136話 「王女と戯れの神」(後)
「エルサ殿下、すっごく『スゥ、ハァァァ』って音が聞こえてくるのですが、あの、あとにしたほうがよろしいんでは……?」
「――――すいません、取り乱しました」
美人が女モノのパンツを鼻につけて、息を吸っている。
そのギャグのような光景が、マーキスには悪夢じみたものに見えた。
美人と下着。
ただそれだけならば、実に心躍る展開だ。男なら間違いなく食いつく。
美人がパンツの匂いを嗅いでなどいなければ。
――いや、これはこれで食いつく人がいるのでしょうか。
「やはり人の趣向は奥深いですね」マーキスは内心で思って、しかしすぐに気を取り直した。
「ごほん。――あー、それで、どうしましょうね」
「どうしようもないでしょう。マーキス、あなたはあの魔人たちと戦って、勝つ自信がありますか?」
「御冗談を。私、三秒で死ねる自信ならあります」
マーキスは言った。
「〈獅子の威風〉と、〈地牙〉と、あと〈魔術教団〉。この三つのギルドと黄金樹林のかく乱戦法を使って各個撃破できれば――それが理想でした」
しかし、
「各個撃破されたのはこちらの方でしたね。即時の連携とは、うまくいかないものです。セシリア姉さんならうまくやったのでしょうけど、私には戦事の才能はないらしいですね」
「戦神に好かれているような方とは一緒にして考えない方がよろしいのではないでしょうか。私はエルサ殿下の傍にいていろいろ考えましたが、あなたは十分にそちらの方面にも優れていると思いますよ」
これだけの戦力を整えたのはエルサの力が大きい。マーキスは思う。
よく知りもしないギルドたちをこうして闘争に引き込む手腕には、圧巻のものがあった。
しかも一度のミスもなく、選んだ相手を見事に引き込んだ。
この、場合によっては重傷を負うやもしれぬ闘争に際して。
見極める目と、引き込む言葉。話術もしかりだ。
「お世辞がうまいのね。でも、負けは負け。そもそも、ロキの話を聞く限り、たぶんあちらのギルドの長はジュリアスと一緒に空都へあがっているのでしょう」
「なぜそう思うのです?」
「それが一番安全だからですよ。だって、私やあなたでさえ気づかなかったのよ。それなら、ジュリアスの傍にいれば一番安全じゃない。バレないんだもの。まず攻撃されないんだもの」
「たしかに。言われてみればそうですね。ですが愚者の長と思われる女性は、見かけましたよ?」
「幻惑系の術式でしょう。あれほどの精度となると、妖術とか、そのあたりじゃないかしら」
「あー……そういえば、人狐族がいましたね、あのギルド。――他の種族が強烈過ぎて失念していました」
「周りに竜やら魔人やら鬼やら、そんな希少種がいては、さすがに普通の獣人系は薄れるでしょう。――そもそも、ああしてわざと姿を晒したこと自体、ジュリアスから目を逸らさせるためだったのかもしれませんね。二重尾行だ三重尾行だと勘ぐっては見ましたが、結局一番の目的はそこにあったのかもしれません」
「なるほど、これはしてやられた。一番はじめから、私たちは彼らの罠にハマっていたのですか。情報ギルドとしては実に完膚なきまでの敗亡だ」
マーキスは額をおさえて言った。
周りのギルド員たちもすべてを理解して同じように額をおさえた。
ところどころからため息が聞こえてくる。
「では、負けを認めますか」
「まだやりようはあるけれど、無駄なあがきという感は否めないですからね。ジュリアスがナイアスに戻ってきて、〈王神ユウエル〉を使うような事態になればそれこそどうしようもないですし」
それに、とエルサは続けた。
「私はこれでも……一応はジュリアスの姉ですから。自分のワガママで、あの子に『命』を使わせるのは嫌ですよ」
エルサは言った。
「心境の変化でもあったんですか? 前のあなたならもう少し食らいつくはずなんですが」
「この闘争でいろいろ考えるところがありましたからね。こうやって真面目に権力争いなんてしているうちに、今までにないような意気でいろいろと情報を集めましたけど、そのおかげで見えてきたものもあります。私たちは大人になったと思っても、結局は子供のままだったのよ。たぶん一番大人だったのは、ジュリアスなんでしょうね」
「あの方はあの方で、かなり日常は子供っぽいですけどね。ただあの覚悟の目は恐ろしい。あれでにらまれたら胆が縮みますよ」
「実際ににらまれましたし」とマーキスは笑いながら言った。
「そうね。それになにより、私が思っていた以上に、今の世界が混沌とし始めていることにも気づいたわ。ジュリアスが焦っていた理由がよくわかりました」
「――アテム王国ですか?」
「――ええ」
エルサは重々しくうなずきをつくる。
「駄々をこねて、テフラ王国としての準備の時間を、削らせるわけにはいかないわ。――だから」
彼女が顔をあげ、額で切りそろえられた黒髪を揺らせ、言う。
「――やっぱり、早めにサフィ姉さんを止めないと」
「それが一番の目的でしょうに」マーキスは笑いながら言った。
その視線は、エルサが握りしめている純白のパンツに向けられていた。




