。
自分の世話をしてくれているのは〈戯神ロキ〉だ。そのロキに金をせびらない限り、手持ちの硬貨など一枚もない。
「こまった……」
ロキとの付き合いもなんだかんだと長い。
天然の死族転生をして道端で呆然としていた自分を、ロキが拾った。
「あなた、することないんだったらワタシについてきなさい」そんな言葉を掛けながら、自分の手を引っ張って行った。
それからロキの世話になった。
世話をしてくれるから、何か返せないかと思って、戦景旅団に客員身分で乗り込んでジュリアス第七王子と戦った。
――もうやだけど。
ロキは自分を〈神の子〉だという。
いまいち意味がわからないが、神がそういうのだから、そうなのだろうと思った。
それだけでいいだろう。難しいことはよくわからない。
でも、今となってはロキのその言葉に少し首を傾げたい。
自分が神の子であるなら、ではあのジュリアスは一体なんなのだろうか。
神の子をすら越えて神の力を使うではないか。
「ちょーいたかった」
上から叩き潰されたり、握りつぶされたり、槍で貫かれたり。
自分の身体が半霊体の死族であることを加味したところで、そうはいってももう半分は実体だ。
当然、痛いには痛い。
もう二度と戦ってなるものか。
「ろきぃ」
さて、そろそろ暇になってきた。
ロキは用があるといって空を飛んで行ってしまった。
見上げた空に浮かぶ無数の浮遊島の一つに用があるらしい。
「ここで待ってなさい」と言われたから待っているが、三十分しても帰ってこない。
このまま帰ってこなかったら、
「のたれじぬぅ……」
どうやって生活すればいいのかわからない。
まだ死族として生まれて三年だ。
普通の純人に換算すればまだ赤子みたいなものではないか。
死族になる前の記憶もないから、どうしようもない。
ロキはいつも「あなたヘルメスの神格を継いでいるんですから、生きる術とか要領よく盗みなさいよ」と言ってくるが、いまいちやり方も意味も分からない。
自分はさほど頭がよくない。それは自覚している。だから結局、ロキに頼ってしまう。
そのことを言ったら、「自分で頭がよくないと言えるうちは十分救いようがありますよ。まあ馬鹿は治らないとも言いますけどね!」と高笑いされたので、そのあとでロキの尻にいつも彼が持っているステッキをぶち込んでやった。
――まんぞく。
「はやくかえってこないかなぁ」
〈メルエラ・スティーラ〉は少し過去を振り返りながら、ロキの帰りを待った。
◆◆◆
「よいしょっと――やあ、〈メル〉。待ちましたか?」
「いっぱいまった。おなかすいた。――しね」
「いきなり辛辣ですね!? 少し話が盛り上がってしまって、予定より長引いてしまいました」
ロキが空から舞い降りてきたのはそれから五分ほどしてからだった。
ロキは片手にステッキを持って、もう片方の手でけばけばしい色のシルクハットをかぶり直している。
「さてさて、これであとはサフィリスお嬢さんとニーナお嬢さんですね。それが終わればついにテフラも統一されるでしょう。その先にあるのは――」
「ろきのもくてき?」
「そうですね、そんなところです。ジュリアスに言われていろんな場所に探りを入れてきましたが、まあ、案の定というか、ワタシが昔に危惧したとおりというか。――あ、これだとなんかワタシ真面目な奴みたいで変ですね」
「じぶんでへんとかいうな。あとへんのへんはふつう」
「なるほど、それは新しい理論だ。――ともあれ、早めに調査の結果をジュリアスに報せておいた方がいいかもしれません」
「じゅりあすならあそこにいるよ」
メルエラはアレトゥーサ湖の湖面が大きく見えているナイアスの中央広場を指差した。
ロキが手傘を作り、目の上に乗せて日光を遮りながらわざとらしく目を凝らして見せる。
「お、本当ですね。いましたいました。ということはエスターとの論争もちゃんと終えたようで。では私たちも行きましょうか」
「……」
メルエラはすぐに返事をしなかった。
その様子にロキが気付いて、
「どうしました?」
訊ねてきていた。
メルエラは屋根の上から階下に視線を向けていた。
ガラス細工工房の店内に。
色とりどりの透き通ったガラス細工が並んでいる。
綺麗だ。
ペガサス、グリフォン、ドラゴン、希少種の生物を象ったものから、バラやアジサイなどの花を象ったものまで。
「……」
しかし、メルエラは値札を見て顔をしかめる。
高い。
そもそも自分は金を持っていない。
ロキに頼むにしても、あれは何かの役に立ちそうにはない。
定住地を持たないから置いておく場所もないし、だからといっていつまでも懐に入れておくのもおかしいだろう。
――諦めよう。
メルエラは思って、視線を外した。
すると、
「ガラス細工が欲しいんですか? ――そうですねえ……まあ、ジュリアスと戦った時、あなたそれなりに頑張りましたから、一つくらい買ってあげましょう。かさばるものはだめですよ?」
メルエラが凄まじい勢いで顔をあげ、ロキにきらきらと輝いた瞳を向けた。
「お、おうっ、なかなか眩しい目をしますねあなた」とロキが思わず一歩引く。
「んー、そうですね、じゃあ、髪飾りなんかどうでしょう。あなたの髪はいつもシニヨンで小奇麗に纏まっていますから、ここはひとつ、そこにアクセントを。――えーっと、おしゃれとかそういうのはどの神の守備範囲でしたっけ……あー、細かいとわかりづらいですねぇ……面倒だから美神に聞いてしまいましょうか」
ロキが顎に指をあてて悩み始めるが、そこへメルエラが言葉を挟んだ。
「いい、じぶんでえらぶ!」
凛と響いた声のあとに、彼女は屋根から飛び降りていった。
彼女の着地と同時にガラス細工工房に出入りしていた者たちから「おおう!」やら「びっくりしたあ!」などの声があがるが、メルエラにはそれも聞こえていないようで、工房の中へと一目散に駆け込んで行った。
白い髪が白光の軌跡を残し、視界から消えていく。
その様子を見ていたロキは苦笑して、
「はは、ああいう好奇心が旺盛なところは〈ヘルメス〉そっくりですね。実にあなたの生まれ変わりらしい。――ああ、〈フレイヤ〉ですか? ――ええ、そうですそうです。いろいろとややこしいことになってますが、まだなんとか。……ええ、ええ。――えっ? わざわざ何のために呼んだかって? ……なんでしたっけね」
「あっ、ごめんなさい殴るのはやめてくださいよ暴力反対!」ロキは両手を振り回して後ずさった。
ロキの顔の横には神界術式陣が開いていて、その神界術式陣の向こう側からピンク色の細かな粒子が漏れ出ていた。
「相変わらずいい匂いまき散らしますねえ、フレイヤ。ピンクの色までついて見えますよ。――ああ、思い出しました。聞きたいことがあったんです。非常にきれいな白に輝く髪を持った女の子がいるんですが、その子の髪飾りとしてぴったりなガラスの色って、何色ですかね?」
ロキが訊ねると、顔横の神界術式陣がいっそう強く輝いた。
「えっ? やだなぁ、浮気じゃないですよお。……というか待ってください? べつにワタシあなたと付き合ってませんからね? なんかナチュラルに既成事実作ろうとしてますけどやめてくださいね?」
神界術式陣から漏れ出るピンク色の粒子がやや暗く陰り、紫色に変色した。
「あなたモテるんですから戦系の脳筋神どもをオトせばいいじゃないですか。――なに? そもそも男には困ってない? ――じゃあなんでワタシに目をつけてるんですかあなた。言ってることと視線の先が違いすぎませんかね」
ロキはやれやれと首を振った。
「――はあ、振り向かないからこそ振り向かせたくなる、と。――物好きですねえ。ま、そのうち相手してあげますよ。――で、何色ですか?」
ちらり、と窺うような視線を神界術式に向ける。
「――白なら大体の色は合う? 薄い色は同化してしまってあんまり目立たないから色は濃い感じで? ――ははあ、わかりました。いやぁ、ワタシあんまりこういうの得意ではなくて。ええ、ええ。――えっ? 教えたから付き合えって? ――ハハハ、ではごきげんよう!」
ロキはわざとらしく高笑いして、その場に神界術式陣を残して屋根から飛び降りていった。
あとには真っ赤な粒子を漂わせる神界術式陣だけが残った。