第11話 体育倉庫の攻防
一限目は体育だった。
種目はバスケットボール。
ここで、本日二度目の「物理的障壁」が立ちふさがる。
更衣室だ。
「……アト、一緒に入る」
「入れるか! 社会的に死ぬわ!」
体育館の入り口で、俺はジャージを握りしめて抵抗した。
鋳吹は不満げに唇を尖らせている。
「でも、さっき敵がいた。アトが着替えてる間に、ズボンの中に毒蛇が入ってるかもしれない」
「想像力が逞しすぎるだろ! 大丈夫だ、確認してから履く!」
「……信用できない。アトは隙だらけだから」
鋳吹はジッと俺を見る。その真紅の瞳は、冗談ではなく本気で心配しているのだ。
さっきの襲撃未遂が、彼女の過保護スイッチを入れてしまったらしい。
「わかった。じゃあ、こうしよう」
俺はため息交じりに提案した。
「俺は五分……いや、三分で着替えて出てくる。その間、お前はここで待っててくれ。男子更衣室と女子更衣室は隣同士だ。距離は数メートルもない。これなら文句ないだろ?」
「……三分」
「ああ、カップ麺より早く出てくる」
「……わかった。カウントする」
渋々頷いた彼女を残し、俺は男子更衣室へと駆け込んだ。
更衣室の中は、制汗スプレーと男たちの熱気でむせ返るようだった。
俺は自分のロッカーを開け、超高速で学ランを脱ぎ捨てる。
すると、近くで着替えていたクラスメイトの男子たちが、ヒソヒソと話しているのが聞こえてきた。
「おい、見たかよ入り口」
「ああ、あの転校生だろ? すげー形相で立ってるぞ」
「なんだあれ、門番か?」
「明星のやつ、とんでもないのを拾ったな……」
(……聞こえてますよ、お前ら)
俺は心の中で毒づきながら、Tシャツに頭を通す。
剛田のグループは昨日の雷撃(と勘違いしている現象)にビビって寄り付かないが、他の連中からの視線は「嫉妬」と「哀れみ」が半々といったところだ。
「よし、着替えた!」
宣言通り、二分五〇秒。
俺は更衣室のドアを勢いよく開けた。
「――一六八、一六九、一七〇」
ドアの真ん前で、腕組みをした鋳吹が秒数を数えていた。
その立ち姿は、まさに仁王立ち。
更衣室に入ろうとする男子生徒を「チッ」と睨みつけ、出てくる生徒には「アトじゃない」と冷たい視線を送る。
完全に、更衣室の警備員だ。
「うわっ、明星! お前の女、どうにかしろよ!」
入り口で立ち往生していた男子が、泣きそうな顔で俺を見た。
「あ、ああ……悪い」
俺は慌てて鋳吹の肩を掴んだ。
「イブキ、どけって! 邪魔になってるだろ!」
「……アト。二分五五秒。合格」
鋳吹は俺の顔を見ると、ようやく警戒心丸出しの表情を緩め、ふわりと花が咲くように笑った。
「無事だった?」
「おかげさまでな。……ほら、お前も着替えてこいよ」
「ん。すぐ戻る。動かないで」
彼女は俺に「待て」を命じると、女子更衣室へと消えていった。
残された俺に、周囲の男子たちの視線が突き刺さる。
「明星……お前、あんな美少女に束縛されてんのか?」
「裏山死刑だな」
「いや、お前らわかってない。あれは束縛なんてレベルじゃねえ……」
俺は乾いた笑いを漏らした。
これは愛とか恋とかいうチャチなもんじゃない。
生存戦略だ。
やがて、指定のジャージに着替えた鋳吹が出てきた。
サイズが少し大きいのか、袖から指先がちょこんと出ているのが妙に可愛い。ハーフパンツから伸びる足は白く、その白磁のような肌に、俺たちの命綱である「距離」を刻む赤い痣がうっすらと見えた。
「アト、行こ」
彼女は自然な動作で、俺のジャージの袖を掴む。
体育館へ向かう俺たちの背後で、男子たちが「爆発しろ」と怨嗟の声を上げているのが聞こえたが、今の俺には別の意味で爆発(物理)の恐怖の方が大きかった。
だが、俺たちは気づいていなかった。
その様子を、渡り廊下の陰から静かに見つめる視線があることに。
「……ふふ。本当に、ずっと一緒なんだ」
日向ヒナが、手作りのお弁当箱を胸に抱きながら、寂しげに微笑んでいた。




