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この作品には 〔ボーイズラブ要素〕が含まれています。

祠壊したら彼氏ができた

作者: 古池ねじ
掲載日:2025/10/06

 いつの間にか幼馴染が目の前に立っていた。

「……なんでこんなことしたの?」

 叱責というより面白がっているようだった。俺はうまく答えられなくて黙っていた。

 幼馴染が形のいい顎で差す先には祠があった。村の隅にある小さな祠だ。村の人間が持ち回りで手入れをし、お供えもしている。だが一体いつからそこにあるのか、どういう来歴があるのかはわからない。小学生のとき調べ学習で調査しようとしたけれど、昔からここに住んでいるばあちゃんも、近所のじじばばたちもよく知らなかったので諦めた。

 古ぼけた、なんてことない祠だ。それが、今はぶっ壊れている。屋根も柱も折れて、破れた紙垂が頼りなく秋の風に揺れている。

 俺が壊した。納屋にあるスコップで簡単に壊せた。

「……なんとなく」

「なんとなくって言ってもなあ」

 幼馴染は首を傾げた。黒い髪がさらさら音を立てた。白い制服のシャツに包まれた肩は同い年とは思えないほど高い位置にあって、逞しく堂々と張っている。俺は俯いてぼそぼそ言った。

「流行ってるだろ、祠壊すの」

 言葉にすると馬鹿馬鹿しすぎて嫌になった。

「そうなの?」

「そう」

 本当は少し前の流行りかもしれない。因習村とか、祠を壊すとか、そういうのがSNSで流行っていた。なんだかよくわからないものが流行るんだなと眺めていた。よくわからないのは俺がまじの因習村に住んでいるからかもしれない。なんかもっと都会に住んでたら、こういうの面白がれるのかもしれない。この村には祠だってある。そして、いかにも簡単に壊せそうだった。やろうと思えばすぐやれる。

「だからやった。乗りで」

 俺のぽつぽつとした説明を、幼馴染は一通り聞いてから、

「でもお前、流行ってるからでこういうことするタイプじゃないよね?」

 と知ったような顔で言った。

「わかんないだろお前には」

「わかるよ。お前、ちっちゃい頃からちゃんとここにお供えしたりお祈りとかしてたじゃん」

 俺は舌打ちをした。幼馴染は静かに続ける。

「なんでこんなことしたの?」

 黙っていた。反抗心で黙っていたというより、単にうまく答えられなかった。この頃何もかも全然うまく答えられない。

 ここには神さまがいるんだよ。

 この村の祠の来歴は不明だけど、子供の頃からばあちゃんにずっと言われていた。祠には神さまがいる。神さまはお前をずっと見ている。神さまを粗末に扱うとよくないことが起こる。

 だからいい子にしないとな。

 ばあちゃんはにこにこ笑って、俺の頭を撫でた。俺は信じて必死に祈った。いい子にしますから、と。ばあちゃんに気を遣っていたわけじゃなく、本当に信じていたのだ。俺の横で、ばあちゃんも目を瞑って合わせた手を小さくすり合わせ、ぶつぶつ何か言いながら祈っていた。ばあちゃんもちゃんと信じていた。

 ばあちゃんだけじゃない。村の他の大人たちだって信じていた。小さい頃の俺ほど無邪気に祠の神さまの実在を信じていたわけじゃないだろうが、お供えや掃除は欠かさなかった。義務や儀礼というよりは、染みついたごく自然な振舞い。はっきりと実在を意識したり恐れたり縋ったりするわけじゃない。なんて言えばいいだろう。漠然とした気配のようなもの。季節のように、はっきりとは定義できないが確かに存在するもの。そういうものとして、村では祠を扱っていた。

 それを因習、と呼ぶのかもしれない。ここは因習村だ。都会の人間にとってはフィクションの中にしかない野蛮な村かもしれない。でも俺はここで生まれて、ここで十六歳まで生きてきた。

 それでこの先、どうしたらいいのかわからない。

 黙っている俺を見て何かを感じたのか、幼馴染は俺の肩に手を置いた。大きな手だ。その感触にびくっと顔を見上げると、優しく微笑んで俺を見つめていた。白い肌に黒い瞳。綺麗な顔をしている。

「大丈夫か?」

 優しい声。

 また黙っていた。大丈夫だと言いたいのに、声が出ない。

「泣いてもいいよ」

 なんだよそれ、泣かないよ、と言おうとしたけれど、うまくいかなかった。喉が震えて、顔が熱かった。本当に俺は泣いていた。ずっと泣いたりなんかしなかったのに。

「誰も見てないから」

 幼馴染は俺の背をさすって、優しく言う。

 そんなふうに誰かに優しくされるのは久しぶりで、それを実感するとますます涙が出てきた。小さい頃は、ばあちゃんにいつもくっついていた。俺はお母さんに会ったことがない。お母さんというより、ばあちゃんの娘さん、という感じだった。高校を卒業したら村を出て行って、父親がわからない赤ん坊をばあちゃんに渡してまたどこかに行ってしまったという娘さん。あの子、とばあちゃんは呼んでいて、あの子の話をするとき、ばあちゃんはしょうがない、というように笑っていた。呆れと諦めで、愛しさと寂しさを覆い隠そうとするような。笑ってぼそぼそ短く話すと、俺の頬を皺だらけの手で包んで撫でまわした。表情で隠したものが手から溢れ出している。

 お前はどこにも行かないで。

 そう言っているようだった。

 ぼくはどこにも行かないよ。ずっとばあちゃんといる。

 それでも俺がそう言うと、ばあちゃんは笑ったまま頬を撫でるばかりで、何も言わなかった。俺の言うことを信じていないのだった。そのうち、俺は言うのをやめた。

 村は若い子にはつまらんもんなあ。仕事もないし、遊ぶとこもないし。

 元から少ない村の若者が進学や就職で出ていくたびに、ばあちゃんは優しくそう言った。そうやって、娘さんが去った傷を癒し、将来来るだろう痛みへの準備をしているのだ。俺を、少しずつ諦めていく。

 お前もよそでお嫁さん見つけて、ひ孫連れてときどき帰ってきてな。

 話の締めとして、ばあちゃんは冗談めかしてそう言った。そのたびに俺はあいまいに笑っていた。できないよ、とも、ずっとここにいるよ、とも、言えなかった。

 嫁と子供。絶対にできない。絶対にできないことを言われるのはつらい。そして同時にほっとしてもいた。ばあちゃんはこれを、絶対に叶わない願いだとは思っていない。俺は絶対に嫁さんなんか見つけないし、絶対にひ孫の顔なんか見せてやれない。ばあちゃんはそのことを知らない。俺を、まだ完全には諦めてない。まだ。それが嬉しかった。いつか本当に失望させる日が来るとわかっていても。

 俺は自分が嫁も子供も作らないことを、ずっと昔から知っていた。そんなものほしいと思ったこともない。心底どうでもよかった。ばあちゃんが悲しむからどうでもいいと言えなかっただけだ。

 俺のこの先の人生に嫁と子供はいない。嫁と子供に限らない。都会に行ったって、俺を好きになってくれる人間なんか、いる気がしない。村の学校でだって、仲いい相手はいなかった。全校生徒が十人もいない小学校で、みんなお互いよく知ってはいて、休み時間に鬼ごっこしたりボール遊びはしても、誰とも遊ぶ約束なんかしない。俺の学年が一人きりだったせいかもあるかもしれないけど、多分それだけじゃない。

 中学では二週間に一回やってくる移動図書館で借りた本をずっと読んでいた。そういう存在として、もう周りの誰も俺を誘う気にもならなくなっていた。村の外の高校に行くようになって、多少周りに人が増えても同じことだった。いじめられているわけでも仲間外れにされてるわけでもないのに、誰かと仲良くなった、という感覚を持ったことがなかった。どうしてなのか、悩んだこともある。俺の何が悪いのか。自分ではわからなかったし、多分誰に聞いてもちゃんとした答えはもらえなかっただろう。何も悪くないのに、特別には好かれない。そして、本当に何かを変える気にもなれなかった。ここでなければ違うかもしれない、と思っても、どこかに行く気にもなれない。

 いつでもここではないどこかを意識しているのに、ここではないどこかでうまく行く気もしない。俺は誰にとっても特別な存在じゃない。俺にはばあちゃんしかいない。これまでも、これからも、ばあちゃんしかいない。別に、それでいい。他の何かを最初から諦めているからだろうか。もっといいものが俺にはあるんだろうか。わからない。俺の人生はこの村にある。ばあちゃんの畑を手伝って、洗濯物を干したり米を研いだり野菜の皮むきをして、ばあちゃんの作った飯を食ってばあちゃんの入れてくれた風呂に入って、テレビを見ながら何回も芸能人の名前を間違えるばあちゃんに正しい名前を教えてやって、おやすみを言って花柄の重たい布団で寝たい。これ以上の何かが自分の人生に見つかるとは思っていないし、そもそも、探しに行きたいとも思わない。これでいい。他のものはいい。

 小さい頃はばあちゃんと行っていた祠に、一人で行くことが増えた。いつだって、俺は祈っていた。祈る内容はいつも同じだ。

 ずっとこのままばあちゃんといられますように。

 ただ、変わらないことを祈っていた。いつまでもこのままで。祠はいつも静かだった。小さくて、古びていて、変わらない。俺もずっと同じようにしていた。きれいに掃除して、ばあちゃんの言うように米や酒をお供えして。子供のころと、同じぐらいに信じていた。祠の中の、何があるかわからない小さな暗がり。そこに感じる親しみと微かな畏れ。

「よしよし、よしよし、大丈夫大丈夫」

 制服のシャツに涙が染みていくけれど、幼馴染は気にせずただ俺の背中を撫でていた。

 何が大丈夫なんだよ。

 そう突っぱねたいのに、出来なかった。指先ひとつ動かない。体の動かし方も、この先のことを考える方法もわからない。もとからどんなふうに生きていたのかもわからない。自分が空っぽになってしまった気がする。もともと空洞があって、それがどんどん大きくなって、自分自身と区別がつかない。

「つらかったよな。寂しかったよな。ごめんな。もう大丈夫だから」

 幼馴染は誰でも言えるようなことを言って、誰でもできるように、背中を撫でている。

 わかるわけがない。謝られたってどうしようもない。大丈夫なわけもない。

 でもあまりにもでかい空洞に、その単純な言葉とあたたかさが染み込んでいく。日が暮れてきたのか、気温が下がってきて寒い。触れあっている部分だけがあたたかい。俺は震えながら涙を流している。つらくて、寂しくて、どうしようもない。

「祠は、俺がなんとかしておくから」

 そうだった。俺が、祠を壊した。少し前まで、あんなに通って、祈っていたのに。きれいにして、大切にしていた。村を出たら因習と笑われるようなものだとわかっていて、でも信じていた。

 ずっとこのままばあちゃんといられますように。

 信じていたから祈っていた。信じていたから大切だった。本当はこんなこと何の意味もないことぐらいわかっていた。ばあちゃんの顔色の悪さ、食欲のなさ、手に触った時の指の強張った感触、ぼんやりとした視線。そういうものだけが現実で、こんなの気休めに過ぎない。それでも信じて、祈っていた。それ以外を知らない。

 こんなことさせてわるいねえ。

 いよいよ倒れて入院してから、ばあちゃんはいつも謝っていた。謝らないでよ、と言っても意味はなかった。俺がばあちゃんが大好きで、大好きだから一緒にいたいんだと、信じてもらうことも出来なかった。

 わるかったね。

 最後の言葉はそれだった。あとはうまく聞き取れないうめき声。俺とばあちゃんの時間は、最後は謝罪で括られてしまった。俺はただ、ばあちゃん、ばあちゃん、と呼び続けることしかできなかった。ばあちゃんはもちろん、戻ってこなかった。

 村のみんな人が死ぬのには慣れていて、俺がいくつかの質問に答えたらあとはみんながどうにかしてくれた。みんな慣れた様子で立ち働き、俺はそっと優しくのけ者にされていた。いつの間にか葬式は終わり、忌引きの日数を使い切っていた。学校に行かなくちゃいけない。

 制服を着たのに、学校には行けなかった。小さい家は静かで、俺しかいなくて、俺が何をしてもどうにかなる相手は誰もいない。俺はスマホを眺めていた。その中に、祠を壊す話を見つけた。祠を壊すと死ぬ。悪いものが現れる。そうか、と思った。

 壊そう。

 馬鹿なことをしている。わかっている。でも止める相手もいなかった。祠は簡単に壊せた。なんでこんなことをしているのかはっきりとした答えを見つける前に、壊れた。

 そして今、抱きしめられている。

「もう大丈夫。俺がいるよ。ずっと一緒にいる」

 辺りは静かで、俺はもう震えていなくて、ただあたたかくて、優しくて、何も考えられない。つらかったことも寂しかったこともばあちゃんのことも祠のことも、全部忘れかけていた。幼馴染は大きな手で俺の涙を拭って、俺の目を覗き込んでくる。ふっくらと赤い唇が甘く囁く。

「好きだよ。ずっと一緒にいよう」

 風が冷たくて、小さく震える。その途端、理性が戻ってくる。

 俺の学年はずっと一人だったのに、どうして同い年の幼馴染がいるんだろう。

 目の前には真っ黒い瞳がある。何も映っていない。穴のように黒く暗い。

 お前、誰だ。

 そんな疑問が一瞬沸いて、しかし穴に落ちるように消えていった。

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