3-11 イーツァの色
「……ねえ変ですよ。起きてシアミム姉さん」
「うーん。まだ夜じゃない。寝かせてよ」
「馬車が動いてる。おかしくないですか」
「そういうことも、あるわよ。おやすみ」
「ないから変なんですって! ねぇ。キミでいい、おいらくん。起きてよ」
イーツァは身体をゆすられ、ぼんやりと目を覚ます。目の前には、肌を露わにした妙齢の女性たちが重なって眠ていた。いきなり血圧が上昇。眠気を吹っ飛ばした。
「な、な、な、おいらなんで、ここはどこだ」
「変なのよ」
年の近い、まだ少女といっていい女性が、変だを連発してる。目のやり場に困ながら、そういえば夕べは、ガーシュ弟と、色馬車に厄介になったことを思いだす。少女と目が合った。
「み、みたわね……」
「みてない。形のいい胸なんて」
あたふたと、肩のおちたチュニックを着なおす。
「すけべ」
だいたい、肌の出しすぎなんだよ。いつもは女性だけかもしれないが、イーツァがいるのだ。下着だけのハレンチ姿なんて、口うるさい派閥がみたら、良くて割礼。悪けりゃ折檻ものだ。少女がはっとして、胸をかくした。
「動いてるのよ馬車が。お姉さんたちは、取り合ってくれないけど絶対に変だよ」
「馬車が動いてる」
不安そうにする少女。見るともなく、またしても、押さえた胸に目がいく。色馬車にいる彼女は、少女であっても、そういう仕事の女性だ。堕ちたのか売られたのか。清楚な見た目から想像しにいが、男とまぐわった身体。
イーツァは思わず『いくらするのかな』と算盤をはじきかけ、頭をふって抑制する。
焦点を『変だ』という話に合わせた。
「本当に……動いてるな」
たしかに。一度だって、夜の夜中に動いた試しがない。いつもと違うことをするなら、皇帝の命令など、相応の事情があるかも。
もっとも、いちいち、捕囚に知らせる理屈もない。動いた理由を知りたいのなら、手っ取り早く御者に尋ねればいい。なにか教えてくれるだろう。
「誰が御者をしてる」
「わからないの」
イーツァは、御者台へ行こうと立ち上がった。自分がいるのは荷台の後ろ。前へ行くには、女性たちを起こして避けてもらうか、乗り越えなければならない。イーツァは、年上女性を起こす度胸も、熟れた人肌を乗り越える|面<つら>の厚さも持ってない。
そういうときは目には目を。女性には女性をだ。この少女が、話を訊けばいい。
「あんたが御者に訊けよ。小司は気にしない」
正直、動いていようが、どうでもいい。それよりもせっかく寝心地の馬車にいるんだから、まだ眠ていたい。
「で、できないよ。怖いもん」
「なんで動いてるんですかって 訊くだけだろ」
「御者って、知らない男だったよ。兵士だよきっと。殺されちゃうよ」
「いきなり殺しゃしないさ。すいませんって下手に出てみな。娼婦は得意だろそういうの」
そういうと、少女は何かをいいかけ、ため息をついた。イーツァは、言葉を待るが、一向に話そうとしない。そのうち、黙ったまま、目に涙を貯めだした。
「な、な、なに」
「……得意じゃないもん」
「なんだって」
「そんなの得意じゃない、もん……」
蹄と車輪の音でかき消されそうな、かぼそい声だ。貯まった涙がこぼれ、あふれていった。
「もーお。女を泣かせちゃだめでしょ。この色男」
女性が目を覚まし、少女とイーツァを見比べ、あーあと笑う。寂しい笑顔をしてる。シアミムって呼ばれてたっけ。
「このコ、やってるときは終るまで、目と口をぎゅっと閉じてるから」
「え……」
やってる。なにを? と口から出かけて、己の頭の血のめぐりの悪さに舌打ちする。娼婦のやってるはひとつにきまってる。
「あたしは好きでやってるけど。そういう娘だけじゃないの。ボクちゃんにはわからないかもしれないね」
「あのな、おいら……小司は列記とした男だ。バカにするな」
「はいはい。せめて|童貞やめて<男になって>から言うのね。そうだ。いまなっておかない? 安くしておくわよ。うん。ナネットはどうかしら」
「どう……おとこ」
ナネットが少女の名らしい。それよりも。童貞を言い当てられて言葉に詰まった。14歳で童貞は珍しくないが、面と向かって言われると、人として不出来な気がしてくる。
「そうだわキミ、お金もってそうね。いっそこの子を身請けするってのは? わたしが誘って付き添わせたコだから借金がない。お得よ。|元締め<オヤジ>も安くしてくれるわよ。うん。いい考えだわ」
シアミムは、これはナイスアイディアと、上機嫌になった。ナネットの手を握らせ、祝福の祈りを唱えた。イーツァは、柔らかな手のぬくもりにどぎまぎ。降ってわいた話についていけない。ナネットと目が合うと。少女はまんざらでもない上目づかいで、小さくほほ笑んだ。
「いきなり、そんなこと……」
祭司は婚姻を禁じられてない。童貞を捧げて神に仕えるという一派もいるにはいるが、少数に留まってる。厳しく禁じると、王家の血縁支配が成り立たたなくなる。
悪くはない。じっと考えるうちに、そう思えてきた。ナネットは、性格がきつそうにみえて怖がりで、そこが保護欲を誘う。いまも清楚で可愛いが、大人になればもっと美しくなることだろう。イーツァは貞操の概念が薄い。処女も娼婦もない。
頭には、ユディとムズクムの顔が浮かでいた。イーツァは、ユディを男だと思ってした。2人の関係は兄弟のような幼馴染と信じていたので、ユディが髪を伸ばし、それが似合ってるのを不思議に感じた。あのときの2人が夫婦にみえたのだ。オモシロ枠の夫婦に。頬がゆるんだ。自分とナネット。どんな家庭をもつだろうか。
「へぇ。意外と脈ありだわよ。ナネット」
「……うん」
「ちが、ちがうから」
わたわたと、幾重に膨らんだ妄想を否定する。
そのとき、蹄と馬車の軋む音が止み、身体が前のめりになった。動いていた馬車が停止したのだ。御者たちの話し言葉がする。
「……よお。前を行くオトムの馬車が止まったな。いいのか」
「わからねえが、オレはもうずっとビンビンだ。金持った奴等がやってんの指くわえて見てんのおさらばよ。三晩だってヤれる。ここまでくりゃ味見くらいいいだろう」
「たったの三晩? オレは五晩はいけるぜ」
「言ったな。賭けるか」
「おうさ。どっちが先に絞り尽きるか、だ」
声は潜めてるようだが、でかい地声で丸きこえだ。オトムが誰か分からないが、どうせロクな奴ではない。ばさり。御者が、仕切った幕をもちあげた。ロクでもない相談が終わったらしい。
「へへ。待たせたな女ども!」
「……夜のお勤めは割り増しよ。あなたたち、払えるお金はあるのかしら」
「金なんかねぇ」
「次席将校さまのお達しで無銭の施しはしないの。おとといきなさない」
シアミムは勝ちを確信している。その名をだされた帝国兵は尻込みするからだ。次席将校のアイサッタは、捕囚の民らを保護するために、いくつもの取り決めを徹底させた。理不尽な暴力はもちろん、立場をかさに着たほとんどの行為に厳罰か課される。そのひとつに、娼婦を買うなら対価を払えというのがある。
しかし御者は、不敵に笑った。
「へっへへ。しったこっちゃねぇ。今夜限りでおさらばだ」
「逃亡ってこと? 帝国は規律がうるさいわよ。追っ手を出すわ。それも強い兵をね」
帝国では兵だけでなく、農民や工夫など一切の離反を許さない。見せしめで、むごたらしく殺される。他国に行き来でき罰にななないのは、通行税を払う商人くらいなものだ。
規律厳しい兵暮らしの反動か。自由気ままに生きようというのだろうが安直だ。執拗な追っ手から身を隠し、その日暮らしの盗賊に堕ちるのが関の山だ。
「んなもん返り討ちにしてやんよ。まぁ多少数がいれば厄介だが」
「ならとっとと行きなさい。わたしたちに関わってる時間なんかないはずよ」
「てめえらは行き掛けの駄賃だ。粋な女連れ逃避行としゃれこむ。満足させてくれよ」
「おい。子供はオレの物だからな」
別の御者に肩をたたかて、ふりむく。
「いいぜ。ガキに興味はねぇ。へっへーよりどりみどりたぁこのことだ。神に、えーと|ラシャイ<天の神>だっけ? 感謝の言葉を捧げねぇとな。天が与えし豊穣を我らが美味しく召し上がります……」
ウソ臭く捧げられ祈に、女性たちが震える。同時に後部から、歓喜とともに幕があがった。イーツァがふりかえる。兵士らが3人と、年かさの女が3人いた。
眉間にしわを寄せた兵が「男がなんで」と悪態をつくより先に、3人の中年の女に「どきな」と押しのられた。
「オトムさんとは話がついてんだ。あたしらが先。この売身体どもに割礼するからってんで、ほかを酒で眠らせて静かにしたんだよ。この不届きものらに女の心構えを教えてやるんだ」
荷台に食らいついた女3人は、手に手に、刃やら、挟みを握りしめてる。初見だが、どれもがおぞましい形が共通。目を覚ました女性たちは、それを見た瞬間、身体を抱きしめて震えあがった。襲いかかる男よりも恐怖を感じる物体らしい。イーツァは、大事な所をちょん切られるのを想像し、縮みあがった。
「ババァら。切って結んでたら3月はかかんだろうが。待ってれっか」
御者は飽きれ顔で、腰に手をあてる。この男が頭のようだ。
「抜糸のあとは好きにしな。早い子ならひと月。それまで、手でも口でもあたしの貸してやる」
「しわしわなんぞ借りたかねぇわ。寝て待ってろ。満足したらまわす」
「わかってないね。突っ込めば声あげてよがるだろうに。あたしゃそれが許せないってんだ。よけな」
「ったくるせな。すこし傷めつけろ」
御者がそういい、外の兵たちが、中年女性たちに拳を下ろした。女も負けずに「なに、すんのさ」と、刃物を、めちゃめちゃにふりまわして、逆らう。でたらめな攻撃は、偶然だが、兵の頬を切り裂いた。傷は深くないが血がほとばしる。
「てめぇ!」
兵は激怒する。拳でなく剣を抜くと、中年女を横にはらった。女は腹が裂かれて絶命。ほかの女らは、慌てふためいで逃げだす。兵たちが追いかける。必死の女たちに背中に追いついて殺した。八つ当たりか、動かない死体に、剣を何度もふり下ろしてる。
「そこまでやらんでもよかったがな。ま、どっちみに用済みか。おまえら、オトムの馬車をみてこい」
御者がいうと、兵たちは前に走っていく。
イーツァは、この最悪な現状がなにかと考える。兵らの話と状況から、ほかにも女性馬車もさらわれたらしい。1台か2台。目的は、ロクでもない欲求をみたすため。敵は帝国兵、見えてるだけで5人もいる。どうする。この混乱を活かせなかったことが悔やまれる。
戦えるのはイーツァひとり。
月明りの真夜中だ。身を隠すことできるが、すでにみられてる現状で、奇襲は論外。7人を護って熟練の兵と戦う? 思案以前の問題だ。
ひとりなら確実に逃げきれる。ガーシュ弟もいる。足手まといになるので、生存の可能性は半分もない。でも、ガーシュに恨まれることを思えば、助けないわけにいかない。
この馬車だけで女性が6人もいるが、捨てていくしかない。他人なんだから。戦うとか連れていくとか、そもそも考えなくていいことだ。
「娼婦だし。殺されはしない、よな?」
イーツァは、そんなことを気にする自分に困惑した。
ナネットがじっと見つめてる。口を固く閉じて何も言わないが、深い動揺がはしった。手を差し伸べる方法はないのか。無理にでも連れていくべきか。
だが、それでどうなる。すぐ追いつかれて皆殺しだ。最初はみせしめに弟が。次いでイーツァが。ナネットは、唐突に現われた救いの綱の死を見届けたあと、じっくり犯される。希望はなく、上塗りされる絶望があるだけ。
「おい女。ずっと目をつけてたんだ」
御者は|シアミム<獲物>を確保した。これまで雄弁だった彼女は、肩の力をぬくと、敷物をたぐり寄せた。「ここじゃ狭いわ外で」 娼婦らしいシナをつくる。じつにいさぎよく、抵抗をあきらめた。
「娘のほうは俺よ。かわいがってやるぜ。げへへ」
もう一人はナネットに目をつけた。女性たちを踏み越え、こちらにやってくる。なぜだろう。広くもない馬車の中なのに、イーツァには、御者のうごきはとても遅く感じた。まるで処刑の時間が引き延ばされたような。
「ナネット……」
ふと、名まえをつぶやいた。彼女はかぶりをふった。目が語った。妄想でいいから。最期のときまで、身請けする未来を夢させて、と。差し出された手を握ると、とても冷たかった。
イーツァは、弟を抱えてる。タイミングを待って逃げる気満々。なのに、彼女から目が離せない。少し話をしただけの相手。戯言の身請け話がとても重かった。らしくないなと、思うのだが。
王家の血をひきながら捕まらずに平穏な道中を楽しめた。これは神の計らいだと、庶民なら言うところだろう。イーツァは、神の裏側を知ってるので、計らいでないわかる。いまのモラトリアムを引き寄せたのは、危険を察知するカンと、ほんの少しの運の良さだ。
もう十分だ。捕囚の先に待ってるものはロクでもないに決まってる。ならばここで、男気に散るのも、悪くない。人生には華が必要だ。イーツァは腹をくくった。
「帝国兵よ。小司はイーツァ・ゼツァイム。セントメディウムの祭司だ。偶然馬車に乗り合わせた」
ナネットの胸元に手を差し入れかけた御者が手をとめ。押し倒した女性に乗ろうとしたリーダー株が、あ? と睨んだ。
「祭司だ? ガキのてめえが? ウソぬかせ」
「そう見えような。これならどうだ。信じるか」
ボロを脱ぎすて、祭司のチュニックを露わにした。平民には手がどかない素材のショールと、金糸縫った|フリンジ<飾り房>が先で揺れる。祭司のなかでも血の濃い者に許された金満だ。
立ち上がって、あごをしゃくりあげ短剣に手をおいた。上司祭司が平民を威嚇するときのポーズだ。
「おおっ」
「暗くてもわかるあろう。高貴な祭司にだけ許された衣装だ」
「祭司は、みな捕らえたと聞いたが」
「心ある帝国兵士らにかくまわれた。|ラシャイ<天の神>は偉大である。愚かな策謀のせいで戦に負けようとも、信者はラム・ナハラ全域におよぶ。小司がいないと知れた隊列はどうなってるかな。大捜索て|轍<わだち>をみつけた大勢の追手が駆けつけるぞ。すぐにもな」
屈強なリーダーがあちあがり、腕は巌のように固く太く、小司くんの胴体くらいある。にらみ合うことになったイーツァ。短剣を握る手はしびれ、背中を汗がしたたりおちる。時間がすぎていく。
「ずらかろうぜ。ゼツァイムを名乗るのは王家だ」
|ナネット狙い<ロり御者>がリーダーを諫め、緊張の空気がゆるんだ。イーツァは、自然にみえるよう、握っていた手を腰の後ろに隠し、指を動かしてしびれをほぐした。
「でまかせにきまってるわ。衣装を盗んだガキが、苦し紛れぬかしてやがんだ」
「マジなら? 多勢に無勢は勝ち目がねぇ」
ロり御者がんばれと、心中で応援する。立場も衣装もウソではないが、苦し紛れの出まかせは本当。
「あっても陽が昇ってからよ。この場シノギだ口車にのせられんな」
リーダーだけのことはある。バカではない。御者は剣を抜いてイーツァに迫った。
「ガキの口を塞いで、続きといこう」
ロりは、「もうそんな気はねぇよ」とため息をつきながらも、イーツァに向きあう。見下ろされた祭司は、逃がすこともできず、期待以下の短命におわった策に失望するしかなかった。




