123話 「獅子王と魔人皇」(前)
けたたましい木材の破裂音を身に纏いながら、壁をぶちやぶってこちらに突き進んできた者。その姿。それはまるで――
――獅子だ。
まごうことなき、獣の姿だった。
それと同時に抱いた感想を思わず口に載せる。
「――めちゃくちゃだ!」
飛んでくる木片を両手で弾きながら、一歩二歩と後退する。
サレの後退に同調するように、壁をぶち破ってきた巨大な獅子は前へ前へと進んでくる。
よく見ればその獅子は『人型』だった。
顔と首元から生えるたてがみはは獅子そのものだが、身体が人だ。服も着ている。四肢は獣のそれのようで、しかも相応に太い。
――『半獣人』。
『フハ、フハハハ!! 強者の匂いがするぞ!! 余の好む匂いだッ!!』
獅子はすさまじい哄笑をあげながらまっすぐに突き進んできていた。
音の波動がサレの耳を打ち、不快な痛みを感じさせる。
「勝手にハイになってないで名乗りのひとつでもあげたらどうよ!」
サレが皇剣を正眼に構え、さらに後方に下がりながら言う。
すると、目の前に迫る獅子がその獣の双眼をサレの顔に叩き付けながら、返した。
「いいだろう!! 答えよう強者の匂いを放つ者よ!! 余の名は『レオーネ』!! さあ、余は名乗った! 貴様も名乗るがいい!!」
言いながら、獅子が右腕を大きく振りかぶっていた。
「名乗らせたいならその腕をひっこめろよ……!!」
「だめだ!! 我慢ならん!! 貴様が本当に強者かどうか確かめるのが先だ!!」
サレはその返答と同時に、目を見張った。
――来る。
内心の確信が眼前の光景に映り――
次の瞬間には自分の左側面からメキメキと鳴る音と、肺の中の空気がすべて口から抜けていく感覚を得ていた。
獅子の巨大な拳が直撃していた。
◆◆◆
「がっ――!」
――速い。
そのうえ重い。
視界が回る。――身体が空中で真横に回転しているのだ。
踏ん張ろうとしていた状態から、問答無用に拳一発で吹っ飛ばされたのだ。
――狂った膂力だ。
自分が上を向いているのか、下を向いているのか、まるでわからないが、身体はそのうちに壁に叩き付けられる。
サレはそれを確信し、そこからの体勢の立て直しを願ったが、
サレの身体が木造の建物の壁に当たって――もろごと突き抜けていた。
「フハハ、フハ、ハハハハハ!! まだ死んではおらんだろう!? さあ、こんな狭い場所は闘争には向かぬ!! 外に出してやったぞ!!」
声が聞こえて、次に視界が明るんだ。
日の光だ。
次いで、サレの身体がついに地にぶつかった。白い石の表面を身体で削りながら、さらに回転する。
そして最後に、その身体は向かいの建物の石壁に激突して止まった。
サレの背中に激突の衝撃が走り、体中を走って、末端から抜けていく。
「かっは――」
息がすべて肺腑から抜けていって、思わずむせるが、顔をあげればそこに――
「なんだ!? もうダメになったのか!? 意外と『弱者』だったのか!? ハハハハ!!」
獅子の顔面が迫っていた。
その顔は楽しげな笑みに歪んでおり、
――人を派手にぶん殴っておいて、
「なんだその顔は――ッ!!」
サレの神経を盛大に逆撫でしていた。
◆◆◆
獅子男の高揚に彩られた笑いが、精神を高揚させてくる。
――つられる。
攻撃心が引きだされる。まるで戦いに誘う声だ。
『戦え』と脳髄にまで響かせてくる獅子男の声。これは『魔性』だ。
だが、
――ちょうどいいだろう。
殴られた。
吹っ飛ばされた。
害意をぶつけられた。
直撃に左側面の骨が軋み、一部は折れた感触すらある。壁に叩き付けられた背はじんじんと心地の悪い痛みを報せている。
――今は、落ち着くべき状況ではないな。
ほら、二発目が眼前に迫っているぞ。
こいつは容赦などしてこないようだぞ。
自分を殺すつもりだぞ。
これは敵だ。
お前の生命を脅かす敵だ。
ならどうする。
言えよ。
言ってやれ。
目の前の『こいつ』はそれを欲している。
◆◆◆
「――ぶっ殺す……!」
◆◆◆
獅子男の二発目の拳がサレの顔面から数十センチというところまで迫った瞬間、
「ぬっ!!」
サレの背中の黒翼が『爆発』し、背をあずけていた石壁を一瞬のうちに吹っ飛ばした。
同時に、サレの身体が黒翼の推進力を受けて弾かれたような加速を見せる。
目の前の獅子男の腹部に頭突きをするほどの勢いでつっこんで、
「――むせび泣けよ!!」
密着状態からその腹部に向けて、魔人の豪腕がえぐりこむような角度で振るわれていた。
獅子男の方はサレの爆発的な前進加速からの密着状態に対応しきれず、振るった右腕を戻しながら、サレの頭頂を見下ろすことしかできなかった。
そして、
「ぐぬっ!!」
サレの拳が獅子男の脇腹辺りを下から撃ち抜いた。
べきり、と打ちこんだ拳の向こう側から何かが折れる音が響いて、
――撃ち抜く……!!
しかしサレは力をまるで緩めなかった。
そのまま腕が突き抜けろと言わんばかりの気概で、魔人の膂力を総動員する。撃ち込んだ姿勢からさらに腰を捻転させ、足を踏ん張り、回転を推進力に転換させて――
「ふんっ!!」
「ぐっ」
サレが撃ち抜こうとしたところを、今度は上からの拳の叩き落としが襲いかかった。
上からの強烈な叩き付けにガクリと膝が抜け、意図せず片膝をつく体勢になるサレ。
さらに上からの圧力を感じて視線を向けると、獅子男が拳を縦にして、まるでハンマーかなにかにでも見立てたようにして、それをサレの頭部へ振り下ろしていた。
「くそがっ!!」
その拳はおそろしい気配をサレに感じさせる。
――『死の気配』だ。
ゆえに、サレは追撃をやめて、獅子男の足をおきみやげとして思い切り蹴り飛ばして、その反動と黒翼の全開移動をあわせ、その場から高速で離脱した。
一秒もおかずしてその場に獅子の拳が振り下ろされ――その白石の地面をたたき割っていた。
◆◆◆
離れ、ようやく一息をつく。
お互いにだ。
サレは口元を片手の甲で拭い、獅子男を見る。
獅子男は振り下ろした腕を定位置にもどしながら、逆の手でサレの拳を受けた腹部をさすった。
やっとのまともな視線交差。
落ち着きのうえの、
「――『サレ・サンクトゥス・サターナ』」
名乗りだった。
サレの名乗りを受けた獅子男は、腹を数度さすって、さすったあとでニヤリと笑みを浮かべ、サレを見た。
「クハ、フハハ、効いた、効いたぞ! ――『サレ』!」
「あんたの拳もな――『レオーネ』」
――まったく、なにがどうなってんだ。
サレの頭にようやくまともな思考が戻ってくるが、いまだに状況はつかめない。
目の前の獅子男――レオーネが何者なのか。さきほどの少女たちとの関係は。――なにが目的なのか。
「――たまには国外へ来てみるのもやはり悪くないな、こんな強者に出会うのは久々だ」
レオーネは高揚のうつる笑みのままで、そんなことを呟いていた。
「――愚魔人」
すると、サレの耳に聞きなれた声が響いた。
その音が飛んできた方向に視線をわずかに向けると、
「王様ァ、こわい人につかまっちゃったー……」
「ピューって、ピューってさせられちゃうわあ」
さきほどの二人の少女の首根っこをそれぞれ片手に掴んでつりさげているプルミエールの姿があった。
どうやら二人の少女が外に出たあと、プルミエールの目に留まってものの見事に捕縛されたのだろう。
プルミエールは二人をかるがると持ち上げながら、訝しげな表情でサレを見ていた。
「この子たち、『黄金樹林』じゃないわ。『獅子の威風』ってギルドで――」
続けて、
「――黄金樹林の『同盟ギルド』よ」
プルミエールが放った言葉の意味を、サレは理解する。
――ああ、なるほど、なるほど。
これが、
「エルサ王女と黄金樹林の『やり方』か」
「そうね。報酬は知らないけど、何らかの交換材料を使っての――同盟ね」
――盲点だった。
自分たちにその方法があり得ないからと、あまり考えを巡らしていなかった。
いうなれば、
「――黄金樹林はその総合的な交渉力を発揮して、自分たちに足りない『暴力』を借り入れたのか」
自分たちにはそんな交渉力はない。
金、情報、そのほかの取引材料。――伝手。
「なんだか、この方法が一番ギルドらしくて、賢い気がしてくるな」
「小賢しいだけよ」
プルミエールは納得いかないようだったが、一応の賢しさは認めているようだった。
――ありか、なしか、闘争の性質をかんがみてみると、
「――十分に有りだ。こうしてほかのギルドを命がけの状況にその身を差し出させるまでの交換材料を持っているのなら、これが賢い選択だろう」
サレは視線をレオーネに向け直し、黒のマントを一度翻した。
そうして、
「だからって、俺たちが負けていいってわけじゃないけどな」
その瞳に赤光を宿して――言った。