02-01ー1 帝国駐留軍副官アイサッタ
第2章はじまりました。よろしくお願いいたします。
セントメディウムを制したビロロン帝国は、王都に|管理城<シムヘイル>を築き、最大規模の軍を駐留した。|政<まつりごと>を補佐する名目で、国を牛耳っていた。敗れて落ちぶれた神と王家は従うほかない。
いま。帝国上級将校の執務室には、多様な『伺い人』がずらりと並んでる。
執務室官は、申しわけなさそうに汗をぬぐった。
「本日はご、ご足労ありがとうございますアイサッタ王国駐留軍副長」
「ご足労したくなかったよ」
アイサッタ・ナハナン。27歳。そこそこ腕の立つ槍つかいで、3人いる次席将校のひとりである。
戦時は参謀役をつとめた。3年前の攻城戦では、不真面目な態度に似合わない堅実な作戦を立案。被害少なく勝利へ導いた功績で、次席将校に抜擢された。
平時になって仕事は減ったのに、それなりの報酬があ維持された。午前は兵を教練。午後は決まった職務は特になく、従者を連れて市中をぶらついたり、家宅で現地妻らとしけこでいる。
次席将校は、うま味があった。責任が少ないくせに税金をちょろまかせた。私財を蓄えたられるおかげで、自国なら難しい英雄探訪と武勇伝集めが充実した。
次席万歳である。だが今朝になって一変。とつぜん、王国駐留軍副長とやらに任命され呼び出されたのだ。アイサッタは不機嫌をかくさない。
「おっしゃらないでください。王都喫緊の決裁を、お、お願いします」
執務室は、床も壁も書棚も大理石づくり。訪れる者への圧迫感を優先で、執務者の快適など一考にもしない。無駄に豪華な大理石のデスクに着くが、椅子も石造りだ。毛皮敷きがなければ、たちまち痔になる。
「決裁ね。呼び出した上級将校殿はいずこだ」
「行方不明です」
「行方不明とは、なにかのたとえか」
「『探すな』と家人に厳命して姿をくらましたのです。じつのところ行先は判明してるのですが」
不満があきれに変わる。
「はあ……戦場の方だからな上級将校殿は。事務仕事が嫌いなのは知ってる。ほかの副長がたは」
「昨日とつぜん、遠征へと向かわれました。南西がきな臭くなったとか」
帝国の悲願は、ラム・ナハラ地域の制覇。達成までわずか2国まで迫っていた。北西は港湾都リーディアと、南西は砂漠の大国サハランを制覇すれば完了、というところまでこぎつけてる。
しかしどちらも遠く強敵で、容易に勝てる国ではない。戦況は一進一退を繰り返してる。皇帝も腰を据えての戦略を命じていた。
「皇帝陛下が呼び出したのではあるまい……逃げたか」
アイサッタより専任の2名はこれまで、決裁業をサボる上級将校にかわって、交代で代理役を努めていたと聞いてる。その上級将校がついに『行方不明』化した。責任を押し付けられてはたまらないとして、発ったのだろう。
「それで自分が王国駐留軍副長はない。任命は貴様の提案か」
「とんでもない。とにかく、私ども文官では極められない事案がおおくあって」
行政担当ともなれば、甘い汁を吸い放題というのに、事務処理嫌いがそろったものだ。かくいうアイサッタも執務は嫌いだ。得意であるが好きではなかった。
「わかったわかった……葡萄酒でも飲みながら、さっさと終わらせよう」
お鉢が廻ってきたと思うことにした。甘い汁は歓迎なのだ。
「あの、葡萄酒は、ありませんが」
「知ってるぞ。棚の奥にしまってあるのを」
「え? は、あ、あれは、上級将校殿のとっておきで」
「上級将校殿に代わって飲んでやる。仕事を代行するんだ。飲酒を代行してなにが悪い」
「叱られてしまいます」
「脅されてしかたなく提供した、とでもいっておけ」
無理やり命じ、|小<こ>樽の葡萄酒を出させた。とっておきの味に期待がかかる。素焼きのゴブレットに注がせ、一口、飲んだ。
「……ふつーだな。不味くは……いや、不味い……。上級将校の舌はどうなってるんだ。しょうがない。飲んだからには始める。暑苦しいし」
複雑な絵文字の文書は、粘土板に記してある。商い程度の覚書は掌に収まるサイズだが、国の案件は大きくなる。縦横3倍、厚みも3倍だ。割れないよう強度を高めてあるのだ。
「はい。本日は30件ございます」
一枚ずつ、奴隷が大切に腕に抱えてる。軽いものではない。決裁が終わって、蔵に収納されるまで、欠けただけでも首がとぶ、落とさないように持っていなければならない。案件は2人セット。持ち役の奴隷と説明役の伺い人。
「30か」
「これでも半数まで減らしてます」
執務室は男たちの汗で満ちていた。重い板を必死で抱える奴隷を、伺い人が気遣う。窓板は外れてるが風はない。ようやく始まる。伺い人たちは内心で息を吐いた。
「うん? 前より大きくなってないか」
「ええ。試行錯誤で、以前の1.5倍になってます。アイサッタ様のお考えですね」
「自分の? ああ……」
思いだした。
上級将校に進言したのだ。文字の1字には、複数の意味が込められてる。簡単な件は数語ですむ。複雑な案件は、正しく説明しようとするほど冗長で、1枚に収まらなくなった。文書は捨てるわけにいかない。あれはどうだったと、数年後に確認することがあるからだ。増えていく粘土板は、保管場所に困るようになった。
今も倉庫は建造してる。建てているが、完成した倉庫には、野ざらしの粘土板からしまわれ、新しいものは後回し。結局、いつまでも追いつかない状況になってる。|管理城<シムヘイル>はそのうち、粘土板にうずもれた廃墟だ。
サハランにはパピルスという媒体がある。軽くて便利だが遠国の買い入れは高価だ。造れればよかったが、ラム・ナハラ地域は草木が生えにくく、パピルスの原料は生えない。どににもあって、書き込みが簡単な粘土が定着した。
この粘土板問題は本国にも当てはまった。保管をどうするかだ。アイサッタ、コンパクトにまとめることを思いつく。数枚に分けた1件が1枚に収まれば、少なくとも、数が減る。厚くなった粘土板は、裏にも横にも文字が書けた。
「そうかこれが。ちょっと貸せ」
「あ、アイサッタさまっ!」
「大丈夫だ。力には自信がある」
アイサッタは困惑。思いがけなく重かった。前のサイズも重かったが、持てないほどではなかった。二回りほど大きくなった粘土板の重さは、まさに倍増だ。
「……重っ!!」
粘土板が滑りぬけた。最近は兵士に指南するばかりで剣や槍をとってない。力が衰えていたのだ。
文書が1枚できるまでいくつもの工程がある。最初の話は主に、下級の役人に持ち込まれる。依頼は、工事や建物の修復が多い。農村の水騒動やいざこざなどは、その地で解決されるものだが、大事に発展し持ち込まれることがある。
下級役人の話を、聞いた中級役人が、報告に値すると判断すると、長い役所言葉に言い換える。その役人が文字を読めればいいが、読み書きできない場合が多い。文字の書ける者に渡し、粘土版細工の工人へ、持ち込まれる。
工人は、簡易的に砂上に書かれた文字をみながら、練った粘土に楔字を打つ。できた板は天日で数日乾燥させれば完成だ。それを中級役人は奴隷に持たせて、関係局へ赴く。局の決裁が通れば、案件は実施の段階へと昇る。本当に実施されるかは担当者しだいで不透明だが。
とくに重要な案件となれば粘土も特別。天日乾燥だけでなく、かまどで一晩、素焼きにされる。持ち込まれる局の係も、一段上のものとなる。
そんな粘土版が滑った。大勢の証人が見守る執務室で、ゆっくりと落下していく粘土板。固い大理石の床にあたって、4つに割れてしまった。乾いた音は建物の外まで響いた。
暑い執務室に、冷たい空気が流れた。奴隷たちは、持たされた粘土版にしがみついた。割れたブツは、これではないと、自分の板は健在でこれが証拠だと言わんばかりだ。
「あ、あ、あ、アイサッタ王国駐留軍副長どのぉ~~」
「あーーーこれ、自分のせい?」
「そりゃそうでしょうよぉお、ーーーー」
この世の終わりを表現する表情があるとするなら、執務室官の顔がそれだろう。アイサッタは、しゃがむと、欠片を元通の形に並べた。文字が散って読みにくい。持ち上げてもみたが、触るほどに細かく分かれていく。修復は絶望的だ。
「割れたものはしかたない。形あるものはいつか壊れる」
「壊れるだけですみませんから! 首が飛ぶんですから!」
割れた粘土板の奴隷は四つんばいだ。体を丸めて小刻みに震えてる。担当の伺い人も膝をつく。奴隷ほどではないが、顔色を失ってる。粘土板を落としたのはアイサッタ。責任を問うならアイサッタ。だが彼の地位は高かった。
「自分の首が飛ぶのか。誰が飛ばす? 貴様か執務室官」
王国をみわたせば2番目の権力。いまの執務室において最高責任者で、神に次ぐ男だ。割った責任など、誰にでもなすりつけられる。思うがままだ。
みずからの失言に執務室官は、畏れおののく。
「ももも、、申し訳ございません……『無慈悲のアイサッタ』を断罪できるのは帝王陛下だけございます、はい」
「……『無慈悲』いうな。嫌いなんだよその二つ名」
「もももももももももも、も、申し訳ございません。い、い、命ばかりは」
「誰も殺すといってない」
アイサッタは自分を合理的な軍人と考えてる。先の攻城戦で城に攻め叩かず、城内の食料が尽きるのを待つ作戦にしたのも、軍の損耗を押さえるためだ。
王太子が国王を殺害し降参してきたのには驚いたが、城門は開かれ、ほぼ無傷で味方は入場した。その王太子。いったんは王となったが、囚えて国に護送した。軟禁生活の人質だが、不自由のない暮らしが死ぬまで続く。うらやましいくらいだ。皇帝から、あれの命を保証する言質をとったのもアイサッタだ。
「こんな優しい自分が『無慈悲』とは。言ったヤツを拷問にしたい」
「ごご、ごうもん……」
さらに底冷えする執務室。建物全体を氷が覆ったように、誰も動けない。アイサッタのわずかな挙動にもびくついた。ため息の音にも、おびえた。
悪いのはすぐに降伏しなかった王だ。長引いた籠城が餓死者を増やした。自分は無慈悲でない。言葉は独り歩きする。アイサッタはそう考えてる。
「おい伺い人」
「は、はい」
「言え。割れた板になんてあった?」
「あ、はい、えーと。税吏カンブキの嘆願であります。『メーウッドの子ガイサエは、王都に相応しくない職務ぶりであるによってシットルーケへ左遷させていただきたい』と」
「シットルーケへの左遷、承認した。それでいいな」
一拍だけ考えて告げた。
伺い人は目と口をきゅっと絞める。納得がいかないらしい。
「どうした? そういう案件だろう」
「わ、私めが申すのもなんですが、下級役人のガイサエとても優秀です。中級に取り立てる意見がでる、いずれもっと出世する男でして」
「そうなのか。ならなぜ左遷の嘆願となった」
「ガイサエに嫉妬したカンブキが権限を悪用して上申。賄賂を受け取った先輩格が通した――のが実態です。私としては左遷させたくは……」
「くだらない」
「は?」
心底アイサッタは思った。元が嫉妬だろうが、案件となって、執務室に通ったのは事実。その点で、カンブキの手腕が優れてる。
ガイサエは実直なの男なのだろう。税吏として腕が高いなら、上司にとって使い勝手がいいだろう。
だが、下級程度の駆け引きで負けるようでは中級役人は勤まらない。左遷された地方でもまれ、一皮剥けたほうが、将来に役にたつ。
「シットルーケは涼しくて過ごしやすい。ガイサエも内心で喜こぼう。下れ」
「わかりました」
「そんなことより」
そんなことよりアイサッタは、粘土板のほうが気になった。落とすほど重い粘土板だ。伺い人が食い下がるほど、奴隷は疲労を貯め、したたり落ちた汗で床が汚れる。
サイズは考え直しさないといけないな。保管と文書量のバランスをとらないと。兵らの居住舎にも狭くなる。兵の不満は反乱の呼び水だ。なによりも、倉庫を建てるほど、ちょろまかせす金が減る。
「な、な、なんでしょうか」
「なんでもない。次だ」
「は、はい。南町の酒場通りの道を補修したい。建築部からの申し出です」
「道がよくなるのは歓迎する。許可しよう」
「ですが」
「またか。今度はなんだ」
「予算が市価の30倍です。尋常な額といえず、汚職の疑いがあります」
それならなぜ持ちこんだ。難点があるというなら、事務段階で不処置にすればいいだけ……伺い人は、微かに笑った。なるほど。
「金は王国の懐から出る気にするな。ま、余分な予算は検討しよう」
口を近づけ小声で告げた。
「担当した者を自分の所へ寄越せ」
「はっ」
しょせんは他国の政、横領は罪とならない。とはいえ罪に問わないなりの節度はあった。経済はまわしてナンボ。30倍はやりすぎである。国が崩壊しては、奪えるもの奪えなくなる。
アイサッタは考えた。
30倍のうち、国庫に返すのは20倍でいいか。
余った10倍分は大きな実入りだ。
伺い人らに口止め料を渡しても、かなりの額だ。
自分は得た金品は派手に散財してる。
セントメディウムが活況なのはそのおかげなのだ。
貯めこまずに回す限り、問題はなし。
王国駐留軍副長の地位、悪くないものだな。そんな結論にアイサッタは達した。
「次だ」
本日の政務案件は30。周囲を氷りつかせながら、時に笑い、列を片づけていった。飲みくだした葡萄酒は、さっきより美味く感じた。
太陽が午後になったころ、30件すべてが片付いた。最期に辞去した粘土板の奴隷は、褐色の肌が真っ白だった。厠にもいけずただただ待っていたのだ。あれがアイサッタなら、粘土板を床にたたきつけて首を刎ねられていたに違いない。
「終わった……次からは時間を決めて、順番に来させろ。さすがにみてられん」
「はっ、そのように」
「帰るとするか。うーん」
アイサッタは立ちあがって伸びをする。固い椅子で体はバキバキだ。
「王国駐留軍副長様へ、上級将校様より伝言! 至急コロッセオまでおいでください」
見たことのある男が入室してきた。上級将校がつかってる従者だ。
「コロッセオ? それが『行方不明』の行先か」
「その、ようです」
執務官がしぶしぶ同意。居場所を知っていたな。
「席まで案内するように言付かっておりますので、待たせていただきます」
「貴賓席だろう? 後で行くと伝えておけ」
「ですが」
アイサッタは三角筆記を手にすると、半乾きの小型粘土板にくさび字をつけていった。
「読め」
「『大麦1000束 アイサッタ』とあります。これは」
信用取引だ。知名度の高い人物や、店で書かれた粘土板は通貨のように、物やお金と引き換えることができる。アイサッタの名なら十分に通用する。
「金や銀が手持ちにないのだ。閣下にはこれで楽しんでと伝えろ。くれぐれも割るなよ」
「……お待ちしております」
上級将校は、自分で戦うのも戦いを見るも大好きだ。コロッセオは、剣闘士の戦いを見る場だが、賭けの場でもある。
自分を呼んだ理由が、アイサッタをわかった。負けこんだ金を補充したいか、遊ぶ場に部下を巻き込んで|上司<皇帝>に報告させないためだ。両方かもしれないが。
「では帰るか。またぞろ厄介ごとが舞い込む前に」
上級将校の従者を追い返したアイサッタは、自分の従者たちを連れて、執務室を退散した。
「コロッセオに行かれるのですよね」
「街へくりだす。あんなとこ誰が行くか」
「上級将校が文句言ってきませんか」
「粘土板の額をみれば、口を閉じる」
行かない代金みたいなものだ。上級将校もわかるだろう
「それに、コロッセオにも英雄はいますよ」
英雄探訪と武勇伝集めは好きだが、それは歴史やリアルに限ったものだ。英雄は、表にでないからこそ英雄たるのだ。見世物には興味がなかった。
「英雄を宣言する奴に、真の英雄はいない」




