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銀髪の遺児

 

 樹海の奥深く、霧に包まれた古の森が広がる。

 そこはハイエルフたちの聖域、伝統と古い慣習が息づく村だった。

 村の名はエリンディル。巨木の幹をくり抜いた家々が連なり、葉ずれの音が永遠の調べのように響く。

 エルフたちは金髪を陽光のように輝かせ、碧眼を森の深淵のように澄ませ、細長い耳を風の囁きに傾ける。

 永遠の命に近い長寿を誇り、魔法と自然の調和を何より尊ぶ種族だ。

 

 その村で、一人の女エルフが産気づいた。名をリリアナという。夫のエルドランは、村の長老の一人で、古い血統を誇っていた。

 出産は村の聖なる泉の傍らで行われ、祝福の歌が周囲に響いた。だが、生まれた赤ん坊を見て、皆の顔が凍りついた。

 

「これは……何だ?」

 

 赤ん坊の髪は白銀のように輝き、瞳は燃えるような赤。耳はとんがっておらず、人間のように丸みを帯びていた。エルフの特徴を何一つ受け継いでいない。異形の姿。村人たちは息を呑み、ざわめきが広がった。

 

「忌み子だ……。神々の呪いか?」

 

 伝統を重んじるハイエルフたちにとって、これは冒涜だった。血統の純粋さが彼らの誇り。異形は災厄の象徴とされ、村の掟により、森の外れに捨て置かれる運命だった。

 リリアナは涙をこらえ、夫のエルドランにすがったが、彼の目には冷たい決意しかなかった。

 

「仕方ない。村の掟だ。神々がそう定めたのだ。」

 

 夜の闇に紛れ、赤ん坊は粗末な布に包まれ、村から遠く離れた森の入り口に置かれた。

 木々の影が深く、魔獣の咆哮が遠くから聞こえる。野生の狼やゴブリン、果ては影の精霊がうろつく場所。

 数時間と持たず、命を落とすはずだった。赤ん坊は小さな泣き声を上げ、夜空を見上げた。星々が冷たく瞬く中、運命の糸が絡みつく。

 

 一方、森の入り口からやや離れた場所に、辺境の人間の村があった。名をロックソルト村。

 岩塩の鉱脈が豊富で、農作物と狩猟で生計を立てる小さな集落だ。

 村の周囲は険しい山々に囲まれ、王都との交易路が唯一のつながり。

 岩塩は上質で、獣の肉は新鮮。薬草も豊富で、村は辺境ながら豊かで発展していた。

 村人たちは質実剛健、信仰心が厚く、教会を中心に暮らしていた。

 

 その日、猟師のヴェゼルはいつものように森へ分け入っていた。齢四十歳を過ぎの、しかしながら屈強な体躯を保った男で、弓と短剣を携え、鹿や兎を狙っていた。灰色の髭をたくわえ、目には鋭い光。家族は妻と二人の息子がおり、村の狩猟団のリーダー格だった。

 

「今日は収穫が少ないな……。」

 

 木々の間を進むヴェゼルは、ふと異様な気配を感じた。森の入り口近く、茂みの奥から小さな泣き声。警戒しながら近づくと、そこに赤ん坊がいた。布に包まれ、震えている。髪は銀色、瞳は赤。耳は人間のようだ。

 

「これは……エルフか? だが、耳が……。」

 

 ヴェゼルはすぐに異種族だと気づいた。ハイエルフの村が近くにある噂は聞いていたが、こんな場所で赤ん坊を見るとは。見捨てられた忌み子か? 彼の心に葛藤が渦巻いた。

 人間とエルフの間には古い確執がある。だが、赤ん坊を放置すれば死ぬのは確実。ヴェゼルはため息をつき、赤ん坊を抱き上げた。

 

「見捨てるわけにはいかねえよ。お前、運がいいな。」

 

 赤ん坊はヴェゼルの温もりに安心したのか、泣き止んだ。ヴェゼルは狩猟を切り上げ、村へ急いだ。道中、魔獣の影を感じたが、短剣を構えて威嚇し、無事に抜けた。

 

 村に着くと、ヴェゼルは教会へ直行した。村の中心に建つ石造りの教会は、神の恵みを象徴する。

 そこに住むのは、若い神父のジャスティとシスターのソルテラ。ジャスティは二十代後半、黒髪を短く切り、穏やかな笑顔の男。元は王都の神学校出身で、辺境の村に赴任した。

 ソルテラは妻で、同じくシスターとして奉仕する。金色の髪を結い、優しい青い目。二人にはまだ子供がおらず、教会で孤児や病人の世話をしていた。

 

 ヴェゼルが教会の扉を叩くと、ジャスティが出てきた。

 

「ヴェゼル、どうした? 狩猟の途中で帰るなんて珍しいな。」

 

「神父、これを見てくれ。」

 

 ヴェゼルは赤ん坊を差し出した。ジャスティの目が驚きに広がった。ソルテラも駆け寄り、赤ん坊を抱き取った。

 

「まあ、可哀想に……。エルフの赤ん坊ね。でも、耳が人間みたい。森で拾ったの?」

 

 ヴェゼルは事情を説明した。村人たちが噂を聞きつけ、教会前に集まってきた。皆、畏怖の目で赤ん坊を見る。

 

「エルフの忌み子だろ? 呪いが村に及ぶんじゃねえか。」

 

「引き取るなんて、災厄を招くぞ。」

 

 ざわめきが広がる。ヴェゼル自身も迷っていたが、ジャスティが静かに言った。

 

「皆さん、落ち着いて。神は全ての命を愛する。異形であれ、赤ん坊は無垢だ。これは神の試練かもしれない。私たちが引き取ろう。」

 

 ソルテラが頷き、赤ん坊を優しく揺らす。

 

「そうよ。神の教えに従い、慈悲を。名前を付けましょう。清く、正しく、綺麗であれという意味で……シフォン。どうかしら?」

 

 ジャスティが微笑んだ。

 

「いい名前だ。シフォン、私たちの娘として育てよう。」

 

 村人たちは渋々引き下がった。教会の権威は強く、ジャスティの言葉に逆らえなかった。こうして、ハイエルフの赤ん坊はシフォンという名を得、人間の村で新たな人生を始めることになった。

 

 シフォンが教会で暮らすようになって、数日が過ぎた。ジャスティとソルテラは懸命に世話をした。ミルクは村のヤギから、布団は教会の古い毛布を。シフォンの赤い瞳は不気味に映るが、二人は愛情を注いだ。

 

 ある夜、ジャスティはソルテラに語った。

 

「この子は特別だ。エルフの血が流れている。長寿かもしれない。だが、神の元で正しく育てれば、きっと祝福になる。」

 

 ソルテラは頷き、シフォンを抱きながら祈った。

 

「神よ、この子をお守りください。清く正しく、綺麗に。」

 

 村の生活は穏やかだった。朝は農作業、昼は岩塩の採掘、夕は狩猟の分け前。シフォンは教会の庭で遊ぶようになり、村の子供たちと触れ合う。だが、耳の形や髪の色でからかわれることもあった。

 

「変な耳! 魔物みたい!」

 

 そんな時、ジャスティが子供たちを諭す。

 

「違うよ。神の多様な恵みだ。皆、違ってこそ美しい。」

 

 シフォンはまだ幼く、何も分からなかったが、養父母の温かさに包まれていた。

 

 月日が流れ、シフォンは少しずつ成長した。エルフの血ゆえ、人間より遅いが、赤い瞳に知性が宿り始めた。ジャスティは聖書を読み聞かせ、ソルテラは歌を教えた。村の交易で王都から来る商人たちは、シフォンを珍しがった。

 

「珍しいエルフだな。岩塩の取引に花を添えるよ。」

 

 ヴェゼルは時折、教会を訪れ、シフォンの様子を見た。

 

「よぉシフォン、元気か。俺が拾ってよかったな。」

 

 シフォンは笑顔で頷く。だが、心の奥に、異種族としての孤独が芽生え始めていた。

 

 やがて、シフォンは教会の手伝いを始めた。薬草摘みや病人の看病。回復魔法の兆しを見せ、村人たちを驚かせた。

 

「この子はきっと神の使いに違いない」

 

 エルフに捨てられた忌み子から、村の守護者へ。シフォンの人生は、運命の糸に導かれ、新たな道を歩み始めた。

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