118話 「観覧尾行戦」【中編】
その反応に真っ先に勘付いたのはサレだった。
――あ。
内心に短い声を浮かべた直後、確信を得る。
――いるな。
そのおそるべき察知力で、周囲の違和感を感じ取っていた。
違和感とはつまるところ、
「――見られてる気がする」
『視線』だ。
露骨に自分たちに向けられている視線に、サレの感覚器が反応した。
サレはそういう視線には敏感だった。
なんといっても、
――そういえば、イルドゥーエの森で感じた視線も、こんな風に舐めるような視線だったな……
懐かしくも鮮明な記憶が、その経験を忘れさせない。
そういう視線にたいする敏感さが、経験ゆえに洗練されているのかもしれない。
ともあれ、今は――
「大丈夫だよ、マコト。――大丈夫だから」
サレはそういって隣にいるマコトを励ました。
サレが違和感を小さく口にした時に、ビクリとマコトの身体が跳ねていた。
それは恐怖に対する敏感な反応。
硬直の前の予備動作。
身体が強張った合図。
――そりゃあ、怖いよな。
マコトは非戦闘員だ。
こうして身を挺してまで囮になったりと、その役割は準戦闘員のようになっているが、かといって彼女の心が非戦の傾きから好戦へと振れたわけではない。
戦いは怖い。
害意を身に受けるのは恐ろしい。
――それが当たり前なんだ。
サレはマコトが小さく震えはじめたのを察知して、思わず彼女の手を拾い上げていた。
そして――その細い指に自分の指を絡めるようにして、優しく握った。
◆◆◆
――怖い。
マコトは率直に思った。
サレの「見られている」という言葉を聞いて、身体が無意識に反応した。
恐怖に硬直しようとしたのだ。
――やっぱり、怖いものは怖い。
〈戦景旅団〉との戦闘を間近で見た時も怖かった。
でもあのときは周りにたくさんの仲間たちがいて、そういう多勢ゆえの安心感が得られていたから、まだマシだった。
しかし今は――
――すごく……怖い。
隣にはサレがいる。
だが、ここには自分とサレの二人だけだ。
右側にサレがいても、左側にはなにもない。
片側は無防備なのだ。
その無防備の方から、恐ろしい魔の手が迫ってくるかもしれない。もしかしたら、短剣が投じられてくるかもしれない。
不安ばかりが浮かんでくる。
「――っ」
すると、ふとマコトは自分の右手にぬくもりを感じた。
「あ――」
「大丈夫だから」
サレが自分の手を拾い上げて、指を絡めるようにして握っていた。
歩きながら、マントの下にこちらの手を握ってくれている。
サレの手の温かさが分かる。
そのおかげか、少し恐怖が薄れた気がした。
――怖がってばかりで、ごめんな。
少しでも、建前のために前向きになろうと思っていろいろやったけれど、そうすぐにはうまくできない。
だから、
――ごめん。
あと、
「――ありがとう」
「ん?」
ふと極小さな声として言葉が漏れてしまって、マコトは慌てたようにもう一方の手で口をふさいだ。
「い、いや、なんでもない」
「そう?」
サレは首を傾げてこちらを見ている。
マコトはそれ以上こちらの内心を読まれないようにと心がけて、サレの顔をから視線を切った。
――肝心な時に、ふざけてくれないんだなあ。
やっぱり――自分はサレの真面目な顔にはどうにも弱いらしい。
◆◆◆
「んっ!! 今あのへんでモワンって感じの『ラヴ臭』がした気がするわっ!!」
「お前は黙って目ぇ光らせてろよ!! ちゃんと観察しねえならせめて黙ってろ!! この似非天使が!」
「あら、なんだか機嫌悪いわね、この猫ちゃん。――だってこうやってジっとして敵の尻尾探すのって、最初はおもしろいけど――すぐ飽きてくるんだもの!! こんなのは他の愚民にやらせればいいのよ!」
「わかった、代わりに俺がやるからっ! せめて邪魔はすんなよな!?」
「えー、しょうがないわねえー……はー、んー、あー、はーん――」
「マジでぶん殴るぞ」
クシナとプルミエールが、サレたちからいくらか離れた場所でそんなやりとりをしていた。
建物の陰だ。
二人は身を潜めるように屈んでいるが、それでもプルミエールの派手な白翼は落ち着きなく羽ばたいていた。
クシナは額に青筋を浮かばせながら、わざとらしくあくびをしているプルミエールにたいして拳をわなわなとふるわせている。
しかし、
「――来たわよ」
プルミエールのあくびが突如として止まり、一瞬のうちにその表情が真面目なものに変化していって、
「あ?」
「ほら、ちゃんと見ておきなさい。あれはあんたが追うのよ」
プルミエールが建物の陰から一点を指差してそういっていた。
クシナがその指の先に視線を運ばせると、
そこには旅人風のボロ布の服装に身を包んだ一人の男がいた。
何の変哲もない、どこにでもいそうな旅人風の男だ。
「あれか?」
「そうよ、あれよ。路地の角から出てくるときに、二回愚魔人と愚まな板の位置を確かめたわ」
「よく見えたな」
「私、高貴だもの」
「くそ、俺はわかんなかったから強気で否定できねえのがアレだが――まあいい、今はあいつに目をつけておくか。お前はどうするんだ、プルミ」
「――」
クシナが視線をその男のほうに向けたままプルミエールに問いかけるが、すぐには答えが返ってこなかった。
「おい?」
「ん――私は他の警戒するから。あれはあんた一人で追いなさい。……ちょっときな臭くなってきたかもしれないわ」
プルミエールは凛とした声音を崩さずにそういった。
クシナの方も、プルミエールの言葉に対していくらも詳細を訊ねたいところだったが、そのうちに視線を向けていた男が動き出していて――
「――わかった、とにかく俺はあれを追えばいいんだな」
「ええ、他は別の愚民に任せなさい。あんたの獲物はあれよ」
「合点だ――」
クシナは多くを語らず、プルミエールの指示にしたがってその場を離れた。
◆◆◆
プルミエールはクシナの背を見送ったあと、しばらく群衆の波を建物の陰から眺めていた。
そうして、そのあとで一旦、今度は視線を特定位置に巡らせる。
他のギルド員が潜んでいる場所へ、だ。
――あそこにトウカ。あそこに愚犬。で、あのへんにマリアね。
確認し、プルミエールは思考を回転させた。
二重尾行のための人員は最低限だ。
あまり多くてもかえって向こう側に察知される危険性が増す。
だから、自分とクシナ、それにトウカとシオニーに、マリア。あと護衛のサレをいれて、まともな戦闘員はこれだけ。
そもそも今回は釣りの初手だ。
初手でうまくいくとは思っていなかったが、現に敵側の密偵らしき者が現れた。
――ふーん……
しかし、プルミエールは違和感を覚える。
「――本当に?」
本当にアレは『釣れ』たのだろうか。
こちらにそういう尾行戦の錬度の長があるとはうなずきがたいが、それでも、ギルドの中では何事も万遍なくこなしそうな手練れを選んで抜擢した。
だから、簡単にはこちらの存在もバレないだろうと、ひとまず内心に浮かべておくしかない。
そもそもその程度の自信すらないなら、この作戦をとる意味すらないのだ。
ともかくとして、
――それでも、まずは疑いなさい。
「自分の思いどおりに事が動いている時こそ、疑うのよ、プルミエール」
自分に言い聞かせる。
――可能性の考慮を。
あれが、
――敵の『三重尾行』の伏線じゃないかどうかを。
◆◆◆
しかし、考慮にいれるべきはすでにクシナをあの密偵の方に差し向けてしまったということだ。
「……」
最初はどうするか迷った。
なぜなら、
――本当に三重尾行みたいなややこしい手を使ってきていたとするなら、
クシナにあの密偵を追わせることで、『こちらが二重尾行を仕掛けようとしている』という確信を向こう側に与えてしまうかもしれない。
クシナが本当にうまく密偵を追って、向こう側のさらなる伏密偵に気付かれなければそれでいいとも思うが――
――でも、もう行かせてしまったのなら、振り返ってもしかたないわ。
放っておくわけにもいかなかったのだ。
あの密偵は確かにサレとマコトを注視していたのだから。
だからその場で判断し、行かせた。
――『次』ね。
次の一手を察知した時に、おそらく向こう側の狙いもある程度浮き彫りになるだろう。
プルミエールは胸中に思って、そして、
「――いた」
そのあとですぐ、『別の密偵を追っていくシオニーの姿』を見つけた。
瞬間、プルミエールは確信する。
「――剥がされていってるわね」
自分たちの方が、順々に。
これは――
「面倒だけど、『三重』かしらねえ」
プルミエールは面倒くさそうにつぶやいた。