117話 「観覧尾行戦」【前編】
北側歓楽区は、歓楽区というわりには表だってけばけばしくはなかった。少しも落ち着きのある、清涼な遊び場。そんなところだろうか。
とはいえ、ナイアス独特の騒がしさはやはり少しもただよっていて、さらに言えば、北側歓楽区は異族の姿が多くみられた。
「夜に裏道とかはいったら怖い人に出会いそうな雰囲気だ……」
「わかりやすそうで、わかりにくい説明だな。サレのいう怖い人の定義がわかりづらい。わたしからみれば怖い人も、サレからみればそうでもないことが往々にしてありそうだからな……」
「マコトは胸が大きい人が怖いんだよね――オッフ」
「ぶん殴るぞ」
――殴ってからいうなよ。お前はシオニーか。
サレは肘をいれられた腹をさすりながら思った。
「よし、マリアに拳の打ち方教わってから少しも威力が増したぞ」
「なんてことを教えてやがる……! ――というかマリアは本当になんでもありだな!」
サレとマコトは珍しく二人っきりで歓楽区の街道を歩いていた。
通りすがる異族を傍目に、サレが隣を歩くマコトを見る。精確には、
「ほんと化けるのうまいよなぁ、マコト」
『アリスの姿をしたマコト』を、だ。
マコトは妖術でアリスに変化し、サレと一緒に街道を歩いていた。
「まあな。わたしはこれくらいしかできないし。――おかげで化けるのにも必死だよ」
「それ以上にアリスに化けることの危険性にも目を向けたほうがいいんじゃない」
「言われてみればそのとおりだな――」
マコトはわずかばかり思案気な間を作って、そして――
「はうっ! あれっ!? 実はこれ一番危険な役割なんじゃ!?」
いまさら気づいたとでも言わんばかりに、身体をビクリと震わせた。
周囲をきょろきょろと見まわしたあと、マコトがサレに乞うように言う。
「と、通りすがりに短剣突き刺されたりしないよな……? 大丈夫だよな……?」
「はは、大丈夫大丈夫――」
サレは少し笑ってみせて――
「やられる前に絶対俺が止めるよ」
サレがそれまでのへらへらとした笑みを一変させて、真面目な顔で言った。
「襲われる可能性があることは否定しないんだな……ま、まあ、お前がそう言ってくれるなら、少しも安心できるか」
その顔を見て、マコトは少し胸が締まったかのような感覚を得ていた。
◆◆◆
――いっつも真面目な顔してれば、結構良い雰囲気出すと思うんだけどなあ。
マコトは胸中に思う。
――いや、ギャップがあるのがいいのか。
いまいちその辺がよくわからん、とも思う。
シオニーがサレにマーキングしたあたりから、『そういう方面』に関してやや意識が向くようにもなったが、もともとそれらしい経験がないだけに、ピンとこないのだ。
――マリアとか、トウカとか、結構経験あるのかなぁ。
プルミエールは除外だ。あれとまともに付き合える者はこの世に存在しない。異性という括りで限定すれば、もっと可能性は減る。
いや、もしかしたら天使族全体があんな感じで――
――いやいや、それはあんまり想像したくないな。
そもそも部族すら成り立たないはずだ。あれはまったく同じ気概の存在と対峙したとき、真っ向から反発しあうタイプだ。攻めと攻めはぶつかりあうし、守りと守りであればそもそも干渉しない。
マコトはそんな思考の変遷を経ながら、歩みを進めていた。
歓楽区を歩いている理由は、ずばり、
「本当にこんなんで釣れるのか? 〈黄金樹林〉の下っ端が……」
「直接釣れればもうけものってところだろう。釣れるとまでいかなくても、ほんの少しでも袖が触れてくれれば、きっとシオニーたちが見つけてくれるよ」
エルサ第三王女の連帯ギルド――〈黄金樹林〉の尻尾を捕まえるためであった。
相手からすれば絶好の餌であるこちらのギルド長〈アリス〉の姿を装い、いきりたった隠密を見つける。単純な囮を使った作戦だ。
「うーん……」
――まあ、筋は通ってると思うんだけど……
マコトは内心で首を傾げていた。
意図はわかるのだが、隠密諜報に特化した〈黄金樹林〉を相手に、こんなわかりやすい囮が通じるのだろうか。
そう思ったのだ。
隣には『通りすがり一撃必殺』を未然に防ぐためにサレが護衛としてついている。
構図として不自然なところはそうないが、果たしてサレがいて相手が手を出してくるだろうか、との念も多少はある。
――これまでの情報がだだ漏れだと、さぞ恐ろしく見えるんだろうなぁ……
ときたま馬鹿だが、それでもこの男はまごうことなき魔人だ。
そんな魔人に対し、真っ向からぶつかろうとするような輩がいるのだろうか。
ただ、以前の〈黄金樹林〉との尾行合戦で、サレは『諜報的不出来』を露呈したとも言っていた。
つまるところ、諜報戦に慣れていない事実を露見させたのだ。
ともすれば、それを考慮して間接的に接触してくることはあるかもしれない。
「うーん……」
「あんまり唸ってるとまな板化が進むぞ、マコト」
「なんだかお前に言われると腹が立つな、サレ」
「ごめんなさい」
ちょっと眉間に皺を寄せて言うと、サレが深々と頭を下げてきた。
基本的に女性陣には頭があがらないらしい。
――こいつはこいつでちょろいな。
褒めればもじもじするシオニーとは少し違ったちょろさだが、今のサレを見ているとやはり相応のちょろさを感じる。
――アリスのおかげか。
あの魂を削ってくるアリスの言霊によって、男性ギルド員の統制がなされているのだろう。実に長らしい統制だと思う。
――た、たぶん……
やっぱり少し自信がなくなってきた。
ともあれ、ギルド内の暗黙的階級が最底辺であるシオニーに限っては、少しくらい言い返されてもそのままイジリ倒しているようだし、こうやってまだ素直に謝るところを見ると、自分の階級はシオニーのところまでは下がっていないらしい。一安心だ。うん、かなり安心した。
「ん、そろそろ人が増えるな。口数も少なくしていくか」
視界の奥の方に大きな人の波が見えて、サレに言う。
「まあ、さすがにそんな細かい口調まで記録されてるってことはないと思うけどなあ」
サレは軽い調子で答えていた。
「かといって、わざわざ口調の違いを露呈させるのも得策じゃないだろ」
「――それもそうだね。正論だ」
さらに言葉を重ねると、サレの顔が引き締まった。どうやら意気を改めたらしい。
――やっぱり、真面目な顔をしているときは悪くないかもしれない。
マコトはときたま見かけるサレの姿を記憶から引き出した。
朝。朝飯を終えたあと、一人で術式を素早く編む訓練をしていたり、身体を鍛えている姿を見ることがある。
朝に限ったことではないが、ここのところのやたらと忙しない日々を除けば、空いた時間にそうした鍛練を行っている姿はよく見かけたものだ。
日によっては誰かと組手をしていたりもするが、一人でいるときもあった。
爛漫亭の裏手の庭であったり、扉をあけっぱなしの自室であったりと、場所の違いはあるが、やっていることはほぼ相違ない。
――よくもまあ、うまいこと時間を見つけて飽きずにやるものだ。
そうも思うが、サレの副長という立場は、殊に〈凱旋する愚者〉内に限っては大きな実戦的責任を伴う。
単騎における最大戦力で、一対一であれば絶対に負けてはならない。
サレが負ければ、たぶん〈凱旋する愚者〉は終わる。サレが敵わない力が目の前に立ち塞がったならば、たぶん自分たちはその大きな力に圧殺される。
たとえ一人対多勢という状況下でも、サレは負けることがほとんど許されない。
なぜなら、
――私たちが多の側になることなんて、ほとんどないもんな。
数の劣勢が前提だからだ。
自分たちは基本的に少数派に回らざるを得ない。だから、他の部分に人数を割くために、サレ一人に多勢を任せることになる。
そうでもしないと他が持たないのだ。
今のところ、大体がそうだった。
王剣遭遇戦の時も、〈戦景旅団〉との闘争の時も。
そしてたぶん、これからも。
だからサレは負けられない。
サレ自身もそう思っているからこそ、そうやって鍛練に身を費やすことを続けるのだろう。
――まあ、そもそもわたしたちはアテム王国の魔の手から身を守ったり、あわよくばそいつらにデコピンの一発でも食らわせようってわけだしな。
そう考えると、日々物理的な力を養うという方向性は間違っていないだろう。
「だがな、だからといってその物理的な力でアリスに化けてるわたしのスカートをめくろうってのはおかしいと思うぞ――この馬鹿」
「えっ!? だ、だって普段見れないからさ! ――じゃなくてちゃんとマコトが細部までしっかり変化できているかをだな――アウフッ」
「蹴るぞ」
蹴ってからいうのも悪いとは思うが、行為が行為なだけにしかたあるまい。
ちなみにその点も抜かりなく、アリスの普段身に着けているものに合わせて変化している。そうだ、パンツまでしっかりだ。
これくらいしかできないから、少しこだわりが表面化してしまうのも仕方ないことだろう。
つまり、だからこそ、ここでアリスのパンツを見せてしまえば間接的にアリスの趣向をバラすことになり――それを知られた日には我が身が――嗚呼――
「私はまだ死にたくない……!!」
「……なんかごめん」
分かればいい。
「それにしても、やっぱり動きは見えないなあ。シオニーたちはちゃんと見てくれているだろうか」
サレは周囲を軽く見まわした。
その視線の先に見知った姿は見えないが、たぶんどこかしらに潜んでいるだろうとの予測は持っていた。
端的に言えば、現状は『二重尾行態勢』だ。
自分たちをつけている者を――いればだが――離れた位置から観察の目を光らせているシオニーほかギルド員に尾行させる。
そうして黄金樹林の動向がつかもうというわけだ。うまくいけば幸いというところだろう。
あわよくば、その糸をたぐりよせて彼らの拠点の位置が割れればもうけたものだが、さすがにそこまでうまくはいかないだろうとも少し思う。
とにかく、
「今のところは運と、ほかのやつらの察知力に頼るしかないな」
「そうだねえ」
サレの呑気な声があがって、マコトもつられてホっと息を吐いた。
◆◆◆
しかし、マコトの消極的な希望とは裏腹に、〈凱旋する愚者〉が敷いた二重尾行態勢に、外部からの動きが加わる。
『反応』があったのだ。