126話 「悲劇の記憶」(前)
「魔人――ほう、魔人とな?」
サレの言のあと、レオーネは目を丸め、やや訝しげに首をかしげていた。
その視線が唐突にサレの身体を観察するものに変わり、頭のさきから足のさきまで、順々に焦点があわせられていく。
そうして、
「――なるほどな」
一人で合点したようにうなずいていた。
レオーネはたてがみを風になびかせながら、続きをつむぐ。
「貴様の手加減はあの『魔眼術式』を使わぬことに起因するのだな」
レオーネの言葉がサレの内心を突く。
「――ああ」
サレがうなずきを作った。
その顔は真面目そのもので、変に飾る気は見て取れない。
レオーネはサレの返答を聞き、
「そうか。……うむ、まあ、手がないわけでもないのだが、分が悪いな」
ううむ、と唸ってからつぶやきはじめる。
「――そのうえ、なによりも――『割に合わぬ』」
そうして強い息を吐いて、
「――よし、この場での負けは認めよう」
意外なほど手早く、そして率直に、レオーネは負けを宣言していた。
◆◆◆
「――意外か?」
ふとレオーネがサレの驚いたような顔に気付いて、そう訊ねていた。
「まあ、少しね」
サレはサレで、その様子を隠しもせずに正直に吐露する。
「フハハ、余は獣の王であるが、国の王でもある。――民のために今倒れるわけにはいかないのだ。特に近頃はアテム王国の異族討伐の宣言のせいで、やたらに物騒だからな!」
「やっぱり、どこの国にもあの宣言は伝わっているんだね」
「それは当然だ。あんな馬鹿げた布告が逆に目立たぬ理由がない。――そのうえ、宣言国がよりにもよって『アテム』だからな」
「事情に詳しそうだね?」
「自国でアテム勢力に対する調査兵団を出しているからな。――情報を知りたいか?」
「そりゃあ、当然」
「だが、貴様の肩書では足りぬな」
レオーネがにやりと笑い、鋭い犬歯を口の間から見せつけながら、続けた。
「――国ごと滅びた皇国の皇帝ではな?」
「――バレてたか」
サレがレオーネの笑みに同調して、嘆息を交えながら言った。
「うむ。アテム王国領の隣接地域に居住していた魔人が、今回の布告に際して無視されるわけがない。――かくいう余は強者には目がなくてな」
「それは知ってる」
「ゆえに、まっさきに魔人の隠棲の噂を思い出して、異族討伐計画布告のあとにすぐ調査兵団を送った」
レオーネがサレの目を直視する。
そうして、その目の色の漂いから心中を察しようとした。
そのまま続けて、
「――旧イルドゥーエ皇国領の森の奥深くまで入って、抉れた森の一部と、倒壊した城のようなものを見つけた」
レオーネは、見つめていたサレの目の奥に、
――赤と黒の――憎悪だな。
黒い光を見た気がした。
「――魔人は滅んだのか?」
「まだ俺がいる」
「そうだな」
「……だが、レオーネ、あんたの予想はたぶん当たっているよ」
「――そうか」
サレの表情は揺れない。変化を灯さないように尽力するかのような、そんなややぎこちない無表情だ。
「ならば――」
レオーネはさらにたずねた。
「自分たちを襲った理不尽の正体にも、多少は得心を得ているのだろうな」
「――」
サレはレオーネの言葉を聞き――唖然と呆けた。
その顔を見てレオーネは目を見開き、
「なに? まさかなにも気付いておらんのか?」
「なにを――」
サレは口を半開きに、目だけを大きく開いて、レオーネの反応を待つ。
「しばし待て――余がおかしいのか? ネール!」
「い、いや、王様が今言おうとしていることは合ってると思うよ? あたしは」
「ふむ。――再び聞こう、サレ。貴様はあの場所の『異常さ』に気付かなかったのか?」
「異常さ……?」
「そうだ」
レオーネは続ける。
「報告では、あの場所には死体がなかったという。魔人族はその数を激減させたとは聞いていたが、それでも貴様以外を殺されたのならば、死体のひとつやふたつ、残るだろう」
「それは――」
サレは「そんなことか」と胸中でなぜかホッと一息ついて、少しの沈黙のあとに答えた。
「――俺がこの眼で塵になるまで壊したから……。同族の身体を、全部」
なぜホっとしたのか。
その理由は自分でもわからなかった。
ただ、『あの出来事』を思い返すことに対して、少しの『恐怖』を無意識的に抱いてしまっているような感覚はあって。
――俺は、あの思い出を振り返ることを、無意識に避けているのだろうか。
だから、レオーネが過去を振り返るきっかけを口走ろうとしているのを察して、焦って、しかしそれが的外れであることを知って、『安心』したのだろうか。
――馬鹿な。
サレはその無意識的な内心の遍歴に、理性でもって戒めの言葉を贈った。
――俺はなんのために、こうしてテフラで身を削っているんだ。
すべての根源は、『自分を襲った不条理』を解明するためだ。
知りたい。知りたかった。なんで。どうして。――それを。
――なんのために、魔人を――異族を殺す必要があった。
それを知るためには、まず生き残らなければならない。
だから、こうしてアテム王国の剣から身を守る『盾』を作るために、テフラにいる。
「そうか。その点は納得がいった。――ではもう一つだ」
「え?」
「まだ不可思議な点はある。今、貴様は『同族の身体は』塵に消したといったな」
ならば、
「『同族以外の身体』は、どうしたのだ」
サレは自分の心臓が浮き上がったような感覚を感じていた。
◆◆◆
「いや、それは――」
考える。
――それはアルフレッドたちを襲った存在が、魔人を凌駕するほどの手練れで。
もしくは、数による暴力か――
――待て。
前者はともかく、後者はおかしい。
数による暴力を使わざるをえないほどならば、アルフレッドたちが確実にいくらかの敵は殺しているだろう。数に頼らざるをえないのは、個人の暴力に劣っていると自覚しているからだ。
――いやいや。
そうしてアルフレッドたちが仕留めた遺体を、敵が持ち帰った。――その説はどうだろうか。
――馬鹿な。
「辻褄が合わない……」
外に出て分かったことがある。
――魔人は強い。
自惚れではなく、客観視のうえの事実だ。
これまで手合わせしてきた異族や、純人族、はたまた神族まで、実際に出会って気付いたのは、魔人の力強さだ。
相対化されてより認識しやすくなった、魔人族の強力。馬鹿げた耐久力。突き抜けた効力の眼。
それが、外に出て気付けた事実。
そんな魔人が、百人だぞ。
それも、自分よりずっと長く生き、そして強かった魔人が。
その魔人たちが相手にして、敵の死体のひとつも作れないとは、どんな化物の集団だ。化物と揶揄されるほどの魔人から見た化物とは、いったいなんだ。
そう考えると、敵が死んだ仲間の死体を持ち帰ったという説が再度浮き上がってくる。
だが、仮に魔人が仕留めた死体を持ち帰ったとして、そのためには敵は何人の兵を送らなければならなかった。
百人、対――万の軍勢か?
少なくとも千では足りないだろう。
――ありえない。
万の軍勢があの場にあって、その形跡を残さないなど。
サンクトゥス城付近は確かに荒れていたけれど、万の軍勢に踏み荒らされたほどではなかった。足跡すらない。
そもそも、
無数の武器ぐらい、落ちてたって自然じゃないか。
百歩譲って、襲撃者が正体を隠したいがために、仲間の死体を持って帰ったとしよう。
だが武具までもを持って帰るか? 持って帰れるか? 死んだ仲間の分の、重い武具までもを。
そんなことをしていて、俺が気付いて戻るまでのあの短い間で逃走が可能なのか?
――ハハ、竜族がたくさんいれば、できるかもな。
「落ち着けよ……」
アテムは『純人国家』だぞ。
――ああだめだ。
だめだ。
なんだ。
くそ。
頭が痛い。
混乱してくる。
頭が思い出の不自然さを認めることを、拒否しているようだ――