122話 「見敵追走戦」(後)
――前へ。
サレは建物内への一歩を踏み、同時に左腰から皇剣を引き抜いていた。
侵入と平行して、周りの状況を感知するべく意識を万遍なく周囲に向ける。
木端。壁。机。椅子。
――いない。
だが、自分に鎌を振るってきた相手の姿が見えない。扉を蹴り破った時に、鎌は即座の動きで扉の向こう側へ引かれ戻った。
もう少しのろのろと動いてくれれば鎌の引かれる方向からその者の位置を割り出したものを、と思う中、そこで、
「――っ」
サレは背筋にゾっとするものを感じて、即座の反射で身を地面すれすれまで屈めた。
瞬間、
「あっぶねえ……!」
頭上を鎌の刃が閃いていた。
首を狩りにきた一撃だ。風を切る音が耳で鳴って、サレは天井へと目を向ける。
そこには、
「きゃははっ、お姉ちゃん! この人すごいよ! 二回もあたしの鎌よけたよ!」
だぼついた灰色のローブを着た『少女』が、甲高い声をあげながら天井に張り付いていた。
◆◆◆
喜色に彩られた幼い顔。幼い体躯。小さい。大鎌を振るうにはあまりに小さい。
だが、
「三回目も避けるかなあ!」
大鎌を振るうに見合わない体躯から放たれる鎌の横一閃は、サレが警戒心を抱くほどに鋭かった。
鎌がくるりと反転し、サレの首を再び薙ぐべく反対側から返ってくる。
少女は片手と両足で壁につかまって天井に張り付きながら、楽しそうな笑い声をあげていた。
対して、サレは、
「えっ?」
跳んでいた。
四肢を床について屈んでいた状態からの、真上への跳躍だ。
少女の呆けた声があがるが、その間にもサレの身体は勢いをたもって天井へと上がっていく。
「なになに!? かえるさんか何かなの!?」
少女がサレの跳躍力を理解できないといわんばかりに言うが、
「わ、わ、わっ」
サレが上昇しながら身体をひねり、天井に向けての回し蹴りの体勢に入ったのを見て露骨に慌てはじめる。
そして、
「お姉ちゃんっ、ちょっとこの人やばいかも!」
少女の腹部を横から薙ぐように、サレの回し蹴りが放たれた。
◆◆◆
サレは少女の横腹にためらうことなく蹴りを放った。
――入る。
少女の背中は天井に向いている。裏には下がれない。ほとんど逃げ場はない。
サレが蹴りの直撃を確信し、しかし、
――んん?
思わず胸中で呆けた声をあげた。
サレの回し蹴りは、少女の灰色のローブを巻き込んで――
少女の身体を突き抜けていた。
さすがに殺すほどの威力では蹴っていない。放つことにためらいはしなかったが、容赦までしなかった覚えはない。
だが、突き抜けた。
――いや。
足になにかを蹴ったという感覚がなかった。
ローブという布を巻き込んだゆえのかすかな抵抗感を感じはするが、人の身体を蹴ったような感覚はない。
これは突き抜けたというよりも、
「――すり抜けた?」
そんな感覚だ。
そんなことを思っていると跳躍していた身体が次第に重力に負けはじめ、落下への軌跡をたどりはじめる。
サレは落ちていくなかで、蹴りをはなった少女の姿を再び観察する。
ローブは剥いだ。これですり抜けの原理がわかる。
そして、
「――透けてやがる」
「きゃはは、ひっかかったー!」
少女の胴部はまるでイリアの右腕のように透けていた。
限りなく霊体に近い身体だ。イリアと違って、胸から腹部にかけてが、まるまる『薄い』。
胴部が薄い。
胸が薄い。
というよりもほぼない。
胸の実体が無――
「――『まな板』を超える逸材を見つけたぞマコトオオオオ!!」
サレはその少女の胴部を見て、とっさにそんなことを叫んでいた。
◆◆◆
「ゆ、ゆれるうううう!!」
「揺れるほどのものは……」
「そそそそれ以上いいいいいったらぶぶぶぶっ殺すぞ」
「ぬ、ぬう、壊れたオルゴールのように殺害予告受けたのである……」
「あっ」
「どうしたであるか?」
「今、誰かにすっごく失礼なこと言われた気がする」
「なんであるかその察知力……」
「たぶんサレかメイトあたりだろう。あとでヤろう」
「すでに確信済みであるか……!!」
◆◆◆
「お姉ちゃん! なんか失礼なこと言われた!」
少女は天井に張り付いたままで、幼い顔をムっとさせていた。
対するサレは床へ落下中で、一度チラ見で足場を確認し、すぐさま少女の動向へ注意を向け直す。
――部分霊体。
状態の類似性から予測するに、
――精霊族か?
予測から打開策を考える。
――術式を使うか。
一間で決定し、着地への体勢を整えつつ、皇剣の柄へと手を掛けた。
すると、あとコンマ数秒で着地というところになって――
背後で声が鳴いた。
それはぬるりと耳に纏わりつくような甘ったるい女の声で、
「そうねえ、失礼ねえ、じゃあ――ブチブチってやらないとねえ」
サレが反射で着地方向へ目を向けると、そこには、
「二人目か――!」
やたらに長い青白い髪で顔面を覆い隠している二人目の少女がいた。
しかも、その身体はまるで地面に生えるきのこのように上半身だけが床から出ていて、残りの下半身は床の下で見えない。床の下から、床をすり抜けるように上半身だけを出しているのだ。
そしてその手には天井の少女と同じような大きな鎌を持っていた。
「そうですよお。わたしい、赤い色が好きなのでえ、いっぱいピューって、出してくださいねえ」
――なんかすごく怖いんですけど。
感想もほどほどに、状況に対する手を打つ。
――ジュリアス、容赦案は却下だ。
そして、落下中の状態で、
「空を打て、『サンクトゥスの黒炎』!」
サンクトゥスの黒炎を黒翼形態で背に爆発させた。
◆◆◆
「お姉ちゃん! それはよけて!」
「あら? あららあ?」
二つの声が飛ぶ。
一方は天井に張り付く少女の焦りを含んだ声で、もう一つはサレの後方でサレが展開した黒翼の余波を受けている少女の声だ。
サレが床に背を向けたまま黒翼を展開すると、落下していたサレの身体は黒翼の推進力を受けて宙にとまり、そしてすぐに再び天井へと押し上げられた。
黒翼の爆発的噴射は、床の下から上半身を出していた青白い髪の少女もろとも、その木製の床を圧壊させていく。
「お姉ちゃ――」
天井に張り付いていた方の少女があわてたように言葉をつむぎ、青白髪の少女の方へと救出に向かおうとする。壁から手を離し、自由落下に任せて降りようとするが――
「あ――」
その落下コースにサレが滑り込んできた。
黒翼の細かい操作によって中空で軌道をずらしたのだ。
そして、
「――ごめんね」
落下してくる少女の足をつかみ、スイングするようにして床方向へと投げつけた。
「うわっ、わわわ!」
「あららあ?」
狙いは黒翼の羽ばたきの余波で床もろとも壁に叩き付けられていたもう一人の少女だ。
サレが少女を投げつけると、二人は勢いよく衝突し、
「あうっ」
「あーん」
短い声があがった。
二人は折り重なるようにして衝撃に身を揺らしている。
そこへサレが再び黒翼を羽ばたかせ床へと着地すると、皇剣を抜き放ちながら二人のもとへ真っ直ぐに歩いてくる。
そして、
「薙ぎ払え、『改型・切り裂く者』」
ヒュン、と風を切る音を鳴らしながら、術式を装填させた刀身を折り重なる二人の少女の首元めがけて振るった。
立ちあがれずにいた二人の少女は、自分の首を狙っておそろしい速度で振るわれてきた青白い術式剣を見て――目をつむった。
その様子を見ていたサレは、
「――はい、じゃあ君たちの負けね。目、つむったもんね。――諦めと同じということで」
「えっ?」
改型・切り裂く者を少女たちの首元で止めて、言葉をつむいでいた。
当の二人は何を言われたか、そして何が起こっているかをとっさに理解できずに、サレの顔を見上げていた。
疑問の表情にサレは「はあ」とため息を一つつき、
「俺は快楽殺人者じゃないぞ。――余裕があるうちは情けだってかけるさ。それで、負けを認めてくれる?」
「あ、う、うん」
「ピューって、させられちゃったわねえ」
サレはそういって術式を解き、皇剣を鞘にしまいこむ。
そうして、改めて二人を見下ろし、訊ねた。
「ねえ、君たちは『黄金樹林』の一員?」
「違うよ。あたしたちは『獅子の威風』ってギルドの――」
「だめよお、ネールちゃん。それは王様にいっちゃだめって言われたでしょうー?」
「あ……」
しまったという体で、少女が口を手で覆った。
「――ふーん」
サレは鼻で音を鳴らし、数瞬の思考に入る。
――『黄金樹林』じゃない?
なら、彼女たちはなんだ。
その目的はなんなのだ。
――そういえば、この建物に入ってった奴は?
建物につっこんでいったきり、外に出た様子はない。
外に出たなら、おそらくプルミエールが対応するだろうが、外からそれらしい音も声はない。
そこで、
「――っ」
サレは『圧迫感』を感じた。
唐突な威圧と、圧迫。
空気が重くなったという至極感覚的な状態の変化。
それは建物の奥の方からの威圧感だった。
「あ、王様出て来ちゃった――」
「そうねえ。まあ、ワクワクしてたみたいだしい、いっぱい音ならしちゃったからあ、我慢できなくなって裏口から入ってきちゃったのかもねえ」
「に、逃げた方がいいかな」
「私たちは邪魔かもねえ。巻き沿いでピューってさせられちゃうの、嫌だしねえ」
サレが建物の奥の方へと意識を向けていると、足元の少女ふたりがもぞりもぞりと動きだし、
「あの、あたしたちの負けでいいから、外に出ててもいいよね?」
サレはその声にうなずきだけを見せた。
視線はまるで少女たちを見ていない。
精確には、見ている余裕がなかった。
――嫌な圧迫感だ。
サレは一歩を踏む。
建物の奥への道。もう一つ扉に隔てられた奥間への道を行くために、一歩を踏む。
そうしてついに扉の前に立ち、取っ手に手をかけようとして、
『もう余は我慢できぬぞおおおお!!』
その扉が壁ごと向こう側からぶち抜かれていた。