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魔人転生記 -九転臨死に一生を-  作者: 葵大和
第八幕 【劇場:群像は物語を奏でる】
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116話 「空都邂逅」【後編】

 第六王子〈エスター・ラール・テフラ〉は、少しやつれた表情で、目の下にはくまを浮かばせ、反応の鈍い動作でレヴィの方を振り返った。

 きっちりとした白い正装に身を包み、それを着こなす風体はまさしく貴族と言えるところであったが、その顔はどこか暗がりに入っているようで、風体とは異なって釈然としない感じであった。

 レヴィもエスターのやつれた表情に気付いて、心配そうに言葉を紡いでいた。


「大丈夫かい、エスター。少し疲れているようだけど」

「いえ、ご心配には及びません、兄上」

「本当に? ちゃんと寝れているかい?」

「はは、最近考え事が多くて、少しばかり睡眠時間は減りましたが、たいしたことはありませんよ」


 エスターは白壁が並ぶ遠方の空都住宅区に目を向けて、それを穏やかな表情で眺めながらしばし無言になった。


「エスターは思慮深いからね」

「ハハ、兄上は私を美化しすぎていらっしゃるようだ。私はそんなたいそうな人間ではありませんよ。私の思慮など、カイム兄上と比べたら愚人のそれというべきものです」

「そんなことないさ。少なくとも僕よりはよっぽど思慮深いよ。僕と比べられても、あんまり褒められてる感じがしないかもしれないけど」


 レヴィは恥ずかしそうに頭の後ろを掻きながらいった。

 その後ろではティーナがレヴィにだけ聞こえる程度の小声で「その通りです」とこぼしていた。


「兄上のほうこそ、お疲れのようですがお体は大丈夫なのですか?」

「ま、まあね。今のところは大丈夫さ」


 ――ダメだといっても僕の後ろの悪魔がそれを許さないからね。


「そうですか」

「うん。ちなみに、エスターの睡眠時間を削るような深遠な考え事の内容を聞いてもいいかい?」


 すると、レヴィがエスターに一息つかせる前に、グッとその胸中に足を踏み入れた。

 エスターはまさかレヴィがそこへ踏み込んでくるとは思わなかったようで、一瞬面食らったかのように眉をあげたが、すぐさま色を正してわずかな笑みと共に返した。


「『私生児』のことで、少しばかり」


 エスターもエスターで、まるで濁さずにレヴィの問いに答えて見せる。


「そうか、ジュリアスのことか」

「ええ。兄上は私生児の側へついたようですね」

「うーん、まあ……うん、そんなところだね。僕はジュリアスに負けたから。それに、恥ずかしながら僕には政治的な能力はない。そこに譲れない思いもないし、積極的に関わりたいとも思っていない」


 「実に王族としては失格なわけだけれど」そうレヴィは付け加えた。


「だから、ジュリアスに負けたから、それを理由にジュリアスの言葉に従うことにしただけだよ。あくまで政治的な方面に関しては、だけど。――ともかく、僕が自分で考えるよりはその方が良いだろうって、判断したんだ」


 自分が動けば混乱を招くだけだと、レヴィは心底から思っていた。

 自分に政治的才能がないことも自覚していたし、ゆえにジュリアスの方策に強く意見することもなければ、カイムたちを手伝って政務に励もうともしなかった。


 ――そう、僕には人並みの『それ』さえない。


「だから、自分ができる分野で、ジュリアスに協力することにしたんだ」

「兄上らしいですね。そういう風に自分を自覚できる能力は、なにものにもまして優れたものであると思いますよ。自分をありのままに評価するというのは――存外難しいものですから」

「なら、君は? エスター、君はどうなんだい?」


 レヴィは言った。

 そのうしろで、ティーナは即座にレヴィの服を引っ張る。

 『それ以上踏み込んではいけません』と言外に言っているような仕草で、レヴィに訴えをおこしていた。

 だが、すでにレヴィの口からはそれが放たれていて。

 エスターはまた目を丸めるが、エスターはエスターで疲れを見せながらも、レヴィの疑問に答えていた。


「――どうでしょう。僕は僕がサフィリス姉上に負けず劣らずの激情家だと――やや多少の自己嫌悪と共に――理解しているつもりですが、実際はどうなのでしょうね。僕が思っている以上に僕は見境のない激情家なのかもしれません。しかしそれを言われたところで、激情は抑えるのがなかなかに難しいものでして」

「僕はエスターの激情は好きだよ。それだけムキになれる対象があるってことでもあるからね。なにものにも無関心であるより、ずっといい」

「行きすぎはいずれにせよ不徳ですよ」

「それも否定はしないけど」


 レヴィはうなずきながら、その裏でティーナの手をはらっていた。

 ティーナはその行動を驚いたような顔で見る。

 しかし直後、ティーナはレヴィの言外の言葉を理解したように、一歩を下がっていた。

 そうして、レヴィを止める者はいなくなった。


「ジュリアスのことが気になるのかい」


 レヴィは言った。


「正直に言えば――気になりますよ。今の兄上の言葉を借りるならば、僕が私生児にたいして激情しているのは、アレに執着しているからでしょう」

「どうして気になるのか、自分ではわかっているのかい?」

「――なぜでしょうね。やたらと視界に入ってくるからでしょうか。良くも悪くも――アレは僕の視界の中でよく『目立つ』」

「ほんの小さかったころは、一番年の近いエスターにジュリアスはよくついていっていたからね」

「まるで金魚のふんのようでしたね」


 エスターは少し遠い目で言った。


「ジュリアスが気に入らない?」


 レヴィは止まらない。

 ずかずかと、何の躊躇もなくエスターの内心に突き進んでいく。

 ある意味で、それはレヴィにしかできないことでもあった。

 その理由を、後ろにひかえていたティーナはなんとなく察する。


 ――馬鹿ですからね。


 主人にたいして何たる形容かとも思うが、もはやいまさらだ。馬鹿は馬鹿なので、いかんともしがたい。

 ともあれ、レヴィは馬鹿だからこそ、それ以上の怪しさを相手に抱かせない。

 たとえばカイム第二王子であったなら、裏に潜む意図をかんぐってしまう。おそらくジュリアス第七王子でもそれは同じだ。

 優れている能力、そう見える風体ゆえの副産物。裏の意図。警戒を抱かせる優秀性。

 レヴィにはそれが見えない。

 なぜなら、


 ――やっぱり、馬鹿ですからね。


 二度目だ。まあしかたあるまい。事実だから。


 ティーナはとりあえずそれくらいにして、ふたたび二人の会話に耳を傾けた。


「能力は認めます。あれはたしかに優秀だ。神族に好かれる生得的な才能しかり、意志の強さしかり、あるいはその政治力や行政力もしかりかもしれません」


 なら、とレヴィの口から言葉が出る前に、エスターがすぐさま続けて言った。


「ですが、それでもやはり、『ジュリアス』の思い描くテフラの未来図には賛同できない」


 エスターがふと口にした弟の名前。彼からしたら、唯一の弟の名前。

 ふとその言葉が出てきたことにレヴィは気付いて、少し頬を緩ませていた。

 だが、それもほどほどに、再び訊ねる。


「それはどんな?」


 レヴィはエスターと違って、ジュリアスの掲げる指針から、テフラ王国がどのような未来へと繋がっていくのかがわからない。

 それを見る力がない。

 だから、それも含めて訊ねていた。


「王族会合のときの話から察するに、おそらくジュリアスはナイアスの自治を『ギルド』に委ねようとしています。つまり、多様な種族にあふれかえっているナイアスを、その多種の異族から構成されるギルドに委ねようとしているのです」

「それが何か――悪いのかな?」

「短期的にはそれでいいでしょう。事実、今はそれで、街がうまく回っています。ですが、それがうまくいっているのは『テフラ王族』が最終的な権力を握っているからです。――彼らに権力を与えてはいけない」

「それはどうして?」


 エスターはまっすぐにレヴィの目を射抜いて、言った。

 同時にそれは、自分に言い聞かせているような口調でもあった。


「いまだかつて、多種の異族による統治がまともに成功した例が、歴史上に存在しないからです」


 なるほど、とレヴィは思った。

 歴史は軽視しがたい。

 それどころか、重視すべきものだ。

 おもに進歩を重ねる技術水準などとは違って、人の思想は場合によってたびたび『周流』する。

 そのことをレヴィは一応というレベルで知っていた。

 王族としての教育課程において、歴史は重点的に学んだ覚えがある。


「時に、民はよりよく生きるための自由を欲し、『国家』を造った。一人では生きていけないから、もしくは自分の生を今以上に幸福にしたいから、国家を造った。そしてまた、散在する他の個に害される危険を排除したいから、『自然権』を国家に委譲し、他の個と相互に協力することを選んだ。なのに――」


 レヴィはエスターの次の言葉を予測する。

 幸福の自由のための国家形成のあとに来たのは、


「次に民が選んだのは、その国家『からの』自由だ。さきに述べた理想を実現するために、一定の主権を統治者にわたすことで国家形態を生み、それによって自分一人では甘受できない利益を得た民たちだが、国家の権力が肥大するにしたがって、受けられる利益に差別があることに気付いた。そうして今度は権力からの自由を求めた。『平等でないならいっそ介入してくるな』。これが彼らの言い分だった」


 しかし、


「国家から離脱し、個になって彼らは再び国家への郷愁を抱いた。『独りは不便だ』。『独りは危険だ』。――結局『繰り返し』だ。ならば、どうするのが良いか。僕は国家の統治に関わる王族だ。だから国家の存在は肯定する。そのうえで――」


 エスターの声に力が入る。

 レヴィは彼の言葉を静かに聞いていた。


「どうすれば民たちがより長い間、その幸福への自由を保っていられるか、考え続けた。――結果、歴史の例をもとに、いくつかの法則を見つけた」

「それは?」

「――統治機関が多様な種族によって形成されている場合は、『民が国家からの自由を求めるまでの時間が短い』という法則です。当然といえば当然でしょう。民は国家からの自由を『平等への願望』によって求めるのです」


 そうかもしれない、という程度には、レヴィも思った。


「不平等の源泉になるあらゆる差別がまったくないなんて、もちろん理想として甘美には思いますが――それは不可能です。それは民ですら、心のどこかでは思っていることなのかもしれません。ですが、必ずしもすべての差別がなくせないわけじゃない。やりようによっては、差別は減らせる。僕はそう思ってます。そしてその差別を減らしていけば、民が国家からの自由を『革命』という形で得ようとする可能性も減っていく――」


 「少し話がズレましたね」とエスターは言った。


「ともあれ、その差別を『余計に』生み出すシステムが、混合種族による統治形態なのです。主権をあずかる統治機関に種族差異があると、どうしても同種を優遇したり、嫌いな種を迫害したり、そういうことが起こる可能性が増えます。たとえ恣意性が無いと言い切っても、民の方が勝手に解釈し、恣意のレッテルを貼り付ける。それに、全員が全員、法の神テミスのように公正ではいられません。そもそも神族でさえも公正であるか疑わしいというのに」

「そうだね――」


 そういわれると、エスターの言にも説得力が増す。

 神族でさえも、公正であるか疑わしい。

 その言葉はレヴィの中に強く響いた。


「だから僕は単一の種族、もしくは種族に相違ないくらいに近しい部族という(くく)りで統治をおこなうべきだと思っているのです。だから、ジュリアスの思い描くナイアスの統治図には賛同できない。あくまで統治権の譲渡は一例といっていたが、ジュリアスはもともと王国法への疑問も多大に抱いていた。そしてなにより、ジュリアスは国を確かに変えてしまえそうな『大きな力』と、目的のために障害をものともせず突き進むことができる『強靭な意志』を持ちえてしまっている。僕には――」


 ――それがとても怖ろしいことのように思えて仕方ないのです。


「ほうっておけば変えてしまう。目を離すと想像だにしなかったほどに大きくなって、止められない存在になっている。いずれ手がつけられなくなるかもしれない。ジュリアスの理想が叶えば、歴史の新しい一例になれば、それは素直に素晴らしいことだと思いますよ。でも、そうはならないと僕は自分で判断したから、ジュリアスを嫌悪しているのかもしれません」


 エスターの内心はレヴィが予想したよりも複雑であった。

 そもそも、まだ説明が足りていないようにさえ思えるほどに、エスターの逡巡は細かく、膨大だ。

 王族という立場に自覚的だからこその感情。

 兄と弟という親族としての関係。

 政治思想の対立。

 そんな中で、レヴィは一つだけ仮説をたてていた。


 エスターがジュリアスを『私生児』とさげすむ理由。


「――」


 ――エスターは、その政治的な思想からくる単一種族志向がさまざまな要因で歪曲して、結果として『純血主義』のような思想にたどり着いてしまっているのかもしれない。


 混成統治への嫌悪。

 混ざりものに対する嫌悪。

 私生児という、生まれが純粋な王族ではないジュリアスへの嫌悪。


 ――はは、エスター、君は本当に……考えすぎだよ。


 そしてそのことをおそらく自分で認識しているだろう聡明さも、エスターは持ち得ている。

 ただ、その激情的な気質が、たびたび冷静な自分を阻害しているのだ。


「――エスター」


 君は真面目すぎるほどに真面目で、考えすぎで、だからこそ自分の感知する分野に情熱的で、激情家なのだろう。


 でも、


「諦めてはいけないよ。お前がまだ悩んでいるというのは、お前がジュリアスと自分との関係に『納得していない』証明だ。わかるかい、君はまだ決心がついていないんだ」


 そうして話しはじめたレヴィは、それまでのまったく柔和で頼りない兄という姿ではなく、真剣に弟を諭そうとする兄の姿をしていた。


「本当に決心がついていたなら、ここでこうやって物思いにふけっているなんてありえないからね」

「それは――」

「そうだとも。お前は自分の考えが正しいと思っている一方で、ジュリアスの考えにも全部とはいえないまでも賛同しているのではないかい? でも、自分の激情が邪魔をしてうまく話せないからと、一線をひいてしまっているんじゃないのかい?」

「……」


 エスターは答えない。


「エスター、それはだめだよ。僕は馬鹿だからうまくいえないけど、それはだめだ。『こういう事柄』にかぎって、そして『こういう間柄』において、いまのお前が行おうとしている『停止』はするべきじゃない」


 そう熱っぽく言ったレヴィの後ろで、ティーナが、『政治的な話にかぎって、親族、兄弟という間柄において、ですよ、レヴィ様。それくらいうまく言葉にしましょう』と苦笑してつぶやいていた。

 レヴィはそれを小耳にいれつつも、そのまま続ける。


「激情に邪魔されたって、こういう話は納得するまで話込まないとだめだ。ここで生まれた遺恨は、その大きさゆえに、きっと一生引きずる。――それはお前たち二人の『兄』として、僕が許さない」


 だから、


「決心がついたらもう一度ジュリアスと話すんだ。納得が生まれるまで、話すんだよ、エスター。そのあとでお前がジュリアスを退けようと納得のうえに決心したならば、それでいい」


 ――僕だって、話し合えば必ずうまくいくなんていう理想は口にしない。


 でも、


 ――うまくいかないにしても、選んだ道に『納得』があるのなら、それはお互いにすべてを出し合った結果だから、とかくはいえない。それはそれでいいと思う。


 とにかく、


「僕はお前たち二人の兄として、命をさえを懸けようとしている状況での『妥協』は絶対に許さない」


 お菓子の取り合い、おもちゃの取り合い、そういう昔あったような事柄での妥協はもちろん許そう。むしろ、妥協によって相手の幸福を満たしてやろうと、相手の気持ちを思いやったその意図を褒めてやってもいい。

 謙虚でも、譲歩でも、妥協でも、まったくなしでは生きにくい。

 だが、命を懸けた考えのぶつかりや、身体のぶつかりにおいては、妥協すべきでないと、そう思う。

 だから、


「今僕が決めた。エスター、お前はもう一度ジュリアスと真正面から話すんだ。僕がジュリアスにもそう伝える。決心がついたら、僕に言いなさい」


 そういって、レヴィはエスターの目を己の視線で射抜いた。

 エスターは珍しくはっきりと強くものをいうレヴィに対し、少しの畏怖を抱いて、しかし、


「――わかりました」


 その言葉に従っていた。

 それはエスターがレヴィの言葉に納得したからであり、


「これ以上睡眠不足に陥るのは嫌ですからね。そろそろ兄上の仰るとおり、決着をつけようと思います」


 そんな決心を抱いたからでもあった。


 最後にエスターはレヴィから視線を切って、再び空都アリエルの街並みを大きく見渡したあと、悠然とした歩調でその場をあとにした。


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『やあ、葵です』
(個人ブログ)
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