第12話 ヒナの弁当と嫉妬
昼休み。
それは、学生にとっての安息の時間であり、俺のような貧乏学生にとっては忍耐の時間でもある。
俺の昼食は、購買で買った八十円のコッペパンと、水道水だ。
一方、鋳吹は何も食べない。
「……お前、腹減らないのか?」
「平気。アトの近くにいれば、エネルギーは充填される」
彼女は机をくっつけて、じーっと俺がパンをかじる様子を見つめている。
その視線だけでお腹いっぱいになりそうだ。
周囲の生徒たちは、遠巻きにこちらを観察している。剛田たちの一件以来、直接絡んでくる奴はいなくなったが、その分「触らぬ神に祟りなし」という空気が教室を支配していた。
その沈黙を破ったのは、やはり彼女だった。
「明星くん、お昼ここいいかな?」
日向ヒナだ。
彼女は可愛らしいピンク色の包みを手に、俺たちの席の前に立っていた。
教室の空気が一変する。クラスのカーストトップであるヒナが、底辺(今は要注意人物)の俺に話しかけているのだ。
「えっ、あ、ああ。いいけど……」
俺が戸惑っていると、隣で鋳吹がスッと目を細めた。
猫が威嚇するように、背中の毛が逆立っている気配がする。
「……何の用?」
鋳吹の声は、絶対零度。
だが、ヒナは全く動じず、ふんわりとした笑顔を崩さない。
「ううん、用事ってほどじゃないんだけど。……これ、作りすぎちゃって」
彼女が包みを開くと、そこには彩り豊かな二段重ねの弁当箱があった。
タコさんウインナー、ブロッコリー、プチトマト、そして黄金色に輝く卵焼き。
俺の手にあるパサパサのコッペパンとは、次元が違う「文明の食事」だ。
「よかったら、二人で食べてくれないかな? 捨てるのも勿体ないし」
「えっ、いいのか!? いやでも、悪いよ」
「ううん、食べてくれたら私が嬉しいの。イブキちゃんも、どうぞ?」
ヒナは箸を二膳、差し出した。完璧な気配りだ。
俺の喉がゴクリと鳴る。
手作りの弁当なんて、何年食べてないだろう。
「……アト、食べたいの?」
鋳吹がジト目で俺を見る。
「い、いや、せっかくのご厚意だし……断るのも失礼だろ?」
俺は言い訳しながら、ヒナから箸を受け取った。
「いただきます……!」
まずは、一番輝いて見える卵焼きへ箸を伸ばす。甘いのか、出汁なのか。期待に胸が膨らむ。
箸でつまみ、口へ運ぼうとした――その瞬間。
パクッ。
横から伸びてきた影が、俺の箸から卵焼きを奪い去った。
「あ」
鋳吹だ。
彼女は俺の箸ごと卵焼きを咥え取り、咀嚼もそこそこに飲み込んだ。
「……んぐ」
「お、おいイブキ! 何すんだよ!」
俺が抗議すると、彼女は真顔で言った。
「……毒見」
「はあ!? ヒナが毒なんて盛るわけないだろ!」
「わからない。アトは無防備すぎる。この女からは……甘い匂いがする。甘い罠かもしれない」
鋳吹は言いながら、今度はウインナーを指でつまんで口に放り込んだ。
「あむ。……これも、毒見」
「ただ食いたいだけだろ!」
「違う。アトを守るため」
彼女はリスのように頬を膨らませながら、ヒナを睨みつける。
その瞳には、明確な敵意――いや、焦燥感のようなものが混じっていた。
自分の知らない「美味しいもの」で、俺が餌付けされるのが気に入らないらしい。完全な嫉妬だ。
俺は頭を抱えた。
「すまん、日向さん。こいつ、ちょっと食い意地が……じゃなくて、警戒心が強くて」
ヒナが気を悪くしたんじゃないかと恐る恐る顔を上げると。
彼女は怒ってはいなかった。
ただ、少しだけ眉を下げて、困ったような、それでいてどこか羨ましそうな顔で笑っていた。
「ふふ。……そっか。イブキちゃんは、本当に明星くんのことが大切なんだね」
「……当たり前」
鋳吹が即答する。
「アトは私の『対』だから。誰にも渡さないし、指一本触れさせない」
その言葉に、ヒナの瞳が一瞬だけ揺らいだ気がした。
だが、すぐにいつもの明るい笑顔に戻る。
「うん、わかってるよ。……でもね、イブキちゃん」
ヒナは身を乗り出し、鋳吹の目を見つめた。
「守りすぎると、息が詰まっちゃうよ? たまには……誰かに頼ってもいいんじゃないかな」
「……必要ない。私たちだけでいい」
バチバチと火花が散るような視線の交錯。
間に挟まれた俺は、居心地の悪さに縮こまるしかなかった。
結局、弁当のおかずの半分以上は「毒見」と称して鋳吹の胃袋に収まった。
チャイムが鳴り、ヒナが席に戻る。
「ごちそうさま、美味しかったよ」
俺が礼を言うと、ヒナは背中越しに手を振った。
「また明日も作ってくるね。……今度は、イブキちゃんに取られないようにするから」
その声には、妙な決意が込められていた。
「……あの女、やっぱり油断できない」
鋳吹が俺の袖をギュッと握る。
その手は、いつもより少しだけ力が強かった。
俺は苦笑しながら、彼女の銀髪を撫でた。
「ただの親切だって。考えすぎだよ」
「……アトは馬鹿」
俺たちは気づいていなかった。
教室の窓の外、校庭の植え込みの影で。
とぐろを巻く何かが、じっとこちらを監視していることに。
日常のすぐ足元まで、猛毒の牙は迫っていた。




