137話 「冷姫との対面」(前)
エルサはマーキスと黄金樹林のギルド員を伴って浮遊島から湖都ナイアスへと降りた。
転移陣が行きついた場所はナイアスの中心市街だ。
アレトゥーサ湖が円形に大きくむき出しになっている、湖の中心。
停戦の申し出をするために、エルサはマーキスに言ってギルド員を遣わせた。
もちろん迎えに行くのは〈凱旋する愚者〉の者たちだ。
ついでに言えば、同盟に付き合ってもらった〈獅子の威風〉と〈地牙〉にも使者を遣わせたが、後者においては会合は見込めないかもしれない。ちなみに〈魔術教団〉はすでに来ないことを織り込んでいるので、ひとまず無視だ。
ともあれ、エルサとてさきほどの戦闘の概要は聞いているし、それを加味するとすぐにまた顔を見合わせて話し合いを、とはいかないだろう。
そもそも自分に対してもあの愚者たちが許すとは限らない。
エルサは多少の緊張と共に彼らを待った。
そこへ『凱旋する愚者』たちが訪れてきたのは、数十分あとのことだった。
◆◆◆
愚者たちの様相は多様で、あらためてエルサは彼らの姿を見渡して、内心に驚嘆を抱いた。
――よくもまあ、こんなに多様な種族が集まったものです。
〈異族討伐計画〉の布告と、その実行によって故郷を追われたものが、こうして集まってきた。
獣人も多い。獣人が多く住む東大陸から、この中央大陸まで逃げてきたのだろう。
おそらく、それもアテム王の方策のひとつなのだろうと、エルサは思っていた。
――アテム王国が中央大陸にあるのに、わざわざ中央に逃げてくるなんて、おかしいものね。
しかし、彼らは逃げてきた。
アテム王がそう仕向けたのだ。
『撃ち漏らし』があることを前提として、わざとこちらへ逃げ込むように回り込んだのだろう。
そうすれば撃ち漏らしたとき、近場にいることになる。狩りやすい。
だが、彼らは狩られていない。生き抜いてきたのだ。追撃もあったろうに。
「はじめまして。愚者のみなさん」
「やっべえ、すでに愚か者呼ばわりされてるぜおい」などと向こうの異族たちから声があがるが、ツッコミは本業ではないので無視だ。
彼らが続けて、「いやだって、名前がそうなんだから仕方なくね? そもそも最初から変に掛けないで、イデア・ロードって名前にしときゃよかっ――うわ眼鏡やめろ」とやり合っているが、それも無視だ。
――はやくまともに会話できそうな方、出てきてくれませんかね。
ギルド長がジュリアスについて空都に行っているから、責任者がいないのだろう。
「――」
ふと細部を見ても、そういえば、『魔人』の姿が見当たらない。
「魔人族の方は――どこに?」
思わず訊ねると、向こう側のギルド員たちがニヤニヤとした笑みを浮かべた。
「ちょっと別所で獣人娘のおっぱいを揉――間違えた、ちょっと所要で席を外しているだけさ」
「なあ、あのときの副長、絶対シオニーの胸に狙い定めてたよな。あれもう演技じゃねえの? 最後『うん』とか言ってたじゃねえか。ぜってー胸のうちでほくそ笑んでやがったって、あの野郎!」
「まあまあ、たまには癒しも必要さ。どうせ調子に乗ったらあとでボコられるんだから」
――いったい何の話をしているのだろうか。
わからないが、あえて深く聞くべきではないとエルサは察した。
しかし、その直後、遠くの家の屋根の上から二つの影が降ってきた。
黒髪の男と、銀髪の女だ。
黒髪の男には髪と同じ色の尻尾が生えていて、銀髪の女の頭からは、犬耳が生えていた。
二人が近づいてきて、向こうの〈凱旋する愚者〉たちの集団に合流する。
すると、そっちの方で、
「お、噂をすればじゃねえか! それで――――揉めたか?」
数人の男が、黒髪の男の方を肘で小突きながら訊ねた。
黒髪の男のほうは、それを言われて急に眉尻を下げた。悲しみの表情だ。
口角も下がり、とにかく覇気がない。まるで恋人に振られた駄目男のようだ。
「む、無理だった…………あと一歩間違えてたら、俺の腕がレイピアの乱打で蜂の巣状態に……! くそっ! 意外と隙がねえ!」
「なんだよー、結構期待してたんだぞ? ったくよー、あそこまで接近したら、あとはサッといって、グッとやって、『ウヒョー』って声があげて、完璧だろうが」
「サッとやった。グッて音がなって、『バキッ』って俺の指が曲がった」
「おおう……」
黒髪の男が俯き、目元の涙をぬぐうような仕草を見せる。
彼の隣に男たちが群がっていって、彼の肩を優しく叩いていた。
「次、がんばろな」
「でもよ、シオニーで、あそこまでいってダメとなると――もう希望なくねえ? だって他のやつはもっと、その……あれだろ?」
「いくら胸にぶら下げてるもんが魅力的でも、その持ち主の難易度がなあ……」
「お、お前ら私を簡単な女みたいにいうなよ……!!」
そこでついに、銀髪の獣人娘がこらえきれないと言わんばかりに怒鳴りをあげた。顔は真っ赤で、ぷるぷると身体を震わせながら、自分の乳房を隠すように腕で覆っていた。ついでに涙目だ。
「ごめんごめん、俺たちだって、別にシオニーをちょろいだなんて、思ってねえって。安心しろよ、シオニーのおっぱいが一番難易度的に揉みやすそうだなんて、全然思ってねえからさ」
「思ってないからさ!」
ほかの男たちの言葉にかぶせて、最後に黒髪の男が言った。
だが、
「ふおおおおおおおっ!! なんで俺にだけレイピアが飛んでくるんだよおおおおお!!」
顔を真っ赤にした銀髪の獣人娘が、腰から抜き放った細剣を、思い切り振りかぶってから投げていた。たぶんその使い方はおかしいが、これもツッコんではいけない気がする。
ぎゃあぎゃあと騒ぎ始める向こう側を見て、エルサは途方に暮れた。
――〈獅子の威風〉も、〈地牙〉も、このギルドに負けたんですよね。
ついでに言えば、〈魔術教団〉はこのギルドを見て逃げ出した。
今の彼らを見て、魔術教団は判断を誤ったと悔やむだろうか。
エルサは少し、気になった。
◆◆◆
サレは気を取り直して、向かい二十メートルほど先に立っているエルサとマーキスを見た。
彼らの後ろには黄金樹林のギルド員――黒装束に身を包んだ者たちが綺麗に立ち並んでいる。
壮観だ。
ナイアスの住人たちは好奇の目を送りながらも、さすがに近づいたりはしていない。
ギルド間のいざこざが日常茶飯事とはいえ、並々ならぬ様相だからだ。
サレは王族会合に参加した時に黒い布越しとはいえエルサを見ている。
ゆえに、このナイアスの街にちょこんと立っているのがエルサであると、疑わなかった。
「あのか弱い感じの黒ドレスの女性がエルサ殿下であるか?」
空から降りてきたギリウスが、サレの隣に着地して首を傾げている。
「そうだよ。間違いない。顔もそうだし、なによりテフラ王族は何かと特徴的な雰囲気を放っているから、なんとなくわかる」
「そうであるか。――さて、ぼちぼちこちらも集まってきて、周りの住人達から見ればずいぶんものものしい雰囲気であろうが、どうするのであるか」
「どうするったって、俺たちを案内した黄金樹林のギルド員が『停戦の申し込み』だって言ってたじゃん。しかもこっちに勝利を譲るって形で。もう争わなくていいんなら、それでいいんじゃない?」
「うむ、そうであるな。一応まだ警戒はしておくが、ではひとまずサレに交渉を頼むであるか。ジュリアスもアリスもまだ空都から帰ってきていないであるからな」
「俺そういうの苦手なんだよなぁ」
しかし、そうはいってもサレは現場における最高権限者だ。
このままお互いに見合ったままではナイアスの住人たちの気も縮こまる一方で、心臓にも悪いだろう。
ともあれ、前に出るしかない。
「せめてマリアがきてくれると助かるんだけど」
万事そつなくこなす枠代表であるマリアがいれば、何かとフォローしてくれそうだが、まだ彼女はここに到着していない。
二重尾行の引き剥がしの時に出ていったあと、プルミエールやその他負傷者の保護という形で、爛漫亭の方に戻っていったらしいから、まだ少し時間が掛かるだろう。
「弱音言ってられないな」
行くしかない。
口はあまりうまい方ではないし、策謀の力に関してもさほど自信はない。
目の前にいる黄金樹林のマーキスと、情報主義者とまで形容されるエルサ第三王女を前にして、自信があると断言できるのは、大国のエリート諜報員だとか、超人的密偵だとか、そういう別方面での化物くらいではないだろうか。
サレは内心に思いながら一歩前へ出た。
二歩を踏み、三歩、四歩とどんどん歩を速めていく。
そして、
「『はじめまして』、〈凱旋する愚者〉の魔人さん」
「はじめまして、エルサ王女殿下」
軽い一礼のあとに、言葉を交わした。