104話 「次戦への予断」
――確かに三年は大きい。
ジュリアスは思う。
だが、それに見合う成果は得られよう。
そもそも、もう自分は止まるつもりがない。
だから、途中で何かを懐からおっことしたとしても、一瞬の振り返りこそあれ、二度その落としたものに視線を向けることはないだろう。
『ただ飯喰らいのジュリアス』としてナイアスで剽軽者をやっていたときにも、心のどこかにはテフラを変えようという気持ちはあった。
あったが、ここまで確固たる思いではなかった。
――はは、結局、サフィリス姉さんの思い描いたとおりになってしまったわけだ。
〈凱旋する愚者〉の出現と、サフィリスのけしかけが、結果として自分を今の状態へと導いた。
ある意味それは天啓のごとく、燦然と輝いた啓示だったのかもしれない。
――今の自分がいる『位置』は、そして自分が向いている『方向』は、思った以上に心地の良いものだ。
あの後押しがなければ、こうはならなかったかもしれない。
今は、この道こそが自分の歩むべき道だと心の底から思えている。
「まあ――」
その道をなりふり構わず歩み始めた自分を見て、何かを思う者はいるかもしれない。
カイムの顔を見て、ジュリアスはそう思った。
でも――
「お叱りはあとで受けましょう。今はこの道を、最初の休息所まで走り抜けることしか考えられそうにありません」
今はただ、自分の望みのために。
◆◆◆
「そういえば、他の王族はどうしているのでしょうね。特に僕に真っ先につっかかってきそうなエスター兄さんやサフィリス姉さんは……」
ジュリアスがふと話題を変え、カイムとセシリアに訊ねた。
「ほとんど王権闘争の部外者である私の口からそれを言うのは少し憚られるね――といいたいところだけど、こういうのも諸々含めて結局は闘争かな」
「そうですねぇ。――ではたまたまテフラ王城の客間で出会った情報通な金髪の男性にお話を伺ったということで」
「うむ、そういうことにしておこう」
「やはりテフラ王族は結構似た者同士が多いですね。清廉な容姿の割にやり口が強引です」
「アリスは知りたくないの?」
「知りたいに決まっているではありませんか。私は愚か者たちの当主ですよ? もとより体裁なんて気にするつもりはありません。ここから追い出されても意地で盗み聞きします」
「はは、いっそ清々しいまでの答えだね」
ジュリアスとカイムが笑った。
「なら私が知っている情報を分けてあげよう。まずエスターに関しては――正直にわからないと告げておくよ。あの子もなかなか激情家だから、すぐに動くのかとも思ったのだけれど。どうにもまだ動いていないらしい。内心でなにか思うところでもあるのかな」
「エスター兄さんは真面目ですからね。新しい思惑が浮かべば、それについて十分に納得するまでは動かないでしょう」
「意外だなジュリアス。お前とエスターは仲が悪いと思っていたが、よく見ているのだな」
「僕はエスター兄さんのことは嫌いじゃありませんよ? それどころかあのテフラに対する真摯な態度と、その生真面目さには尊敬すら抱いています」
「生真面目……なのか?」
「そうですよ?」
セシリアは一人首をかしげて問い返したが、ジュリアスは力の籠ったうなずきを返すばかりだった。
「うーむ、私の目もまだ節穴ということか」
「セシリアは妹たちの面倒を見ることの方が多かったからね」
カイムが近場の椅子に腰かけながら付け加えた。
「ともかく、なにもわからないということはまだ動いていない可能性が高いだろう。次にサフィリスとエルサだけど――」
「妹たちのことならまあなんとなく予想はつきますが――」
「うん、たぶんセシリアの予想どおりで、二人で小競り合いをしているようだ」
「僕としては助かりますが――本当にサフィリス姉さんとエルサ姉さんは小競り合いが絶えませんね」
「まったくだね。サフィリスとしてはジュリアスとその連帯ギルドに興味があって、真っ先にそちらに行きたかったようだけど、エルサがその動きをしつこいまでに牽制してる。アリエルとナイアス、それに浮遊小島も加えて、縦横無尽に小競り合いをしているようだ」
「小競り合いですか」
「そう。サフィリスの動きを絶妙な強弱でエルサがいなしている、という感じかな。先に手を出したのはエルサなんだけど、それに怒ってサフィリスが大挙しようとすると、その出鼻だけをくじいてエルサは逃げる、みたいな」
「うわぁ……」
ジュリアスがそれを聞いておもわずヒき気味の声をあげる。
「話に聞いていましたがひどいものですね。いやはや、その嫌がらせのセンスをご教授願いたいところです」
「サレたちがかわいそうだからそれはやめてあげて」
「考えておきましょう。――それにしても、エルサ第三王女は本当にサフィリス第二王女のことが好きなのですね」
「……そうなの?」
アリスがふっとこぼした言葉に、一瞬場が凍った。
その反応に意外そうにしたのはアリス自身も同じで、
「え? 違うんですか? いろいろとお話を聞いたうえで自然とそう考えていたのですが……」
「……あ、ちょっとまって」
するとジュリアスが急に眉間を指で挟み、思案気に唸り始めた。
「言われてみればそんな気がしないでもなく……」
「やり口がちょっかいに留まっているので、そうではないかと思ったのですが……」
「あ、あれっ、ちょっと混乱してきた……!」
「はあ」
アリスは心底意外だという表情を浮かべ、慌て始めたジュリアスを見た。
さらに視線をすべらせてみると、セシリアが顎先に指をあてて、同じく思案気にうなっている。
カイムはカイムで天井のシャンデリアを一心に見つめながら思索の端を伸ばしているようで、
「意外と兄弟というと見えづらいものがあるのでしょうか」
アリスだけが首をかしげてはっきりとした言葉をこぼしていた。
◆◆◆
「そうか……もしかしたらそうなのかもしれんな」
深い唸り声の重なる客間で、ようやくその異様な沈黙の間を破ったのはセシリアだった。
「サフィリスの奔放さにエルサが憧れている、という可能性もまあ考えてみればないでもないかもしれん」
「サフィリス姉さんの奔放さは常軌を逸していますがね」
「あれは見方を変えれば狂気的だからな」
ふいにセシリアが真面目な表情を顔に宿して言った。
「サフィリスの心底の考えだけは私にも分からん。そんなものもとよりないのかもしれないが」
「どうだろうね。しかしサフィリスにはその常軌を逸した奔放さゆえの『危うさ』もよくみえる。どうして正反対の気質を持つあの神族がサフィリスのもとへすり寄ったのかもわかる気がするほどだ」
「正反対の気質を持つというのは?」
カイムの言葉の中にあったフレーズに、アリスが疑問を投げかけた。
「テミスだよ。規律と法の神、法神テミス。私たちテフラ王族は伝統的にテミスとだけは強かれ弱かれ皆契約を交わしているけど、中でもサフィリスとテミスの繋がりは強固だ」
「ほう、それは初耳ですね」
「確かにテミスの選択はある意味旧来の神族としては正しい。もともと神族はある分野で劣った民を一定のレベルまで引き上げ、均衡を保つという調停者的役割を果たしていたから。法や規律からかけ離れた性格をしているサフィリスにテミスが力を多く与えるというのもうなずけると言えばうなずける」
カイムの言葉に続け、セシリアが紡ぐ。
「しかし近頃の神族はそういう調停者的側面にあまり適わない行動をすることも多い。それに、私たちが幼少のころでさえ、すでに一定数はほぼ『個人的好み』によって力を与える神族もいた」
セシリアの言葉にうなずくのは再びカイムだ。
「そういう作用はジュリアスやセシリアを見ればわかるはずだ。まあ、テミスは規律と法の神だけあって、旧来の神族の役割像を慣習法的に忠実に実行しようとしているのかもしれない。それと、こうしたテフラの伝統が複合されて、サフィリスと強く結びついたとも考えられる」
「建前と本音が混在していますね、神族の世界も」
アリスがため息とともに言う。
「しかしテミスがついていようといまいと、そもそもサフィリスの意思決定に神族は関与できない。サフィリスは自分の意志を決定するのにテミスの意見なぞまず聞かんだろうしな」
セシリアが加えると、すぐさまジュリアスが付け足した。
「サフィリス姉さんにまともな助言を聞かせられるのはキアル兄さんくらいだったからね……」
「そうだね……」
テフラ第一王子キアル。テフラ騒乱が起こる原因となった第一王位継承者。
――そのキアルの突然の死。
「キアル兄さんの死はテフラ王国という大局ばかりでなく、こういう細部にまで強い影響を及ぼしているのかもしれない」
ジュリアスは言いながら思う。
――セシリア姉さんの言うとおり、サフィリス姉さんの奔放さは一種狂気的だ。
彼女は止まらないし、止まれない。
享楽の甘受に邁進する。
どんな障害があっても、基本的に彼女にはたいした影響を及ぼさない。
昔、まだ子供だったころ、彼女がテフラ王城のガラス窓を片っ端から割っていったことがあった。
その時に彼女に聞いた行動の訳が、まだジュリアスの脳裏に焼き付いて離れないでいる。
――『楽しいから』。
ただそれだけだった。
叱るに叱れない周りの従者と、ガラスが盛大に割れる甲高い響きに呆然と晒される弟と妹たち。
そしてそれ見かねた長姉のセシリアが制しても、彼女は止まらなかった。
その時からジュリアスは気付いていた。
――サフィリス姉さんには、やり過ぎてしまうことに対する恐怖心が欠けているんだ。
決して常識知らずというわけではない。
人を殺してはいけないとか、物を盗むべきではないとか、そういう人並みの倫理観は持っていた。
持っていたが、彼女の場合、それらの行動が享楽との天秤に掛かった時、享楽の方面に傾きやすいのだ。
だから、やり過ぎる――つまり一線を越えることに人ほど恐怖を抱かない。
しかし、そんな彼女でも、
――ただ唯一、キアル兄さんの言葉だけは聞いた。
理由はわからない。
だが、キアル第一王子の制止の言葉には毎回必ず従っていた。
「……」
今もし彼女の胸中を、その心の底の思いを聞いたら答えてくれるだろうか。
「……わからないな」
ジュアリスはつぶやいた。
「まあ、とにかく、サフィリスとエルサに関してはその二人の間の決着がつかないうちはあまり本腰を入れてジュリアスの方を襲ってはこないだろう」
カイムがそれまでの重苦しい雰囲気を一新するようにパンと手を叩き、柔和な微笑を浮かべて言った。
「そうですね。とすると、次に向かい合うことになるのはエスター兄さんかニーナ姉さんでしょうか」
「そうだね。エスターとは一度会合で手合わせしているし、その時にエスターの連帯ギルドも見てているから、ある程度の闘争予測はジュリアス一人でも立てられるんじゃないかな?」
「はい。エスター兄さんとの闘争に関しては、僕も思うところがあるので――十分に考えて備えようと思います」
ジュリアスはそういって椅子から腰をあげた。
「ではそろそろ一旦ナイアスに戻ります、カイム兄さん、セシリア姉さん」
「そうか。まだアリエルで眠ることはできないだろうけど、いつかすべてが終わったら、また共に枕を並べられると私は信じているよ」
「必ずや」
「私も身辺を整理したらまたナイアスに下る。今回の闘争を通してお前の考えにも多少気が回るようになったし、私が負ければお前の意見を尊重すると取り決めたのも私自身だ。喜んでナイアスの現状視察でもするとしよう」
「お願いします、姉さん。――では、ひとまずこの辺で」
ジュリアスは言い、椅子に座っているアリスへと近づき、
「疲れたろう? 皆が君を首を長くして待ってるだろうから、今日のところはこの辺で戻るとしよう」
「そうですね。皆さんが何か下で問題を起こしていると困りますし」
「心配するところはそこなんだね……」
「それ以外に何かあるんですか……?」
「みんなの傷の具合とか、いろいろ……」とジュリアスは小さく口ずさんだが、アリスが首を傾げているのをみてそれ以上口に出すのをやめた。
そうして二人はカイムとセシリアに見送られながら、ひとまずテフラ王城をあとにして、アリエル西側の転移陣から再び湖都ナイアスへとおりていった。