11話 「真実の語り部」【前編】
「純人はどっち側から来てる?」
サレがアリスに訊ねた。
「西からのようです。おそらくアテム王国から直接このイルドゥーエ領内に向かってきたのでしょう。なにやら作為的なものが感じられますが」
――もしくは、魔人族討伐の後処理に来たのかもしれないな。
狩り残しはないか、と。
サレはアリスの言葉を聞いて内心に思い浮かべた。
「なら、東へ逃げるしかないか」
「逃げるのですか?」
「数が同程度ならどうかわからないけど、向こうの方が多いのならまともにやりあっても全滅しかねないよ」
それに、非戦派の者たちもいる。
彼らを前にして、もろごと全面闘争とは行きづらい。
まだそれは早いし、できるならば彼らの非戦の意志は尊重させたいとも思う。
どうしても彼らの手を借りなければどうにもならないという時点になってはじめて、彼らには踏みとどまる勇気を貸してもらいたい。
だから、可能性があるうちは、逃げの選択肢も常に考えておくべきだろう。
「――そうですね。――大体ですが、こちらの四倍ほどはいるでしょう。二百人はくだらないかと」
「なら、戦える者は時間稼ぎ兼、できれば反撃要員。あとの者は東へ避難。ああでも、東にすでに伏兵がいたりすると厄介だなぁ」
「私の感覚器には引っかからないので、伏兵はいないとは思いますが……確かに気になりますね」
まずもって、この状況で非戦派の皆を前線に立たせるわけにはいかない。
その点はサレもアリスも同意するところだった。
非戦派の皆が争いに参加して、それでたとえうまいこと勝ち逃げしたとしても、非戦派の皆は次の戦闘にも参加せねばならないという危機感に苛まれる。
いまだに十分に地盤が固まっていないこの集団においては、それは避けるべきだと思っていた。
――難しいな……あとのない状況というのは。
「とにかく、避難組をどうするか。伏兵という可能性も捨てきれないから、できればそれなりに戦える人が率いて欲しいところだけど」
前線組の戦力が落ちるが、それでも避難組を優先させるべきだ。
問題は、交戦能力が高い者がこの状況で避難組の先導を受けるかどうか。憎い相手が目の前にいれば、前に出たくもなるだろう。
サレが考えていると、そこへ声が掛かった。
「なら、私が避難組の先頭に立とう」
そういってサレたちの前におどり出たのは、銀髪銀目の女だった。
ふわりとした『銀毛の尾』が生えている女だ。
中性的な美貌は絶世の美女と呼ぶにふさわしく、どこか冷たい印象を抱かせる。
しかし、その尾は鋭利な美貌とは裏腹に、無邪気そうに左右に振られていた。
喜んでいる時の犬の尻尾のようだ。
「私は〈人狼族〉だ。鼻が利く。だから、私が先頭に立てば伏兵の有無はだいたいわかる」
アリスはまるで見えているかのようにして、盛大に左右に振られる彼女の銀の尾に視線を向け、そして言った。
「……犬?」
「お、狼だっ!!」
「ああ、これは失敬いたしました。ずいぶん可愛らしい尻尾ですので」
「かっ、かっ、かわいい……だなんて……っ!」
――なぜ彼女は照れているのでしょう。これまたいじりがいがありそうな方ですが、今はやめておきましょうか。
かわいいとの形容で声を上ずらせる彼女を前に、アリスは思った。
「えーと、お名前はたしか――」
「――〈シオニー〉。〈シオニー・シムンシアル〉だ」
「そうでした。――ではシオニーさん、避難組の皆さんの先導をお願いしてもよろしいでしょうか」
「ああ、任せてくれ」
こんな時だというのに、彼女はどこか嬉しそうにうなずいて、「戦えぬ者は集まるように」と皆に声をかけ始めた。
「人狼族ならば、いざという時も戦えるじゃろ。――であれば、わらわは前線に出ようとするかのう」
トウカもまた笑みを顔にたたえてそう言った。
「戦場が近いと言うのに、皆さん、頭おかしいのではありませんか? この状況で笑いをおこすなんて、よほどだと思いますよ」
「なに、伊達と建前でアテム王国に盾突こうとしておるのじゃぞ? ――カカッ、これが笑えずに行えるものか。この際楽しんだ者勝ちじゃ。悲劇ぶってもなにも出てこぬよ。ならば、アテム王に一泡吹かせられるかもしれぬと、多少の楽しみに興じてもよいではないか」
「そういうものですか」
「うむ、そういうものじゃ」
またトウカが「カカッ」と笑い、アリスに言った。
「で、アリス、ぬしはどうするのじゃ? ――ま、避難組と共に行くのが『守られる者の義務』というものじゃが――」
「私がいては避難組の脚も遅くなってしまいます。加えてさらにいえば――このあたりで私が『守られることができる者』だということをあきらかにするのも、今後に対する一つの伏線になるのではないでしょうか」
「これまたずいぶんとひねくれた物言いじゃなぁ」
もう一度トウカが笑った。
「つまり、どういうことであるか?」
ギリウスが横から顔をだしてきて、その意味を訊ねる。
「――このアテム王国の襲撃に対し、皆さんが私を守ることができれば、それは皆さんの『自信』となりえます。どうせならばこの機会に、地盤をさらに固めておくのも一興かと。私個人としては、のちのちの事を考えるとそれが最善の策なのではないかと、そう思っております」
「ふうむ、なるほどなるほど」
「前線組の方々にはご迷惑をおかけしますが。――とにかく、避難組の皆さんにはしっかりと避難していただきまして、その後に私が無事で合流することで、一つの『示し』となるのではないでしょうか」
「なかなか豪快な賭けだなぁ」
サレが笑った。
「ここで私を守ることができなければ、この先も大して見通せないと判断します」
これから先、常にあとのない旅をすることになるだろう。
ならばこの辺で少しくらい余裕を持たせてやることが、集団にとって吉とでるのかもしれない。
「まあ、それはそれとして。――意外とみんな残るのね」
サレが周りを見渡しながら言う。
「ずいぶんとモノ好きの多い一団です。この際『馬鹿ばかり』と皮肉ってもよろしいでしょうか」
「あながち間違いではないと思うがの。ちと端的すぎる気もするが」
見れば、十数名が好戦的な笑みを浮かべて、一歩前に出ていた。
そうこうしている間に避難組が出揃ったようで、シオニーが一度アリスの方に視線を配り、すぐさま声に出す。
「こっちは揃ったぞ、アリス」
アリスはその声の方向に身体を向けて、そのまま一度深くお辞儀をし、
「よろしくお願いします、シオニーさん」
そう言った。
「任せてくれ」
シオニーはそのお辞儀と言葉に強くうなずき、
「行こう!」
声を張り上げた。
◆◆◆
避難組が走りだしてから数分後、ついにサレの目にも西側から巻き起こる砂吹雪が映った。
敵の姿だ。
アテム王国の、追っ手だ。
「――そういえば、あいつら追い返したあと、どうやって合流する?」
「我輩が皆を連れて空から避難組を探せばよいであろう。この人数ならば乗せてもちゃんと飛べるから、安心するのであるよ」
「合点合点。じゃあ――まずは一仕事といきますか」
サレの声に、前線組がうなずいた。
◆◆◆
そして、二つの勢力が相見える。
◆◆◆
地鳴りのような音が徐々にサレたちに近づいて来る。
それはサレたちの手前数十メートルに『奴ら』が到着するまで続き、言い知れぬ不安感をこれでもかと胸中に抱かせた。
まるで恐ろしい獣の群れにでも追い回されているかのような。
こちらが逃げ惑う蟻かなにかになったかのような。
そんな印象だった。
巻き起こる砂が風に運ばれ、鼻孔をくすぐる。
それでもなお、心は折れていない。
〈建前〉が、心を支える。
十分な盤石さをともなっているわけではないが、心を支えるだけの響きは持っていた。
――アリスを守る。
その言葉を胸に、皆が視線を上げ――
『奴ら』を真っ向から見据えた。
◆◆◆
奴らは皆が皆、光沢を放つ鎧を身に纏い、鈍い色のフルプレートヘルムの隙間から鋭い視線を穿っていた。
そのすべてが突き刺さるような敵意を孕んでいるように見えた。
鎧の胸元には一本の豪奢な剣の図柄が描かれており、また、その剣の絵の上には『アテム』と流麗な線で文字が描かれていた。
おそらくはアテム王国の紋章なのだろう。
規則正しく並んだ『兵士』たちの中。長方形を象った防御陣の中から、一人の男が前へと歩み出て来る。
ほかの兵士とはまったく違う、装飾の多い軽鎧を着込んでいるその男は、赤みがかった短髪を風に揺らし、口の端をつりあげていた。
そして、意志のこもった鳶色の瞳が、前線組の先頭に立っていたサレを穿っていた。
「――あ? なんでこんなに異族がいるんだよ。てか、〈魔人族〉だけじゃないのかよ? いろいろ混ざってんなあ、おい。なんだよ、ここイルドゥーエだろ? ……やべえ、よくわかんねえ。誰かこの状況説明できるやついるかー?」
赤髪の男はその後ろに並ぶ兵士たちの方を振り向き、そう訊ねた。
すると、兵士たちの中から再び違う様相を呈した一人が出てきて、
「よくわかんないけど、まあ――殺しちゃえば?」
軽い口調で言っていた。
女だった。
赤髪の男と同じ軽鎧を着込んだ、少し大人びた女だ。
丁寧に線を整えられたショートカットの黒紫髪と、切れ長の碧い瞳。
「それでもべつにいいんだけどよ? でもあれだろ。もしなんか手違いあったら、糞眼鏡に小言言われるじゃねえか。それは面倒だろ? なあ――」
「だからってこれだけの異族を目の前にして『よくわかんなかったのでなにもせず帰ってきましたー』とかいったらもっと糞眼鏡に小言言われるじゃない」
「それもそうか。んじゃ、手っ取り早く――」
赤髪の男がサレたちの方を再び向いて、順々にその顔を眺めていった。
品定めするかのようなねっとりとした視線を受け、サレたちは臨戦態勢を取る。
が――
「――あ? ……ああ!? ……お、おいおいおい! ちょっと待て。〈シェイナ〉、あそこにいるの王女殿下じゃねえか?」
「――は? なに言ってんの単細胞。こんなところに王女殿下がいるわけないじゃない。ついに目まで筋肉になっちゃったの? ……ああ、嘆かわしいわ。ええ、ほんとに嘆かわしい」
「いいから見ろって!」
「〈エッケハルト〉、あんたうるさいわねえ……しょうがない、見てあげるから。――で、どれよ?」
「――あれ」
赤髪の男――エッケハルトが指を差す。
誰を。
サレたちはエッケハルトが指差した方向を、シェイナを含むアテム王国の兵士たちと同様の速度で追った。
そこにいたのは――
集団の核として、その地盤を支える存在――〈アリス・アート〉という少女だった。
◆◆◆
今、ひとつの事実が叫びをあげて、イルドゥーエに木霊する。
◆◆◆
「――えっ?」
その声はシェイナからあがったものだ。
彼女は何度か目元を袖でぬぐい、目を凝らす素振りを見せて、もう一度アリスを見る。
「あら? あたしも目が筋肉に……? おかしいわ、あたしは筋肉生物じゃないって思ってたのに」
「現実見ろよ。俺も信じられねえけど、あれ、そうだよな?」
同意を促す言葉をエッケハルトが紡ぐ。
そしてシェイナが――
「そう……ね。そうだわ。そうとしか思えない。って、本物ならあたしたち超不敬じゃない。糞眼鏡に小言の理由与える前に――」
「ああ、与える前に――」
次の瞬間、先頭の二人が、片膝を地面につき――跪いていた。
そして二人の動きにつられるようにして、彼らの後ろに控えていた二百名の兵士たちも皆、同様に跪いていた。
「恐れながら奏上致します。あなた様は我らが殿下――〈アリス・アート・アテム王女殿下〉であらせられるのでしょうか」
エッケハルトとシェイナが、頭を垂れながら言う。
サレたちには理解できない。その言葉が。
なにか、自分たちの知らない別の領域の事実を、彼らが口にしていた。
◆◆◆
――意味が、わからない。
サレたちは茫然自失としていた。
不意に目の前で一斉に頭を垂れ、跪いたアテム王国の軍人たち。
ついに交戦が、と思っていた矢先の出来事だった。
――彼らはなんと言った。
反芻する。何度も、何度も。
――〈アリス・アート・アテム〉。
彼女の名はアリス・アートだ。
そう聞かされた。
皆がそう聞いていた。
アリスが名で、アートが姓で。
しかし、今聞いたところによると、アリス・アート・『アテム』だ。
――そんな馬鹿な。
それではまるで、
『アテム王族』みたいじゃないか。
サレは首を振って自分の頭が弾き出した結果を振りはらった。
――いや、ありえない。
そう否定する。
異族を率いていた彼女が――もっとも異族と敵対しているであろう純人至高主義国家の王族であるわけがない。
いくらなんでも正反対すぎる。
――何かの間違いだ。そうとも、他人の空似だ。
彼らの目が節穴だったのだ。
そうだ、奴らは頭を垂れている。
今の内に先手を――
だがしかし、サレは動けなかった。
おそらく無意識のうちに、アリスの言葉を待っていたのだろう。
そしてそれは他の異族たちも同じだった。
場が凍る。
時間が停まってしまったかのような、そんな理不尽な錯覚に陥ったような気がして。
そして――
◆◆◆
「そうですね。そう呼ばれていたときも――ありました」
◆◆◆
頭の中で、何かが割れた、音がした。