125話 「獅子王と魔人皇」(後)
――どうやらおしゃべりは終わりのようだ。
切り替えろ。
サレは自分に言い聞かせる。
声と共に、みしり、と音を立てて獅子の足元の白石が割れていた。強烈な踏み込みだ。
その巨体を高速で弾くための、強烈な踏み込み。
――来る。
サレはさきほど確認した皇剣の位置を見る。
――行け。
即時、サレは黒翼を羽ばたかせた。
さらに己も同じような石を割るほどの膂力でもって、踏み込みをいく。
「はっや」
サレの隣にいた少女――ネールからそんな声があがる、
ネールの声があがり、宙に消えるまでのわずかな間で、サレはイルドゥーエ皇剣の近場へ移動していた。
突っ込んできた獅子の方は、その視線でサレを探しているが、サレの驚異的な速力に一発では反応しきれず、若干の遅れをていして、のちにサレの姿を見つけた。
「そうか! 貴様の得物は剣か!!」
獅子が方向転換をする。
踏み込むたびに湖都の石床が割れ、破片を飛び散らせている。
「――」
レオーネが方向転換した瞬間に、サレも行動を起こしていた。
皇剣を右手に、左手逆手に背の短剣を持ち――身を弾く。高速の突進。
そして、
「奇妙な翼を持っておる!!」
異常な速力を保ったままの、鋭角的な切り刻みだ。
背の黒翼を右に左にと羽ばたかせ、高速で左右に道を刻みながらレオーネに突っ込んでいく。
レオーネの瞳孔はサレの姿を追い、右に左にと揺れ、そして、最後には真ん中で停止した。
左右に身体を振っていたサレが、自分の真正面に立ったのだ。
「――っ」
獅子は声をあげない。もはや必要ないからだ。
代わりに拳を振るった。
目の前のサレの頭部を横から薙ぐような、フック気味の一撃。
しかし、その拳が空を打った。
目の前に現れたはずのサレの頭部が、視界の下の方へ消えていったのだ。
――股をくぐりよった。
恐ろしく速い。
生き物の速度というよりは、もっと――そう、夢の中の化け物のような抜群の速度だ。
視覚で追うとしたら、よほどの精度と反応の良い眼が必要だろう。
レオーネは振り返らない。
自分の股をくぐって背に回り込んだであろう化物の姿を見る余裕がない。
反射的に前へ跳ぼうとして、ようやく自分の身体に起こった異変に気付いた。
――いつの間に。
自分の右太ももに、美麗な白金光を発する短剣が突き刺さっていた。
今の間だ。
今の間に、股を潜る時に、化物が右足に短剣を突き立てていたのだ。
痛みが走り、反応が遅れ、ゆえに、前への跳躍を諦めた。
そうしてしかたなく――
「ふんっ!」
振り返らずに――身体から『炎』を噴射した。
◆◆◆
サレの視界を赤い光が覆った。
「――っ!」
熱い。
熱だ。
――なんで、目の前で熱さを感じるんだ。
レオーネの股の下をくぐり、背に回り込みながら振り返り、その胴部に皇剣を横一閃しようとした瞬間、それが起こった。
レオーネの身体から赤い炎が噴き出たのだ。
自分が黒翼を展開するときのような、爆発的な炎の噴射。
これは――
「術式――」
奇妙すぎる発火を見るに、まず間違いなく術式の作用だろう。
火の気もないのに宙から発火してたまるか。
そしてもう一つ。
「――神格術式だな?」
獣人系は術式燃料を持たない。
「半獣人の異族のくせに、また神格者か」
まるで神格術式の安売りだ。
「よくわかったな! そうだ、余は神格者である!! ウルズ王国の『炎獣』とは余のこと!!」
獅子が身体に赤い炎を纏いながら腕を組んで言っていた。
その身はサレの方を振り向いていて、またもや最初の対峙状態に戻る。
サレはサレで、レオーネの身体発火を避けた勢いのままさらに数歩を後方跳躍でさがり、体勢を立て直した。
「――なかなか良い一撃であったぞ」
すると、レオーネが右足の短剣を一気に引き抜いて、適当に投げ捨てた。
引き抜いた傷口から赤黒い血が噴き出るが、
「フハハ、ふんっ!!」
レオーネが気合を入れるようにして右太ももに力を入れると、一度だけ盛大に血が噴き出て、しかしそのあとすぐに出血が止まった。
「筋肉馬鹿め」
「肉体は戦の資本だ」
「同意はしておくよ」
サレは言いながら、次の一手を考えた。
すると、その間にレオーネの方から声が飛んできていた。強い声だ。
「貴様、手をぬいておるな? ――余を相手に、手をぬいておるな?」
――痛いところを突いてくる。
これまでのレオーネの言動から性格を推測するに、まず相手に手加減をされて黙っているような性格ではないだろう。そうサレは思った。
ならば、なにかしらのつっかかりが来ると、そうも思った。
だが、レオーネから飛んできた言葉は意外なもので、
「――そうか。余は貴様に手加減をされてようやく、相対の土俵にあがれるのか。……まだ修練が足らぬな」
謙虚だった。謙虚の上の、向上心の表れだ。
いつかクシナと手合わせしたときに、彼女が自分のいたらなさを認め、そのうえで向上を決意したときと同じ。
――獣人ってみんなこうなんだろうか。
それとも、この二人が特殊なだけだろうか。
「――『サレ』、理由を聞こう。余を相手に貴様が手をぬく理由を、だ」
「……」
サレはどうこたえるべきかわずかな時間悩んだが、悩む姿をみせるのもかえって失礼な気がして、あえて率直に答えた。
「殺すより、生かす方が俺たちのためになるからだ」
その言葉に偽りはない。
「俺たちはいずれ――ある強大な相手に勝たなければならない。どうあっても、負けるわけにはいかない。その目的のためには、あらゆる力の蓄えが必要だ」
「ほう」
レオーネは感心したように唸った。
次いで、
「――推察した。つまり、貴様は余を取り込むつもりなのだな。――『殺すのは惜しい』、と」
――察しが良い。
ネールの言っていた言葉は正しいようだ。――冷静ならば、頭は回る方だと。
「ハ、ハ、ハ。――余は他国の王だぞ? 余を取り込むということは、王国そのものをすら取り込むことと同義だぞ?」
「レオーネ、お前はそう言いながら、すでに遊行団――『獅子の威風』ギルドとして、エルサと黄金樹林に取り込まれているじゃないか」
「うむ、それも是だ。だが、これはあくまでギルドとしてだ。今回の同盟での余は、数十人の軍団を取りまとめるただの長であって、王ではない。――ややひねくれた解釈をすればだがな」
獅子がたてがみを揺らしながら言う。
「だが王として取り込むとなれば話は別だ。――どうなのだ、貴様は余をギルドの長として取り込むつもりなのか、それともウルズ王国の王として取り込むつもりなのか」
サレは笑みを浮かべ、返す。
「できれば後者でありたいね。借りる力は大きければ大きいほどいい。それほどに相手は強大だからな」
そこを強調する。レオーネが好きそうなフレーズだからだ。
サレの思惑を現実にあらわすように、レオーネの口角が少し上がり、笑みを象る。口の中からは獅子の鋭い牙が見え隠れしていた。
「ほう、興味深い。――だが余が王として貴様と交渉の席につくにしても、貴様の、ギルドという小規模な枠内での地位など、一国の王との地位を比べればあまりにちっぽけだ。交渉の席につくことすらありえぬ。少なくとも一般的な政治交渉ならな」
「――」
確かに。
そう思って、しかしサレは気付いた。
そして、臆せず言った。
「――なら、もし王としての交渉に望む気があるのなら――」
真っ直ぐに獅子の目を射抜いて、
「俺は魔人皇帝――イルドゥーエ皇国の『皇帝』として、その交渉の席に座ろう」
言った。