102話 「猛炎の描く夢は幻か」【前編】
「例の第二王子殿下ですか」
テフラ王城の敷地に踏み入り、しばらく歩いたところでアリスがふとジュリアスに訊ねた。
アリスもまったく予備知識がなかったわけではない。王族会合のあとで、影武者を使ったゆえの情報の齟齬が起こらないように、ジュリアスに王族の名前や関係性についてはある程度教えられていた。
「そうだよ。早々に闘争から身を引いたカイム兄さんは滞りがちな政務の処理と、今回の王権闘争の調停側にまわってくれているから。僕たち兄弟姉妹もカイム兄さんならば公平に処理してくれるだろうとある程度暗黙の納得みたいなのもあってね」
「〈凱旋する愚者〉にも一人くらい欲しいですね、ぜひとも」
アリスは口を尖らせ、ため息と共に言った。
「はは、兄さん耐えられるかな……」
「耐えさせます。最近人のこきつかい方――いえ、人へのモノの頼み方のコツがわかってきたので、きっと第二王子殿下も喜んで働いてくれるでしょう」
「もうそれ言い間違えにもなってないよね……」
「間違いも常習化すると真実味をもってしまうというのが最近の悩みです。――冗談はともかくとして、そういえば他の――まだ闘争を降りていない王族やその連帯ギルドはどうなっているのでしょう」
『楽しそうな話をしているね、私も混ぜてくれないかな?』
その声は唐突に二人の間を割って、まっすぐに奥へと響いて行った。
それは深く、心地よい音色にすら感じられる声で、
「カイム兄さん!」
「待ちきれなくてね、迎えがてら部屋を出てきてしまったよ」
声が飛んできた方向へジュリアスが目を向けると、そこには簡素な白の正装に身を包んだ長身の男が立っていた。
その顔に微笑を浮かべ、片手を軽くあげて「やあ」と声をこぼしている。
カイム第二王子は、ジュリアスと同じ金糸の髪を揺らしながら、その紫の瞳に柔らかな光をたたえて立っていた。
ジュリアスは真っ先に大きな一歩を踏み、カイムへと駆け寄る。
対するカイムは駆けよるジュリアスを受け止めるように両手を広げ、そして自分の間近にまで歩み寄ってきたジュリアスの両肩に優しく手をおき、
「セシリアの連帯ギルドにそろそろジュリアスが来ると報されてね。待ちきれなくて出てきてしまったよ。ちゃんと政務の方は滞りないから心配しないでくれよ?」
「はなから心配なんてしてませんよ。お変わりありませんか?」
「私自身はね。私は闘争を辞退したわけだし。それに、連帯していたギルドが引き続き護衛を請け負ってくれててね。そのかいもあって我が身にこともなし、という感じさ」
ジュリアスがふとカイムの後方十歩ほど下がったところに控えている人影に気付いて、視線を向ける。
「君が?」
そこにいたのは年端もいかぬ女だった。
アリスとそう対して変わらぬ背丈で、見るからに可憐な少女といったところだが、その身は派手な色彩のローブに包まれていて、そこだけがどことなく異様に見える。
加えて言うならば、
――立ち姿は普通じゃないなぁ。
容姿は可憐な少女だが、どうにもその直立不動の立ち姿は猛者の風格が漂っている。
ジュリアスもジュリアスとてそれなりに武術の心得があったし、そういう観点からあえて見てみると、
――隙がない。
ジュリアスが内心で逡巡していると、ジュリアスの言葉に反応した少女が軽く頭を垂れて口を開いた。
「はい。お初に御目にかかります、ジュリアス殿下。〈烈光石〉というギルドに所属している〈ミーナ・ルーナ〉と申します。よろしければミーナとお呼びください」
「丁寧にありがとう、ミーナ。〈烈光石〉って確か中間階層の浮遊島に拠点を構えているギルドだったよね」
ジュリアスは一度唸った後に、閃いたように手を叩いてミーナに訊ねた。
対するミーナはジュリアスの言葉に意外とでもいうように目を丸め、
「驚きました。私たちのギルドはあまりテフラ王都では活動していなかったので目立たないはずなのですが……」
「まあ、僕は僕で意識的にギルドの調査をしていたからね。特に――」
ジュリアスは光沢すら見て取れる彼女の派手な色彩のローブの袖から、少しだけあらわになっているミーナの手を見て続けた。
「珍しい異族には目がなくてね」
ジュリアスの視線に気づいたミーナは、袖口から出ていた指先をさらに袖の奥にまでひっこめてから答える。
「そこまで知っていらっしゃるのですね」
「『結晶人系』の異族は特に珍しいからね。北方大陸に多いんだっけ?」
「おいおい、ジュリアス、積もる話もあるだろうけど立ち話ではなんだ。それにセシリアたちもいるし、とりあえず客間にでも行くとしよう。話はその後でいいだろう?」
二人の会話が長引きそうなのを察したカイムがとっさに口を挟み、一旦会話は打ち切りとなった。
◆◆◆
アリスたちが案内された部屋はいわゆる客間であった。
それも、貴賓用とでもいうかのごとく、豪勢なテフラ王城にあって、中でもぬきんでて豪奢に思える装飾が施された客間だ。
天井からつられた巨大なシャンデリアが淡い暖色混じりの光を周辺に散らせていて、植物の蔦を倣ったかのような紋様に彩られた長テーブルに、質感の良いクッションの敷き詰められたソファと、シックな色合いの木製の椅子が置かれている。
木製といっても、背もたれや座面には手触りの良い皮革が貼り付けられていて、実際に座ってみると一体中に何が入っているのだと不思議になるほど、柔らかで心地よい反発が返ってきた。
アリスはジュリアスの手にひかれ、その椅子に座り、
――ふう。
吐き慣れた内心のため息を吐いた。
疲れはあるが、休みなしでこうしてジュリアスと共にテフラ王城にきたのは自分の意志だ。弱音ははくまい。
そう胸中に言葉を加えて積もらせ、ぴしりと背筋を伸ばした。
すると、アリスの感覚器が自分の正面、およそ数歩のあたりに気配を察知する。
それこそ感覚的だが、その気配から感じられてくる空気感はジュリアスに似ていて、
――動きのリズムが似ているのでしょうか。
どうして自分がそのように感じたかは理性的に説明できそうにないが、
――心地よい気配ですね。
そうアリスは思った。
そうしていくばくかの逡巡を得ていると、ついにその気配から声が飛んでくる。
「『初めまして』、〈凱旋する愚者〉のギルド長さん。私は〈カイム・ニール・テフラ〉、テフラ王国の第二王子だ」
――ジュリアスさん、もろバレです。影武者使ったことバレてます。
アリスは心中でジュリアスに対する悪態をつきながら、しかしすぐに切り替えて、
「初めまして、カイム王子殿下。〈凱旋する愚者〉のギルド長を務めております、〈アリス・アート〉と申します。先日は身内のギルド員が王城の壁に風穴開けたりして申し訳ありませんでした」
「はは、気にしないでいいよ。ジュリアスも昔は神族と一緒に似たようなことをよくしていたからね。修繕はなれたものさ」
――ジュリアスさん、一体あなたどんな幼少期を過ごしていたのですか?
「ああそれと、王族会合の時に影武者を使ったことについては他の王族には黙っておくから心配しなくていいよ。まあ、エルサあたりはもしかしたら気付いているかもしれないけど。ともあれ、おつかれさま。ジュリアスとセシリアの両方の兄としてはどちらが勝って良かったとは言えないけど、とにかく、よく支えてくれたね」
――ああ、確かにギルドに一人くらい欲しい方ですね、この人は。
アリスはふとサレの言っていた言葉を思い出し、しみじみと内心でうなずいた。
「いえ、お互いさまです。私たちは私たちでジュリアスさんに頼っているので。お互いに持ちつ持たれつ、です」
「そうか。それはそれでテフラらしくて良いね」
また一つカイムは笑った。
「さて――まずは何から話そうか」
「あの、カイム殿下」
「なんだい? メシュティエ」
「大変心苦しいご提案になるのですが……そのですね……」
そこで、なにやら言葉をつ紡ぎづらそうにしているメシュティエに代わり、唐突に横からオースティンが口を挟んできた。
「殿下、申し訳ありませんが、うちの団長も『一応は』人の子でして、どうやらいまさら『無理』がたたってきたようです。下手をすると気絶したあと力神の対価もあって、まともに動けなくなるやもしれませんので、まず先に今回の闘争の終戦の手続きを、と」
「申し訳ありません」
――いやいや、両足折れてここまで平然とやってきたこと自体がまずもっておかしいことに気付くべきです、この人たちは。
アリスはその言葉を聞きながら再び胸中で言葉を紡いでいた。
するとそんなアリスをよそに、セシリアがカイムになにやら耳打ちをして、
「えっ? 両足折れてるの? えっ? は、早く言ってくれセシリア! 私としたことがセシリアの友人にそんな無理をさせていたとは……今医者を――」
それまでの悠然としていた佇まいを少し崩しながら、カイムが声をあげた。
「あ、いえ、殿下、お気遣い痛み入りますが、専属の医者がギルドにおりますので、終戦協定を締結したあと拠点への帰還をお許しいただければと思います」
「ああ、わかった。ならすぐに書類を持ってこさせよう」
カイムはうなずくと、すぐさま一旦客間から出ていった。
その慌てた後ろ姿を見ていたジュリアスとセシリアが、
「やっぱりカイム兄さんのもとには苦労が集まるね」
「そうだな……」
言い、それにアリスがとっさに、
「あの、それらの苦労はだいたいあなた方他のテフラ王族の性格が軒並み破綻していることに起因しているのではないでしょうか……」
耐えきれずつっこみを加えていた。
――いやはや、どうしたものでしょう。私、久々に心から同情できる相手を見つけました。
アリスは心の底からそう思った。