ep.3
「ねえ、この車ってどこに向かってるの?」
「今?」
「今」
「⋯⋯もう三時間は走ったけど」
おれは隣でぬいぐるみを抱きしめ、あぐらをかく弟を見た。ねむたげに瞼が上下している。
「寝てもいいよ」
「⋯⋯うん。だから、どこに向かってるの?」
答えられないの、と訊かれて、おれはすこしどもった。
「⋯⋯⋯⋯ホストファミリーっていうの? おれたちをしばらく泊めてくれる人が見つかった」
「え〜⋯⋯そういうこと? あやしくない?」
「⋯⋯そう? おれは一回、会いに行ったよ」
「え!? いつ?」
「三ヶ月くらい前?」
「そんな前から企んでたの?」
「まあ、うん」
「準備万端じゃん。いい人だった?」
「⋯⋯うん」
「まあまあなんだね」
「言ってない」
「その顔はまあまあってことでしょ」
「⋯⋯ふつうの人たち」
「ふつうの?」
「うん」
「ほんとうに大丈夫なの?」
「⋯⋯大丈夫」
弟は正しくて、勘がよくて、穏やかで、つとめて子供らしく過ごしている。それはよく隠された努力の地層によって作られていて、本人はそれをものともしない、ような素振りをしている。
とてもやさしい子だから、おれはそのぶん非道にならなければいけない。
おまえがどこにでも行けるように、おまえがひとりで苦しまないように!
⋯⋯電話が鳴った。おれは減速して車を道路の端に寄せ、電話を折り返す。
「⋯⋯あ、もしもし? ⋯⋯ええ、どうも」
助手席のロナルドはよく眠っている。けれど、すべてのリスクを排除して、絶対に聞かれたくない電話だって存在するのだ。
静かにドアを閉め、電話に、はい、と答える。
「⋯⋯もうしばらく⋯⋯はい、一時間ほどで着くと思います」
礼を言って電話を切る直前に聞こえた、楽しみにしているわ、と言う言葉に、おれはどう答えればいいのかわからなかった。あいまいに打った相づちは聞こえただろうか。
すると突然、寄りかかっていた窓がゆっくり開いた。
「⋯⋯兄さん? ⋯⋯どうしたの」
「いや、べつに。あ、寝てていい」
「⋯⋯うん⋯⋯」
おれは眠った弟をちょいとつついて車に乗り込み、アクセルを踏んだ。
それからしばらく、弟は眠り続けた。そんなに眠るのはたぶん、昨日がよく泣く日だったから。そうに違いない。
弟はよく泣く。そしてひとりで眠るのが下手で、血もつながっていないおれの部屋までやってくる。さらに、寝相がありえないほどに汚い。
ロナルドがやってくる日、おれは地面にブランケットを敷いて眠る。
腹蹴りで目覚めるなんて、もう二度とごめんだ。
ナイーヴな人間は寝相が悪いのか? 休日、夕方になっても起きてこない叔母は、ベットの下によく落っこちている。
おれは大通りを逸れ車を走らせる、目印と言われていたファストフード店の角を右に曲がった。
すると、少し進んだあたりで、道の脇に立って手を振る女性が見えた。
先ほど電話で一時間後と伝えたジョーンズ夫人かと思いきや、しかしそれなら、家はもうすぐそこである。
ならば、ヒッチハイク? ⋯⋯どうやら違う。
おれはあたりを念入りに見回してからスピードを落として、その女性の前に車を止めた。
女性は興奮気味なのか、杖をしきりに打ち付けている。おれは窓を半分ほど開けた。
「⋯⋯シャーデン兄弟ってあなたたちでしょう! 会うたびにアメリアが話すのよ。アメリアってジョーンズ夫人よ? あのねえ、彼女は気立てがいいけれど、ほら、あの⋯⋯夫のガルさんはあまり穏やかでないから⋯⋯困ったことはアメリアに聞けばいいわよ。それにしてもまあ、美丈夫ねえ⋯⋯それにあなたの車、聞いていたよりずっと素敵だわ」
女性は一気にまくしたて、その途中、風に吹かれてずれた黄色いスカーフを結び直していた。
アメリア・ジョーンズ夫人。思っていたよりも口が軽いようで、おれはすこし不安になる。
「⋯⋯ご助言ありがとうございます。よい日を」
「よい日を!」
おれは遠ざかる背中を見て、思った。
彼女に杖は必要なのだろうか?




