129話 「天使と地使」(中)
その日そのとき、ナイアスの一角に金色の日輪が落ちた。
◆◆◆
「――あそこか。……すっげえわかりやすいな……」
サレは落ち行く金色の日輪を見ていた。
いつかの模擬戦でも見たプルミエールの天術式だ。
そして、
「――銀色の壁……?」
その日輪を下から受け止める、銀色燐光を灯した巨大な『壁』をみた。
銀色の術式燃料の粒子でできているところを見ると、術式による防護壁だ。
それも――かなり強力な。
「受け止めるのか」
サレは感心すると同時に、歩を速めた。跳躍を大きくする。
――プルミエールの天術を止めるほどの使い手。
プルミエールが不利をていするとは思えないが、それでもやや不安が残る。
「お前、無理してないだろうな」
先日の死闘からたいして時間が経っていない。
そして、プルミエールは天使族で――
言うほど頑丈にはできていない。
それが同じ魔人族たるアルフレッドとか、それ以上に生態的に規格外な竜族のギリウスなら、まるで心配しなかっただろう。
でも、天使はそこまで頑丈ではない。
肉体的には純人に翼が生えた程度だ。その弱みを戦闘に際して感じさせないプルミエールはそれだけで驚嘆に値する力量の持ち主だが――
もしかしたら、まだ疲れが取れていないかもしれない。
――それをまったく見せないから、ある意味たいしたものだけど――
でも、
――俺たちにまで見せないとなると、お前に無理をさせてしまうかもしれないじゃないか。
だから、
「――急ごう」
サレは黒翼で飛んだ。
◆◆◆
「地術式――『聳え銀山』」
ヨハネの前方に、銀の山がそびえたった。それは銀の術式燃料粒子で造られた壁だ。
術式の防護壁。
それも、見るからに堅固だ。
そして、銀の壁は上空からの金の日輪をすべて受け止めた。
「――地術……生意気な力ね……!!」
「大地の力こそ頂点だ!! 天空をふらつく虚弱な天力などと、一緒にしてもらっては困るぞ!!」
「ハナから一緒にする気なんかないわ!! 地中にこもる、陰気くさい地力なんかとッ!!」
下からは地使が、上からは天使が、罵声を飛ばした。
◆◆◆
――むかつく。
世の中には生理的に受け付けない相手がいるというが、自分にとっては眼下の地使がそれだ。
プルミエールは胸の辺りにむかつきを感じていた。
――天使と正反対だわ。
陰気で、地界という地中世界に住んでいて、地の底に自然存在する『地力』をつかう。
地の底へいけばいくほど、強くなる地使。天の先へいけばいくほど、強くなる天使。
百万歩譲ってその性質は許容しよう。なんだか陰気な能力のやつだと、上から揶揄していれば済む話だ。
だけど、
――あのもろもろの性格が許容できないのよ……!
クソがつくほどに真面目。いや、真面目というより堅苦しい。頭が固すぎる。
そのうえ頑固だ。
ああ、考えるだけで疲れてくる。
昔一度だけ、地使族の王族と会談の席に座ったことがあった。
天界と地界で、交流をしようとした。
よくある文化交流のようでもあったし、真逆の世界間での物品交換とか、そういうやや政治的な要素もあった。
そのときの天使族は新しいものが好きだった。
だから、真逆の場所に住む地使族の存在を知って、好奇心で近づいた。
それが失敗だった。
顔を合わせたときに、たぶんお互いに直感していた。
『こいつらとは絶対に話が合わない』と。
馬鹿みたいな直感だったけれど、その直感は見事に的中した。
生理的に受けつけない、という直線的な嫌悪はたしかに存在するのだと、そのときわかった。
むしろ、それを越えた『本能的に受け付けない』がそこにはあった。
天使族がそれまでの長い間、なぜ地使族に関わってこなかったのかを、私は理解した。
天使の先祖たちが言っていた『地使には近づくな』という意味が、よくわかった。
なにを言われても癇にさわるのだ。
まるで反抗期の子どもが親のなにげない一言に怒るかのように、なぜか言葉のひとつひとつが神経を逆なでした。
もはやそういう風にできているとしか思えなかった。
あの時は数日もしないうちにお互いに会談場に姿を現さなくなって、会談は自然消滅した。
でも、たった数日の会合で、覚えていることもある。
眼下の男だ。
ヨハネ・アレクサンダー・ソロモンは、あの場にいた。
地使族の王子として。
ソロモンの名は、地使の王家の名だった。
◆◆◆
「あんたは下に行きたい、私は上に行きたい。…………終わらないじゃない、こんなの」
プルミエールは言った。
天力を求めて空へ上がりたいが、それだと離れすぎる。
そして、ヨハネは絶対に空へは近づかないだろう。地を離れれば、あの銀色の地力燃料は薄くなる。むしろ向こう方は地へ下りたい。湖都の地盤をぶち抜いて、湖内部を貫通して、それでも下へ行きたいのだろう。その欲求は、天使が天に昇りたくなる衝動と同じようなものだと、知っている。
本当にモグラのようだ。
「そうだな。天使と地使は、そもそも本質的に離れるようにできているのだろう」
「そうね。――なら今のうちに答えなさいよ。これ以上離れて、お互いに姿が点にしか見えなくなる前に、声が聞こえるうちに、答えなさいよ。――あんたは黄金樹林なの」
「違う。黄金樹林の、同盟ギルドだ」
「あんたもなの。……ほんとあのギルドって、姿の見えない霧の中の樹林みたいね――あのクソ狐目……!」
自分たちは直接手を出さずに、新たに得た手足を使って差し向けてくる。
さっきの獅子の威風ギルドの件で予想はしていたが、さすがにこれが続くと鬱陶しい気持ちにもなってくる。
「対価はなによ。あんたらがあの黄金樹林とエルサに協力して、それで得るものはなに」
「――居場所だ」
「あんたらには地界があるじゃない。民だって、生き残ったんでしょ」
天使族と違って。
「地界は埋まった」
「――は?」
「地界は『奴ら』に壊されて――崩落した」
プルミエールは言葉を失った。
「壊すって……」
「ならば逆に聞こう。お前の天界はどうしたのだ」
「まだ遠くに浮いてるわ。……たぶんね」
「――そうか。ということは、『天空神』はまだ寝返ってはいないのだな」
待て。
プルミエールはその言葉のあとで、一気に身体が冷えた気がした。
「――あんた、なんの話してるの?」
お互いに話がかみ合っていないようだった。