127話 「悲劇の記憶」(後)
「おい、大丈夫か」
「……ああ」
サレが急に頭を抱えてフラつきはじめたのを見たレオーネはぎょっとして、とっさにサレの肩を支えた。
しばらくしてサレが再びその足でしっかりと地面を踏むと、ようやく手を放し、再び言葉をつむいだ。
「――余が調査兵団から聞いたのは、その『現場の奇妙さ』についてが大半であった。魔人の住処――元イルドゥーエ皇国領以外にも、いくつかの急襲の場所へ調査兵団を送ったが、そのうちの大半で、魔人の住処ほどではないにしろ、些細な奇妙が発見された」
「そうか――」
レオーネは一歩さがって、サレの全身を眺める。
フラついたときよりはマシだが、サレはまだどこか頼りない立ち姿をしていた。
顔がうなだれ、赤い瞳が地を向き、下の白石板からの反射光を受けて、奇妙に明滅している。
瞳が揺れているがゆえの、光の揺蕩いだ。
「余の国も、テフラからそう遠くない南方という立地ゆえに、いくらかサレたちと同じ境遇に陥ったものたちが流れてきたのだが――」
レオーネは続けて言う。
「その者たちも貴様同様、そのときの出来事を振り返ることにいたく後ろ向きであった。振り返るに後ろ向きとも、どことなく不思議な言い回しではあるが――」
ともかく、
「――一族を皆殺しにされるような出来事に、普通は出会わぬ。余にもその出来事によって受ける生き残りの『衝撃』は計りしれぬ。そのつらさもわからぬ。ゆえに、多くは言えぬが――」
だが、
「本当にその理不尽を解明したくば、貴様たちはもっと『振り返るべき』なのだ。そうとだけ、言っておこう」
「――そう……かもしれないな」
サレは、再びの逡巡を、レオーネの言葉のあとで行った。
◆◆◆
――誰も詳しくは話さない。
話してしまえば、思い出してしまうから。
凱旋する愚者の面々は、だから話さない。
そして誰も――聞かない。
思い出させたくないから。
俺たちは、おそらく、唯一、
――『共感』できる。
一族を皆殺しにされるという、普通おこりえないような境遇。理解の及び難い階層の話。
その心中を察することができるのは、同じ階層にいるもの――もしくはその階層を知るものだけだ。
共感できるからこそ、察してしまうのだ。
話させることによる、そのあとの、『回顧の苦しみ』を。
――でも。
レオーネの言うとおり、それはたぶん違うのだ。
――俺たちは、知りたかった。――知りたい。
そしてできることならば、理不尽を知って、それに相応の対処をしたい。
知らないままで過ごすには、これはあまりに凄惨な出来事だ。
――不条理を抱いたまま、お前は死ねるのか。
「――死ねない」
死んでたまるものか。
……。
そろそろ、さらなる一歩を、過去へ踏み出す必要があるのかもしれない。
絶望のあとの、一間の休息は――みんなとれたのだろうか。
◆◆◆
「そうか。――そうだな。覚えておこう、レオーネ」
「うむ」
でも今は、
――振り返る暇はない。
「でも、俺たちは今を生き残ることを決めた。だから、まずはこの闘争を生きよう」
サレが顔をあげる。
視線を向けるのはレオーネだ。
獅子顔の男に、赤の瞳を叩きつけて――言う。
「あらためて勧告しよう。――『退け』、獣の王よ」
神を殺す眼が、獅子を射抜いた。
さきほどまでとは一転して、強烈な覇気を秘めた眼だ。
その瞳には金の六芒星が浮かんでいる。
レオーネは思わず片足が勝手に一歩を引こうとしたのに気付いて、それを鋼の理性で留めた。
そして、サレの視線に応えて言う。
「いいだろう。ここは退こう。この場所は余が命を捨てる場所には不似合だ」
「はは、じゃあ、どこならいいんだ?」
サレはひとまず殺気を緩めて、興味本位でレオーネに聞いていた。
「――最高の戦場でなら、余は死のう。また余の死が民のためになるのならば、喜んで死のう」
「なら、今ここで、民の命の代わりに自決を求められたら?」
「死なぬ」
「なぜ?」
「フハハ! そんなもの、余が生きていた方が民のためになるからであろう!! 余が戦い、負け、跪き、民にとって王である意義を失った時、はじめて余は死ぬ!! 民のためになる死に時というのは、余が王として死んだ時にこそあるのだ!!」
サレはレオーネの真っ直ぐな言葉を聞いて、思った。
「ああ。たぶんあんたは――本当の王だよ」
その死が安くないことを、ちゃんと知っている。
王として民たちの先頭に立つ意味を知っている。
「ほう、なかなか見る目があるではないか! 褒美として交渉の取り合いを考えてやってもよいぞ!」
「だろう? ――まあ、それはそれとして、俺にはまだやらなきゃならないことがある」
サレは皇剣を鞘にしまいこむと、遠くの街並みを見つめた。
視線はやや上を向き、浮遊島のあたり。空中だ。
「だから、またあとで、しかるべき立場で――まみえよう」
「そうか。――ふむ、王の在り方を理解する同志として、ひとつだけ教えてやろう」
すると、レオーネが獅子のたてがみを揺らしながら、サレを見据えていった。
「『獅子の威風』だけではない。ほかにいくつか、好戦ギルドがエルサ王女と黄金樹林に荷担している。貴様自身の民を守りたくば、気を付けることだ」
「忠告には感謝するよ。まあ、今の俺は皇ではなくて、『愚民』なんだけどね」
そういって、サレはその場から颯爽と跳躍した。
黒の翼はそのままに、隣家の屋根へと跳躍し、一度の着地のあと、猛烈な加速を得て跳び去っていく。
「わあー…………なにあれ……超過激なんだけど……」
羽ばたきで暴風を生み出しながら、彼方へと飛翔していった。
「ねえねえ、王サマ?」
「――ぬ? なんだ、ネール」
「次からああいう超人系の相手しなきゃならないときは、あたしを使わないでね?」
「なぜだ? 楽しいだろう?」
「いやいやいや!! あたしなんで生きてるのかちょっと不思議に思うくらい怖かったんだけど!!」
「ピュー……」
「ほら! お姉ちゃんもいつも以上にフラフラしちゃってるし!!」
「ふむう……ネールもリンデもまだまだだな。精霊族というのは存在感同様、どうにも覇気が薄くて理解できん」
「あたしは王サマたちみたいな超人系戦闘民族が理解できない……!!」
それからいくばくか、獅子と少女の会話がナイアスの路地に響いていた。
◆◆◆
プルミエールを探さないと。
サレの目的はそこに定まっていた。
ほかの尾行者を追っていったシオニーやクシナたちのことも気になるが、おそらくあれらはただの囮であって、逃げ足以外に大きな脅威はもっていないだろうと予測する。
そもそも、今にして思えば奴らの諦めの良さは不自然だ。
さらに言えば、
――追われてることに気付くのが早すぎる。
奴らはシオニーたちの気配を耳早く察知して、すぐさま自分たちへの襲撃を諦めていた。諦めて、逃げたのだ。
その判断が早すぎる。
――知っていたのだろう。
自分たちが二重尾行のカモと見なされている事実に。
ゆえに、それらはやはり囮で。
その中で、一番本命の可能性が高いのは、さきほど自分の代わりにプルミエールが追っていった術士だ。
だから――
一番強者である可能性が高いのは、プルミエールが追っている奴だ。
サレは屋根屋根を跳躍しながら、プルミエールの姿を探した。
「そういうお前の方こそ、死ぬなよ――」
サレは黒翼を人目にさらすのをまるで気にせず、彼女の言った「気合」を最大限に高めて、その姿を探し続けた。