105話 「酩酊狐と愚者騒動」【前編】
「で、なんで床に穴が開いてるんですか? ――またジュリアスさんのお財布が軽くなってしまうではありませんか」
「やっぱりこれ弁償するの僕なのね……」
「え? 違うんですか?」
「最近僕も君のわざとらしさとそれを隠せる技量を持ちながらあえて隠さない態度について理解が及んだよ」
「ご理解頂けて恐縮です」
「これが強権政治というやつか……」
ギリウスがプルミエールの術式に削られてのち、そのままギリウスがプルミエールの命令で代わりの良質なソファを夜の行商店に買いにいっていた間に、アリスとジュリアスが爛漫亭に帰ってきていた。
二人は少し疲れたような表情をしていたが、それ以外に外傷などはなく、まずは二人が無事であることに皆が安堵した。
「心配しすぎですよ、皆さん」
その安堵の声に当のアリスは少し恥ずかしそうにして答え、そしてギルド員の一人が持ってきた椅子に促されて座った。
普段は開けていることの多い盲目の目を閉じ、「ふう」と一息つく。息を吐くのと同調して、弱いウェーブのかかった黒灰色の長髪が揺れた。
「ではでは、とりあえずのところの状況を説明いたしますので、えーと――」
「ギリウスはプルミのパシりだよ。他にもまだ帰ってきてない奴はいるけど、だいたいは揃ってる」
アリスの意図を察して、サレがすかさず答えた。
「そうですか。なら、まあいいでしょう。ギリウスさんはいてもいなくても関係ないですし。ああ、いえ、こういう話をする場合であって、ギリウスさんの存在を否定しているわけではありませんよ?」
――毒が厳しい。これは疲れている証拠だ。
ギルド員たちが納得の面持ちで顔を見合わせ、一斉にうなずいた。
◆◆◆
「――というと、次はエスター王子の連帯ギルドと手合わせすることになるのかな」
「確定じゃないけど、可能性が高いのはエスター兄さんのところだろうね」
「それにしてもサフィリス王女とエルサ王女の間柄がなんかすごいな。なにがというと説明しづらいんだが、こう……」
「面倒そうな関係ね。超高貴な私でもうまいこと治めるのは骨が折れそうだわ」
「お前に人の間を取り持つとかそういう能力があるなんて誰も思ってないから気にするな」
サレがハッと鼻で笑ってプルミエールに言った瞬間、
「はいごめんなさい痛いです尻尾を握りつぶさないでください!!」
「あんた最近尻尾弄られなくなって油断してたでしょう。――フフッ!! 油断は愚かだから罰としてこの尻尾の毛全部抜いてあげるわ!!」
「や、やめっ――」
「うるさいです」
アリスの鋭い声が飛び、サレとプルミエールは一瞬にして大人しくなった。
「やばい、言葉数が少ないぞ。これ以上は本当に危ないやつだろ」「あんたが大声あげるからよ、愚魔人め」などと二人の間で小さくやり取りをしていたが、アリスが口を開いて言葉を紡ごうとしたのを察知し、すぐさま口を閉じた。
「そういうわけで、また荒事になる可能性が高いので皆さんは即時即刻身体を癒してください。もう唐突な荒事にはこの街に来てからだいぶ慣れてきたとは思いますが、なにごとも油断は禁物です」
「あなたもちゃんと休まなきゃだめよ、アリス」
すると、その頃になってようやく二階から負傷者の手当てを終えたマリアが降りてきて、階段を降りながらアリスに言っていた。
「……そうですね。マリアさんの仰るとおりです。私が勝手に倒れたりしたらそれで決着と見なされてしまうかもしれませんし、私も体調には気を配るようにします」
「もちろんそういう理由もないわけではないけど、そういう勝ち負けを差し引いて、あなたが倒れることそのものが私たちにとっては恐怖以外のなにものでもないのよ?」
「いやはや、マリアさんに心配されてしまいました」
「いや、そこ照れるところじゃないぞ」
シオニーが横から冷静なツッコミを入れる。
すると周りからは「ありえない……!! シオニーがまともなツッコミを……!!」などと声があがり、
「ま、待ってよ! 最近もしかして私のギルド内階級さらに下がってないか!?」
「いえ、シオニーさんはもうそこから下がりようがないので心配しないでください」
「そっか、良かっ……良くないよね?」
「はい、では皆さん、今日のところはやっぱり私も疲れましたので解散ということで。明日の朝には今外に出ている方々も戻ってきているでしょうし、また明日の朝、集合ということにしましょう」
シオニーが立ちあがって抗議した瞬間、アリスがわざとらしく会議を切り上げて、皆に解散を促した。
他のギルド員たちも「うえーい」や「ほーい」などといつもどおりの気のない返事をまばらに返しながら、ぽつりぽつりと散っていく。
「うう……んっ……わ、わたしは泣かないからな……! こ、これくらいじゃ……泣かな……」
広間に取り残されたシオニーだったが、ふとその後背に気配を感じ、振り向いた。
すると、
「フフッ……!」
小ばかにしたような笑みを浮かべたプルミエールがそこにいて、シオニーの肩をぽんぽんと二度ほど叩き、意味深な笑い声だけを残して階上へと悠然と去って行った。
「っ――うわああああああ! もうやだよおおお! なんで我慢してるところにいっつもとどめ刺しにくるんだよあの馬鹿鳥! 馬鹿のくせに! 馬鹿のくせにっ!!」
結局シオニーの涙腺は悔しさと悲しさと謎の恥ずかしさで決壊し、震えた声音で言葉を残して、目元を袖で拭いながら自分の部屋へと駆けていった。
それからしばらくして、爛漫亭の玄関口でドスン、と重い何かが着地する音と、盛大に息を切らす吐息音が鳴って、
「プ、プルミ! 新しいソファ買ってきたであるよ! ――……ぬ? 皆の衆どこいったのであるか?」
巨大なソファを必死の体で担いでいるギリウスが現れたが、すでにその時には他のギルド員の大半は自分たちの部屋へと戻っていて。
「な、なんか取り残された感がすごいのであるよ……これ確実に我輩がいない間に皆で話がついた感じの空気であるよ……!!」
ギリウスの抗議染みた声が爛漫亭一階の広間に響いた。
◆◆◆
「なんでそういう妙な察し能力だけがやたらと高くなるんだろうな……」
唯一ギリウスの抗議の叫びに三階の自室で反応したサレは、窓枠に肘をかけて夜風にあたりながらそうつぶやいて、困惑の笑みを浮かべた。
◆◆◆
次の日。
起床、朝食。
その後に適当な身支度を終えて、あらかじめアリスから通達があったように、ギルド員たちは再び大広間に集まっていた。
「ん、ちゃんと新しいの買ってきたみたいね、愚竜」
「うむ。我輩が帰ってきた時には誰も迎えに来てくれなかったのであるがな」
「なによ、拗ねてんの?」
フフ、とプルミエールが面白がるように笑いを浮かべ、そっぽを向くギリウスを見ていた。
彼女の寝転がる身体の下には、前までそこにあったソファよりもさらに一回り大きく、それとない高級感が漂ったソファがピカピカの状態でおいてあって、
「なかなか良い寝心地よ。あんたのソファを選ぶ眼力だけは認めてあげるわ? これからはソファソムリエとして第二の人生を生きなさい!! いいわ!! それいいわね!! なんか今日のあたし冴えてるかも!!」
「誰か厨房からフライパンもってこいよ! 今日の鳥さん取り返しつかないくらいオツムがヤバいらしいから叩いて治そうぜ!」
誰かがそう叫ぶと、「よっしゃあ!」等とハイなテンションの返答がそこら中から帰ってきて、ギルド員の何人かが厨房に駆け込もうとしたところで、
「はい、よく考えましょう。わざわざ厨房にまでフライパン取りに行って叩いて治すのと、そもそもこの場で『いない者』として無視するのではどちらが少ない労力で済むでしょうか」
「まって、アリス。このオツムがトんでる鳥の方からうるさいくらいちょっかい出されたら、放っておくほうが厄介そうじゃない?」
アリスが手を叩いて皆に言い聞かせたが、即座にメイトから反論が飛んできて、アリスはその言葉を耳に入れてから数秒、凍ったように動かなくなった。
どうやらその間にメイトの言葉を反芻していたようで、数秒後にはアリスの中で結論が出たらしく、
「――その通りですねメイトさん。では囀らないようにやっぱりフライパンで意識トばしておきましょう」
グッ、と力強くアリスがメイトに向けて親指をあげてみせ、メイトの方もウィンクと一緒に同じように親指をあげて返し、すぐさま近場のギルド員に厨房に行くよう指示を出した。
「うわあ……やるんだ。本当にやるんだね、このギルド」
「よく考えろよジュリアス。あんなのに横で囀られ続ける悪夢をお前は味わいたいのか?」
ギルド員の輪の中にいたジュリアスが引き気味に言うが、サレにすぐに諭されて、
「うん……確かに悪夢かもしれないね……」
「だろ。臭い物には蓋を、ってよく言うけど、うちのギルドの場合は『ヤバい奴にはフライパンを』っていう鉄則があってだな」
「それは今考えたよね」
「……うん」
そんなやり取りをジュリアスとサレがしていると、不意に大広間の外の方――玄関口から続いている廊下の方で、爛漫亭の玄関扉が盛大に開く音と、誰かの声が響いてきた。
なにやらドタバタとあわただしい雰囲気が伝わってくる。
何事だと野次馬根性全開のギルド員たちはすぐに廊下の方に様子を窺いに行き、そして、
「――!!」
廊下の方に首を出したギルド員の身体が、真っ先に一つ、大広間を突っ切って吹っ飛んで行った。
その剛体がサレの顔の横を凄まじい勢いで吹っ飛んでいき、ソファにだらしなく寝そべって白翼の毛繕いをしていたプルミエールの身体の上を飛んでいき、ついに壁にぶち当たって止まる。
「……て、敵であるか!?」
ギリウスはびっくりしたように両目を大きく開き、竜尾をピンと立たせて緊張の面持ちで言う。
すると、吹き飛んだギルド員の少しあとに同じように廊下を覗き込んだもう一人が、不気味なまでの高速で広間の方を振り返り、大きく首を横に振った。
「違うけど、違わないかもしれない」
「なにいってんだこいつ」と広間の者たちが奇怪な物を見る目で詳細を問いただすが、次に大広間に響いた別の声を聞いて、全員が状況を自ずと察知した。
それは間延びしたよれよれの声だが、やけに声量だけが高く――
「ろらー!! ららっるってんらー!! わた、わたひがかえっらろおおお!!」
こうまで呂律が回らなくなることがあるのかと不思議に思うほど、露骨に舌の動きが不自由そうな声だった。
「……やっべえ」
しかし、その声だけは聞き覚えのある声で。
その声を聴いて、何人かが急に冷や汗を流し始め、さらに数人はその場で身構えた。
「え、なになに? なんなの? ――マコトの声だったけど」
「副長はあんま飲みにいかねえから知らねえだろうけど、酔ったマコトはやべえんだよ。なにがって? とにかく手がつけられねえんだ。泣くし、殴るし、しかもいつもひ弱そうにしてっけどアイツあれでも一応獣人族だからな……」
「言われてみればそうだな。狐って言われるとあんま強そうじゃないけど」
「よく言うだろ、酔うと制御外れて怪力になるって話。マコトはそれが顕著なんだよ……」
「ほう……」
「ろらー!! む、んむ、む、むかえに、こんきゃーい!!」
「もうダメだろあれ。何がって……とにかくダメそうだろ……こう、人として……」
サレが片手で額を押さえながらいう。
すると、ようやくその頃になって廊下の方から騒動の『元凶』が姿を現した。
「ぬ、ぬしら……す、少し手伝ってくれんかの……わらわもう限界じゃ……」
そんな弱弱しい声と共に『元凶』を担いで現れたのはトウカだった。
そしてその背には、服がほとんどはだけてしまっているマコトがいて。長髪を振り乱し、片手でトウカのいっぽん角をむんずと荒々しく掴んでいて、さらに片方の手には巨大な酒瓶を抱えていた。
――こ、この状態で街中歩いてきたのか……!
その姿は、サレをして思わずヒくほどの様相を呈していて、
「んら……んん……んっ! わ、わらひのむれ! むれら! まないららろ!? お、おみゃあらにわらひの……わ、わらひの……くるひみが……うう……うわああああああ!!」
「と、止めろ!! 悲惨だ!! これ以上はマコトの将来に関わる!! お嫁にいけないとかじゃ済まない可能性すらある!!」
急にわんわんと泣き始めたマコトを見かねたサレが、思わず叫んだ。
そんな騒動が、新たなあわただしい一日の始まりだった。




