131話 「黒い衝動」(前)
『わかってんな。ガーとやって、ドーンだぞ!!』
頭の中で、黒炎の意思が語りかけてきた。
――今だけはしくじらない。
三代魔人皇帝の、黒炎術式。
『黒砲』。
「――――いけ!!」
サレの眼前に展開された身長大の術式陣。その陣の中心へと、高音を立てながら黒炎が収束していき――黒光の閃きのあとに、極大の光の線として放たれた。
◆◆◆
プルミエールはギリギリのところでなんとか細い一本の矢を作り出し、それを撃った。
細く弱弱しい天力の矢だが、撃つしかなかった。
たとえ途中で行動をやめたところで、ヨハネが銀の矢を撃たないわけではない。むしろ、なんのプレッシャーもない状態で、自分をよく狙って、その矢を放つだろう。ならば、まだだめもとでこちらも矢を放った方がいい。まったくプレッシャーを与えないよりはマシだ。
指が金の矢から離れ、大弓の弦を振動させて、一瞬のうちに十数メートルを飛んでいく。
矢が風を切って飛んでいく後姿を見ながら、さらにその向こう側から、ヨハネが銀の矢を放ったのを見た。
こちらが撃てば、あちらも撃つ。そうして、どちらかが矢に当たって砕け散るまで――
でも、きっと――
これが最後だろう。天使はそう思った。
そうして、それでも自分から諦念だけは表すまいと、目を瞑らずに銀の矢を眺めていた。すると、
「っ――」
黒の光が、視界の横から高速にて飛翔してきた。まるで自分を銀の矢から守るように、飛んでくる矢と自分の身体の間に、黒い光が身を割り込ませてきた。
――これは。
「――サレ……」
ただその名が、プルミエールの口からこぼれていた。
◆◆◆
サレは、プルミエールからわずかに横にずらした空間へ、黒の波動を放っていた。
予測と、あとは勘だった。
プルミエールが弓で地上の敵と撃ちあっている姿を見ていたのが幸いした。二発の相互射撃。それは、どちらもが同一の軌道をとっていた。さらに言えば、タイミングも同じだ。プルミエールが放ったと同時に、ほぼ同速で、地上から銀の矢が放たれる。
だから、サレは予測した。
きっと次の射撃も、同じ軌道とタイミングで放たれるだろうと。
それに対する確信は、それこそ勘だ。それ以外に別の予測があるわけでもなかった。
ゆえに、サレはその道を行った。
プルミエールが金の矢を射出すると同時に、三代皇帝ガゼルの黒炎術式『黒砲』を放った。銀の矢がプルミエールの身体に当たる前に、その軌道線上に壁として黒砲をおくべくして。
結果、銀の矢は壁のように立ちはだかった黒砲に阻まれ、黒光の中に埋没し、消滅した。
銀の矢が黒光の壁をつきぬけてプルミエールの身体を襲うことはなかった。
そして――
その一手の攻防のあとに、状況が加速した。
◆◆◆
天を斜めに突きぬけていく黒い砲撃を見上げた愚者が、何人もそこにいた。――凱旋する愚者のギルド員たちだ。
彼らは空へ駆けていく黒の光に見覚えがあった。戦景旅団との交戦のうちで、それを見たことがあった。
そして、天空でぽつりとひとりでいる白翼の天使の姿も、もちろん見えていた。
彼女は弱っているように見えた。
いままで一度たりとも見たことのない、天使の弱った姿だ。その姿を見て、愚者たちは「ああ、あいつも疲れたりするんだな」と、少しホっとしていた。
しかし一方で「なんで疲れてるのに無理するかなあ」と苦笑で首を傾げてもいた。そうして苦しいながらの笑みを浮かべていられたのは、もちろんプルミエールの安全が確保されたからだ。あの銀の矢が彼女を貫いていたら、笑みを浮かべる余裕などなかっただろう。
愚者は空を見上げ続けた。
走り、天使のいる空中の真下位置へと向かいながら、空を見上げる。
胸中で、彼らは思った。
――来い。来い。
黒の光は、魔人の力だった。敬愛すべき自分たちのギルドの副長が、天使を守った。敵の攻撃をさらに強烈な攻撃で殺して、剣として、慣れない守護をしてみせた。
――今こそお前の出番だろ。
でも自分たちのギルドには、もっと守護に適した男がいる。
――さあ、来い。俺たちもすぐに天使を助けに行くから、だから――
愚者たちは願った。
「ギリウス!! あの愚かな天使を助けてやってくれ!!」
誰もが見上げた空の先。天空の道を、
一体の巨大な黒竜が、突き抜けてきた。
◆◆◆
黒の竜は、その圧倒的な飛翔速度で身体の周りに空気の波をまといながら、プルミエールのもとへ現れた。
ちょうどその時になって、地上から二発目の銀の矢が放たれていた。
銀色の光の筋を宙に描きながら、プルミエールに向かって銀の矢が走っていく。
しかし、その後ろから来た黒い竜が、片手でもってその銀の矢を――叩き落としていた。
まるで飛ぶ蠅でも叩き落とすかのように、猛然とした腕の振りで銀矢を地上に叩き落としたのだ。
その手は紅色の炎のような術式燃料のゆらめきに彩られていて。
黒の竜は巨大で猛々しい竜翼を羽ばたかせながら天使の傍に滞空すると、その牙のついた口を開いた。口を開いた拍子に、紅の炎が端のほうから漏れ出た。
「クハハ! なかなか無様な姿であったぞ! プルミがなよなよっとした姿を見せるだなんて、きっと明日には空都が湖都へ落ちてくるに違いない!」
「う、うっさいわね……ギリウスのくせに」
黒い竜――ギリウスは、プルミエールが自分を『愚竜』ではなく『ギリウス』と名で呼んだことに、少し驚いて目を丸めた。その呼び方の変化に、彼女なりの気持ちの表れを見た気がして、皮肉もほどほどにしてやることにした。
「――マコトはどうしたのよ」
「マコトはマリアに任せてきたのである。マコトもたらいまわしにされてどんまいであるな」
ギリウスが口から炎を交えて笑い声を飛ばした。どうにも、やや興奮気味らしい。その縦長の瞳孔は、笑いながらも地上のヨハネを捉えていた。
その様子にはプルミエールも気付いていた。
たぶん、この竜は怒っているのだと、確信を得た。そしてその怒りの原因の少しは、自分にもあるのだと、気付いてもいた。
「――悪かったわ」
だから、プルミエールは謝罪の言葉を紡いだ。
「ほう。なにがであるか?」
ギリウスは視線をプルミエールに一瞬だけ移して、訊ね返した。
対するプルミエールは視線をそらしながら白翼をせわしなげに羽ばたかせた。素直に言葉を紡ぐことにたいする照れを表しているようだ。しかし、そのあとで、観念したようにギリウスの顔を直視して、言った。
「疲れてるって、黙ってたこと。あと、その状態で、前に出てしまったこと」
「――簡潔に言うと?」
プルミエールは腕を組んで、そっぽを向きながら、頬を少し上気させて答えた。露骨な照れ隠しのようだった。
「……心配かけて――悪かったわね」
「――あっ!! 今こそ記録術式をっ! 吾輩の初勝利の記念に! 今こそ音声記録の術式道具をッ!! ――くっ! 我ながら備えが悪いのであるな!」
ギリウスがわざとらしくあたふたと身振り手振りで焦ってみせる。
その露骨な挑発に、しかしプルミエールは対抗できず、
「く、くそう……!」
きっと初めての、ギリウスに対する悔しげな悪態の言葉を吐いた。悔しいということは、自分がこの言葉の攻め合いでギリウスに負けたことを、自分で認めているようなものだった。
「――ふう。さて、吾輩結構満足したので、このへんにしておくのである」
「…………」
プルミエールはジト目でギリウスを見つつ、無言の非難を浴びせていた。
「お、おお……ややあとが怖くなってきたのである……」
「…………まあいいわ。……で、私はやっぱり退くべきよね」
「うむ。いますぐマリアのもとへ行くがよい。マリアとイリアと、あとは海戦班の皆が非戦組の守護にまわっているのである。そこでプルミも守ってもらうがよかろう」
「マリアたちがいるってことは、あの偽の尾行戦は終えたのかしら」
「当然であろう。慣れないとはいっても、一対一で不出来をていするほど、吾輩たちの仲間は弱くはあるまい。吾輩がマコトを抱えたままナイアスを飛んで、皆に集合を伝えていたころには、シオニーは片手で黒装束を締め上げておったし、クシナもまた別の黒装束の頭を踏みつけながら『ハハハ! オラ! 命乞いしてみろよォ! なあ!!』とか楽しそうにやっていたのである」
「あの子たちもストレスたまってたのかしら」
「まあ、ああいうチマチマしたやり方は好きではないであろうしな。――ともかく、そうやって別作戦に参加していた皆も呼び集めたので、そろそろ来ると思うのである」
「たいそうなことね」とプルミエールが締めて、
「じゃあ、あの地上の地使と、これからのエルサへの道の設置は、あんたらに任せていいかしら」
「もちろんであるよ」
「……そっか」
プルミエールは口元に少しの笑みを浮かべて、
「じゃあ、私はあんたら愚民の忠告通り、今回だけは――大人しくしてるわ」
地上へと高度を下ろしていった。
その降下の途中で眼下に見える街並みの一方に視線を向けて、
「あんたも――心配させて悪かったわね」
言葉を紡いでいた。
プルミエールの視線のさきには――
魔人が、黒い翼を背に爆発させて、ヨハネのもとへと猛突している姿があった。