139話 「見据える先に」
マーキスは黄金樹林のギルド員がいる方へ下がり、サレはサレで仲間たちの方へ戻っていった。
仲間たちの方を見直すと、いつの間にかマリアと海戦班の女性陣、さらに腹に包帯を巻いたプルミエールがそこに到着していた。
プルミエールは白い薄手の布を胸元に何重も巻いていて、しかし胸から下は露出している。
また腰から下に亜麻の一枚布を穿いていて、それが風に揺られてふわふわと舞っていた。
くびれのある腰にまかれた包帯がやや痛々しいが、プルミエール本人はケロっとしていて、ひとまずサレは安心した。
「もういいのか? プルミ」
「いいに決まってるじゃない。あんたに心配されるほど深い傷じゃないもの」
「プルミ? あなたあの傷放っておいたらそれなりにマズかったんですからね? 私さっきいっぱい怒りましたよね? ちゃんと反省してるの?」
「……ごめんなさい」
「おい俺とマリアで対応違いすぎないか」
「はっ!? 悪い!? わ、悪くないわ!? ――ぐ、ぐぬぬ、なんか調子でないわね」
珍しいな、プルミエールが勝手に悔しがるなんて。サレは思いながら、それ以上の追及はやめておいた。
当のプルミエールは頬を少し上気させて、サレの顔をちらちらと窺い見ている。珍しい光景だ。
ぎりぎりのところを助けられたことや、自分に不出来があったことを意識しているのだろう。
それを恥ずかしがるように、あるいはどう対処していいかわからないように、彼女が珍しく静かになっていた。
「マリア、アリスとジュリアスのこと、なんか聞いてない?」
「まだなんとも。爛漫亭で非戦組が伝令役をしているけれど、まだアリエルから戻ってきていないらしくて。大丈夫だとは思うのだけれど」
「ジュリアスとレヴィもいるし、加えてカイム第二王子とセシリア第一王女も対応しているんだろう? なら大丈夫だと思うよ。あくまでエスター第六王子が提案してきたのは話し合いだからね」
それが策謀であったのなら、その時は許さないが。
サレが内心に浮かべたあと、ふとその場に訪れる者があった。
それは、
「サレー、マリアー、アリスが帰ってきたよー」
「あっ、ちょっ、イリア走るの速――ていうか浮いてるんだけど!?」
銀緑の長髪を地面すれすれにまで伸ばしている少女イリアと、眼鏡姿のメイトだった。
見ればイリアは微妙に宙に浮遊したままサレとマリアのもとに近づいてきていて、それを見たメイトが大げさなリアクションを起こしているところだ。
「なんか髪伸びてない? イリア」
「精霊を補完した時についでに伸びたんでしょう。早めに切らないと歩く雑巾状態になってしまうわね……」
「げっぷ」
「こら、イリア、はしたないわよ」
「ごめんちゃい」
てへへ、と笑うイリア。
確かに浮いていなければその髪で地面を盛大にこすってしまいそうだった。
もっさりと伸びた綺麗な銀緑の髪だが、それが汚れてしまうのはもったいない。必要以上に伸びた分は切った方がいいだろう。
「――もしかしてだけど、切った分はまた精霊になったりするの?」
ふと、サレの中にそんな予想が浮かんで、マリアに訊ねた。
マリアはぽかんと目を丸めたあとで、いつもの目を弓にした微笑を浮かべ、頬に手を当てながら、
「よくわかりましたね?」
そう答えた。
――すげえな……イリアが精霊寄りの〈精霊族〉っていうから奇天烈な予想立てたけど、マジでそうなのか……
すでに精霊との境界線が曖昧だ。イリアはイリアだが、同時に精霊の集合体的な印象をすら受ける。
「ふう、はあ、くっ、くそうっ、ついに僕の体力がイリア以下に……!」
「お前は少し運動をしろ、眼鏡。眼鏡ばかり磨いているとそのうち付属品たる身体が死ぬぞ」
「ナチュラルに僕の本体眼鏡にしないでくれない? ねえ、しないでくれない?」
メイトが少し遅れてサレとマリアのもとにやってきて、ぜえはあと息を荒げていた。
「ふう……さて、イリアから話は聞いた?」
「アリスとジュリアスが戻ってきたってことはな」
「そうそう、一旦爛漫亭に戻ってから出てくるっていってたから、もう少しで来ると思う。なんだかエルサ王女と対話してるって聞いたから、早めに伝えたほうが良いかと思って。間にあったかな?」
「ああ、間に合ったとも。エルサ王女にもそう伝えてこよう。これで俺が頭を使わなくて済むな!!」
「たいして使ってないのにあたかも頭使ってるみたいに言うのやめなよ」
「……」
「あはは、やり返してやったぞ」メイトが高笑いした。
サレは一度悔しがったあと、再び踵を返してエルサの方へ歩み寄る。
ジュリアスとアリスがいくらかで来ることを伝え、また仲間たちの集団に戻って行った。
黒炎術式を使ったことによる体力の消耗は感じていたが、〈神を殲す眼〉は使っていないし、そこまで疲れたというほどではない。このまま二戦目があったとしても大丈夫だろう。
サレはまだ気を抜いてはいなかった。
いつだって、事が起こるのは突然だったから。
セシリア、エルサと続いて、空都アリエルではエスターと、おそらく闘争を終えたことになる。
そして勝ち続けた。
順調だ。
思えばテフラ王国に来てからかなりの綱渡りをうまく成功させてきたように思う。
もう少しだ。
残りはサフィリス第二王女と、ニーナ第四王女。
ここを乗り越えればジュリアスの玉座が確定する。
そうすればテフラは統一されて強くなるだろう。
当初予想はしていなかったが、この闘争を経ていくごとにテフラ王族同士の繋がりが深くなっていっている。これは思わぬ収穫ではないだろうか。
ジュリアスにとっても、テフラを居住地にする自分たちにとっても。
そうして王族が連帯し、強くなれば、国も強くなる。
個々人は優秀なテフラ王族だ。
うまくやるだろう。
テフラ王国が強くなった暁には、自分たちは外敵からの防御手段を得る。壁を得る。防壁だ。
アテム王国の異族討伐計画から安心して身を守る場所を得られる。
戦えない者たちを、おいておける場所が。
――やっとだ。
やっと、まともにアテムを見据えられる。
サレはようやく自分たちが歩いている道筋がどこに続いているかを、落ち着いて見るだけの余裕が生まれたと思った。
◆◆◆
しばらくして、アリスがジュリアスと共にその場所に現れた。
加えて言えば、レヴィも一緒だった。レヴィは隣にメイド服の女を連れだって、ややげっそりした表情でとぼとぼと歩いている。
「ほら、レヴィ様、しゃんとしてください、しゃんと。エルサ殿下もいらっしゃいますし、ナイアスのギルド員たちもこんなにたくさん。今こそ王族らしい威厳を見せつける時です!」
「えー、僕そういうの得意じゃないよー。というかティーナ、君は僕に王族の威厳がそもそも備わっていると思ってるの……?」
「何を言ってるんですか、見た目は悪くないんですから、付け焼刃の威厳くらいつけられるでしょう。ええ、付け焼刃の。本物の威厳なんてものがあなたにあったら私はこんなに苦労してませんよ?」
「ふふ、君は清々しいほどに僕に対して敬意を払わないねえ……」
「丁寧語使われてるだけありがたいと思ってください」
「ねえ君本当にメイドなの!?」
まだ叫ぶだけの余裕はあるようだった。
アリスとジュリアスは遠くに見えるエルサと黄金樹林を見定め、しかしまずはサレたちのもとへ歩み寄る。
ジュリアスがアリスの手を引き、笑みでその場に立った。
「やあ、お疲れ様、皆」
「お前だけテカテカしやがって、話し合いとは良いご身分だな!」
「第一声がそれってひどくない……? 僕は僕で結構がんばったよ……?」
サレがジュリアスの肩を強めに小突いていた。
そうしながらも、お互いの顔には笑みがある。
「で、うまいことやったのか?」
「ひとまずはね。僕の勝ちということになったよ。――まあ、僕が間違えたらエスター兄さんに討たれる約束をしたけどね」
「討たれる、か」
柔らかな笑みのジュリアスを見ながら、サレは唸った。
ジュリアスはエスターに勝った。
勝ったが、条件をつけたのだろう。
ここから先は王族の領域で、国家統治に関する事柄であれば、自分たちが首を突っ込む隙間はない。
政治的な話になれば、所詮はナイアスに本拠地をおいているというだけの自分たちは出る幕もないだろう。
「君が内心で何を考えているか、なんとなくわかるから言っておくけど、この話は君たちにとってまったくの無関係ではないからね?」
ジュリアスに言われ、サレは疑問符を浮かべる。
「どうして?」
「僕の統治構想の中には、君たち〈ギルド〉という身分の者たちが不可欠だからだよ。簡単に言えば、〈王族〉、〈ギルド〉、そして〈土着の民〉。この三つが不可欠な要素になる。ここ数十年でナイアスに〈土着の民〉が生まれたのが僕の統治構想のきっかけでね」
ジュリアスが饒舌に話しはじめたのに気付いて、すかさずサレが止めに入った。
「おい、わかった、ものすごーく難しそうな話になりそうなのはわかった。そういうのは俺を抜きでやってくれ。――アリスとはすでに話し合ってるんだろ?」
「もちろん。――君じゃ理解できないと思ってね!!」
胸を反ってサレを無理やり見下すような体勢で笑いながら、ジュリアスが言った。
「ば、ばかにしやがってえ」
まったく理解できないわけではないが、端的に言えば『面倒くさい』のだ。
理屈だった考え方は好きだし、誰かを説得する時にはそういう理路整然とした話の筋を一応作ったりもする。
だが、面倒なのだ。
自分がそれをやらなければならない状態ならまだしも、今はアリスがいる。
元王女で政治的な話に詳しそうであるし、頭もいい。察しもいい。なによりギルドの全権を持っている。
だから、彼女に任せるべきなのだ。
なんでもかんでも副長がでしゃばって意見を述べてしまうと、かえってアリスが判断しづらい状況を作ってしまうこともあるだろう。
アリスはアリスで、よく気を遣ってしまうから。
「まあいいや。じゃあ、この先もお前に頼むよ。エルサ王女への道はつけてやったからな」
「感謝するよ。これであとはサフィリス姉さんとニーナ姉さんだね。アルミラージにも活躍してもらわないと」
アルミラージは今回のエルサとの闘争戦には参加していない。
当然、あくまでアルミラージは客員であり、サフィリスに対する個人的な思いから協力を申し出てきた。
ギルドとしてもアルミラージを関係のないエルサ戦に引き込むのは気が引けたし、筋という点でも納得しがたいところがある。
そういうわけで、彼は爛漫亭で待機中だった。
「じゃ、ちょっと話をしてくる。もう少しアリスを借りるよ、サレ」
「行ってまいります、サレさん」
すると、少し離れたところで他のギルド員たちに何故か胴上げされていたアリスが戻ってきて、小走りにサレに寄りながら通り際に言っていた。
「ああ、行ってらっしゃい」
ぺこり、と小さく頭を下げるアリスを、サレは微笑で送る。
見えてはいないだろうけど、声の雰囲気から胸中を察するくらいはしてくれるだろう。
「さて」
自分の出番は終わった。
道はつけた。
あとは少し休んで、次の闘争に備えよう。