第6話【予感の来訪者】
炎がステージを焼き尽くす。
超高速のギターが銀色の刃となり、鉄壁のドラムが地を震わせる。
小さなライブハウスを圧倒するガールズメタルバンド「IronSylph」。
彼女たちの輝きと、決定的な欠落を——遠い劇場の影にいる一人のベーシストは、まだ知らない。
(本作のタイトル画像および挿絵には、AI生成の画像を使用しています)
・炎の残響・
11月中旬の冷たい夜、小さなライブハウス「BlastPit」は熱気に包まれていた。
客席約250人、すでに満員御礼の熱気。
ガールズメタルバンド、IronSylphはトリ前で登場した。
ステージ中央、黒髪ロングのギタリスト・燐火。
ワインレッドのシャツに黒のレザーパンツを纏った彼女は、白い鋭角ボディのギター「Explosion」を構える。
最初の一音で、会場全体が息を飲んだ。
右手が弦を掻き荒らした瞬間、超高速のスウィープが銀色の刃になって空間を引き裂く。
駆け上がり、流れるように落ち、そのまま豪雨のようなタッピングへ入る。
フレットを叩く音が、金属を砕くように鋭い。
客席から、どよめきが上がった。
「おい……マジかよ!?」
「速すぎる……人間業じゃねえ……」
初めてIronSylphを見る客が、思わず身を乗り出す。
息を止めたまま、固まる者もいた。
燐火の演奏は速さだけではない。
冷たい炎のように会場を支配し、聴く者の心臓を鷲掴みにする。
その炎を支えるのは、ドラマーの澪。
優しい笑顔をたたえながらも、そのビートは微動だにしない。
手数は多い。それでも軸はブレない。
燐火の高速リフを鉄壁に受け止め、要所で大胆なフィルを叩き込み、グルーヴを底から押し上げる。
床を穿つバスドラムの連打が、客席の靴裏まで振動を伝えていた。
最前線でそれを光にするのが、ピンクのボブヘアのボーカル・佑飛。
白いシフォンブラウスを着た柔らかい見た目とは裏腹に、力強く情感豊かなシャウトを空間に叩き込む。
サビで声を裏返さんばかりに叫び、次の瞬間には笑顔で客席へ拳を出す。
客はそれに応える。
声は届いている。
しかし、今日のライブは少しぎこちなかった。
サポートベーシストの音が、明らかに浮いている。
彼女は二十代後半の女性ベーシストで、腕に自信があり、オーディションを兼ねたサポート役を引き受けた。
ショートカットに派手なピアス、黒いタンクトップから覗く腕にはタトゥーが入っている。
ライブ前に自信を見せていた彼女は、燐火の高速タッピングに完全に飲み込まれ、タイミングが半歩遅れていた。
合わせようと前に出れば低音が浅くなり、支えようと後ろに下がればグルーヴが剥がれる。
彼女の指は動き、音も出ている。
それでも、その低音は床を捉えず、IronSylphの鋼鉄のサウンドの横で、背景に溶けていた。
・鎖の不在・
ライブ後の楽屋裏。
燐火は白いギター、Explosionを乱暴に置き、低く苛立った声をあげる。
「……またか。低音が薄すぎる。まるで背景の飾りみたいに埋もれてるじゃない。こんな半端な演奏で、私たちの音が台無しになるなんて最低よ」
澪はドラムスティックを軽く回しながら、フォローした。
「……サポートだし、急な参加だったから……完璧を求めるのは難しいよ」
佑飛はピンクの髪を揺らしながら、柔らかい笑顔で間に入る。
「燐火ちゃん、ちょっと厳しすぎじゃない? 練習時間もほとんどなかったんだし」
燐火は冷たい視線を向け、低く、しかし鋭く続ける。
「……練習する気もないなら、最初から来るなって言ってるの。私たちに追いつけない腕で、なぜステージに上がるの? あんな凡庸な演奏で、私たちの名前を汚すなんて……本当に腹が立つわ」
サポートベーシストの女性は、気まずそうにベースをケースにしまい、小さく頭を下げて楽屋をあとにした。
「あいつも結局……見た目だけだったな……」
燐火は低く呟き、ギターケースを閉めた。
彼女は常々語っている。
この国のガールズメタルは、ようやく世界から注目され始めた。
米国や欧州の大規模フェスで、日本のガールズバンドがメインステージに立つ機会も増えてきた中、一人でも隙があれば、すぐに埋もれてしまう――と。
佑飛は明るく笑って声をかけた。
「次は、もっと良いベーシストが見つかるよ」
・影の劇場・
その数日後、冷たい雨が降る夜の劇場、「夜鎖座」。
美葉子はいつもの舞台袖でベースの調整をしていた。
監督が興奮気味に近づいてくる。
「美葉子、今日はゲストボーカルが来るぞ。朝倉 優陽さんって言ってね、10代の頃にボーカルコンテストで優勝した人で、いまはインディーズバンドで歌っているらしい。新演目でミュージカル要素を入れるための打ち合わせだ」
美葉子は眼鏡の奥から冷たい視線を上げ、皮肉っぽく言った。
「……10代で優勝した大層な歌い手が、こんな田舎劇団の手伝い? 随分と珍しい落ちぶれ方だわ」
そこへ、明るい足音とともに声が響いた。
「わー、ずいぶん辛辣なご挨拶! でも正解! 私たち、まだまだ力不足でさ。いろんな経験を積もうと思って、こうして劇団のお手伝いもしてるんだよ」
美葉子がゆっくりと顔を上げると、そこに立っていたのはピンクのボブヘアに白いブラウス、その上から薄いピンクのジャケットを羽織った、明るい笑顔の女性だった。
・明るい来訪者・
その女性、優陽は屈託のない笑顔で美葉子に近づき、ベースの機材に視線を落とした。
「それに……美葉ちゃんの音、この前の『残響の檻』を観せてもらって、客席から聴いたよ。効果音の低音……すごいね。あの表現力。聴いた瞬間鳥肌立っちゃって! 今日の稽古を見学させてもらうの、すごく楽しみだったの!」
(……『みよ』ちゃん? どこかで、聞いた響きだわ。それにしても、随分と軽い呼び方をするものね)
「……随分と馴れ馴れしい挨拶ね。しかもいきなり効果音にお世辞を並べるなんて、空がピンク色になるより珍しい気分よ。私みたいな裏方の音を褒めても、何の得にもならないのに」
優陽は一瞬目を丸くした後、すぐに明るく笑った。
「嬉しい! 私、珍しいって言われるの、大好きなの! だって普通に生きてても『珍しい』って言われること少ないじゃん?」
美葉子の目をまっすぐ見つめながら、楽しそうに続ける。
「私、『声が出せない歌の先生』からレッスンを受けてね、バンドのデビューはステージに駆け上がって勝手に歌い出したのが最初なの。珍しいでしょ?」
優陽はそう言って、無邪気な笑顔を見せる。
その笑顔はとても自然で、まるで昔からの友人に対するような親しみやすさがあった。
美葉子は内心で、会話のペースを握られていることに苦笑する。
だが、優陽が続けて何気なく口にした言葉が、美葉子の胸に刺さった。
「前に来てたチェリストさんはクラシックの人だったから、ちょっと合わなかったかもしれないけど、私は全然違うよ! ガールズメタルバンドでずっと歌ってるから!」
(……ガールズメタル?)
美葉子の瞳がわずかに揺れた。
高校時代に封印した5弦の感触、炎のようなギターに負けない低音を追い求めていた日々が、胸の奥で疼き始めた。
優陽は笑顔のまま、ポケットから小さな名刺を取り出して美葉子に差し出した。
「あ、そうだ! これ、私の名刺。よかったら連絡してね!」
美葉子は彼女のステージネームが書かれた名刺を受け取り、目を落とした。
―― 佑飛 Yuhi
Vocalist × IronSylph
Indie Vocalist / Songwriter ――
(佑飛……IronSylph…… アイアンシルフと読むのか……)
その瞬間、美葉子の視線が、無意識に壁際に置かれた黒いハードケースへ滑った。
封印した5弦ベース、IronChainが静かに眠る、埃を被ったケース。
指先が、名刺の端をわずかに強く握る。
表向きは冷たい無表情を崩さず、いつもの毒舌で返す。
「……ふん、ガールズメタルね……最近はそんなバンドも増えたのね。随分と夢見がちな生き方をする人たちもいるものだわ」
言葉の端に棘はあったが、声のトーンはわずかに柔らかかった。
佑飛はそれを敏感に感じ取ったのか、ますます目を輝かせて笑う。
「よろしくね、美葉ちゃん! 今日は下見と挨拶だけだけど、脚本ももうすぐできるみたいだし、次は少しだけ音合わせてみようよ」
美葉子は眼鏡を軽く押し上げ、クールに答えた。
「……検討しておくわ」
佑飛が去った後、美葉子はベースを構えた。
ネックを握る左手に、思わず力が入る。
(ガールズメタル……か)
封印したはずの熱が、静かに、しかし確かに動き始めていた。
・雨中の響き・
数日後、脚本が完成し、軽い稽古が始まった。
今回の演目『最後の灯火』は、荒れた海辺の灯台を守る女性が、激しい嵐の中で船を導き続ける物語。
灯花が灯台守の女性を演じ、佑飛が『海の女神の声を届ける謎の歌い手』として舞台袖から歌を送る。
稽古の後半、本番を想定した通し稽古が行われた。
美葉子は舞台袖でナチュラル色の4弦ベース・Warmlockを構え、雨と風の効果音を丁寧に重ねていく。
そして、佑飛の歌が始まった。
激しい雨音と風の表現をバックに、歌声が響き渡る。
最初は優しく、祈るようなバラードだったが、サビに入った瞬間、彼女の声が一気に爆発した。
風雨をものともせず、むしろそれらを乗り越えるような、温かく力強い歌声。
その歌は「どんな嵐の中でも、この灯を消さない」という強い決意のメッセージに満ちていた。
美葉子は演奏を続けながら、思わず息を飲んだ。
(……この声……)
佑飛の歌声は、美葉子の伴奏と自然に絡み合い、むしろ低音を底上げするように響いていた。
風雨を演出する送風機の風が舞台袖まで吹き込む中、彼女のブラウスが風に揺れ、ピンクの髪が激しく舞いながらも、その歌声だけが揺るがない。
佑飛の後ろ姿を間近に見ながら、美葉子は思う。
(……本気だ。風雨など関係ない。彼女は本当に、闇の中にいる誰かに、光を届けようとしている……そして、彼女の歌に私の音が「必要とされている」、こんな感覚は初めてだ……)
灯花の演技も、いつにも増して熱を帯びていく。
・解けゆく鎖・
稽古終了後、佑飛が汗を拭きながら美葉子に近づいてきた。
「美葉ちゃん、ありがとう! 低音がすごく安定してて、歌いやすかったよ。なんか……一緒にやったら、もっと面白い音が出せそう!」
美葉子はベースをケースにしまいかけた指を止め、眼鏡の奥から冷たい視線を向けた。
(一緒に……か。随分と気軽に、人の胸の奥を掻き乱す言葉を投げてくるものね……)
だが、美葉子の心は、僅かながらも興味の色を帯びていた。
「……まぁ悪くはないわね。私のような裏方が聞くような話でもないと思うけど…… まあ、暇な耳で聞いてあげるわ。あなたのIronSylphとかいうバンド、どんな音を鳴らしているの?」
佑飛は一瞬目を丸くした後、すぐにパッと顔を輝かせた。
「えへへ、聞きたいんだ! 嬉しい!」
彼女は笑ったまま、堰を切ったように話し始めた。
「うん! メロディックなスピードメタルでね。燐火ちゃんがギターで、私がボーカル、澪ちゃんがドラム。3人体制でやってるんだけど……まだベーシストが見つかっていないの。燐火ちゃんがめっちゃ厳しいから、なかなか合う人がいなくて……」
佑飛は少し困ったように笑ったが、すぐに目を輝かせて続けた。
「でも、私たちは本気で世界を目指してるんだ! 海外のフェスにも挑戦したいし、もっと大きなステージで歌いたい。……美葉ちゃんの低音、今日一緒にやってみて、すごく相性良いと思ったんだ。もしよかったら、うちのライブにも来てみない?」
美葉子は唇の端をわずかに歪めた。
……世界を目指す、か。
私も昔、同じ言葉を胸に刻んで5弦ベースを握っていた。
結局、その音で大切なものを壊して、影に逃げ込んだというのに……
この子の声は、まるでその鎖を嘲笑うように軽やかだ。
腹立たしくもあるが……なぜか、聞き耳を立ててしまう自分がいる。
美葉子は小さく息を吐き、いつもの冷たい声で返した。
「……ふん、随分と壮大な夢を見ているのね。あんたの笑顔を見ていると、毒を吐くのが少しだけ億劫になるわ」
そのとき、佑飛が笑顔で付け加えた。
「あ、そうだ! 公演本番の千秋楽、燐火ちゃんと澪ちゃんも観に来てくれるんだ。美葉ちゃんの低音、絶対気に入ると思うよ!」
美葉子は一瞬、指先が硬直した。
どんな音を鳴らす2人かは知らないが、佑飛の歌声を聴いた今、その実力は容易に想像がついてしまう。
燃えるようなギターに、鉄壁のようなドラム、そして、それらを束ねる、彼女の声。
封印した5弦ベースの感触が、指の奥で疼いた。
美葉子は眼鏡をクイッと押し上げ、いつもの無表情を保とうとした。
(影にいた私が……見られる側になるのか)
唇の端に、ほんのわずかではなく、はっきりと自嘲とも期待ともつかない薄い笑みが浮かんだ。
「……ふん。運命の脚本家は、随分と意地悪で、しかも性急な台本を用意したものね。」
・次回、第7話【鎖と炎の交錯】(9月8日【火】20:00公開)
燃えるような情熱をたたえた黒髪のギタリストが、客席から美葉子を見つめる。
冷たい炎のような視線が、影に潜む低弦の鎖を射抜くとき、美しい夜の幻影「美夜」が、静かに微笑む—―
もう、目を逸らしていられない。
予感の来訪を、どう受け取っていただけたでしょうか。
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